ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-12-10

小林よしのり vs 佐藤優

最近久しく、論壇がにぎわいません。『論座』(朝日)『現代』(講談社)といったオピニオン誌が相次いで廃刊し、他のオピニオン雑誌も売り上げが落ちているとのことです。「論壇」そのものがネット空間へ移行しつつある、という現状もあるでしょう。

近頃は、日本の言論界の空気もだいぶ戦後色が薄れたというか、保守系の意見のほうが大勢を占めている気がします。右派陣営が一定の勝利をおさめ、左派陣営に対する「掃討戦」に移行しつつある、とでもいったらいいのでしょうか。廃刊した『論座』『現代』も、共にリベラル系の雑誌でした。最近書店でよく見るのは、『諸君!』(文芸春秋)『正論』(産経)など保守系雑誌ばかり。特集も、田母神論文にまつわるものばかりです。

最近の論壇に活気がないのには、注目を集める大論争が発生していないこととも関係がありそうです。かつて論壇がにぎわっていた頃は、従軍慰安婦論争や、歴史認識をめぐる論争など、必ず左右両陣営を巻き込む大論争の存在がありました。

そんな中で、最近とある2人の間で、論争(?)が起こっているようです。その2人とは、小林よしのり(写真左)と佐藤優(写真右)。
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小林よしのりは、もともと漫画家ですが、『ゴーマニズム宣言』から社会批評を行うようになり、薬害エイズ問題、オウム真理教問題、従軍慰安婦論争、教科書検定問題などの節々で、常に注目を集めていた人です。自身曰く「わしが論壇を食わせてやっている」とか「小林いるところに論争あり」とまで言われるくらい、ある時期は常に論争のド真ん中にいた人でした。

佐藤優は、このブログでもよく書評を書いてますが、起訴休職中の外務官です。今や一番売れている作家と言えるかもしれません。その主張は保守的ではあるものの、リベラル陣営にも一定の理解を示しており、飽和状態の保守系論壇の中では、新鮮な意見が多く見られます。『SAPIO』で連載をしていると思ったら、最左派の『週刊金曜日』でも連載を抱えていたりと、左右両陣営をまたがって活躍する時の人です。

さて、その両者間の論争ですが、何が争点になっているかというと、これがよくわかりにくいのです。ことの発端は、佐藤が「琉球新報」の連載で「沖縄は全体主義の島だ」と主張する有識者を非難し、小林がこれを「名指ししていないが、もちろんわしのことだ」と捉えたことから、佐藤の批判を始めたことにあります。しかし、両者とも同じ雑誌の『SAPIO』に連載を抱えていることから、問題がこじれ、本格的な論争が始まる前に争点が脇にそれました。当初、佐藤の批判の矛先は、小林よりもむしろ『SAPIO』の編集部に向いていました。佐藤曰く、
雑誌にはいろいろな長期連載があります。Aという長期連載者が、Bという別の長期連載者が書いているものはデタラメだと論評している。Aさんの言うとおりだとすれば、Bさんというデタラメな人に長期連載を書かせている雑誌編集部の責任はどうなるのか。こういう問題です。
日刊サイゾー 「よしりんと戦争勃発!」佐藤優ロングインタビューより)
加えて、小林の佐藤批判も、佐藤の主張そのものよりも佐藤個人の人格攻撃になっていた感があり、争点が明確でない時期が続いていました。佐藤自身も、この時点ではまだ「論争」が起きているという認識ではなかったようです。
私は、今回の一件を「論戦」とは意識していません。論戦には二つの条件があります。一つは争点を明示していること。それから、相手に対する最低限の人間としての礼儀があること。この二つが小林さんには欠けている。論争以前の問題なのです。論争以前の問題であるのに、それをあたかも論争であるかの如き扱いで「SAPIO」編集部は掲載した。最初から論戦になっていないわけですから、小林さんが問題なのではない。編集権はいったいどうなっているのか、ということについて私は問うているわけです。(同上)
そんな指摘に応えて、かどうかはわかりませんが、小林も自身の連載の欄外で、争点を掲げました。
わしと「言論封殺魔」(注:佐藤のこと)との論点は明確である。「言論封殺魔」は次の論点で議論するのを怖がって逃げている。

  1. 集団自決は「軍命」か否か?
  2. 独立論は沖縄の良心的な人々の意見と言えるか?
  3. 沖縄の新聞は偏向していないか?
  4. 沖縄の言論空間は全体主義ではないか?
(『ゴーマニズム宣言』「SAPIO」11/26号 P58より)
そんな今月、佐藤も『世界』(岩波)の今月号で、元沖縄県知事の太田昌秀と対談し、沖縄問題について真正面から取り扱っています。

両者間でのやりとりは、夏ごろからずっと続いているのですが、論争が本格化するのは、どうもこれからの様です。次の小林の反応が楽しみですね。沖縄に関しては、私も含め本土の関心は低いのが現状のようで、この論争が日本を巻き込む大論争に発展するかどうかは、疑わしい点もありますが、ともに知名度抜群の両者間での意見の応酬は、論壇に活気を取り戻すきっかけとなるかもしれません。


2008-11-07

『ラーメン屋vs.マクドナルド』

何かの週刊誌(東洋経済だったかな?)の書評で紹介されていて面白そうだったのが、BOOK OFFの100円コーナーに並んでいたので読んでみました。



タイトルからすると一体何の本なんだ?といった感じですが、本書で展開されているのは日米比較論です。
  • 第1章 マックに頼るアメリカ人 vs ラーメンを極める日本人
  • 第2章 希望を語る大統領 vs 危機を語る総理大臣
  • 第3章 ディベートするアメリカ人 vs ブログする日本人
  • 第4章 ビル・ゲイツ vs 小金持ち父さん
  • 第5章 一神教 vs アニミズム
  • 第6章 消費者の選別 vs 公平な不平等
など、各章の見出しを並べてみるとわかるとおり、日米のあらゆるものを比較の材料にして、両国の文化を浮き彫りにしています。今回は、特に面白かった第3章、「ディベートするアメリカ人 vs ブログする日本人」を取り上げてみたいと思います。

■文字文化 vs 対面文化


よく言われることに、日本人はスピーチやディベートが下手、ということがあります。その反面、ブログの書き込み言語の世界シェアは、英語の36%を押さえて、日本語の37%が世界トップ。対面では激しい言いあいを好まない日本人が、ネット上の匿名掲示板では激しい罵詈雑言を浴びせあう。
公の場でおとなしい日本人が、なぜネット世界では激しいやり取りを行うのか、という疑問から考察が始まります。

ここで著者は、日米の文字文化における、習得すべき文字数の違いに注目します。日本語をまともに読み書きできるようになるためには、ひらがな46文字、カタカナ46文字に加えて、1000から2000の漢字を覚える必要があります。それに対し、英語の読み書きに必要な文字数は、わずか26文字のアルファベットのみ。必然的に、日本の子供は読み書きに多くの時間を費やさなければならないのです。
日本人は子供時代に「書く」ことを学ぶためにアメリカ人とは比較にならないほどの学習労力を費やしている。(中略)書く訓練に多くの労力を費やせば必然的に犠牲になる訓練が出てくる。それが口頭でのプレゼン能力、大勢の前で話し、討論する訓練である。(P71)
(アメリカは)アルファベットという、比較的簡単な文字体系を持ったことが、口頭プレゼン訓練により多くの時間を費やすことを可能にし、この二つの文化要素は相補的に強化されてきたのではないだろうか。(P74)
知識人を目指す中国や日本の子弟は文章作成訓練により、多くの時間を費やし、複雑な文字体系を駆使した文章文化を発達させた。一方で、西洋の子弟は別のプレゼン技術の訓練に時間を費やした。その結果生み出されたのが弁論文化である。(中略)古代ギリシャ時代のソフィストらの弁論術、ソクラテスの問答法は、口頭プレゼン、ディベート重視の文化的原点であろう。(P76)
以上のことから、文字文化の「ブログ」という土俵で日本人の活動が活発な理由が説明できると筆者は言います。確かに、説得力があります。文字体系の違いが、民族性にも影響するのですね。言語の概念が人間の思考を規定する、といったのは言語学者のソシュールですが、どうやら言葉の読み書きに使う文字数もそれぞれの民族の思考や文化を規定するようです。

■討議は闘技


経歴を見ると、著者の竹中氏は、三菱東京UFJ銀行の調査部の方で、現在はワシントンDCの駐在員なんだそうです。本書の中にも、アメリカのシンクタンクでの議論の場面などが何度か登場するのですが、そこでしきりにアメリカ人の議論好きを指摘しています。

これは、私もヨーロッパ放浪中にダイレクトに感じました。日本人の会話というのは、思ったことを交互に述べ合う、エッセイ的な内容が多い気がしますが、西洋人と会話をしていると、どうも会話なんだか喧嘩なんだか、解らなくなってしまうことが何度かありました。彼らはどうも、お互いの意見をぶつけ合うやりとりの方が、面白いみたいです。
(アメリカは)雄弁を駆使して討論し、聴衆を納得させる能力が高く評価されるディベート・カルチャーの社会である。そして、「討議は闘技」なのである。自分の主張の強い部分を前面に押し出し、弱い部分は見せないように議論を組み立てなくてはならない。従って、パブリックでの議論は「駆け引き」に満ちたものになる。(P94)
昨日、オバマがアメリカの次期大統領に決定しましたが、一連の選挙におけるディベート大会などでは、オバマ・ヒラリー間で "Shame on Hillary !"(恥を知れ、ヒラリー!) "Shame on you !"(あんたこそ恥知らずめ!)などというやりとりが見られ、それは正に「討議は闘技」の様相を呈していました。

最近、僕は自分の専攻の関係で、よくイギリスのPMQ(Prime Minister's Question 首相答弁)の議事録や動画を見るのですが、その有様はまさに「闘技」です。議場のメインテーブルを挟んで、両党の党首が激しいやり取りをする。殴られても殴り返す。まるでボクシングの試合のようです。

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動画は、現英国首相・労働党党首ゴードン・ブラウンと影の首相・保守党党首デーヴィッド・キャメロンのやりとり。それぞれ後ろには、労働党副党首のハリエット・ハーマン、財務相アリスター・ダーリング、大法官ジャック・ストロー、保守党側には元党首・影の外相ウィリアム・ヘイグ、影の財務相ジョージ・オズボーンら錚々たる面子が控えます。

日本の国会答弁で、閣僚やベテラン議員が居眠りをしているのとは、まるで大違いです。
実は自分も、文章を書くよりも「駆け引きに満ちたやりとり」のほうが好きだったりします。本音を言えば、こんなブログを書くよりも、読んだ本に関する意見や感想を言い合える仲間が欲しい(笑)


2008-10-19

『大いなる陰謀』

ストーリー紹介は省きます。映画の公式HPか、下の予告編動画で大体解ると思います。
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■銃弾よりも議論の応酬

  • イラク戦争の失敗に対する、世論の攻撃に悩む上院議員。彼の招きで、独占インタビューに応じるベテラン女性記者。
  • 上院議員の立案に基づき、アフガニスタンで最新の作戦に従軍する兵士。
  • その兵士達の元指導教員。その教え子で、政治学を学びつつも、国の上層部に対して不満を抱く学生。
この3つのエピソードが、それぞれ別の場所で同時に進行しながら、物語の核心に迫るテーマが浮き彫りにされる構成です。登場人物は実在の人物ではないようですが、おそらくモデルとなった人物がいるのでしょうね。機会があったら調べてみたいと思います。

ジャンル分けが難しい映画ですが、あえて分けるなら戦争映画になるのでしょうか? とはいえ、この映画のシーンは戦闘シーンよりも、議論のシーンがメインです。新作戦を進める上院議員と、その内容について疑いの目を向ける記者。世界を変えるために、従軍を決めた黒人・ヒスパニック系の学生と、それをあざ笑うWASPの学生。戦争を扱った映画であることは間違いないのですが、銃での戦いよりも、議論の応酬の方が激しい。

この映画を見終わった後、この内容について誰かと意見を交わしたいという、激しい欲求に襲われました。アメリカのキャンパス内で教授や生徒どうしが意見を戦わすシーンもあることですし、時間も丁度1時間半程度なので、大学の授業で鑑賞したら、面白い映画かもしれませんね。

■「大いなる陰謀」は本当に陰謀だったのか?

この映画の英語版タイトルは「Lions for Lambs」(劇中に登場する台詞、「子羊に率いられたライオン」の意)で、日本語版の「大いなる陰謀」とはだいぶ響きが違います。

上の予告編動画でも、「陰謀を企む1人の政治家」と明言されていますが、この紹介にはどうも語弊があるような気がしました。というのも、トム・ハンクス演じるアーヴィング上院議員の口ぶりは、どうも本当にこの新しい作戦の意義を信じていた様な印象を受けたからです。日本では、「アフガン空爆・イラク戦争は大義の無い戦争だ」という意見が大勢を占めていますが、9.11のショックで冷静さを失い、愛国心に火をつけたアメリカ人にとっては、そうではない意見を持つ人間も多いのが現実です。アメリカ人の一部はテロリストを本気で悪だと信じているし、劇中でアーヴィング議員が言っているように「中世を引きずった部族国家に振り回されているという屈辱に耐えられない」のです。

他のサイトのレビューで、「トム・ハンクスがうさんくさい議員を好演」という意見がありましたが、自分にはむしろ、トム・ハンクスはうさんくさいどころか、本気で作戦の意義を信じている議員を演じているように見えました。「陰謀」といわれると確信犯的なニュアンスがありますが、軍産複合体はともかく、対テロ戦争強硬派や宗教右派のアメリカ人は、むしろ本気で「対テロ」という大義を信じているのが一般的なのではないでしょうか。というわけで、私はこの「大いなる陰謀」という邦訳には、違和感を感じます。

■いち学生として

というわけで、私はこのアーヴィング上院議員と女性記者のやりとりよりも、実際にアフガンで従軍した学生の行動に興味を惹かれました。私は、彼ら(アーリアン、アーネスト)の様に、従軍してまでアフガンで戦おうとは思いません。マレー教授が指摘するように、イラク戦争もアフガン戦争も、大義のあった戦争だとは思えないからです。それに正直言えば、戦争で死ぬのは怖い。去年ヨーロッパを放浪している際に、実際にイラク戦争に従軍したアメリカ人から戦闘の映像を見せてもらう経験がありましたが、それは正に地獄絵図でした。自分の国を守るための戦争なら、闘わざるを得ないでしょうし、闘います。しかし、侵略戦争に進んで従軍したいとは思いません。

とはいえ、「文句を言っているだけでは何も変わらない。何かを変えるためには、自分がリスクを背負わなければ」というのが彼らの主張であり、この映画のテーマでもあります。その点はもっともですし、同じ学生として、従軍してまで国際貢献を果たそうとする彼らの選択には、敬意を表します。
また、アーリアンやアーネストは黒人・ヒスパニック系で、貧しい身分の学生です。従軍すれば復学時に学費が免除されるという要素も、彼らの選択の要因としてありました。自分もいま正に「大学院に進学したいが、学費をどうするか」という問題に直面しているので、彼らの気持ちもわかります。

「政治の勉強をし、政府の批判を口にしていながら、何も行動をしていない」と、マレー教授はアーネスト、アーリアンを引き合いに出しながら、別の学生を責めます。確かに、こう言われては反論は難しいでしょう。今の日本でも同じだと思います。「自民も民主もダメだ」といいながら、自分は何もしない国民。そもそも、政治になんか関心が無いという学生。

政治に対して批判はするが、何も行動を起こさない白人の裕福な学生と、戦う意味を信じて戦地に赴きつつも、政治の道具となって死んでゆく貧しいマイノリティ系の学生との対比が、考える材料を与えてくれるいい映画に仕上がっています。

2008-10-17

『グッド・シェパード』

ちょうど一年前公開されていた映画、『グッド・シェパード』。TSUTAYAにDVDがあったのを発見し、また見てみました。映画公開時に2度見たほど記憶に残る映画でした。通算3回目の鑑賞。



CIAの職員が主人公の、いわゆるスパイ映画です。佐藤優の世界です。DVD版は映画版とは字幕の翻訳が違っていて再発見もありましたが、映画版の訳の方がわかりやすかった気もします。

主人公を演じるのはマット・デイモンですが、寡黙な主人公のイメージが、ピッタリはまっていました。他の映画のデイモンとは、雰囲気がまったく違います。たぶん、役作りにかなり苦労したんじゃないかなぁ。

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■スパイ映画として


ストーリーについては端折りますが、ジャンルでいうとスパイ映画になるのかな? ただ、主人公は工作員に指示を与える立場の人間(=スパイマスター)なので、最前線で活躍するスパイたちのアクションシーンが売りの映画とは一線を画します。時代背景は、キューバが共産化した後のピッグス湾事件を軸に、主人公の人生を振り返る内容で、第2次大戦・米ソ冷戦がからんできます。

3時間近くに及ぶ長い映画で、諜報映画なのでストーリーもそれなりに複雑です。3回目の鑑賞で、初めて気付いた点もありました。そういう意味では、初回よりも、2度目以降の鑑賞の方が面白い映画だと思います。

