07年11月15日のこと。
チェコの、スラフコフ・ウ・ブルナ Slavkov u Brnaという町を歩いていた。ドイツ名、アウステルリッツ Austerlitz。「三帝会戦」の名で有名な、ナポレオン戦争の大一番。欧州大陸の覇権を巡る、ヨーロッパ版・関ヶ原の戦いの舞台である。
(▲スラフコフ宮殿。現在は博物館。アウステルリッツ関連の展示も盛り沢山)
夕方まで博物館を見学した自分は、学芸員の人から「少し歩いたプラッツ Prace という町に、戦いの記念碑がある」と聞いて、それを目指して歩いていた。周囲の景色は、山と地平線が全て。バスは2時間に一本レベルの、田舎の町。かといって、タクシーを使うほどの贅沢はできない。旅費節約の為に、今日は宿提供の朝食しか食べていない。半分だけ食べて、残りは袋に入れて、明日の朝食にしようと思っていた。そんな貧乏旅行。
…歩けど歩けど、なかなか着かない。
2時間歩いて気付いた。旅行の定番・「すぐそこ現象」だ。地元人の「すぐそこ」と、strangerの「すぐそこ」は全然違う。チェコ・モラビア地方の田舎で暮らす人と、世界有数の東京都市圏に住む人間の「すぐそこ」も、全く違う。
着かない。
雪が降り出し、それはやがて吹雪へと姿を変える。街道沿いを歩いていたので、ヒッチハイクをしようと思ったが、車なんて1時間に1台通るかどうかが関の山。ようやくすれ違った車は、吹雪に隠れた自分の姿を見つけられずに、遠くへと去っていった。
歩くしかない。
が、約30キロあるバックパックを背負って、肩は限界。泥と雪の道を歩き続けて、足もふらついてきた。吹雪に吹き付けられて、体中がかじかむ。なによりも、空腹が耐え難い。
半分残していた、食料の存在を思い出した。バックパックに手を伸ばす。
…ない。
たぶん、さっきバックパックに防水カバーをかけたときだ。吹雪で手元の視界すらかすんでいた。不幸中の幸い。かろうじて、1つのりんごが難を逃れ、バックに残っていた。芯までかぶりつくくらいに、残さず口に入れる。この際、腹を満たせるものなら何だってかまわない。
それでも、まだ目的地は見えない。休めば楽になれるのだろうが、生存本能がその判断に「NO」と
いう答えを突きつける。この疲労と寒さの中で休んだら、本当の意味で「楽」になりかねない。それくらい、強い吹雪に体は弱められていた。落とすくらいならきちんと朝食を摂っておくべきだったが、今更どうしようもない。歩くしかない。
思えば、200年前にこの地で戦った兵士達も、この様な感覚を味わったのだろう。パリを出発し、アルプスを迂回してイタリア・オーストリアでの連戦の果てに、この大地を同じように歩いた。車も鉄道も発明されてない時代、使える移動手段は、士官や騎兵でもない限り、唯一自分の足だけ。
背嚢(=バックパック) を背負い、空腹に耐えて歩く兵士達。自分の境遇と重なる。補給も送れ、以前の戦場で負傷した兵士も多かったことだろう。五体満足で歩いていられるだけ、自分は恵まれているといえる。これだけの思いをして、やっとたどり着いた決戦の場で、たった一発の銃弾と、たった一本のサーベルが、簡単すぎるくらいに、あっさりと人の命を奪ってゆく。これが戦争なのだ。前線から離れ、戦略地図とにらみ合うだけの高級参謀とは、違う世界。何億もの屍を土台として、歴史は積み重なってゆく。そんな当たり前の事実を、今になってやっと思い出した。
そんなことを考えながらさらに1時間歩いて、心に希望がわいてきた。地平線の果てに、うっすらと光が見える。たぶんあれが、記念碑のある町・プラッツだろう。もう何も考える必要はない。機械の様に命令を実行する兵士の如く、ただ前に、足を動かせばいい。ただそれだけだ。そう考えると、少し気が楽になった。
さらに2時間と少し歩いて、やっと目的地についた。吹雪で記念碑の全体像は見えないが、ともかくもここが、アウステルリッツの戦いの主戦場・プラッツ(旧プラッツェン高地)だ。きっとこの下にも、数多くの死体が埋まっているのだろう。
プラッツの高台からは、歩いてきた道が、雪にさえぎられながらも、うっすらと道路沿いの街頭で確認できた。これだけの距離を歩いたことに、自分で驚く。少なくとも、地平線よりも向こうから、自分は歩いてきた。人の生存本能は、なかなか侮れない。
ようやくたどり着いた目的地。眠くならないように注意しながら、頭の中で200年前の戦いを再現する。実際の戦いは、12月02日。今日は11月15日。近い。200年前の兵士達も味わったであろう、この吹雪を体験したことは、無駄ではなかったような、そんな気持ちになれた。
歴史は文章で勉強するものではない。体で学んでナンボだ。静かな興奮で忘れていた、空腹の限界に気付く。地図を確認すると、ここからなら、約2キロ歩けば駅がある。その前に、何か食べよう。もう限界だ。
そう思って、プラッツの町に向かうことにした。「町」という表現ですら大げさに感じられる、「集落」といった規模の場所だが、こんな所でも、食堂のひとつくらいはあるだろう。メニューには何があるだろう。まずはグラーシュスープで体を温めよう。
そんな想像をしながら、早足でプラッツの町へと向かう。…その判断は間違いだったことは、まだ知る由もなく。
【続く】
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-
アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-
