ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-10-26

一乗寺下り松

近場を攻めようシリーズ、続きます。今回は「一乗寺の下り松


一見、ただの松の木なんですが、何で有名かといえば、剣豪・宮本武蔵と吉岡一門の決闘の舞台として知られています。漫画『バガボンド』でおなじみですね。吉岡の当主・清十郎、伝七郎兄弟をそれぞれ破った後、面子を潰された吉岡道場の一門が武蔵に決闘を挑んだというエピソード。

武蔵は吉岡一門70人を相手に生き残ったというすさまじい伝説で、どこまで信憑性があるかも定かではないみたいですが、一応、ここが舞台です。「宮本武蔵 開悟の地」という看板も。

また、この一乗寺は古くから比叡山より京都に降りるときに通る、交通の要衝です。もともとは松も、その目印として植えつがれているもので、現在4代目。南北朝の動乱の時代には、後醍醐天皇側の楠木正成がここに陣取ったということで、松の後ろにはその記念碑も立っています。
「大南公(※楠木正成のこと)戦陣蹟」
このときは正成が勝利しますが、対する足利尊氏は勢力を盛りかえし京都を奪回。正成は湊川の戦いで戦死し、後醍醐天皇は吉野へと逃れ、以後、南北朝の分裂が決定的となっていきます。

と、上記のように日本史上の有名な戦いの舞台となった一乗寺。現在「一乗寺」の近辺といえば、京都最大のラーメン激戦区として有名です。天下一品の本店もこの近くにあります。というわけで、激しい戦いは現在も続いているのでした…。

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2011-10-23

時代祭

京都3大祭りのひとつ、時代祭にいってきました。

本来、時代祭は桓武天皇が平安京に入った10月22日なんですが、昨日はあいにくの雨。延期されて今日23日に実施されました。葵祭・祇園祭とくらべるとその歴史は浅く、平安神宮が創建された1895年から続いています。

その様子は、各時代の有名な人物を模したパレードが、京都御所から平安神宮まで行進するというもの。さながら、大名行列です。僕らはスタート地点・京都御所の近く、烏丸通りで行列を見ました。

先陣をきる鼓笛隊は、山国隊。幕末に京都で結成された農民隊。初めて知りました。


以下、各時代の有名人・団体が並びます。






結構「誰だこれ?」ってのもいっぱいいた気がします。先日仲良くなったスウェーデン人たちと一緒に行ったのですが毎回誰が誰だか説明するのが、いい英語の勉強になりました。「明治維新」とか「織田信長」っていってもまだわからないので、いちから説明しなくてはいけない。いやー、直前にこれ読んでおいてほんとよかった(笑)



彼らに感想を聞いてみると、「メガネかけてる人が多いけど、あの時代、そんなものなかったはずだよね?」とのコメント。実にごもっともです(笑)

海外の人にとっては、日本のサムライコスプレが見れる面白いイベント。こういったお祭、ぜひ東京でもやってほしいですね。

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2011-10-20

円通寺

妙満寺からは直接帰るつもりでしたが、境内に「円通寺 徒歩20分」との知らせがあったので、そのままいってみることにしました。実際には自転車で5分の移動。

庭園は国の名勝にも指定。宗派は臨済宗。もともとは後水尾天皇(江戸時代初期、「禁中並公家諸法度」などで朝廷が幕府の管理下におかれた時代の天皇)の山荘・幡枝離宮が起源。その後、お寺になりました。

名勝に指定されている庭園は、比叡山の借景で有名です。この構造は、同じく後水尾天皇による造営の修学院離宮(ここも家から近いのでそのうち行きます)と同じ。残念ながら写真撮影は禁止だったので、以下はこちらのサイトからお借りしてきました。


うーん。渋い。この借景に頼った庭園を保存するため、この周囲は住宅地になっていますが、高いマンションなどの建設が条例で制限されいてるようです。ただ、地図をみると円通寺 - 比叡山の間には京都国際会館・グランドプリンスホテルがあるけど、これはいいのかな...?

わび・さびへの理解がない自分には、妙満寺の方が「綺麗だなー」って思いましたが(失礼!)観光客の出入りはこっちの円通寺のほうがにぎわっていましたね。

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2011-10-18

妙満寺

家の近くを散策してみよう、ということで訪れたのは岩倉の妙満寺。顕本法華宗の総本山で、「安珍・清姫伝説」で有名です(後述)。

■妙満寺縁起

顕本法華宗とは、日蓮宗(法華宗)の一派で、日蓮の弟子・日什(にちじゅう)を派祖とする宗派。彼は比叡山で修行し、学頭も勤めた超エリート僧侶でしたが、60を過ぎて読んだ日蓮の書物に衝撃を受け、転向します。ちなみに今年は日什生誕700周年らしく、門で大きくアピールされてます(写真右上)。