なお、この映画は、インテリジェンス(諜報)について積極的な評論を行っている佐藤優・手嶋龍一両氏の絶賛を受けており、映画パンフレットの解説を手嶋龍一、公式HPの解説を佐藤優がそれぞれ担当しています(追記:映画公開時にはあったはずの公式ページが、もう無くなってしまっているようです。残念…)。また、CIAもこの映画について事実との違いを分析し公表しています。映画のディテールについては、素人の私があれこれ言うよりもこれらの方がよっぽど参考になると思いますので、紹介しておきます。

以前紹介した、佐藤優 『野蛮人のテーブルマナー』にも、この映画について言及した「映画以上に恐ろしいインテリジェンスの世界」という一章があります。佐藤優も、よっぽどこの映画が気に入ったのでしょうね。

■ウィルソン家3代


スパイ映画としての側面以外にも、この映画は、主人公エドワード・ウィルソンの人生を丁寧になぞり、妻・息子と秘密にまみれた仕事との葛藤を描くことで、家族ドラマとしても仕上がっています。

画面にはほとんど登場してこないのですが、主人公の父親の存在が、重要です。ラストシーンはこの父親の秘密が明かされてるシーンなのですが、これにより、この映画がウィルソン家3代の大河ドラマだったことを暗示させて、映画が幕を閉じます。幼くして父親を失った主人公。秘密が多く、ほとんど家に帰らない父(主人公)を持った息子。主人公は父の影を背負い、息子も父の影を背負って生きています。

鑑賞後に残る余韻だけで、長いエンドクレジットも苦にならずに鑑賞できます。非常にオススメな一本。


2008-10-08

『トヨタ国富論』

内閣の「参議院枠」を廃して、新たに「トヨタ枠」を設けよう。各省庁に、トヨタから優秀な人材を出向させよう。そうすれば永田町も霞ヶ関も、確実に良くなる。…と思ってしまいます。この本読むと。




自浄作用が働くなった組織は、それだけでもう死んだも同然。国も企業も学生サークルも同じ。トヨタがあれだけの巨体を保ちつつ、常に戦う姿勢を崩さないのにはきちんと理由があります。この本を読むと、それがだんだん見えてきます。

ちなみに、トヨタはあれだけ大きな会社でありながら、社内に「派閥」というのもが存在しないそうです。どこかで読んだ別の記事によると、「派閥ができないように細心の注意を払っているだけ」とのことですが、この派閥を生まないための手法には興味がありますね。

各プロジェクトごとに焦点を当てた、各章5ページ前後の特集を集めた本なので、興味のあるところだけ読んでも楽しめると思います。以前紹介した『豊田家と松下家』は、トヨタと松下(いまはもうパナソニックか…)の創業者一家にスポットライトを当てた本でしたが、こちらは徹底的に現場に光を当てた取材に基づいています。ビジネス書として読むなら、役に立つのは断然本書の方でしょうね。

片山善博(元鳥取県知事)岡田克也(民主党副代表)上坂冬子(作家)などのインタビュー記事もあって、内容は充実しています。

2008-09-29

『大和ごころ入門』

佐藤優と、村上正邦による対談。本書のコンセプトは、副題にもあるとおり、「日本の善によって現代の悪を斬る」です。タイトル、副題、そして著者からして、みるひとがみると、いかにも「右寄り」「国粋主義的」な本かもしれませんね。



対談者・佐藤優は、鈴木宗男事件に連座、村上正邦はKSD事件で逮捕された経験があります。両者は、いわゆる「国策捜査」の犠牲になった人たちで、近年日本を覆う「新自由主義」の風潮に警鐘を鳴らしている論客です。佐藤氏曰く、
日本を改革する処方箋はひとつしかないと思う。日本に内在する「日本の善」の力によって、現下日本にあらわれている悪を排除するのである。外来思想の知識をいくら身につけても、それだけでは日本国家を危機から救い出すことはできない。過去の日本人の英知から虚心坦懐に学ぶことが、現在、なによりも必要とされているのである。(P7)
ちなみに、村上正邦氏は、元参議院議員で、中川一郎・中曽根康弘などに師事した「タカ派」議員です。かつてはあの「青嵐会」にも所属していました。自民党 参議院幹事長として、与野党を問わず参議院に相当の影響力を持ち、「参議院のドン」「村上天皇」などとも呼ばれました。野中広務・青木幹雄などと対立したり、小渕総理の急逝後、後継に森喜朗を指名した「五人組」にも名を連ねるなど、永田町の歴史の要所要所で顔をみせる、キーマンです。

■吉野の山へ

日本古来の思想を探る上で、両者は南北朝時代に注目し、後醍醐天皇陵のある吉野の里へ出向きます。両者が、単なる対談だけでなく、歴史的な場所の現場へ出向く意義について力説されている点について、おもわず納得してしまいました。
佐藤:思想というのは、頭の中でこねまわしてはダメ。そもそもギリシアでも、場所というのは<トポス>といって、抽象的な空間じゃないんです。今ここのところにいるという、この場所なわけなんです。(中略)吉野だって、そこがどんな場所で歴史がどうかっていうデータはコンピュータで見られるわけだし、関連する本も山ほどあります。それで知識を得れば、何も現地に行く必要はないと考えるようになる……。とくに最近の若者にその傾向が強い。しかし、それだけでは捕らえられないことが絶対にあるはずなんです。実は、私は保守の思想の真髄のひとつに、そういうことに価値を見出すか、見出さないかということがあると思うんです。
村上:最近こういう論争があるんですね。インターネットで神社参りができるか否か。コンピュータの世界の中には霊が天下るようなバカなことはないんです。「やっぱりその聖域に行かなければ、神の心にかなわないんだ」という指示を、神社本庁が全国におふれを出したそうです。今の神社のなかには、「インターネットでどうぞお参りください」というのが、相当あったようですよ。ちょっと、話は横道にそれたけど……。
神社にネット参拝とは、恐れおおい(笑) 確かに、私たちの世代(20代前半)は、小さい頃からインターネットに触れて育ちました。今ではGoogle Earthで世界中ワンクリックで行ける環境を、当たり前のものとして生きています。しかしやはり、現場を体験することで感じる何かがあるのは、私にも実感としてあります。

私は大学1年の頃、蘭学者だった先祖ゆかりの地を巡る旅しました。250年前に先祖が活躍した場所を訪れた際、自分の体を流れる血が、それこそDNAの記憶が奮い立つような感覚を体験しました。時間を超越して、その空間だけがタイムスリップしたかのような、頭の中で、景色が先祖の時代に戻ったかのような錯覚に襲われたのを、今での鮮明に覚えています。

去年ヨーロッパを放浪した際も、ナポレオン戦争の古戦場を歩いたときは、「戦場」をリアルに感じることが出来ましたし、東欧で廃れた民宿に泊まったときは、「旧共産圏」の雰囲気が、写真や教科書でみるものとは違う「肌感覚」で実感できたのです。
これが佐藤氏のいう「今ここのところにいるという、この場所」の感覚なのでしょう。


■日本の国体について

そんな「生感覚」を大切にする両者が、吉野の里に実際におもむき、日本古来の思想について思索しています。日本の国体を考える上で、必然的に、皇室の問題や神道にも多くの紙面が割かれています。
佐藤:万世一系というのも、例えば皇室典範の問題でもですね、DNAみたいな近代主義によって計っていくという発想自体に問題があると思うんです。近代主義の発想で皇室の問題を論じたらいけない。
村上:科学で切ることじゃないし。切れないと思う。歴史は裁けないね。日本固有の文化なのです。(P107)
佐藤:北畠親房が『神皇正統記』のなかで「神道の扇というのはなかなかその姿を現さず」と記しています。日本の思想、日本人の考え方の根本というのは、ヒョロヒョロとした青白いインテリがペラペラとしゃべっていくような、そういった理屈ではない、言葉の形では簡単に出てこない。ここのところに特徴があると思うんです。(中略)「何々である、何であるという風に説明できるのは本当に上っ面だけだ。本当に重要なことは、こういうことじゃない。こういうことじゃないといって、『~ではない』という形でしか説明できないのだ」という思想です。(P126)


■現代日本の政治について

佐藤:いや、ですから、このまんまだとほんとに日本の政治は「東洋の神秘」になってしまう。ルース・ベネディクトの『菊と刀』をいまもう一度読まなくちゃいけなくなってくる。
村上:不思議な国だよね。
佐藤:そうです。それどころか、この前、あるイスラエルの友だちはこう言うんですよ。数学で虚数っていうのがあるんですよね。普通の平面には出てこないと。iっていうのが付いてるんですよ。それで、このiとiを掛けて、世間に見えるようになるときは必ずマイナスがつくんですよね。
日本政治はなんかそんな感じだと。普段は全く見えないんだけども、国際社会に見えるときにはいつもマイナスの話だけだと。あなたたちはだから虚数平面か何かで仕事をしてるんじゃないかと言われました。
これは面白いたとえ話ですね。確かに、日本の政治は「東洋の神秘」です。スタンダードの政治学の本を読んでも、日本の政治は理解できません。むしろ、戦国時代を描いた歴史小説なんかのほうが、よっぽど助けになります。加えて、日本の政治は虚数平面で行われているという皮肉。このたとえ話を国会議員が聞いたら、どんな反応が得られるでしょうか。

さて、この『大和ごころ入門』では、太平記の世界がずっと対談のベースになっています。その太平記でも言われているのが、「死霊より生き霊のほうが恐ろしい」ということ。この本を読んで、現代の日本の政治も、とある人物の生き霊にかき回されているのではないかと思ってしまいました。

そのとある人物とは、小沢一郎のことです。栄光の自民党幹事長時代から一転、野党の指導者となり、新党結成・分裂を繰り返し、やがて民主党の代表へ。自分が一番やりたかった日本の新自由主義化、経世会つぶしを小泉純一郎にされてしまい、振り上げたこぶしをどこに下せばいいのかわからなくなっているのが、今の小沢一郎ではないか。だから今の小沢は、自民党を困らせるためならば何でもやる。政権交代のためならば、どんな手段も厭わない。

誰かが、小沢一郎の怨念を鎮めてくれないと、日本の政治は大変なことになってしまうのではないでしょうか(もうすでに大変なことになっているのですが…)。

2008-09-17

『○○』

「きみは単純な事実といった。だがこの年になると、単純な事実を語るのがいかに困難か、わかるようになってくる。事実とはそういうものなんだよ。雑多で煩雑な要素が、時を経て事実の単純さを癌細胞の様に肥大させ、より複雑な方向に増殖させる。そのうちいかなる単純さもそれだけを抽出するには、ひどい手間がかかるようになる。これが単純な事実の辿る経路なんだ」
「そうだ。単純な事実こそが複雑な様相を帯びる。しかし真理のほうは、より単純な方向に向かうかもしれない。最近、私はそんなふうに考えるようになってきた。」
とある小説の、物語の核心に関るセリフから引用。ネタバレになりかねないので、小説名は伏せておきます。

歴史を学ぶ過程で強く感じていたこと、そのものです。


2008-09-08

『宇宙百景』

宇宙開発マンガ、『MOONLIGHT MILE』の副読本として編集された本書。自分は今でこそバリバリの文系人間ですが、中学時代の夢は「スペースエンジニア」でした。そんな自分にとっては、絶好の読みものです。書店で発見して、思わず衝動買いしてしまいました。素晴らしいのは、表紙をめくった次の瞬間にあらわれる、巻頭言。

宇宙よりも宇宙を語る言葉が宇宙だ



さらに注目は、日本ロケット開発の父・糸川英夫氏の紹介記事と、元総理大臣・中曽根康弘氏のインタビュー。アメリカのアポロ計画が、科学者ヴェルナー・フォン・ブラウンとジョン・F・ケネディ大統領との二人三脚で成功へと導かれたことは有名です。が、日本にも、宇宙開発に情熱を注いだ政治家&技術者のコンビがいたんですね。この国にも、しっかりと。そのことを知れたのが、本書の一番の収穫でした。

残念ながら糸川さんは99年に亡くなられていますが、中曽根さんは08年現在、90歳になられています。
この夏、日本の月探査衛星『セレーネ』が種子島から打ち上げられる。日本の新たな宇宙開発の足がかりとして期待できるのでは? そう水を向けると、中曽根はニヤリと笑った。
「セレーネ?君はそんなところで満足しているのかね?」
ゆっくりと腰を上げながら、中曽根は僕等が持参した『21世紀への階段』(注:1960年、中曽根氏の主導により編纂された、40年後の未来を予想した報告書)に目をやる。
「よくこういうことに目をつけたね。しかし21世紀に何かが起こるかを書かせる私も大したものだろう」
老雄の口調は、小学1年生を諭すようだった。(2007年3月中曽根事務所にて)(P117より)
こんなセリフを吐ける90歳って、渋いくて僕は好き。

今年5月、『宇宙基本法』(条文はコチラ)が成立したことはまだ記憶に新しいと思います。これにより、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が「その目的、機能、組織形態の在り方等について検討を加え、必要な見直しを行う」とされたり、日本版NASAともいえる『宇宙局』や、『宇宙開発戦略本部』が総理大臣直属の期間として設置されることになりました。この法令の要旨は「政治主導の宇宙開発」ですが、本書の記事には、政治はどこまで宇宙開発に介入するべきなのか、ヒントを与えてくれる箇所もいくつか見受けられます。

的川泰宣氏、アニリール・セルカン氏のインタビューなど、様々な分野の記事も満載。宇宙とは何か、宇宙開発とは何か、考えるのに最適の一冊です。

2008-09-04

宝塚歌劇 安蘭けい主演
『スカーレット・ピンパーネル』

今日は一日予定が空いたので、また東京宝塚劇場に並んでみました。以前、並んでもチケットが売切れてしまった経験があったので、今度こそチケット取るために、発売開始の一時間前から並びました。結果、18時開演のチケットをようやく入手。しゃーこーい!

やっとこさチケット取れた宝塚初体験。星組公演。行きましたよ!それも男1人でね!(笑) とある宝塚ファンの熱心な勧誘をうけ、観てみたくなりました。案の定、観客の95%が女性客。あとの4%は家族連れで来てるお父さん。男1人とか、自分くらいか(笑)

休幕中の女性トイレに、ディズニーランド並みの列が出来てるの見たときは、男でよかったなぁと心底思いましたが、喫煙所まで女性ばっかりなのには驚きました。女性の割合の方が多い喫煙所なんて、そうそう無いですよね。


■スカーレット・ピンパーネル

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演目は、『スカーレット・ピンパーネル』 フランス革命時代の話です。『ベルサイユのばら』で鳴らした宝塚のお家芸ですね。

フランス革命時代とはいっても、主人公はイギリス人。主人公がイギリスの反革命派(王党派)なので、革命派(ジャコバン派)はいわば敵役です。しかも華々しい宮廷と、輝かしい(初期の)革命のを描いた『べるばら』と違い、舞台は1794年という、ジャコバン独裁 ・ 恐怖政治の真っ只中。プレリアール法のもと、1ヶ月間に(パリだけで)2500人もギロチンされちゃった時期ですから、人類史上でも有数の、血なまぐさい時期です。正に暗黒時代。金正日も真っ青。

「貴族」というだけで虐殺の対象となるそんな時代、フランスから貴族の友人達を亡命・救出させる、イギリスの青年の話。このストーリー内容(http://kageki.hankyu.co.jp/scarlet_pimpernel/story.html)が、観ようと思った決め手でした。

この時代は、どうしてもヴァンデの反乱で活躍したラ・ロシュジャクランなんかに肩入れしてしまいます。そもそも自分の研究対象のひとつに、反革命運動を支援したイギリスの政治家、エドモンド・バーク(保守主義のイデオローグ)の政党論があるので、たぶん主人公の立場が反対(革命派)だったら、思想的にアレルギー拒否反応がでちゃう自分は、観てられなかっただろうと思います。

フランスの舞台女優という設定のヒロインが、革命政府の親玉・ロベスピエールに露骨に反抗してみたり、べるばらでは尊称として使われる「シトワイヤン(市民)」が、この作品では蔑称として用いられています。『ベルサイユのばら』で描かれたフランス革命のイメージとは、一線を画した話といえるでしょう。


■ちょこっと時代考証


ルイ17世の脱出
ちょっと時代考証的なことをさせてもらいますと、史実と照らし合わせてどうしてもありえないのが、ルイ・シャルル・カペー(幻のルイ17世)が、幽閉されていたタンプル塔からの脱出に成功してること。この舞台の原作が書かれたのが20世紀初頭とのことなので、ルイ17世替え玉説を反映しているのかもしれませんが。シャルルくんは確実にあの塔の中で死に絶えました。第一、ジャコバン政府がシャルルをみすみす逃がすなんて考えられません。国王処刑で一斉に諸外国からの非難をあびた革命政府にとって、王子の身柄は絶好の取引材料です。

ですが、ここでこの幼いシャルル殿下を脱出させ、あれこれ喋らせることで、彼の親であるマリー・アントワネットとルイ16世の家族愛を主人公夫妻の信頼関係に重ねるという役回りを演じさせることに成功しています。

さらに、主人公パーシーに、アントワネットの息子である彼を救出するという大義を与えることで、ある意味『べるばら』のオスカルが本来すべきだったことを、主人公がやってのけたりだとか、いい演出につながってると思います。このあたり、宝塚版の『べるばら』と『ピンパーネル』は細い糸でつながりが残っているともいえるでしょう。