チェコの、スラフコフ・ウ・ブルナ Slavkov u Brnaという町を歩いていた。ドイツ名、アウステルリッツ Austerlitz。「三帝会戦」の名で有名な、ナポレオン戦争の大一番。欧州大陸の覇権を巡る、ヨーロッパ版・関ヶ原の戦いの舞台である。
(▲スラフコフ宮殿。現在は博物館。アウステルリッツ関連の展示も盛り沢山)
夕方まで博物館を見学した自分は、学芸員の人から「少し歩いたプラッツ Prace という町に、戦いの記念碑がある」と聞いて、それを目指して歩いていた。周囲の景色は、山と地平線が全て。バスは2時間に一本レベルの、田舎の町。かといって、タクシーを使うほどの贅沢はできない。旅費節約の為に、今日は宿提供の朝食しか食べていない。半分だけ食べて、残りは袋に入れて、明日の朝食にしようと思っていた。そんな貧乏旅行。
…歩けど歩けど、なかなか着かない。
2時間歩いて気付いた。旅行の定番・「すぐそこ現象」だ。地元人の「すぐそこ」と、strangerの「すぐそこ」は全然違う。チェコ・モラビア地方の田舎で暮らす人と、世界有数の東京都市圏に住む人間の「すぐそこ」も、全く違う。
着かない。
雪が降り出し、それはやがて吹雪へと姿を変える。街道沿いを歩いていたので、ヒッチハイクをしようと思ったが、車なんて1時間に1台通るかどうかが関の山。ようやくすれ違った車は、吹雪に隠れた自分の姿を見つけられずに、遠くへと去っていった。
歩くしかない。
が、約30キロあるバックパックを背負って、肩は限界。泥と雪の道を歩き続けて、足もふらついてきた。吹雪に吹き付けられて、体中がかじかむ。なによりも、空腹が耐え難い。
半分残していた、食料の存在を思い出した。バックパックに手を伸ばす。
…ない。
たぶん、さっきバックパックに防水カバーをかけたときだ。吹雪で手元の視界すらかすんでいた。不幸中の幸い。かろうじて、1つのりんごが難を逃れ、バックに残っていた。芯までかぶりつくくらいに、残さず口に入れる。この際、腹を満たせるものなら何だってかまわない。
それでも、まだ目的地は見えない。休めば楽になれるのだろうが、生存本能がその判断に「NO」と
いう答えを突きつける。この疲労と寒さの中で休んだら、本当の意味で「楽」になりかねない。それくらい、強い吹雪に体は弱められていた。落とすくらいならきちんと朝食を摂っておくべきだったが、今更どうしようもない。歩くしかない。
思えば、200年前にこの地で戦った兵士達も、この様な感覚を味わったのだろう。パリを出発し、アルプスを迂回してイタリア・オーストリアでの連戦の果てに、この大地を同じように歩いた。車も鉄道も発明されてない時代、使える移動手段は、士官や騎兵でもない限り、唯一自分の足だけ。
背嚢(=バックパック) を背負い、空腹に耐えて歩く兵士達。自分の境遇と重なる。補給も送れ、以前の戦場で負傷した兵士も多かったことだろう。五体満足で歩いていられるだけ、自分は恵まれているといえる。これだけの思いをして、やっとたどり着いた決戦の場で、たった一発の銃弾と、たった一本のサーベルが、簡単すぎるくらいに、あっさりと人の命を奪ってゆく。これが戦争なのだ。前線から離れ、戦略地図とにらみ合うだけの高級参謀とは、違う世界。何億もの屍を土台として、歴史は積み重なってゆく。そんな当たり前の事実を、今になってやっと思い出した。
そんなことを考えながらさらに1時間歩いて、心に希望がわいてきた。地平線の果てに、うっすらと光が見える。たぶんあれが、記念碑のある町・プラッツだろう。もう何も考える必要はない。機械の様に命令を実行する兵士の如く、ただ前に、足を動かせばいい。ただそれだけだ。そう考えると、少し気が楽になった。
さらに2時間と少し歩いて、やっと目的地についた。吹雪で記念碑の全体像は見えないが、ともかくもここが、アウステルリッツの戦いの主戦場・プラッツ(旧プラッツェン高地)だ。きっとこの下にも、数多くの死体が埋まっているのだろう。
プラッツの高台からは、歩いてきた道が、雪にさえぎられながらも、うっすらと道路沿いの街頭で確認できた。これだけの距離を歩いたことに、自分で驚く。少なくとも、地平線よりも向こうから、自分は歩いてきた。人の生存本能は、なかなか侮れない。
ようやくたどり着いた目的地。眠くならないように注意しながら、頭の中で200年前の戦いを再現する。実際の戦いは、12月02日。今日は11月15日。近い。200年前の兵士達も味わったであろう、この吹雪を体験したことは、無駄ではなかったような、そんな気持ちになれた。
歴史は文章で勉強するものではない。体で学んでナンボだ。静かな興奮で忘れていた、空腹の限界に気付く。地図を確認すると、ここからなら、約2キロ歩けば駅がある。その前に、何か食べよう。もう限界だ。
そう思って、プラッツの町に向かうことにした。「町」という表現ですら大げさに感じられる、「集落」といった規模の場所だが、こんな所でも、食堂のひとつくらいはあるだろう。メニューには何があるだろう。まずはグラーシュスープで体を温めよう。
そんな想像をしながら、早足でプラッツの町へと向かう。…その判断は間違いだったことは、まだ知る由もなく。
【続く】
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-
アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-
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