創建した寺は応仁の乱(1467-)で荒れ、天文法華の乱(1536)では派祖・日什の古巣である延暦寺の僧兵らによって焼き討ちにあい、堺へと非難。その後すぐに京都にもどるも、豊臣秀吉の京都整備計画にしたがってまたも移転(1583)。最近、1968年にこの地に再度移転して今日にいたります。結構いそがしいお寺ですね。
本堂
高くそびえ立つ仏塔です。ブッダガヤの大塔を真似たものらしいのですが、
日本の寺で仏塔をみるのはけっこう珍しい気がします。
境内は石の模様で水の流れをあらわす枯山水で整備されている。
背景にはなにかと因縁のある延暦寺。
意外な名前を発見。トヨタ自動車の豊田家はこのお寺の檀家総代。
写真上の仏塔には、初代・豊田佐吉以来お骨も収められているとのこと。
もう一つ、このお寺で有名なのが「雪の庭」。俳句の祖ともいわれる松永貞徳による造営。同じく貞徳による清水寺の月の庭、現存しない北野の花の庭とあわせて「雪月花の三名園」のひとつとされています。

残念ながらまだ雪景色シーズンではないのですが、しばらく縁側に座ってゆっくり庭を鑑賞。やっぱり和風庭園っておちつきますな。

■安珍・清姫伝説

さて、この妙満寺の名物である「安珍・清姫伝説の鐘」ですが、実はここに来てからはじめて知りました。後で調べてみると歌舞伎や能で有名、とのことですがまったく知らなんだ…。伝説をおおざっぱにまとめると、以下のようなもの。
熊野にイケメンの坊主・安珍が参拝しにきた。清姫は坊主に惚れて彼に迫るが、安珍は「参拝中の身なので困る。帰りに立ち寄るから」と適当にごまかして逃げてしまう。 
だまされたことを知った清姫は彼を追うが、安珍は別人だと言い張ったり、熊野権現の助けをかりて彼女を金縛りにするなど、とにかく逃げることしか頭にない。頭に来た清姫は姿を大蛇にかえて彼を追いかける。追いつめられた安珍は鐘の中に身をかくすも、大蛇に化けた清姫のはく炎で焼き殺されてしまった。
めでたし、めでたし…とは言えない、なんとも破滅的なラブストーリー(?)。この、安珍が身を隠した鐘が、この妙満寺の宝物館に収められた鐘なんだそうな(写真右上)。意外と小さく、人が隠れられる大きさには見えません。

この鐘が京都にあるのは、秀吉の紀州征伐(1585)の際、武将の仙石秀久が発見して戦のはじまりを告げる鐘として使い、京都まで持ちかえってきたからだといいます。おお、千石秀久といえば、漫画『センゴク』の主人公ですね。そのうちこのエピソードも描かれるのかな。



お寺の中は全体的に整備されていてとても綺麗です。京都の北外れに位置しているので、わざわざこの妙満寺だけ見に来る人はあまりいないかもしれませんが、近くを訪れた際にはおすすめです。

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2011-10-16

スウェーデン人がやってきた

現在、京都のゲストハウス生活を送っています。ただ、ゲストハウスとはいっても完全な個室で共有空間もなし。唯一洗濯機だけ共有の宿なので、実質的にはアパート暮らしと変わりありません。ただ、やっぱりゲストハウスだけあって住人の外国人比率はかなり高いです。

それにしても一週間前くらいからドアの外で外国語を聞く機会が多くなったなー、と思っていたら、まとめて5・6人が引っ越してきた模様。話しかけてみると、こっちの日本語学校に通うスウェーデン人の仲間なんだそうで。10月から勉強を開始し、期間は人によりますが、半年~2年ほど滞在する様です。その日はサタデーナイトだったので、飲みに行こうと集合していたところらしい。んでもって話して早々ですが、自分も一緒に飲みに行くことになっちゃいました(展開早っ!)。

■外国人御用達

彼らの会話は、当然のごとく英会話。

「変なこときくけど、スウェーデン人って、話すのスウェーデン語だよね?」
「そうだよ。でも、今はトヨタもいるし、あっちの奴はカナダ人だしさ」

と、欧州人の当たり前のごとくこなす英会話に改めて呆然。これは軽くコンプレックスになりますね…。まぁ、日本語学校の生徒としては日本語話さなきゃだめだろって気もしますが、このあたり、週末に英会話から解放されて飲みに行くフィリピン留学時代が思い出されて懐かしいです。



大きな地図で見る

彼らはちょっと飲んですぐ移動、を何度も繰り返すのがスタイルの様で、その日だけで4・5件はしごしましたが、おもしろかったのは居酒屋A(あ)。どうも外国人留学生の間では"A bar"として有名なんだそう。雰囲気は普通の日本の居酒屋ですが、お客さん比率は70%くらい外人さんですね。店員さんに聞いてみると「そーですねー。なんか海外の『地球の歩き方』にのってるみたいで、外人さんはよく来られますね」とのこと。ロンリープラネットかなんかかな?