ショーヴランのモデル
主人公パーシーとマルグリットはもちろん創作ですが、もしかしたら実在の人物かなぁと気になった、公安委員のショーヴラン(Chauvelin)。公安委員会のリストに名前が無いので、どうやら創作の人物のようです。

モデルは、“ロベスピエールの目”と呼ばれた、最年少ジャコバン党員のマルク・アントワーヌ・ジュリアンじゃないでしょうか?革命に命をささげ、革命と自己を同一化したジュリアンの生き方は、狂信的なショーヴランのキャラクターと重なります。ロベスピエールの側近という設定からは、まずサン・ジュストやクートンあたりが思い浮かびますが、ジュリアンはショーヴラン同様、イギリスに派遣された経験もあるので、こちらの方が有力かと。


宝塚歌劇として


史実では、上記のような血なまぐさい時代背景ではありますが、この物語は冒険活劇としての側面が強く、ストーリー・演出は明るくできてます。"宝塚的ユーモア"とでも言ったらいいのか、御婦人方が「おほほほほ」とでも言いそうな、こ洒落たセリフも多くて意外と笑えました。

青年達がミッションに燃える心地いい雄雄しさとか、ヒロインが恋人を信じきれない自分に悩む姿とかを描きつつも、最後は大団円のハッピーエンド。気持ちいいところで終わってくれたので、いい気分で観終われました。

そもそもストーリーに興味をもって見に行ったので、極論を言えば宝塚じゃなくても良かった、というのもあります。はじめは。同時期に、並ばなくても見れて、しかももっとリーズナブルな映画とかでやってたら、間違いなくそっちで済ませてたかな。

でも結果的に、宝塚版で見て大正解でした。平面の映画と違って、ホンモノの女優さんたちがあちこち動き回るし、歌うわ踊るわ、BGMは生演奏だわの、お見事な舞台演出。生演奏で、主人公のセリフに合わせて演奏するあたり、指揮者の振り方とかももっと見てみたかったと思います。


D

踊りも、ラストのラインダンスと、ドラムソロのBGMでのサーベルダンスはホント格好良かった。自分は、舞台からは最も遠い2階席の最後列 (Bランク席) だったんですが、こりゃあ10000円払ってSS席で見たいって気持ちもわかるかも。

そして何より驚いたのは、宝塚の女優さんたち、顔がホントに綺麗すぎです。男役は、下手な男優より格好いい(笑)『20世紀少年』にも黒木瞳女史がでてますが、主演クラスは本当に綺麗な顔立ちです。主人公パーシー役の安蘭けいさん、歌も本当にお上手ずで、聞き惚れました。舞台歌手って設定のヒロイン役よりも上手かったんじゃないだろか。

隣に、同年代らしきおねーさんと、その母親らしきおば…もとい!マダム&マドモワゼルですね(笑) がいらしたんですが、 話してみると、とてもお上品な喋り方。観劇中も、笑うときは必ずハンカチ当てて口隠してました。宝塚初体験のところ、いろいろ親切に宝塚の基本知識とか教えてもらって、この母子にはかなり感謝しております(笑)オペラグラス貸してくださったのは本当に助かりました。

鑑賞後も、ファンクラブでもあるんですかね。劇場出口の前で大勢のファンがビシっと綺麗に整列して、女優さんが楽屋から出てくるのを待っていらっしゃる。その姿はまさに「清く、正しく、美しく」(笑)

先週あたりの 『週間ダイヤモンド』 だったかな?エンタメ業界特集で書いてたけど、宝塚って稼働率が常に100%近いらしいですね。こりゃ確かに面白いです。ハマるのも、わからなくはない。いまだに、頭からメインソングが離れません。

「せ か いーじゅうのて き を たーおしたとしてーもぉー♪」
「あなたーこーそぉー わ が や よぉー♪」

宝塚の『スカーレット・ピンパーネル』、オススメです。もっとも、チケット予約はもう満席なので、朝早くから並ぶしかないんですが…。

2008-08-05

『AB型 自分の説明書』『「血液型」の世界地図』

実は自分、血液型トークが大好きです。話題のこの本、読まずにはいられませんでした(笑)




読んでみてびっくりです。自分は言うまでもなくAB型ですが、当てはまる項目多すぎて困ります。読んでいて、思わずニヤついてしまいました。
□ 自分ほどずぼらな奴はいない。
□ でも、やるときゃやる!
□ 自分が本気になったら誰もかなわない。本当に。
□ とか思ってる(P19)
□ 「自分はこれで終わる人間じゃない」
□ という願望。(P32)
□ 大事な人に大事なことを、告げない。
□ 誰かに何かを打ち明けるときは、いつも事後。
□ だから「突然の大告白」みたいになる。(P44)
□ 精神的に追いつめられると、人がビックリするような怖いことをする。(P96)
□ そうじのオバちゃんと世間話をする。した。
□ 1人で歩いているとき、前を行く人を追い越す。
一瞬のすき間をぬうようにサっ、サっ。
□ で、信号待ちで追いつかれる。(P105)
もう、引用してたらキリがありませんので、この辺にしておきます(笑)

ところで、血液型性格診断には根拠がない、と言う話をよく聞きますが、本当にそうなのでしょうか?この『○○型 自分の説明書』シリーズのブームで、ますます血液型ごとのステロタイプが広がりそうですが、実際に血液型と性格の関係には、どの程度科学的な根拠があるのでしょうか?

血液型人間科学研究センター理事長の能見 俊賢(のみ としたか)氏は、著書『「血液型」の世界地図』でこう述べています。




改めてハッキリさせておこう。
血液型は性格を分類するものではないということ……人の性格は十人十色、私たち固有の性格づくりの上で、遺伝子的に組み込まれた血液型物質が、どう生かされ影響しているのかを、丹念に確認していくための手がかりである。
人間も含めて全ての生物は“生物学的一様性”と言って、驚くほど同じ材質で出来ているのだが、1900年にオーストリアの医師カール・ランドシュタイナーによって発見された血液型物質によって、この定説は崩れた。ABO式の分類では、科学的構造特性の全く違うものが、人それぞれに分布していることが判明したのである。
ノーベル賞に値したこの物質の発見が、当初、血液中から検出されたために、血液型と命名され、それが一般に知れ渡ってしまっただけで、実はこの物質、髪の毛、脳細胞、筋肉組織、爪、骨など全身に分布する現象であったのだ。
言わば、生物の材質差を示している数少ない標識であり、これまでの輸血や献血の際に問題とされ、血液の違いみたいに誤解されていた認識を改める必要がありそうである。
全身に分布する材質差が、生命活動のあちこちに滲み出るのは、当然のことだろう。(P3-4)
どうやら、一定の関連性はありそうです。なお、本書で興味深いのは、人類がいかにしてO・A・B・AB型の4種類に分かれたかについて、仮説が示されている点です。曰く、人類は元々O型で、現に人類発祥の地と言われるアフリカ中央部は、O型の割合が高いそうです。
O型の人は、人類に共通する血液型物質だけを持つ。生命体としてもっとも自然な人間性を純粋に持ち、それにそう生き方をする。生きる欲求、バイタリティは強く、目的に向かい直進
やがて人類が農耕・牧畜を行うようになり、人の社会に「組織」が誕生としたころから、A型物質・B型物質が誕生します。
まずA型は、北欧の森林地帯やフィヨルドの入り組んだ複雑な地形、西ヨーロッパのアルプスやピレネー山脈周辺の山岳地帯など、見通しの悪い地域で生き残る性能として発生、または生き残ったと思われる。
人間社会の発展における“組織づくり”に、A型の気質は大いに生かされてきた。秩序や形を整えることを重要に考え、それに沿うような気質が目立つ。
これに対してB型は、インド北西部、中東や北アフリカの砂漠と原野、中央アジアの大草原、大平原地帯で遊牧民として暮らすために、素早い情報収集と行動力、臨機応変に対応できる性能として発生、あるいは生き残ったと考えられる。
さらに、西洋のA・Oグループと東洋のB・Oグループが、だんだんと、時にはアレクサンダーの東方遠征などで急激に交わった結果生まれたのが、AB型なのだそうです。つまり、AB型は一番歴史の浅い人種だということですね。
AB型の基本的な方向性は合理性で、人間のナマな欲求からは最も遠ざかっているように見える。A型とB型という対照的な気質を両方持っているAB型は、ひとりの人間の中にA面とB面の対話を常に行っている。
ここに、AB型の特性が集約されている気がします。AとBの性格、それがミックスされて、両者が常に頭の中で戦っているのがAB型なんですね。一般に「二重人格」と言われることが多いのは、これが原因じゃないでしょうか。

この『「血液型」の世界地図』は他にも、日本でB型社長が多い理由、米・英が戦争で手を組む理由、イタリアの南北文化論を血液型の観点から分析するなど、様々な社会的現象に関して、考察が加えられています。『自分の説明書』は直感的な面白さを追求したタイプの本ですが、こちらではきちんとした理由が示された考察なので、思わず納得させられることも多いです。

ちなみに、巻末には有名人の血液型リストつき。どれどれ、AB型は…ジョン・F・ケネディ、勝海舟、塩川正十郎、田中真紀子、アンオニオ猪木、太宰治、石ノ森章太郎などなど、何となくうなづいてしまう顔ぶれがズラリ。特に、僕が尊敬してやまない勝海舟はAB型人間の典型のような気がします(笑)


2008-08-04

プラッツの恩人

【承前】
アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-


でろんでろんに酔いつぶれた自分。酔いの勢いでその場の雰囲気を楽しんではいたが、さすがに帰りの電車の時間が気になりだした。ここから一番近い駅まで、歩いて30分はかかる。そろそろ、店を出なくてはならない。

しかし、相手のバレイチェクも相当に酔っ払っている。言葉もうまく通じないので、なかなか席を立つタイミングがつかめない。

そんなときに助けてくれたのが、ピーターだった。別の席で仲間と飲んでいた若い青年だったのだが、英語ができる彼は、自分とバレイチェクの間に通訳に入ってくれたのだ。

タイミングのいいことに、ピーターと彼の仲間たちももう店を出るらしい。ピーターは自分に「よかったら、うちに泊まらないか。外はまだ雪が降っているし、ここから駅まで歩くのは大変だろ?うちでゆっくりして、明日の朝電車に乗ればいい。うちはここからすぐ近くなんだ」と言ってくれた。

普段なら、さっき会ったばかりの人のお世話になるもの抵抗があるが、自分もシラフではないので、この申し出に飛びついた。この際、現地の人の親切に甘えてみよう、一期一会、現地人と触れ合えるいい機会だ。そう思って、バレイチェクと店主に別れを告げ、居酒屋を出た。

ピーターとその仲間たちは、みんな鉄のラケットを背負っていた。彼らはみんな、この地方のアイスホッケーチームだという。確かに、チェコやその隣国・スロヴァキアはアイスホッケーが盛んな国だ。見た目には、年はみな20代から30代に見える。スポーツマンらしい、好青年ばかりのグループだった。

プラッツの街を歩きながら、みなそれぞれが帰路につく。やがて、ピーターと2人になり、彼の家の方角へと歩いた。


「トヨタは、プラッツの街に一体何をしに来たんだい?」
「西洋史を勉強しているんだけど、ナポレオンに興味があって。アウステルリッツの古戦場を見に来たんだ。昼にスラフコフの博物館を見学して、そこのスタッフにプラッツに記念碑があるって聞いたから、ここまで歩いてきたんだ」
「スラフコフから歩いてきた?パワフルだなぁ…。バスに乗ればよかったのに」
「ちょうどいい時間のバスがなかったんだよ。貧乏旅行であんまりお金も使いたくないし、せっかくだから、歩いてみようと思って。でも、途中から雪になったのはさすがに辛かったけどね」
「そもそも、僕はこの町で日本人を見ること自体珍しいよ(笑)」


ピーターはだいぶ若くみえたが、話してみると、奥さんと、息子も一人いるらしい。加えて、母親と4人でこのプラッツの街に住んでいるという。本当に親切な性格で、自分がうまく英語を聞き取れないと、易しい言葉でゆっくり言い直してくれる。酔ってハイテンションになってはいるが、相手も真剣に話をしてくれるので、冷静に話そうと努めた。

「旅行中っていってたけど、いつからヨーロッパに来たんだい?」
「11月の頭に、ウィーンから旅を始めたんだ。チェコに入ったのは、1週間前くらいからかな」
「チェコはどうだい?トヨタはこのプラッツに来る前は、どこにいたんだ?」
「昨日はブルノの街を歩いていたんだ。その前は、世界遺産の街、チェスキー・クロムノフから来た。」
「クロムノフか。有名な観光地だ。あっちは、もう雪は降ってたかい?」
「クロムノフには2泊したんだ。最初はきれいに晴れていたけど、最終日の夜に雪が降ってね、晴れのクロムノフと、雪景色のクロムノフ、両方堪能できてラッキーだったよ」
「プラッツじゃ、この時期は雪ばっかりだ。それにしても、スラフコフ・ウ・ブルナからよくここまで歩いてきたなぁ」
「そりゃあ疲れたよ。でも、アウステルリッツの戦場を体験できてよかった」


彼が英語を喋れるのは、元々イギリス人で帰化したからだったか、チェコ人ではあるけれど、イギリスに留学経験があるからだったかだったと思う。説明を受けたのだけれども、酔っていたせいもあってはっきり思い出せない。彼の奥さんの名前はシルビア、息子の名は、トーマスという。全部英国系の名前なので、前者かもしれない。プラッツの街を少し歩いて、彼の家に着いたのは、22時半くらいだった。彼の家族はもう寝ていたが、ピーターと少し飲みながら話をしたあと、案内された部屋で眠りについた。すぐに眠ることができた。なにせ、歩き続けた疲れに加え、酔い疲れが溜まっている。
翌朝は、ピーターに起こされて目覚めた。


「トヨタ、もう朝だ。朝食を食べよう。こっちだ」
食事をする部屋に着くと、朝食を用意する奥さんのシルビアがいた。昨日は顔を見ることが出来なかったので、挨拶をする。
「いきなり泊めてもらうことになって、本当に感謝してます。朝食まで用意してくれて、本当にありがとう」
「いいえ、気にしないで。夫の友人を家に招くことは、私にとってもうれしいことよ。プラッツにようこそ、トヨタ」


シルビアも、とても親切な人だった。突然泊めてもらうことになったわけのわからない外国人を、嫌な顔一つすることなく、暖かく迎えてくれる。

シルビアに挨拶していると、車の模型が自分の足元に近付いてきた。ミニカーが来た方向をみると、小さい男の子が立っている。息子のトーマスだ。愛称は、トミー。
「トミー、彼はトヨタ。お父さんの大切な友人なんだ」
「よろしく、トミー。車が好きなんだね」
トミーはまだ小さく、はっきり言葉を喋られる年ではなかった。最初は見慣れぬ日本人の顔に戸惑ってはいたが、たまにみせてくれる笑顔はとても可愛かった。

このような一家団欒の食事は、久し振りだった。基本的に一人で旅をしているので、朝はいつも宿の食堂で一人で済ませる。飯を一緒に食べる相手がいたのは、韓国人の李眞煕と一緒にいたときだけだ。

「口にあうかしら」
「とってもおいしいよ。貧乏旅行だし、朝からこんなに満足に食べられること自体、珍しいから」
「遠慮せずに、どんどん食べてね」
「トヨタは今日これから、どうするんだい?」
「実は、夜に日本人の友達とプラハで会う約束があるんだ。だから、一度ブルノまで戻って、プラハ行の電車に乗らなくちゃいけない」
「じゃあ、車で駅まで送っていくよ。時間に余裕はあるかい?」
「時刻表だと、昼ごろにブルノを出れば間に合うみたい」
「切符はもう、買ってあるのか?」
「旅行用に、ヨーロッパの路線乗り放題の切符があるんだ」
「出発まで結構時間があるな…よかったら、少しこの辺をドライブしないか?トヨタはナポレオンに興味があってプラッツまで来たんだろ?このあたりには、昨日トヨタが行った平和記念碑のほかにも、いくつかのモニュメントがあるんだ。」
「本当に?是非ともお願いしたいな!」

先日博物館で、スラフコウ・ウ・ブルナ周辺の戦跡地図をもらったが、とても歩いて全部回ることはできないと思った。それで、このプラッツの街の平和記念碑だけに目標を絞ってここまで歩いてきたのだが、現地の人が車で案内してくれるとは、心強い。心底、ピーター一家の親切に感謝した。
朝食を済ませた後、ピーター一家3人と自分を乗せて、車は街へ出た。途中、小さな町でシルビアが買い物に車を降り、別れを告げる。

「さぁ、いまから、トヨタをとっておきの場所に案内しよう。あと10分くらいだ」
しばらくして車がつくと、そこは平原にぽつんと顔を出した高台だった。一番高い所に、記念碑らしき石がある。
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(▲真ん中にはナポレオンの頭文字「N」)
「ここは、戦いのときにナポレオンが陣取った場所なんだ」
「本当だ。記念碑に布陣図が載ってる」
「これだと、ロシア軍があっち、オーストラリア軍がの方角だな、あそこに見える小さな村が、プラッツだ」
「見晴らしがいい、絶好の場所だね。あたりの景色が360度ひらけて見える」
「そうだろ?実は…ここは、シルビアと一番初めにデートしたところなんだよ」
思わぬ情報がとびこんできた。
「じゃあ、思い出の場所じゃないか」
「まぁ、邪魔がいない時にでも、また二人っきりで来るさ」
「夫婦仲が良くて、うらやましいよ。トミーも良い両親を持って幸せだね」
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(「見えるかい?トミー、あれがおうちのあるプラッツの町だ」「え、どこどこ?」)

この後もいくつかのモニュメントを案内され、もういっそのこと、ということでブルノの駅まで送ってくれた。車を降り、ピーターとトーマスに別れを告げる。

「トヨタ、もしまたプラッツに来ることがあれば、いつでも連絡してくれ。あと、これ。君にプレゼントだ」
ピーターはそう言って、プラッツの街が写ったポストカードと、有名な『モルダウ』などチェコのクラシック音楽が入ったCDをくれた。至れり尽くせりだとはまさにこのことだ。
「ピーター、本当にいろいろありがとう。あなたのことは絶対に忘れない。ピーターに会ったおかげで、チェコが大好きになった。トーマス、お父さんみたいな、いい男になるんだよ」
「ははは。そう言ってくれると、僕もうれしいね。じゃあ、気を付けて」
「さようなら」

ピーターと一緒にいた間、何度「ありがとう」を言ったかわからない。彼とその一家は、本当に親切だった。寝る前に一度、宗教の話をしたのを覚えている。日本人の宗教観に興味を持っていたようだが、逆にこっちが彼の宗教について聞き返すと、彼が本当に経験なクリスチャンであることが伝わってきた。

ピーターは、自分が「ありがとう」を言うたびに、決まってこう返してくる。
”No problem. It’s my pleasure”
人に親切にすることが、彼にとっての自然体なのだ。自然体で、親切ができる。掛け値なしで、本当に素晴らしい人だと思う。

ひとりで旅をしていると、人に親切にされることのありがたさが、普段以上に敏感に感じられる。現地人の優しさ、バックパッカー同士の助け合いなどに触れるたび、この旅が、沢山の親切に支えられていることに気付く。

宿や朝食を恵んでもらったこと、車でアウステルリッツの古戦場を案内してくれたこともそうだけれども、現地人の深い優しさに触れることができて、自分は本当にいい旅をしたなと思った。


乗り込んだ電車はブルノを出て、チェコの首都・プラハへと向かう。プラッツの街では、今日もピーター一家が笑顔で暮らしているはずだ。
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2008-06-29

すきっ腹にウォッカを少々

【承前】 アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-

疲れた足取りでプラッツの街へと戻る。もう21時を回っていた。雪も降っているし、当然街を歩く人影は見えない。とりあえず何かを食べたかったが、民家ばかりで食堂らしき建物は見当たらない。
ようやく、それらしい看板のたった建物を見つけた。他には見当たらない。とにかくおなかが減っていたので、そこへ入ることにした。

入ってみると、そこは食堂ではなく、居酒屋だった。カウンターに店主とビールのサーバーやグラスが並び、テーブルにいくつかのグループが座っていた。メニューを見ても、食事らしきものはない。唯一、酒のつまみなのか、カウンターにポテトチップスが並んでいた。

この際、腹にたまれば何でも良かったので、ポテチを頼むことにした。居酒屋でポテチだけというのもアレなので、ビールを一杯頼む。疲れた体にビールはとても美味しくて大口で飲んだが、こんなすきっ腹で一気に飲んだら酔いが回ってしまうと思って、ゆっくり飲むことにした。


重いバックパックを下ろしてテーブルに座ると、入り口付近に体格の良い帽子をかぶった男と、背の高い細い男が二人、座っていた。こっちをもの珍しそうに見ている。それもそうだろう。見慣れぬ黄色人種が、こんな雪の夜に大きなバックを背負って一人でやってきたのだ。

目が合ったので、挨拶してみると、二人は自分のほうに擦り寄ってきた。既に酔っていたようで、高いテンションで話しかけられたが、チェコ語はわからない。英語はどうだろうと思って話しかけてみても、通じない。

自然と、会話はジェスチャー頼りになる。よって、以降の会話は、なんとなくこういっているんだろう、という自分の想像である。たぶん、正確ではない。

大きいほうの男が、「これでもどうだ」と小さなショットグラスを差し出してきた。

においからして、ウォッカだ。ジェスチャーからみて、これでも飲んで体を温めろということらしい。たぶん、コートに雪が張り付き凍っていたのをを見て、気を使ってくれたのだと思う。ショットグラスで出されたということは一気に飲み干すのが礼儀なのだろうか?たぶんここでイッキ飲みをしたら、相当酔いが回るだろうなとは思ったが、せっかくの気遣いなので、応じることにした。

「どうだ、体が暖かくなっただろう?」
「うん、こりゃきくね」
「お前、なかなか良い飲みっぷりだな。マスター、同じものをもう一杯頼む。あと、俺の分も」
マスターに同じものを注文するしぐさを見て、「いかん」と思ったが、言いたいことが上手く伝わらない。
「いいか、こうやるんだ」
大柄の男はショットグラスを持った手のひじを上げ、自分に真似をする様に促した。どうも、チェコ式の乾杯の様だ。2人で飲み干すと、その後で握手をし、抱き合って、お互いの耳元でキスを鳴らす。
小さなグラスだったが、2杯だけでだいぶ喉が熱くなった。後で何かで読んだのだが、チェコのウォッカは、ロシアのものよりも強いらしい。いつの間にか、というかあっという間に酔いが回ってきた。自分は基本的に笑い上戸なので、酔うとなんでも楽しくなってきてしまう。言葉もろくに通じなかったが、現地人との会話は楽しかった。

大柄の男は名をバレイチェクと言うらしい。年は50代くらいに見えた。たぶんこのプラッツの人間なら、ナポレオンの名前を出せば話のタネになると思って現地の発音風に「ナプーレァ、ナプーレァ」と連発してみると、どうも通じたみたいで、彼がなにやら語り出した。内容はわからないが。

酔って上機嫌になった彼は、どんどんウォッカを頼みだした。そしてまた例の乾杯をする。これの繰り返し。楽しかったが、すきっ腹にこのウォッカの畳み掛けはきつかった。テーブルに伝票が置いてあり、何かを注文するごとに、マスターがそこへチェックを入れるのだが、ウォッカを頼むごとにチェックされるのはバレイチェクの伝票だった。おごってもらっていることになるので、断るのも失礼だ。腹を満たすためにここへきたのに、腹は満ちずに、酔いだけ回っていく。

言葉がお互いに通じないので、バレイチェクは歌を歌いだした。細い男とマスターも加わって、合唱が始まる。何度も何度も同じ歌を歌い、遂には自分も一緒に歌ったので、この歌は今でも歌える。自分も言葉に頼らない何らかの方法でコミュニケーションをとろうとして、自分の旅ノートをみせた。そこには、メモのほかに、自分の描いた絵があったからだ。絵なら、言葉がわからなくても解る。
バレイチェクは喜んでくれたが、一番面白がっていたのは自分で鏡を見ながら書いた自画像だった。
「お前、なかなか上手だな。お前の顔にそっくりだ。なぁ、俺の似顔絵も描いてくれよ」
妙な展開になってしまったが、酒をおごられた恩もあるので、バレイチェクの似顔絵を書いてあげることにした。西洋人の顔は書きなれていないのでなかなか苦労したが、出来上がったものをみせると彼はそれをいたく気に入ったらしく、マスターにその絵を壁に張るように言った。
というわけで、この居酒屋にはもしかしたら、今でも自分が書いたバレイチェクの似顔絵が飾ってあるかもしれない(笑) 確か、絵に日付とToyotaというサインを入れたので、プラッツの街に行く人がいたら(いるのか?)是非ご覧になっていただきたい。

何杯飲んだか正確に覚えてはいないが、相当きつかった。視界がおぼろげになって、完全に酔った。正直にいうと、トイレに行って何回か吐いている。自分は酒は好きだが、すきっ腹にウォッカのイッキ飲みを重ねて平然としていられるほど強くはない。たぶん、吐かなかったら完全に潰れていたと思う。大学のサークルのおかげで吐くのに慣れていたことに、心底感謝した。

欧州放浪の旅では何度も酒を飲んだが、吐くまで飲んだのは、唯一この日だけだ。アウステルリッツの大地を果てしなく歩いた後で、へとへとに疲れた体でこんなに泥酔するハメに陥るとは、考えてもいなかった。日本でも、ここまで酔いが回ったことはないかもしれない。もしかしたら、この日は人生で一番胃を痛めつけた日かもしれないのだ。

それにしても、最終電車はここから30分くらい歩いた駅から23時頃に出る。そろそろ店を出ないとまずいと思ったが、正直、この状態でまた雪の中を歩く自信はない。第一、バレイチェクのテンションが高く、容易に返してはくれそうにない。自分の悪いクセなのだが、酔うと楽しくなって、もうどうでも良くなってしまうというか、その場の勢いで物事を済ませてしまうところがある。帰る宿のことは考えずに、しばらく飲み続けた。・・・one shot と、vomit を繰り返しながら。

【続く】 アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-

2008-06-17

チェコ遭難

07年11月15日のこと。
チェコの、スラフコフ・ウ・ブルナ Slavkov u Brnaという町を歩いていた。ドイツ名、アウステルリッツ Austerlitz。「三帝会戦」の名で有名な、ナポレオン戦争の大一番。欧州大陸の覇権を巡る、ヨーロッパ版・関ヶ原の戦いの舞台である。
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(▲スラフコフ宮殿。現在は博物館。アウステルリッツ関連の展示も盛り沢山)

夕方まで博物館を見学した自分は、学芸員の人から「少し歩いたプラッツ Prace という町に、戦いの記念碑がある」と聞いて、それを目指して歩いていた。周囲の景色は、山と地平線が全て。バスは2時間に一本レベルの、田舎の町。かといって、タクシーを使うほどの贅沢はできない。旅費節約の為に、今日は宿提供の朝食しか食べていない。半分だけ食べて、残りは袋に入れて、明日の朝食にしようと思っていた。そんな貧乏旅行。

…歩けど歩けど、なかなか着かない。

2時間歩いて気付いた。旅行の定番・「すぐそこ現象」だ。地元人の「すぐそこ」と、strangerの「すぐそこ」は全然違う。チェコ・モラビア地方の田舎で暮らす人と、世界有数の東京都市圏に住む人間の「すぐそこ」も、全く違う。

着かない。


雪が降り出し、それはやがて吹雪へと姿を変える。街道沿いを歩いていたので、ヒッチハイクをしようと思ったが、車なんて1時間に1台通るかどうかが関の山。ようやくすれ違った車は、吹雪に隠れた自分の姿を見つけられずに、遠くへと去っていった。

歩くしかない。

が、約30キロあるバックパックを背負って、肩は限界。泥と雪の道を歩き続けて、足もふらついてきた。吹雪に吹き付けられて、体中がかじかむ。なによりも、空腹が耐え難い。

半分残していた、食料の存在を思い出した。バックパックに手を伸ばす。

…ない。

たぶん、さっきバックパックに防水カバーをかけたときだ。吹雪で手元の視界すらかすんでいた。不幸中の幸い。かろうじて、1つのりんごが難を逃れ、バックに残っていた。芯までかぶりつくくらいに、残さず口に入れる。この際、腹を満たせるものなら何だってかまわない。

それでも、まだ目的地は見えない。休めば楽になれるのだろうが、生存本能がその判断に「NO」と
いう答えを突きつける。この疲労と寒さの中で休んだら、本当の意味で「楽」になりかねない。それくらい、強い吹雪に体は弱められていた。落とすくらいならきちんと朝食を摂っておくべきだったが、今更どうしようもない。歩くしかない。

思えば、200年前にこの地で戦った兵士達も、この様な感覚を味わったのだろう。パリを出発し、アルプスを迂回してイタリア・オーストリアでの連戦の果てに、この大地を同じように歩いた。車も鉄道も発明されてない時代、使える移動手段は、士官や騎兵でもない限り、唯一自分の足だけ。

背嚢(=バックパック) を背負い、空腹に耐えて歩く兵士達。自分の境遇と重なる。補給も送れ、以前の戦場で負傷した兵士も多かったことだろう。五体満足で歩いていられるだけ、自分は恵まれているといえる。これだけの思いをして、やっとたどり着いた決戦の場で、たった一発の銃弾と、たった一本のサーベルが、簡単すぎるくらいに、あっさりと人の命を奪ってゆく。これが戦争なのだ。前線から離れ、戦略地図とにらみ合うだけの高級参謀とは、違う世界。何億もの屍を土台として、歴史は積み重なってゆく。そんな当たり前の事実を、今になってやっと思い出した。
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そんなことを考えながらさらに1時間歩いて、心に希望がわいてきた。地平線の果てに、うっすらと光が見える。たぶんあれが、記念碑のある町・プラッツだろう。もう何も考える必要はない。機械の様に命令を実行する兵士の如く、ただ前に、足を動かせばいい。ただそれだけだ。そう考えると、少し気が楽になった。

さらに2時間と少し歩いて、やっと目的地についた。吹雪で記念碑の全体像は見えないが、ともかくもここが、アウステルリッツの戦いの主戦場・プラッツ(旧プラッツェン高地)だ。きっとこの下にも、数多くの死体が埋まっているのだろう。
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プラッツの高台からは、歩いてきた道が、雪にさえぎられながらも、うっすらと道路沿いの街頭で確認できた。これだけの距離を歩いたことに、自分で驚く。少なくとも、地平線よりも向こうから、自分は歩いてきた。人の生存本能は、なかなか侮れない。

ようやくたどり着いた目的地。眠くならないように注意しながら、頭の中で200年前の戦いを再現する。実際の戦いは、12月02日。今日は11月15日。近い。200年前の兵士達も味わったであろう、この吹雪を体験したことは、無駄ではなかったような、そんな気持ちになれた。

歴史は文章で勉強するものではない。体で学んでナンボだ。静かな興奮で忘れていた、空腹の限界に気付く。地図を確認すると、ここからなら、約2キロ歩けば駅がある。その前に、何か食べよう。もう限界だ。

そう思って、プラッツの町に向かうことにした。「町」という表現ですら大げさに感じられる、「集落」といった規模の場所だが、こんな所でも、食堂のひとつくらいはあるだろう。メニューには何があるだろう。まずはグラーシュスープで体を温めよう。

そんな想像をしながら、早足でプラッツの町へと向かう。…その判断は間違いだったことは、まだ知る由もなく。

【続く】
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-
アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-

2008-05-20

『私塾のすすめ』

『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』の梅田望夫と、『声に出して読みたい日本語』や「三色ボールペン読書術」などの斉藤メゾットで知られる齋藤孝の対談。



自分は、大学入学以降、斉藤さんの本は何冊も読んできましたし、梅田さんの『ウェブ時代をゆく』は、このブログをはじめようと思ったきっかけでもあります。そんな2人が対談本を出すことを梅田さんのブログで知った瞬間、心はもう書店に飛んでいました。

■ウェブ時代の「私塾」


さて、内容についてです。何かを学ぼうとする人にとっては、同じ分野への関心がある人や、その先駆となっている人と、熱く語り合ったり、教えをうけることは、とても強い願望としてあります。それが、インターネットの普及で場所・時間の制約が薄れつつある今、かなり容易になるのではないかというのが、この本のコンセプト。梅田さんのブログによれば、対談を終えた後に「私塾」というキーワードが浮かんだそうです。
師弟関係、塾生同士の関係を「私塾的関係性」と呼ぶとすると、この関係性は現代においては、もっと広がりをもって捉えることができる。少人数の、直接同じ空間を共有する関係だけでなく、インターネット空間でも「私塾的関係性」は成立しうる。(P11)
実際に自分も、とある本の著者のホームページから、著者にコンタクトをとってみたところ、返信をいただいた経験があります。ホームページから著者に直接メールが送れ、著書についての質問などに答えてくれるというものでした。このときは著者-自分という縦の関係だけでしたが、自分以外の質問者との横の関係ができていたなら、それは塾生同士の関係、その空間はまさに私塾といえたかもしれません。

「私塾」という言葉からは、「お互いに顔の見える関係」が連想されます。もちろんウェブ上ではお互いの顔は見えませんが、やり取りを繰り返しているうちに、相手の考えなどはわかるようになってきます。自分は今大学生ですが、こういう「お互いの顔が見える」形式の授業は好きです。ゼミとか、「せっかく少人数だしたまに討論でもやろうか」的なことをする先生の授業とか、これらは情報の発信が双方向的で、能動的に参加できるから、面白いのです。逆に、大部屋での講義とか、一方的に話を聞くだけの受動的にならざるを得ない授業がダメです。実際によくサボります(おかげで単位がとれません)。

実は梅田さんも斉藤さんもそういうタイプであるらしいのですが(笑)、ネット上にこのような私塾的空間が増えるのであれば、大学の意味が相対的に低下してくる時代が来るかもしれませんね。場所や時間の制約を受けないネット空間で少人数ゼミのようなものができるなら、大学にいく必要は薄れていきます。


■斉藤-梅田の志向性の違い


今まで読んできた斉藤本・梅田本は、どれも読んでいて興奮を伴う、面白い本ばかりでした。この対談で気づいたのは、その両者の興奮の質の違いです。というのも、二人の嗜好性の違いが、はっきりと浮き彫りになったからです。
斉藤:梅田さんは、どんな子でも、どんな若者でも伸びると、前提として思っていらっしゃるのですか?
梅田:そうは思っていません。(中略)個人的には「上を伸ばす」ことに興味があります。やる気があって目を輝かせている人がどんどん伸びていくのを促したり、支援したり、手伝ったりということに、僕自身は強い関心があります。(P69)
斉藤:僕は結構、「無理やり」ということが好きなのです。やる気のない、ぐたっとした雰囲気の連中を変えていくというのが、むしろ快感だったりします。(P78)
やる気のある人をさらに伸ばすことに興味がある梅田さんと、やる気のない者を底上げすることに興味がある斉藤さんの本は、読書感の違いに現れていることに気がつきました。梅田さんの本は「おまえら、やる気があるんだったら、今は勉強するのにこんなにいい時代なんだぞ」といわれている気がして、やる気が更なるやる気を引き起こす、そういう興奮を引き起こす本です。

それに対して斉藤さんの本は「こうやれば、誰にだってできるんだ。さあ、やってみよう」というスタンスのものが多くて、「今までこんなことしようなんて思わなかったけど、それならやってみようかな」的な気分になります。

どちらもやる気が出る本なので読んできて気持ちがいいのですが、このことがわかったこれからは、シチュエーションに応じて両者の本を読むことができそうです。ちょっと勢いづいているときに更にスピードをつけたい気分のときは梅田さんの本。走るのがおっくうな気分のときは、斉藤さんの本、という様に。

■好きなことを貫く


好きなことを貫く生き方がしやすくなった時代であるということは、梅田さんのこれまでの本から、伝わってきました。今回、それが更に突き詰められて、
梅田:僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、(中略)自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。(P146)
とまで言われているのが印象的でした。自分が何に向いているのか、何になら没頭できるのかを考えないと生きていけない、そんな時代。この言葉には、自分のやりたいことをやっていいんだ、と励まされると同時に、自分の志向性をきちんと見極めるのも大切だなと感じました。こういう時代を吉ととらえるか凶ととららえるか、好きなことがはっきりしている人間にとっては、前者ですが、そうではない人はどうなのでしょう。

内容は全体的に、今までの2人の主張をお互いに確認しあっている感が強かったです。今までの両者の本を何冊か読んでいる読者にとっては、目新しいフレーズはあまり見受けられないかもしれませんが、二人とも、相手の考えを自分の言葉にして言い直すのが上手だなと感じました。

あと、あれだけ大量の本を出版しつづける齋藤さんが、なぜブログには手を手を出さないのか。実際に梅田さんも対談で「ブログを書いてみたらどうか」と勧めているのですが、それを断り続ける理由がわかって、ひとつ納得がいきました。

2008-05-15

『堂々たる政治』

前安倍政権で官房長官を務めた、与謝野馨(よさの かおる)氏の著。氏は与謝野鉄幹・晶子の孫でもあり、小泉政権でも何度か閣僚ポストを経験した政治家。最近は、ポスト福田としての期待度も増しています。最近発売の本ですが、発売と同時に書店から姿を消していたので、思った以上に売れたのかもしれません。再び書店に並んでいたので、今度は買いそびれないように購入。奥付をみると、初版の10日後に3刷になっていました。



新潮新書からは、麻生太郎の『とてつもない日本』も出版されているので、割と人目につきやすいのかもしれません。安倍前首相の『美しい国』以降、知名度の高い政治家が新書を出版するケースが増えていますが、これは歓迎すべき風潮ですね。安い新書で、著者も「わかりやすく」を第一に書くので、政治家が何を考えているのか、国民に伝わりやすくなります。

もっとも、政治家にとっては印税やら出版記念パーティで活動資金源になりますし、多くの国民の目に触れる分、ハードカバー本に比べると、あまり突っ込んだことは書かないという側面もありますが。
さて、内容ですがおおざっぱにわけると
  • 第1 - 3章 :小泉・安倍政権の総括
  • 第4 - 5章 :これまでの政治遍歴
  • 第6 - 終章:自身の政策
となっています。1-3章では自身も大きく関った小泉・安倍政権下のできごとについて述べられています。安倍首相退任時の「麻生=与謝野クーデター説」についてもきちんと反論し、小泉・安倍の両首相についても著者の評価が読み取れる部分が何箇所かあります。4・5章の政治遍歴については、与謝野氏の生い立ちや、氏が師事した中曽根康弘氏・梶山静六氏などとのエピソードが沢山あってとても面白のですが、ここでは割愛します。やはり政治家の本なので、パーソナリティよりも政策について述べられている部分を中心に見ていきたいと思います。

■与謝野馨の政策論

市場原理主義批判
割愛した5章までですが、注目すべきは第3章で、昨今の新自由主義・市場原理主義についてきっぱりと批判しています。
私は今でも、小泉構造改革路線は、あの時点では正しかったと思っている。
問題は、この小泉改革の成功によって、「市場原理は常に正しい。小さな政府路線はいつも正しい」ということが「永遠の真理」として証明されたと信じている人、「市場原理主義」と呼ぶべき輸入品の考えを振り回す人々がいることだ。(P64)
「あの時点では」というところがミソでしょうか。小泉=竹中改革について「富めるものがさらに裕福になり、貧しい人はさらに貧しくなったというが、あの時点ではああするしかなかった。あの時点で何もしていなかったら、日本全てが貧しくなっていた。あと少しで沈没する船がある。船員は救出されたが、乗客は溺死した。それでも、皆が溺れ死ぬよりかはマシだった」という評価を聞いたことがあります。与謝野氏はこの本で状況が目まぐるしく変わる現実を見つめる政治家は、それに合わせて自分の意見も臨機応変に変えなければならない、としきりに主張しています。曰く「君主豹変せよ」だそうです。あの時点で正しかったからといって、今後も市場原理主義が「永遠の真理」であることは決してないと言っています。
割り勘国家論・増税論
第6章では、与謝野氏の国家観が展開されます。
国と国民というのは、字句は異なるが同義語だということを忘れがちだ。
国家とは、国民が割り勘で運営している組織に過ぎない。…あくまで割り勘でやっている組織なので、国民と乖離したところに国という別の組織があるわけではない。(P147)
「国家とは自己保全を目的とした官僚機構であり、必要悪である」と主張する佐藤優の国家観と比べると、国民が国家の主体、あるいは同一体であることが強調されていて興味深いです。しかし本章で著者が述べたいことは国家観ではありません。国家は割り勘の組織であることを前提とした上で、日本の財政が危ないので、これからは割り勘の負担を増やす、つまり増税が必要だ、ということです。与謝野馨は谷垣禎一らと並ぶ自民党内屈指の増税派です。
結局、財政再建をするためには、消費税率を10パーセントまで引き上げるところまでは、国民に耐えていただかなければならないことになる。これは否定できないことだと思う。皆で割り勘の額を増やさなくてはいけない。
「増税よりもまず、無駄遣いを無くせ」という批判に対しては、財政赤字の金額と無駄遣いの金額では、予算の規模が違うと述べています。
上げ潮路線批判と両輪路線
「上げ潮路線」とは、主に中川秀直などが主張する経済成長路線です。基本的には経済成長にストップをかける増税に反対で、経済成長を第一と捕らえる人たちのことです。著者の理解によれば「小規模なインフレを人工的に作りながら名目成長率を伸ばすことで、税収が伸びるからこの先も大丈夫、という考え方」(P168)です。これに対し、著者は「両輪」路線を提唱しています。
…財政が再建できなければ、日本の国全体の格付けは低下するばかりで、成長力が阻害される。つまり、財政再建と成長力の強化は車の「両輪」なのだ。私は一貫して「両輪」路線を主張し、元祖「両輪」派を辞任している・
「上げ潮」路線との大きな分かれ目は、インフレ頼みの再建か、増税を含めて考えるか、その違いである。
「上げ潮」路線に対して、著者はこの章で「幻想である」と一喝しています。自分は正直、経済・財政の分野に関しては全くの素人なので、「増税で国家支出と歳入のバランスをとらなければ国家は崩壊する」という主張と「増税は消費を低迷させ、景気を悪くする」という主張のどちらが正しいのか、判断がつきかねます。専門家の間でも意見が分かれる難しい問題のようですが、どちらが正しいのでしょうか。

■与謝野馨はポスト福田たりえるか


最後に、本書とは関係ありませんが、政界での与謝野馨のポジションにいて見てみたいと思います。最近、与謝野氏をポスト福田候補として推す声が高まっているようですが、これは実際にはどうなのでしょうか。

まず、真っ先に気になるのが、現在与謝野馨は党内無派閥であるということ。麻生太郎・小池百合子・谷垣禎一などは、それぞれ自分の所属する派閥があり、その派閥の人数分は、ほぼイコールで総裁選での得票数になりえます。与謝野氏は一時期志帥会という派閥(伊吹派)に所属していたこともありますが、現在は無派閥。派閥に所属しない議員が自民党の総裁になったことは、今まで一度もありません。

自民党内で派閥の力自体が弱まっている現在、福田が選ばれた総裁選の様に派閥の拘束が聞かなくなる場合もありますが、無派閥の議員が総裁選でどこまで戦えるのかは疑問があります。
また、面白いのは本書の上げ潮路線批判で槍玉にあがっている中川秀直が、最近ポスト福田に意欲を見せているということです。仮に与謝野・中川の両人が総裁候補として手を上げれば、政策面で真っ向から対立することになります。これは総裁選の構図としては、選ぶ側もわかりやすく、国民の関心も高まるでしょう。

さらに、民主党の勢いが強まっている時期に、総選挙の顔として与謝野馨に集票能力があるのかという疑問があります。選挙の顔としてなら、麻生や小池の方が格段にインパクトがあるでしょう。先日の補選で敗北し、自民党に逆風が吹く中で、与謝野馨に自民党の救世主となるだけの素養があるか、といわれれば、少し印象が薄い気が否めません。個人的には、与謝野氏は主義・主張がハッキリしている人間なので、総理大臣よりも大臣や党役職として活躍して欲しいと思っています。最後に、ポスト福田に関して気になる記事を見つけたので、紹介しておきます。

上杉隆「『ポスト福田』候補を決定的に変えた2つの記事」
麻生と与謝野の再接近は、麻生=与謝野クーデター説の再来か!?

2008-05-12

Slovakian Sisters

その日は、プラハで古川さん・まりこさん・眞熙とオサラバした後、プラハ中央駅から夜行列車でポーランドのクラクフへ向かう予定だった。
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…が、クラクフ行きの最短ルート・オストラーヴァ Ostrava経由の便は満席。予約が必要というわけでもないけど、コレじゃあ車内で寝れない。今日は一日朝早くからプラハを観光して、おしゃべり眞熙に付き合って、だいぶ疲れていた。夜眠れないのはツラい。今まで夜行列車がこんなに込み合うことはなかったが、週末だからだろうか。

仕方なく、時間がかかることは覚悟でスロヴァキアの首都・ブラティスラヴァ Bratisrava経由でクラクフを目指すことにした。幸い、こちらの路線は込み合うこともなく、じっくり睡眠をとって、疲れを癒すことが出来た。朝方5時、ブラティスラヴァに到着。そこからジリナ Zilinaで乗り換えて、クラクフを目指す。ヨーロッパの電車は、どんな鈍行でも、地下鉄でも、ボックスタイプの向かい合った客席が一般的。ブラティスラヴァ発の電車では、自分の前に少女とお母さんの親子が座った。

ブラティスラヴァ - コシツェ Kosice間という、スロヴァキアの首都と第2の都市を結ぶ路線なので、日本で言ったなら東京 - 大阪間の東海道線みたいなものだ。だが、正直退屈である。景色はずっと田舎じみていて落ち着くが、あまり変化がない。ただ、駅に止まるたび、乗り降りがある。途中の駅で、小さい女の子が2人座った。

大きな地図で見る
何の変哲もない道中に変化が起きたのは、その子達が退屈しのぎにか、突然歌いだしたからだ。その声は、すぐに客車中に響き渡り、歌いだす2人を見て、周りから同じくらいの年の女の子達が集まり出してきた。次々と集まりだす少女達。客室はあっという間にライブ会場になってしまった。自分の前に座っていた少女も、当たり前の様にそれに加わりたがる。お母さんが相槌をうち、さらにメンバーが一人増えた。最終的に、7・8人集まったと思う。

凄かったのは、歌がきちんとパートに分かれていて、きちんとハモったり、ソロパートになったり、手の振り付けなんかもあったことだ。きちんとしたゴスペルだ。
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歌い終わった後に、思わず拍手をしてしまった。自然と目が合う。思い切って「もっと歌ってくれ」って頼んでみると、彼女達は快くリクエストに答えてくれた。前日、眞熙の勧めで初めてのジャズバー生演奏を聞いていたが、それとはまた違った感動と興奮が身を襲った。
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そのうち、シスターらしき先生がやってきた。彼女は英語が出来たのでいろいろ聞いてみると、彼女達は、スロヴァキアの修道女見習いなんだそうな。これから大きな教会へ行き、しばらく俗世との関りを絶って、修行の身となるらしい。歌がゴスペルっぽかったのには、そういう理由があった。彼女達の多くは、両親が先立って、孤独の身らしい。教会で修道女となることで、生活が保証される。

しかし、彼女達の歌には暗さのかけらもなく、生き生きと、朗らかに歌う。こんな可愛い娘たちが仕えてくれるなんて、神様はさぞ幸せ者だなーと思った。

自分が日本から来たこと、名前を「TOYOTA」ということを告げると、ちょうど横を、車を積んだ貨物列車が併走したこともあって、これがウケた。お返しに日本の歌を聞かせてあげたり、彼女達の名前を無理やり漢字にあてはめて、筆ペンで書いてあげたりしているうちに、だいぶ打ち解けられた。
彼女達がやけに熱心に聞いてきたのは「ゲイシャ」についてだった。こっちでは渡辺謙・チャン・ツィーの『SAYURI』が人気を得ているらしく、芸者についての興味が高まっているらしい。自分も詳しくはないが、彼女たちが娼婦ではなくプロフェッショナルであること、日本のサムライでヒーローのリョーマ・サカモト(坂本龍馬)やコゴロー・カツラ(桂小五郎)の妻は芸者だったことなどを話すと、喜んでくれた。

さらに、彼女達は歌を教えてあげるから、一緒に歌おうといってくる。なかなか発音が難しかったが、面白い曲だった。確か『オフォレラ・ミシュカ・マラ』という歌で、なんらかのストーリーのある歌だったと記憶している。どなたかご存知ないだろうか。
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そのうち、乗換えをするはずのジリナはとうに過ぎ、電車は終点のコシツェに着いていた。場が盛り上がってしまっていたので、今さらここで乗換えだとは言いにくかったこと、なによりもこの旅行では現地人とのふれあいを大事にしたかったことから、そのまま終点まで言ってしまうことにしたのだ。

コシツェに着いても、道中すっかり仲良くなっていたので、先生のお許しのもと、修道女のうちの一人が自分をコシツェ案内に付き合ってくれた。スロヴァキアは、特に目当てがあったわけではないけど、彼女達との出会いも含めて、とても人々の優しさが伝わってくるいい国だった。
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余談ですが、この後、旅のスタイルにバックパッカーを選んでホント良かったと思いました。地元人のナマ歌聞けたし、気まぐれで目的地帰られるんだから、普通の旅行では味わえない旅がしたいなら、やっぱバックパッカーです。


2008-05-10

『知ることより考えること』

池田晶子さんの「41歳からの哲学」シリーズ第3巻。いつも、これが読みたくて週刊新潮を立ち読みしていました。



固定観念を捨てて読まないと、たまに頭ん中がこんがらがります。池田女史の言葉を素直に感じないと、何を仰っているのか、さっぱりつかめなくなるときがあります。ですがそれだけ、物事の本質を突いているってことでしょう。納得がいくと、視界がひとつクリアーになった気がします。

生きるということは、大変なことなのである。しかし、そもそもなぜ我々は、そんな大変な思いをしてまで生きなければならないか。
これを今さら考えてみると、どうも理由がよくわからない。「どういうわけか」生まれてしまったのである。生まれてしまった、存在した、存在が存在するということには、どう考えても理由がない。人生が存在するということには、どうやら理由がないのである。
だとしたら、ひょっとしたら人生というものは、何ものでもないのかもしれないのである。(P42)
存在が存在するという、謎。これを著者は飽きもせずに考えているように思われます。

なお、これにも関連して、本書には以前紹介した『国家の品格』に触れた部分があるので、紹介しておきます。
『国家の品格』の危うさがそこにある。主張されている内容は完全に真っ当である。しかしその主張のされ方が危ういのである。
「最も重要なことは論理では説明できない」と筆者は言う。その通りである。人を殺してはいけない論理的な理由は見つからない。その理由はわかっている。(我々が)存在するとはどういうことなのか、そもそもこれが論理的に理解できないからである。この問いを因り具体的に開いてみると、「なぜ私は日本という国に生まれたのか」これは論理的には説明できないのである。(P120)
彼女は日本に生まれたのは偶然である。確かに日本には素晴らしいものがあるが、それは自分が偉いというわけではない。偉いのではない。そのことから「日本人だからすばらしい」「日本人だから誇りを持て」と主張を捻じ曲げられやすい、本書の危うさを指摘しています。著者に言わせれば、「国家の品格」よりも「人間の品格」なんだそうです。ごもっとも。

学生時代、『JJ』の読者モデルを務めたこともあった著者。カバーの写真、60年生まれなのに若い&綺麗すぎです。そんな彼女も07年、お亡くなりになられました。まぁ、本人にとっては何の問題もないのだろうけれど。「言葉を売る」のが仕事である文士の中、この人の言葉には説得力がこもっている。哲学者って、こういう人のことを指す言葉なんだろうと思います。

2008-05-08

『国家論』

『国家の罠』で有名になった佐藤優の、本格的な国家論。副題は「日本社会をどう強化するか」一度読み通してみたのですが、その場その場で理解するのが精一杯で、全体を俯瞰しながら読むことができなかったので、メモを頼りに、もう一度読み直してみたいと思います。幸い、著者は結論への作業仮説や論理構成を提示しながら持論を展開してくれているので、道に迷う心配はありません。地図を見ながら、もう一度著者の思考をなぞってみたいと思います。


序章 国家と社会

国家論のための社会論
まず、『国家論』とはいいながら、「社会」についても、相当な論考が加えられています。曰く
…国家と社会は、21世紀の日本に生きるわれわれにとって、渾然一体となっている。ですから、どこまでが国家でどこまでが社会なのかということは、分からないというのが通常の状態なのです。(P11)
社会と国家は切り離すことができないのか。あるいは、国家のない社会とは、ありえないのか。この疑問には、著者はアーネスト・ゲルナーの説を援用してこの様に述べています。
…産業社会においては、国家は必ず存在するとゲルナーは言っている。
その根拠は、人を産業社会に対応させるためには、長期間の基礎教育を受けさせなければならないが、その基礎教育の負担に耐えるだけの資源があるのは、国家しかない、したがって国家の存在は必須だ、ということになります。(P10-11)
なお、ゲルナーは社会の発展段階を3つに分けており、一番初めの「前農耕社会」では、社会には国家は存在しないそうです。次が「農業社会」で、最後が「産業社会」。これが、現代の社会です。この現代の産業社会で、国家と社会が一体となっているのなら、どうやって国家について考察すればいいか。著者は思考実験として、国家から社会を排除してみる、そのような作業仮説を提示します。
区別されるが、分離できない
国家と社会は一体となっているが、完全に混ざり合っているわけではない。「区別ができるはずです。ただし、それは分離されていないのです」(P20)ここで著者は、得意の神学を生かして、カルケドンの定式を持ち出します。
カルケドンの定式とは、451年に行われたカルケドン公会議での結論のことであり、「キリストは神でもあり、人間でもある」という、いまいちよくわからない結論です。つまり、イエス・キリストの人間性と神性は、区別されるが、分離できないのだそうです。
…国家と社会というものは、イエス・キリストにおける神性と人性のように、「混乱もせず、転化もせず、分割もせず、分離もしないものとして」、つまり、知的な努力では区別が可能でも分離は不可能なものとして、我々の前に現出していると言えるのではないか。これが私の作業仮説です。(P28)
では、分離できない国家と社会から、どう国家論を導き出すのか。
われわれの関心は、国家にあるのですが、ここでは社会の構造を解明することによって、その解明から漏れてしまう部分に国家の特徴を求めるという方法をとりたいと思います。これは、否定神学の応用です。(P32)
『国家論』の目的
P47から、佐藤優がこの本で何をしたいのか、いわば、本書の目的が明かされます。9.11以前の世界では、グローバリゼーションに対抗しうる軸といえばアンチグローバリズムしかなく、それはときどき資本の論理と対立するとはいえ、基本的に非暴力でした。しかし、アルカイダの様な暴力に訴えるかたちでの反グローバリズムが登場すると、それに対抗すべく、国家や、それを維持する官僚は「きれい好き」の特性を強め、どんどん国民への干渉を強めていきます。「テロを未然に防ぐ」という旗の下に、国家の統制が強くなるのです。国家の暴走が始まるのです。人々は「国家の罠」にはまりやすくなるのです。
では、国家の暴走に対抗する具体的な対案はあるのか。国家によってきれいな社会を作るのは不可能というとことがポイントです。国家は社会ではなく、自己保全のことしか考えていない。アルカイダ的なテロが起きたら、官僚は生き残れない。だからテロは嫌だということです。われわれもアルカイダが嫌だというなら、社会を強化しないといけない。(P49)
つまり、9.11以後の世界で暴走を強める、国家・官僚へ対抗すべく、社会を強化するための設計図が、この本です。
佐藤優によれば、日本の現状をこのまま放っておくと、近未来に2つの地獄絵が出現することになります。第1は、新自由主義化の格差がもたらす地獄絵。格差の広がりによって、低所得者は自分の範囲でぎりぎりの生活しか出来ず、子を生み育てることすら難しくなる。さらに、高額所得者と低所得者の間で、同じ日本人であるという同胞意識が薄れていく。第2は、国家の暴力がもたらす地獄絵。国家の実態とは「税金を取り立てつことによって生活している官僚」であり、放っておけば、国民のためではなく官僚のための国家暴力が生まれるといいます。
結論の頭出しをすると、社会は社会によってしか強化されません。そしてまた、国家も社会によって強化されるのです。国家は必要悪です。社会による監視を怠ると国家の悪はいくらでも拡大します。社会が強くなると、国家も強くなります。そして、強い国家は悪の要素が少なくなるのです。(P51)
ここから、日本社会の構造を解き明かす第一章へと移行します。


2008-05-06

ゲイ術の都

あれは…確か07年の12月、クリスマス目前の22日のことだった。

パリに到着して2日目。昨日は、ペール・ラシェーズ墓地の近くのユースホステルに泊まった。バスティーユ方面へ行こうとして歩き、休憩に教会脇の公園でタバコをふかしていたら、一人のフランス人と、仲良くなった。
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名をキャメール Kamelといった彼は、なかなかの紳士で、フランス語を教えてもらっているうちに、だいぶ打ち解けた。英語が通じたのが、大きかった。

「何しにフランスに来た?」
「旅行だよ。西洋史を勉強してる。パリは見所が沢山合って、どこから見ようか迷ってる」
「ほう。西洋史か。フランス史には興味あるか。俺の先祖は、ナポレオン戦争に従軍してたぞ。平民あがりだったが、スーシェ元帥の部隊にいた。一時期は副官クラスまでのしあがったらしい」
「すごいなそれ。スーシェの副官って、史料探せば名前残ってそうだよね。それで、ワーテルロー後まで生き残ったの?」
「いや、第4次対仏大同盟の時期に、プロイセン国境あたりで戦死したらしい。それも、副官に任命された直後だったみたいなんだよ。だから、記録に残ってるかどうかは、知らない。その未亡人が、俺のじいさんの…ばあさんの…」
「へぇ、日本じゃ、自分の家系のことなんて、皆知らないことの方が多いよ」
「フランスでも、今はそうかもな。俺は、じいさんがやたらと昔話を語りたがる人でね。記録のことも、じいさんに聞けば解るかもな。もっとも、彼は今はもう天国だけど。それより、どこに泊まってる」
「あっちだよ。ここから10分くらいのユースホステル」
「俺の家もそっちの方向だ。良かったら、遊びに来るか。コーヒーでも出すから、ゆっくり話でもしないか」

という成り行きで、キャメルの家にお邪魔することになった。その日は他に行きたいところがあったのだが、現地人との出会いは、旅行の醍醐味。以前、現地人の家に泊めてもらったこともあったので、頭の片隅で、「仲良くなれば宿代浮くかも」って下心があったのも事実。何よりキャメールとの会話は楽しかった。さっきのナポレオン軍に従軍した先祖の話といい、大統領サルコジ論、パリの都市計画の話など、自分の興味をそそる話題を沢山ふってきた。せっかくなので、お邪魔することにしてしまった。

実際、彼の部屋に入ると、沢山本が並んでいる。知識階級なのかもしれない。
「ちょっと、本棚みてもいいかい」
「好きにしな。でもお前、フランス語は読めないだろ」
「まぁさ、作者の名前くらいは読めるよ」

本棚には、それこそルソーからサルトル、F1、欧州サッカーの本など、実にバリエーションに富んだ本が並んでいた。

「すまん、コーヒーが切れてる。ファンタでいいか。それとも、ビールの方がいいか」
「これから行くところがあるから、ビールは遠慮しとくよ。ファンタをもらおうかな」

しかし、乾杯を終えると、それまで紳士だった彼の態度に変化がおきた。

「俺の部屋へようこそ」
といって、彼は握手とキスを求めてきた。欧州では、挨拶代わりにお互いの耳元で2回キスを鳴らすのは普通。ただ、キャメールはその後に、俺の唇を求めてきたのだ!しかも、舌まで入れてくるから驚きだ。パリには入ってまだ2日目。この街ではそういう風習なのかと、不思議に思ったが、警戒レベルをマックスに上げながら、一応スルーした。

そして、「熱いから脱げよ」といって上着を脱ぎ、自分にも脱ぐよう指示するキャメール。あろうことか、奴はズボンまで脱ぎ、パンツ一丁になってしまった !! この時点で、自分のアタマには「ゲイ」という単語が浮かんでいた。頭の危険報知器はうるさいくらいに反応している。…が、「確認しないといけない」と思って、踏みとどまった。

せっかく休学してまで欧州にきたのだ。どうせなら、ブっ飛んだ体験を重ねたい。「ゲイのような人が自分の家でパンツ一丁になっているのを見た」と「ゲイに襲われた」では意味が違う。おやじだって、家の中でパンツ一丁になることはある。自分も、熱い夏は自分の部屋で然り。なにせ、この狭い部屋には男しかいないのだ。キャメルにとっては自分の家だし、気を使う必要はどこにもない。内心、危険を感じながらもその場を楽しんでいた。

(確かめよう。ただくつろいでいるだけなのか。それとも…)

たぶん、危険な場所にあえてとびこむジャーナリストや探偵って、こんな心境なんだろう。
「まぁ、座れよ」といってソファーに案内するキャメル。

次の瞬間、自分の心配が杞憂でなかったことが判明する。座らそうとするばかりか、自分を押し倒してくるキャメール。どうやら、寝かせたいらしい。抵抗する自分のしぐさに、どうやら興奮した様だ。終いには、パンツまで脱ぎ、

どうだ?触ってみるか?

といって自分のイチモツを見せびらかしてきた。

マックスで上を向いている。そんなに自分は魅力的なのか。それにしても、欧州産のサイズは、馬鹿にならない。アレは凶器だった。あんなのでされたら、自分の下半身はズタボロになるだろう。自然と、下腹部に力が入る。流石に、深入りしすぎたかと、自分の身に危険を感じる。が、あくまで冷静に対処しよう。そんなに危険な男には見えない。部屋の鍵も閉めないし、出されたジュースも、缶からあけて注いだ。怪しい催眠薬は、入っていないはず。逃げ道も覚えているし、ここは人通りが少ないとはいえ、そこまで裏路地ではない。

「俺にはそういう趣味はないよ。キャメル、あんたはゲイなのか」
「この街じゃ、これが普通なだけだ。特に珍しいことじゃない。お前は体験したことがないのか」
「まぁ、日本人男性の99%は、男同士でそんなことはしないと思う」
「もったいない。これはこれで、いいもんがあるぞ。体験してみないか」
「いいのかどうかは知らないけど、俺は男とキスしても、気持ち悪いだけだ。ましてや男同士で体を重ねるなんて、想像できない」
「お前はさっき俺とキスしたとき、感じなかったのか。まいったな。じゃあわかった。体には触らない。だからもう一度、口付けさせてくれ」
あくまで真面目に、自分をそっちの世界へ引き釣り込もうとするキャメール。あくまで、真面目である。カッフェで議論に花を咲かせるパリジャンの口調と、なんら変わりはない。フランス人は(男はもとより)女を口説くときも、こうなのだろうか。

「わかったキャメル。一緒に写真をとろう。記念だ。俺はあんたと一緒にいて楽しいし、話も面白かった。ほら、さっきのサルコジ論は、なかなか新鮮だったよ。日本じゃサルコジは、あんな報道のされ方はしない。でも、俺はそういうことはしないんだ。わかってくれよ。あんたが嫌いなわけじゃないんだから」
「写真を撮ったら、キスしてくれるか?」
「写真の写りがよかったら、考える。ほら、早く服を着ろよ。裸で写真に写りたいのか」
「わかった。とりあえず写真を撮ろう」
作戦はうまくいった。とりあえず、彼の刀を納めることに成功した。こうして撮影したのが、この写真である。
f:id:naotoyota:20080506140859j:image
断っておくが、自分は男の体に興味はない。自分にとって男は性的欲求の対象ではなく、友情やライバル心・尊敬の対象である。自分が華奢な体型なので、筋肉質なスポーツマンを見てかっこいいと思うことはあるけれども、性的興奮を感じたことは一度たりとてない。女性の体は常に興奮と憧れの対象だが、男のそれは別だ。

話を戻そう。

「良い出来か」
「そうだね。キャメールはこの写り方で満足?」
「なんだっていい」
写真の出来には興味がないらしい。早く約束のキスをしよう。そういってきた。あしらっても、あきらめる気配はない。
「わかった。仕方ない。キスはしてもいいけど、舌は入れるなよ。そこまでしてきたら、噛み付くからね」
「約束が違わないか」
「違わない。俺はキスはするとは言ったけど、男とディープキスをするつもりはないよ。ディープキスは俺にとって、そういう行為の入り口だ。フレンチで我慢して」
残念がるキャメール。実際、今までも性的な意味はなく、挨拶のノリで教会の神父さんに口付けをされたり、男とフレンチなキスをすることは何度もあったので、ディープでもない限り、あまり抵抗は感じなくなっていた。

お前、俺のこと好きか

「・・・。今日あったばっかりで好きかといわれても、答えられないな。話してて面白いとは思うけど」
「じゃあ、嫌いじゃないんだな」
「でも、俺は誰であろうと、男には女性に対して抱くような感情を抱くことはないよ。あんたは友達だ。それ以上でも、以下でもない」
「それじゃ駄目なんだ。お前にとっての特別な存在じゃないと」
「俺にとって、そういう存在になりえるのは女性だけだよ。男には友情とか信頼を感じることはあるけど、性的な興味は全くない」
「もう体のことはいいんだ。さっきのは、俺が悪かった。でも、俺はお前のことが忘れられそうにない」
泥酔したときでさえ、こんなやりとりをしたことはない。なんだこれは。BLの世界だ。心なしか、キャメールの背景にバラの花が見えなくもない。流石は華の都・パリ。演出効果は抜群だ。キャメールは、明らかに苦悶していた。それは自分の愛が受け入れられない、苦しさを語った表情だった。

(こいつ、意外と繊細だな)

と思う。実際、そうだった。自分よりかは、明らかに体格もいい。実力行使にでれば、自分の貞操は奪われていたかもしれない。もっとも、その際は自分とて全力で抵抗するが。俺が嫌なそぶりをみせると、明らかに遠慮する。気持ちが通じていないと、嫌らしい。見た目は完全におっさんだが、心は乙女なのかもしれない。パリジャンの心は、実に奥が深い。

「キャメール、俺はもう帰るよ。待ち合わせがあるんだ」
これは本当だった。待ち合わせがあって、バスティーユのホステルに行きたかった。
「また、会えるか?」
「さぁ、縁があれば、会えるかもしれないね」

そう言って、帰る準備をした。キャメールは丁寧に自分にマフラーを巻いてくれ、最後に一言、こう言った。

「やっぱり、お前は魅力的だ。また会えることを願っている」
正直、男に言われてもあまり嬉しくない。むしろこっちとしては、もう会いたくない。相手がパリジャンじゃなく、パリジェンヌだったらなぁ…と惜しみながら、彼の家を後にした。ただ、相手がキャメールだったことは、運が良かった。相手によっては問答無用で実力行使にでてきたかもしれない。キャメールは実戦よりも舌戦を重視する人間だったらしいのでうまくかわせたが、力の論理でいったら、間違いなく自分の貞操は奪われていた。後で知ったのには、キャメールと遭遇した公園は、そういう人種が多い、パリ20区だった。マレ地区と並んで、パリでは悪名高い地区のひとつ。

もっと悪質な人間に襲われていた可能性もある。その意味では、彼は自分の気持ちを尊重してくれた分、紳士ではあった。相手がキャメールでまだマシだった。

余談ではあるが、キャメールが話した「こういうことは、この街では普通」というのは、他のパリ市民にとっては非常に迷惑な話され方だろう。ひょっとしたら「この街」ではなく「この地区」といいたかったのかもしれない。ただし、男同士で手をつないで歩くおっさんのカップルは、何度か目撃したことも、付け加えておく。加えて、知識人階級には古くからそういう文化があるという話も聞いた。キャメールも知的な人ではあったので、そういう層にいる人間なのかもしれない。

この話を、旅先で会ったバックパッカーにすると何度か「あぁ、確かにトヨタ君、狙われそうだよね」と言われた。「俺、そういう趣味ないですからね」ときちんと反論するが、みんな「どうだか」とからかってくる。

このブログをご覧になっている皆様には、自分の名誉のためにも、きちんと言っておきたい。自分はゲイではありません。願わくば、誤解のあらざらんことを。


2008-05-05

国家の品格


※2006年の夏にmixiレビューに載せたものの刷り直しです。

f:id:naotoyota:20080507025507j:image

こりゃあ売れるわけだ。だって、読んでて気持ちいいんだもん。オビの文言が、「全ての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論」ですもんね。内容は、かいつまんで言うと、近代社会の否定と日本礼賛論。具体的には

01.「論理」を否定して「情緒」「形」の文化の奨励

02.自由・平等・民主主義批判(=アメリカニズム批判)

03.武士道精神の復活を提唱

まず01.論理の批判について。

「論理」に対する疑いを唱える文を読んだのは、たぶん初めてです。それだけになかなか斬新な主張に感じられました。ここで重要なのは、著者の藤原正彦氏が数学者であるということ。論理絶対であるはずの数学者が「論理」の支配する文化を批判している。これには説得力を感じざるを得ません。

ただ、氏が主張するほど「論理」が不必要なものにも思えません。シーソーの体重が「論理」により過ぎている世の中なので、著者はバランスを取るために論理不要論をといているのかもしれませんなが、「情緒」も「論理」もお互い反目するものではなく、共存しうるものなのではないでしょうか。

02.自由・平等・民主主義批判について

自由・平等・民主主義の批判は、保守論客のお歴々がすでに「これでもか」ってくらいやってます。内容も大差はないと感じました。

民主主義に弱点があるのは歴史が証明してますが、かといって「民主主義」に変わりうる社会システムがあるかといえば、クエスチョンマークです。自分は、代用のシステムが見当たらない以上、「自由」「平等」を前提とする民主主義が一番最良のシステムだと考えます。

そろそろ、創造的な批判論がでてきてもいいんじゃないかと思いながら読んでると…

03.武士道精神の復活について

その自由・平等・民主主義の欠点を補うべく筆者が提唱しているのが、「武士道の復権」です。「欠点を補うべく」というのは自分の勝手な解釈、または読み違いかもしれません。卑怯なことは理屈(=論理)抜きに「ならぬものはならぬ」という日本特有の(このテーゼは会津の)武士道精神。これが大衆に備われば、確かに民主主義体制でも社会の質は向上するでしょう。

さらに著者は、武士道を生んだ土壌である、日本の美しい田園風景を礼賛しています。「美しいもの」が品格ある国家には欠かせないという主張には同感です。

全体を通して

まず、講演を文章化したものであるせいか、非常に読みやすかったです。『バカの壁』と同様ですね。

さらに、筆者の主張に自信がみなぎっているので、読んでてとても気持ちがいい。論理を否定してるだけあって、理屈抜きで「こうだ」と言い切っている箇所が多いのですが、主張をとうそうとする場合、根拠に頼りすぎないほうが人の心に通じるのだな、と感じました。力づくで納得させるには、整合性のとれた論理を用いればよい反面、著者の主張する「情緒」への説得を試みるなら、論理に頼り過ぎない「願望」の方が通じるのかもしれません。

余談ですが、案外、小林よしのりに足りないのは、この辺りなのかもしれませんね。彼の論法は、敵対論客へのネガティブキャンペーンにより過ぎている。「ゴーマンかましてよかですか?わしはこういう日本が好きなのだ」と締めくくってみてはいかがでしょう?小林さん。

全体的に、筆者の主張には賛成です。問題提起の意味もこめて、この本が多くの人に読まれるといいな、と思いました。



2008-04-14

実録・ゴルゴ13

【欧州人物観察記 Edward Hattori編

服部さんとの出会いは、12月のアタマ、クリスマスのムードが漂うドイツのミュンヘンだった。ミュンヘンには12月と、帰国間際の1月の計2回行ったが、2回とも服部さんと遭遇した。

ホステルのラウンジで飲みながら旅日記書いていると、ジャージ姿の日本人のおっちゃんが、ビール片手に声をかけてくる。こっちは日記書いて集中しているのに、おっちゃんのマシンガントークが止まらない。

半分は聞き流しつつ聞いていると、日系企業のドイツ支社で働いていたところクビになり、安いユースホステルに住み着いているのだという。日本で言ったらネットカフェ難民みたいなもんだ。

しかし、服部さんはそこらの難民とは違う。なんと、日本の外務省から国際指名手配を受けている難民さんなのだ。

外務省公安4課。要は日本版のCIAみたいな部署。組織のメンツもあるので、捕まったら即・刑務所送りになる(らしい。というか本当にそんな部署があるのかどうか定かではない)。

さて、その服部さんだけれども、なぜ指名手配を受けているのか。
ここが重要。

服部さんはドイツの帰国子女で、大学時代は日本にいたらしいが、日本の没個人社会に肌が合わず、若いころから外国人コミュニティに出入りし、彼らの勧めで日本の労働条件の悪さについて、海外紙に投稿をしまくっていたのだという。

時代はちょうど冷戦体制の末期。日本型経営に世界の関心が集まる中、あまりにも日本の実情に肉薄した服部さんのレポートは、日本の国益を損ねるとして、そのときから外務省に目をつけられていたらしい。

海外支社勤務になっても、服部さんの日本批判の筆はやまず、会社とのトラブルも絶えなかったそうだ。服部さんによると、陰で常に外務省からの妨害があったらしい。

「出る杭は打たれる」は日本の悪習だが、これを服部さんは毛嫌いした。

それがやがて、日本への帰属意識を徹底的に薄めた。 最近も、イギリスの大手新聞・ガーディアン紙に日本の労働条件についての投稿をし、それが3週にわたって掲載され(エドワード・ハットリの筆名)、大反響を呼んだそうだ。

公安4課はその反応の大きさに震えあがり、ついに超法規的措置として指名手配にいたった。

…らしい。

さて、この時点でもう怪しいと思ったアナタ。こっからもっと凄くなるので、心のご準備を。

服部さんの「潜伏」しているユースホステルは、宿泊名簿があるので、簡単に足がつく。実際に僕の名前も載っていたはずである。じゃあ、何故彼はつかまらないのか。

実は服部さんには、韓国人で超能力者の彼女がいるのだ。予知能力が使える彼女は、当局のガサ入れがあるとそれを察知し、服部さんはその前に逃げてしまう。今までホステルには外務省の職員が何度も来たが、そのたびにタイミングよく逃げてしまうらしい。

超能力

これも実は、服部さんが追われる原因の一つなんだそうな。冷戦期、ソ連が超能力を諜報に転用として研究していたのは有名な話。服部さん自身は超能力者ではないが、昔も超能力者の友人がいたということで、それを利用しようとする日本政府から目をつけられていたそうだ。おまけに彼には、対外スピーカーとしての発言力があることで、さらに危険視されていたという。

…。

さらにすごいのは、金正日と知り合いで、彼から勲章をもらったこともあるという。商社時代に、北朝鮮に日本の使われていない鉄道車両を寄付したのがきっかけらしい。話は長くなるので省略するが、ジョンナムやその他軍の将軍など、北朝鮮のトップとのパイプはかなり太いらしい。同じことを韓国にもしたおかげで、韓国の空港は、顔パスなんだとか。

服部さんのパスポートはあと1年で切れる。やばくなったら、韓国か北朝鮮に亡命する気らしい。「日本よりは、まだいいだろう」そう言っていた。

カルロス・ゴーン、奥田会長…。他にも彼の知り合いのビッグネームは枚挙に暇がない。…とまぁ後から聞けばかなり胡散臭い話なのだが、服部さんと話していて、頭のいい人であることは感じたのも事実。実際に、英語・ドイツ語・フランス語・朝鮮語・北京語ペラペラのマルチリンガル、何よりも知識量は半端ない(おかげで、よりトンデモ論っぽく聞こえてしまうのだけど)。


ヨーロッパでは放浪中に佐藤優・手島龍一の本を読んでいたせいで、こんな人間が身近にいることに疑いを持たなかったのも、服部さんの話に食い入る大きな要因だった。


俺は、ゴルゴ13の世界に住んでいるんだよ

そのセリフが自己陶酔だったのか、あるいは真実だったのかは、今となっては分からない。

…。

…え?国際指名手配の人間についてここまで暴露しちゃっていいのかって?
大丈夫です。彼の話が本当なら、超能力使ってまた逃げるはずですから(笑)

あ、ちなみに潜伏先は、ミュンヘン中央駅前のEURO YOUTH HOSTELです。


--------------------------------------------
そいや『ゴルゴ13』アニメ化するらしいですね。
声は舘ひろし?せっかく渋いのに、ゴルゴあんま喋んねー。

数あるゴルゴの中でも、この話が一番好きです。
「全て人民のもの」

ゴルゴはあの怪僧○○の末裔だったのだ!
そして服部さんはたぶん、ゴルゴの読みすぎだったのだ!






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『豊田家と松下家』


トヨタ自動車の創業家・豊田と、松下電機産業の創業家・松下。初代、豊田佐吉・松下幸之助に始まり、最近の渡辺・大坪両社長にまで到る、トヨタVSマツシタの対比列伝




世界でなお圧倒的なブランド力を誇るTOYOTAと、創業家の名を捨てPanasonicに生まれ変わった松下。この2社の違いとは何か?両社における、創業家の役割の違いとは?両者を対比させることで、お互いの特性が浮き彫りになってくる構成です。とっても読みやすい。

あくまで「会社における創業家の位置」がメインテーマなので、両社の社史を俯瞰する本ではありません。登場人物は、ほとんどが創業家の人間と、社長クラス。『プロジェクトX』みたいな、汗と涙の現場ドラマではなく、『華麗なる一族』の世界に近い本です。
「結果を出さなければ跡を継げない帝王学」豊田と、「失敗と挫折を知らない帝王学」松下(P47)
この違いが、両社の創業家の位置を変えてしまったようです。
…豊田家と松下家の創業家の命運を分けたものは、創業家への求心力を形に出来たものと、そうでなかったものとの違いであった」(P197)
歴史の長さでは比較にもなりませんが、天皇家と豊田家を比べてみても面白いかもしれない。創業家を後ろ盾にして改革を進めたトヨタの奥田碩と、「親創業家」「反創業家」の2項対立を生んでしまった松下の山下俊彦・中村邦夫の比較も興味深いです。

「企業を立ち上げたい。ゆくゆくは息子に継がせたい」と思う人には必読の書じゃないでしょうか。まぁ今日びそんな価値観を持つ人、あんまりいないと思うけど(笑) むしろ、親に会社を継げといわれている創業家2世・3世が読むと面白いのかも。実は友人にもそのような境遇にいる奴がいるので、ちょっと勧めてみたいと思ってます。

あと、副作用というか、『島耕作』シリーズの副読本としてもオススメです。『島耕作』の初芝は松下がモデルとなっていますが、そのせいか木野・大泉・中沢・郡山などの歴代初芝社長のモデル、この人か!って発見が続発することうけあいです。誰かトヨタ自動車をモデルにしたサラリーマン漫画描いてくれないかなぁ。

2008-04-04

『ウェブ人間論』

梅田望夫の『ウェブ進化論』シリーズ。今回のテーマは、「WEB2.0で、人間はどう変わるか」



イノベーションの21世紀、「大きな時代の変わり目」を生きる同時代人としても、歴史を勉強する学生としても、非常に興味深いテーマです。

ウェブと人間との関係論でもあり、かつ、WEB2.0時代の人間とはいかなる人種かを考察する対談でもあります。その意味では、あとがきにも書いてあるとおり「ウェブ・人間論」と「ウェブ人間・論」の果てしない往復。作家・平野啓一郎との対談形式です。技術論がメインだった『進化論』に比べて、作家さんとの対談ということもあってか、やはり「人間」に重点が置かれています。

この形式が、うまく当たったんじゃないかと思います。対談の最たるメリットは、お互いの意見が対比されることで、主張の違いや共通点が浮き彫りになることですが、比較的つっこみ精神旺盛のの平野さんと、オプティミスト・梅田さんのやりとりが、とってもテンポいいです。
梅田さんの、
ブログを書き始めて、専門以外のことだと…読んだ本の一部を抜き書きしたりするのって、本当に幸せな時間だなとか、そんなことに思い至るようになった。それは大げさな言い方をすれば、自分で自分を発見したということだったんですよ(P162)

っていうの、実感です。まさしく「書く」という行為は、自分の考えていることを見つける作業だと思います。ブログの登場によって「一億総表現時代」を迎えつつある今、万事相対主義のこの時代で、人々がアイデンティティ・クライシスから身を守るための道具としても、ウェブは機能するんじゃないでしょうか。ウェブという道具を上手く使うことで、環境が目まぐるしく変化する現代でも、自分との対話、所属コミュニティとの対話が容易になる。


というか、対談相手の平野さん、かなり面白いです。世代的にはひとつかふたつ上のニューアカ世代(本人談)。この対談本を読むまで名前を知りませんでしたが、芥川賞受賞者だったんですね。

平野さんの言葉からは、「隙あらば相手が予想もしていなかった鋭い質問をしてやろう」ってオーラが感じられて、対談の緊張感がとても伝わってきます。この本が「対談者同士の自己満トーク」にならなかったのは、平野さんの旺盛なツッコミ精神に拠るところが大きいと思いますね。

もちろん、全ての主張に賛同できるわけじゃありませんが、その小説『葬送』がドラクロワやショパン、ジョルジュ・サンドが登場する19世紀が舞台だとは知らなかった…。19世紀なんて、一番好きな時代じゃないか。早く言ってくれよ、それを…。というわけで、平野作品『葬送』探してみます。どうやら3部作の最後らしいので、場合によっては本格的に平野作品にはまっちゃう可能性もありますね。自分はシリーズものに弱いので…。


2008-03-16

『野蛮人のテーブルマナー』

地元の友人から借りた本。また佐藤優。




プロの元外交官が明かす、情報・人脈術のテクニック。これは…。読むな!みんな読むなー!役に立つテクニック満載の本ですが、できるならこの内容を外に広げずに、自分が一人で独占したいです。というわけで、今回は内容に関してはあまり触れないでおきます(笑)

強いてあげるなら、第10回「アダルト・ビデオ業界に学ぶ組織論」が異色編でしょうか。TSUTAYAの18禁コーナーのお世話になっている男性陣はもとより、「AV嬢って憧れる」なんて豪語する女の子は、一度読んでおいたほうが良いと思われます。
一人の子を永久に生き残らせようとすると、永久に活きる細胞っていったら癌しかないんですから(中略)
個々のAV嬢には終わりをつけること。これは永遠に続くっていう、余人をもって代えがたいって感じを持つと癌細胞が生まれる。官僚の場合はそれが顕著で…(P75-76)
AV業界から組織論につなげちゃうあたり、佐藤優の分析力には本当に参りますね。要は、きちんと内部分子を循環させることが、組織を生き残らせるコツだってことでしょうか。政党でも学生のサークルでも、大御所やOBの顔が大きすぎると、上手く回らない。本書では和田ア●子が槍玉に上がってますが、07年の大連立構想における、ナ●ツネさんを思い出しますね。

…あぁそうか、だからお笑い芸人はあんな短期的なスパンで使い捨てされるのか。これも「お笑い界」という組織の新鮮さを保つための、論理に適った方法なんですね。え?…でもそんなの関係ねぇ!

前半部は雑誌『KING』での連載を11回分まとめたもの。後半は、鈴木宗男/河合洋一郎とのそれぞれ対談になってます。ページの割合的には、むしろこっちがメインかな?河合洋一郎との、映画『グッド・シェパード』の解説対談(この映画、早くDVDにならないかなぁ…)、あとがきの「佐藤優ブーム論」もなかなか説得力があって面白かったです。若干の暴露(?)もあって佐藤優の特異体質についても触れられています。改めて驚き。

2008-03-03

エリートの思考文法

【欧州人物観察記 李眞熙 後編】
前編:邂逅
後編:旅の恥はかきすて

前編・後編では、眞熙自身よりもむしろ、眞熙との出会いで影響を受けた、自分の変化にウエイトを置いて書いたので、そろそろ本格的に眞熙の人間分析を始めたいと思う。

眞熙は、人間観察をする上で、他の人間とは明らかに一線を画す「属性」を持っている。それは「エリート」であるということ。まず彼の大学だが、韓国の首都・ソウルのハンニャン大学という。

眞熙や、後であった他の韓国人の話から判断すると、日本でいう一橋大学あたりに相当するのだと思う。要は、「ちょっとアタリが悪くて東大にいけなかった」レベル。 韓国には徴兵制があるけれど、彼の所属部隊が派遣された地域も、他の韓国人は「あ、それ、エリート部隊のいくトコだね」と言っていた。

父親はドイツで建築の仕事をし、母親は昔フランスに住んでいたお嬢様。父親は今でもドイツで仕事をしていて、親に会いに行くのも、眞熙の旅の目的の一つだった。彼自身も英語は難なく話し、簡単なドイツ語・フランス語も話せる。

ステータス的には、こんな感じ(はぁ、思い出しながら書いてて嫌になってきた) 。

表向きのステータスに加えて、先に触れたように、眞熙には余りある行動力が備わっている。つまり、エリート育ちではあるが、ペーパーテストしかできない書斎派ではない。

 「血統がよく、一流の環境と教育を受けてはいるが、地は粗野でアクティヴ」というのは、古今東西、他人を引き付ける人間の典型の一つだ。


  • ロマノフ家の王子に生まれながら、自分で船の設計までこなした大男 ピョートル大帝
  • 英雄アウンサン将軍の娘に生まれながら、地道な民主化活動を続ける スーチー女史
  • 財閥の御曹司ながら、べらんめぇ口調でサブカルにも理解を示す 麻生太郎

…と、ここまで書くと大げさかもしれないが、眞熙も程度の差はあれ、間違いなくこの系列に属する人間だった。金の使い方も割と豪華で(儒教社会・韓国人の慣習もあるはずだが)、眞熙には何度かおごってもらった(ごっつぁんです)。

友人にも一流人が多く、フランスの3つ星レストランで働いているソムリエ、プロのカメラマン、Googleだかどっかで働くプログラマー etc...。それらの友人から教わったワイン、パソコンの知識、写真術はどれも凄いものだった。特に目立つ特技のないT田といて、眞熙はさぞ退屈だっただろう(あぁ、もう書いてて落ち込んできたわ…)。

そんな彼の目標は、「United Nations of Department Economic」国連の経済部門で働きたいのだそうだ。国連というと、人道主義・理想主義者の集まりというイメージがあるが、眞熙が興味あるのはそんなものではない。眞熙は純粋に、世界経済戦争のいちプレーヤーとして、ゲームに参加したがっている。そのための所属団体として、国連に魅力を感じているらしい。

国連を、世界最高の良心ととらえる人間も多いこの世の中、彼の国連観は、「世界に数多くある国際機関の一つに過ぎない」という認識だ。 一般人の思考文法とは、根本が違うのである。

歴史を勉強する上で、以前からエリート育ちの人間がどんなんだかには興味があった。まさか、ヨーロッパで韓国人のエリートと出会うとは思いもよらなかったけれど。 

さて、現在大学4年生で卒業も決定している彼は、08年の4月から、ドイツの銀行に勤務するらしい。

これからこの男が、世界でどんな活躍をするのか、今から楽しみだ。忙しくなるだろうけど、たまにはメール頂戴ね。




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2008-03-01

旅の恥はかき捨て

見慣れぬ食材でパスタソースを
つくる眞熙。お味の方は…
【欧州人物観察記 李眞熙 中編
承前 前編:邂逅

さて、その韓国人・李眞熙。

かなり打ち溶け合ってしまったので、翌日の道程もご一緒することになった。

初めは、次に行く町の方向が同じだったので、途中まで一緒の電車に乗るだけだったのだが、車内トークが盛り上がってしまったので、勢いで眞熙と同じ街に行くことにしてしまった(自分のよくあるパターン)。

眞熙とは2007年11月08日-13日まで一緒に行動し、リンツ、チェスキー・ボドヨビチェ、チェスキー・クルムノフを同行。いったん別れた後で17日にプラハでも再会したので、まる7日間、一週間ずっと一緒に過ごしたことになる。

7日間、大変だったのは、眞熙が無茶苦茶おしゃべり好きだったということ。とにかく、よくしゃべる。

「トヨタは静かな奴だな。もっと話してくれよ。退屈じゃないか」

いやいや、お前が喋りすぎなんだ。対象は自分だけではない。店の人、宿の係、駅員、相部屋になったバックパッカー etc...とにかく誰にでも話しかける。

正直、俺でもわかるくらい、文法が滅茶苦茶な英語を話すときもあるが、言葉数がそれをカバーするので、結局誰とでも意思の疎通をこなしてしまう。そして会話だけに限らず、何事にもアグレッシブだった。

「あの店に入ろう」 
「あの場所へいってみよう」
「じゃあ、あの人に聞いてみよう」

初めは、彼のペースに合わせるのがとてもしんどかった。

疲れる…。日本人はシャイな民族なんだ。高校の交換ホームステイのときも苦労したが、“アジアのイタリア人” コリアンとはメンタリティが違いすぎる…。

眞熙がみつけてきたプラハのジャズクラブ。正直、彼が
行こうって言わなかったら無縁な場所だった。
が。2、3日もしてくると、それが日常化してくるので、自分も眞熙をおちょくる意味でも、ジョークをいってみたり、積極的に街を歩くようになった。積極的に話しかけ、普段は入らないような店に入り、正しいのかも解らない英語を、とにかく口から出す。

それが、案外楽しいのである。思えば、一生に一度これるかこれないかの、遠い異国・チェコの街。どうせ思い出を作るなら、ブっ飛んだ体験をするに越したことは無い。眞熙と共に過ごせる時間も、無限ではない。

沢山話して、自分という人間を、相手に強く印象付けたい。そのうち、日本には「旅の恥はかき捨て」というなんとも便利なことわざがあったことを思い出した。

恥ずかしいのも、今だけ。どうせなら、何もしないで諦めるよりも、何かアクションをしてから落ち込もう。そう考えているうちに、いつの間にか自分の旅のスタイルができあがっていた。眞熙に作ってもらったとも、言えるかもしれない。

あの3ヶ月間、自分の血液型は完全にB型だった。本来の血液型(AB型)の半分であるB型が、もう一方のB型を完全に圧倒していた。

やると決めたら、恥をかいてもやる。
解らないことがあれば、とにかく言葉を連発して誰かに尋ねる。
行くと決めたら、何十キロ歩こうが、とにかく行く

そんなスタイル。

実際にやってみると、旅の面白さが倍増する。そして何より、勉強になる。ガイドブックにも載っていないことが、自分の旅日記に、どんどん増えてゆく。今となっては『地球の歩き方』に投稿してやりたいネタが盛りだくさんな今日この頃だ。

後で気付いたのだが、眞熙のおしゃべり好きは、彼の性格もさることながら、英会話の勉強だったのだ。英語を「話す」には、いくら難しい学術書が読めたって、「話す」訓練をしないと、上達しない。そういう意味で自分は、眞熙の練習台だった訳で、あまり話さない奴を「退屈」と思うのは当たり前の話でもあった。

ともあれ、自分の旅のスタイルに、眞熙が与えた影響はかなり大きい。

「旅の恥はかき捨て」

そんな言葉を思い出させてくれただけでも、眞熙には感謝だ。

後編:エリートの文法









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2008-02-29

邂逅

【欧州人物観察記 李眞熙 前編】

その日、やっとのことでウィーンの引力から逃れた。欧州について早々、ウィーンで荷物の70%をロストした自分は、それから数日間、同市のまわりをふらついたり、物価の安いチェコで物資の補充をしていた。

正直、死に体だった。気分は沈みまくって、旅どころではない。 「このままでは」と、とりあえずウィーン都市圏を脱出するために、電車に乗った。

行き先は決めていない。なにせ、ガイドブックすらもっていない。

鉄道は、オーストリアの雪原・山岳地帯を走った。綺麗な景色が、少し心を癒してくれる。車内の路線図を見て「この街へいこう」と決めた。リンツ Linz。電車を何度も乗り継いで、着くのにまる一日かかった。

ちょうど良かった。今日は何も考えずに、車窓を眺めていたい。オーストリア東部を大きく「コ」の字型に回ったので、着いたのは夜の19時。さっそく宿へ向かうと、部屋でまっさきに声をかけてきたのが、眞熙だった。

李眞熙。23歳。韓国人。

”Have you done your dinner? If not, How about with me?”
”Great. but I wanna take a shower at first. Let's have together after I finished it”

人と話すことに飢えていたので、とりあえずOKした。3日ぶりのシャワーで、洗濯物も溜まっていたので、シャワー室から出てくるのに1時間かかった。

"Sorry, you may have waited for me so long time"
"No problem. but I thought you were sleeping in the shower room. or dead" 

眞熙は冗談が上手い。早速、近くのスーパーで夕食を買いこんで、宿のロビーでディナーをはじめた。夕食といっても、メインはスナックとビール。ビールはビン8本で3ユーロ (約500円)。安い。

口から、言葉が洪水の様にあふれ出た。自分でも、自分がこれだけ英語を話せることに驚く。沈んだ気分で、自分の心に満ちていたのは厭世観。その反面、次に人と会ったら、こんな話をしようと、頭の中で何度も英語のシュミレーションをしていたおかげだ。

眞熙とは、旅の話、国の話、異性の話、日韓関係の話などをしているうちに、かなり打ち解けあった。高校のときに、韓国の姉妹校と、短期交換ホームステイをしたことがあったので、相手が韓国人なら、いくらでも意思の疎通はできるんだ、という実体験も、大きな助けになった。

さらに、周りには背の高い白人ばかりのこの欧州で、お互いに東アジア人であることは、民族意識を超えて、少なからぬ親近感を生む。初めてあったにしては、かなり突っ込んだ話もした。

眞熙はよくしゃべる。英語を自分のものにした話し方なので、早口でも話せる。それでも、酔いの勢いで意味が理解できてしまうから不思議だ。…余談になるが、英会話に一番必要なのは勢いだと思う。そのためには、酔っ払ってしまうのが手っ取り早い。

沈んでいた自分は、どっかに消えうせた。まったく意味も無く、ただなんとなく来た街で、面白い奴と出会えた。欧州に来て、こんなに楽しく酔ったのは、初めてだった。

この出会いが無ければ、自分はもっと長い期間、荷物を失ったショックから立ち直れていなかっただろう。本当に、眞熙との出会いには感謝している。

その日が、自分の21歳の誕生日であることには、後から気づいた。この出会いは、最高の誕生日プレゼントだった。

中編:旅の恥はかき捨て

後編:エリートの思考文法




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『フリーメイソン』

欧州放浪中、西洋史の勉強をしてるって言ったら、いろんな人に質問された西洋の秘密結社・フリーメーソン。聞かれたら、とりあえず「創価学会みたいなものじゃないですか。『創価学会』って組織があることはみんなが知ってるけど、だれが学会員なのかはわからないでしょ。」ってな感じに答えていました。

歴代アメリカ大統領がメーソンとつながっているとか、ドル紙幣にメーソンアイが印刷されているとか、陰謀論につながりやすそうなところは適当に濁していたつもりだったのですが、繰り返しているうちに自分が気になってきてしまったので、帰国したらきちんと調べてみようと思って手に取った一冊。再読。




最近の陰謀論ブームやダン・ブラウンの小説のヒットなどで、日本でも知名度が上がってきた(もはや存在が公然としすぎてなんら秘密でもない)秘密結社・フリーメーソンですが、その実態は陰謀論的アプローチが強すぎて、多くの誤解があるように感じます。少なくとも、この本で主張されるメーソン観とは一致しません。

著者によれば、その本質は、「理神論」を核とする18世紀の啓蒙結社であったようです。

本書の大部分が近代メーソンの設立期という、西洋啓蒙活動の時代とオーバーラップしており、あまりオカルティックなアプローチはしていないので、他の本と比べると説得力を感じます。キリストの教えに代わって、西洋社会に浸透した「徳」という概念。この徳の高い人間を育み、「普遍的な人類共同体」を設立することが、メーソンの目的だったようです。

著者はあとがきでこう述べています。
ふりかえって、フリーメーソンとは何かと自問してみると、それは近代という世俗化の時代に登場した一種の擬似宗教ではなかったかという気がする(P178)
「科学」「道徳」「理性」いう名の新しい宗教を広めるための、新しい「教会」となったのがフリーメーソンだったということでしょう。

陰謀論に結びつけるためのメーソン論とは明らかに一線を画していますが、そのぶん、一般の方々が知りたがる、「世界を裏から牛耳る秘密結社」的な記述は見受けられません。そういう類の本を求めてる人は、『ダ・ヴィンチ・コード』の解説本とかを読んだほうが楽しめると思います。研究者でもない限り、面白く、楽しく読める本が一番です。実は、(批判的読書を目的としないならば)自分もそういう本は好きです。

また、現代のメーソンの性格についての描写が少ないのが残念。むしろ、西洋の啓蒙思想や神秘主義を勉強する上で参考になる本かもしれません。

といわけで、おそらくフリーメイソンの「全貌」を描いた本ではないのだと思われます。著者の吉村さんは、西洋の神秘主義への興味からフリーメイソンにいきついたとのことで、そのことは本書にも色濃く反映されています。フリーメイソンの「全貌」に迫るレベルの本だと、新書じゃ無理かな?安価で説得力のある本があるなら、読んでみたいのですがどなたかご存知ないでしょうか?

あと、最近はやり(?)の「竜馬はフリーメーソンに操られてた」説も一回読んでみたくなりました。あくまで「楽しみ」のためですよ。こういうの読むと、たぶん教授に怒られる(笑)  次は「織田信長はフリーメイソンに操られていた」「聖徳太子はフリーメイソンに操られていた」説登場しないかなー。絶対面白いと思うんだけどなー。

2008-02-08

欧州で考えたこと05 -信仰編-


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【写真】宗教について考える大きなヒントを与えてくれた、ジェノヴァのアルナールド神父。哲学問答を繰り返すこと、約3時間。とても疲れました…。死後は聖人 SAINT になるのが目標なんだとか。 …燃えろ!俺のコスモ !!

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欧州であった日本人が、合言葉の様に、口をそろえて言うのは「こっちに来ると、宗教について考えちゃうよね」ということだった。実際、自分もそうだった。

自分の名と共に、守護聖人の名を教えてくれたり教会で膝をつき、額で十字をきる人々。いきなりすれ違いざまに、「メッカの方向はどっちだ?」と聞いてくるムスリム(イスラム教徒)。そんな人との出会いが、日常。美術館を巡っていても、宗教画ばっかりなので、聖書の知識がないと、「へぇ」「すごい」で終了。あっちでは、宗教が当たり前の様に日常に溶け込んでいる。

自分は両親がクリスチャンなので、日曜日には教会に行くのが、小さい頃は普通だった。…やっぱ、「行かされてた」が正確かな。今では西洋史専攻のくせに、キリスト教の知識が絶望的にないことに困っている始末なのだけれども。

現地人からは、よく「宗教はなんだ?」と聞かれた。それこそ、異邦人と会ったときの、お決まりの挨拶のように。そのときはいつも、「宗教は神道」と答えることにしていた。生まれたと同時にクリスチャンとしての洗礼を受けてるそうなのだが、キリスト教の教えというのは、自分の肌にはどうしても合わない。

だいたい自分は「左の頬をぶたれたら右の頬を差し出す」ことができるほどの聖人君子でもなく、また、水をワインに変えたりだとか、水の上を歩けたといった類の話を、熱心に信じてもいない。かといって、今までの人生で、仏教にも特に関り無くこの年まで生きてきたし、「輪廻転生」という考え方にも違和感がある。

自分の先祖を、神に近いものとして尊敬しているし、万物に神(魂といったほうがいいのかな?)が宿るという考え方の神道が、自分の肌には一番合う。実際、神社にはよくお参りにもいく。

神道は日本古来の宗教にすぎず、いわゆる「世界宗教」ではないので、あっちでは知らない人も多い。たまに知ってる人もいるけれど、「宗教は神道」と答えると、「どんな宗教なの?」 「何を崇めているの?」と聞かれるのが普通だ。

「神道は、日本の伝統宗教」

「 『八百万 (やおよろず) の神』といって、それはもう沢山の神様がいる」

「感じることさえできれば、森羅万象に神は宿る」

「人は死んだら、神になれる」

「俺にとっての神は、自分の先祖だ」

こんな説明を繰り返すと、最後には「お前が死んだら神様かよ。お前が。ははは」といって、ジョークに巻かれて会話が終わるのが、よくあるパターン。実際、教会の神父さんとじっくり話したことも何度かあったが、一神教が基本のユダヤ・キリスト・イスラム文化圏では、多神教の概念は理解しにくいらしい。というか、多神教、つまり「万物に神が宿る」という考え方を突き詰めていくと、「全てが神なら、結局は神とはなんなのだ?」となって、無神論に行き着いてしまう。これは、汎神論という考え方。実際、汎神論を唱えた神学者は、中世キリスト教世界では異端扱い、火あぶりの刑だった。

神道には、キリスト教を否定しかねない内在的論理が潜んでいる。(まぁ、神道はキリスト教さえも飲み込んでしまう宗教ではあるのだけど)

欧州人にとって神とは「Jesus」という絶対的なものであって、それ以外ではない。八百万の神だの、死んだら神になれるだの、恐れ多いことを平気で口に出してた東洋人をみて、彼らはさぞ不思議だったに違いない。

さて、やって本題に戻って 、「こっちにくると、宗教について考えるよね」という問いに戻ってみる。「宗教」については普段考えることの無い日本人だが、立派な「信念」を持つ人は、なかなか多い。とりわけ向こうでは、自分の生き方を貫いている立派な方々に、沢山出会えた。そんな人たちと話をしていて、ふと思う。

「信念」はある意味、「自分教」と言い換えることが、できないだろうか。

結局、「信念」は、「自分を支える『宗教』」と、いえなくもない。

「自分教」では、教祖様は自分自身や尊敬する先達であり、過去の生き様や実績が、聖書である。自分にとっても、血を引く御先祖様たちの生き様は、キリスト教徒にとっての、ペテロやパウロら、信徒達の活動の記録に相当するものだとも、言えなくもない。

西洋社会では、各家庭に一冊は聖書があるのが当たり前だし、自分の回想録を書くときに、やたら聖書からの引用をふんだんに使ったものが多い。日本にはそんな文化は無いけれども、本屋さんに行ってビジネス書や自己啓発本のコーナーを見ると、社長さんが書いた自伝のような類の本が多いのには、そんな事情があるんじゃないかと、考えた。

彼らは自分の生きた証として、自分の「信念」を、他の人に伝道したいのではないか。「信仰」が無い代わりに「信念」を求める。これが日本人の正体なんじゃないかと、考えてみた。

…どうすかね?