こうやって、外国人目線で夜の京都を遊んでみるのは実に面白い。彼らは普通にからあげとか注文して「おいしい」といってましたが、僕の頼んだもろきゅうには「?」なリアクション。

■日本vsスウェーデン

遅くまで飲んで3時ごろ、数人と先に帰りました。ただ、バスも電車も無いので歩き。四条~僕らのアパートまで実に6・7キロ。自分は歩くの速いってよく人に言われますが、身長190センチがざらな彼らの長い足を駆使した行軍についていくのは結構しんどかった…。

途中、お互いの国についていろいろ話しましたが、スウェーデン人に聞くスウェーデンの実情はちょっと新鮮でした。日本で「北欧」ときくと、高度福祉国家だとか、音楽だったりイケアだったり、なんだか平和でおしゃれで洗練されたイメージがありますが、彼ら曰く

「スウェーデンには何にもない。退屈だ」
「基本的に怠けてばっかりで、日本みたいに一生懸命働かない」
「移民が増えてばっかりで、治安もどんどん悪くなってる」

と、否定的なコメント多数。「日本は北欧に対して幻想があるみたいだけど、実際そこまでいいところでもないよ」と釘をさされました。「北欧に生まれるのは宝くじを引くくらいラッキーなこと」と言われた(by ハマーショルド元国連事務総長)北欧は、過去のものなのか?

一方、日本について聞いてみると、さすがにこっちに勉強しに来ているだけあって、ベタ褒めです。そもそも日本に興味を持ったのは、ほとんどが和製アニメーションで、一番人気は『NARUTO』でした。言われて結構嬉しかったのは、「あれだけの大地震のあとで、被災地で治安が悪化しないのには驚いた。みんな並んで食料の配給をまったり、こんなに行儀のいい国は他にないでしょ」ってことです。ニュースでもやっていた日本賞賛の声は、本物のようです(それだけに、最近の原子力問題ではみんなごめん! って気持ちになりますが)。

これまでも宿で外国人と仲良くなることは何度か会ったのですが、ほとんどが短期滞在の旅行者でした。これから数年滞在する彼らとはこれから長い付き合いになる…かもしれない。

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2011-10-13

『義経』

京都に滞在して、自分の日本史の知識不足を改めて実感してます。僕の日本史の知識は、せいぜいセンター試験レベルの通史と、基本は司馬遼太郎の小説です。司馬遼太郎のおかげで戦国・幕末あたりは人並みに知っているつもりですが、それよりももっと前の時代も読んでみたい、と思って手を出したのが、この『義経』です。

おそらく、司馬遼太郎唯一の鎌倉時代を描いた作品。時代的には、『空海の風景』に次いで2番目に古いんじゃないだろうか? 



この源平合戦の時代小説を読むのは初めてなので、全てにおいて「なるほどー」って思いながら読みすすめられました。印象深かったのは、後白河法皇の存在です。司馬作品に皇族がこんなにも生き生きとかかれるのはかなり珍しいと思います。他にはいないんじゃないかな? 平家を追い落とすために源氏をたきつけ、頼朝の勢力が巨大化すると、それに対抗するべく義経を盛り立て、常に勢力の均衡をはかる陰謀家として描かれています。この小説における名脇役ですね。彼を通して、「常に強者と結びつく」朝廷の性格を描いているのも、この作品の特徴だと思います。


この作品において、義経は一貫して「軍事的才能には恵まれたが、あきれるほどに『政治』というものを理解できなかった」人間として描かれています。作品中には「痴呆」とか「馬鹿」とかいった単語が、義経の形容詞としてこれでもか、ってくらい出てきます。


読んでいて不思議に思ったのは、そもそもなぜ司馬遼太郎は義経を主人公にすえたのだろう? ということでした。司馬遼太郎には、現実的な思考をする人間を好み、理念に走りがちな人物を嫌う傾向があり、それは西郷隆盛よりも大久保利通を(『翔ぶが如く』)、近藤勇よりも土方歳三を(『燃えよ剣』)主人公にすえてきたあたりにも現れています。この時代にあてはめれば、義経よりも頼朝を好みそうな気もしますが。

若干の手がかりになりそうなのは、次の一文。

日本人はこれまでに人気者というものをもったことがなかった。義経においてはじめて持った。
これまでこの国で名を得た者は、朝官としてしかるべき官位、威権があらかじめあり、その地位によって功業をなし、名をあげた。(略)義経は無名のなかから出、一躍人気を得た。そういう人間は古今にあったためしがない…(pp371・372)
上記の反面、明るく英雄気質の人物も好む、司馬遼太郎。日本史上初の「英雄」である義経に惹かれたのは、このあたりかもしれない…。

作品の舞台としての京都にも多く触れられています。鞍馬寺・堀川館跡なども、これからの見学リストに追加ですね。

それにしても、頼朝との対立が決定的になり、都落ちしたあとの描写がなんともあっけなさ過ぎる…。主人公が黄金時代を過ぎるとあまり綿密に描かなくなる、このあたりもなんとも司馬作品っぽいです。


2011-10-12

舟岡山 / 建勲神社

舟岡山と、そこに位置する建勲神社を訪ねました。

■舟岡山ヒストリー

まずは、ざっと舟岡山の歴史から。 

舟岡山は、平安京の都市計画における北の基点になった山です。事実、この山の真南に朱雀大路が伸びていました。風水、そして陰陽五行思想に基づいて、「大地のエネルギーが湧き出る玄武の小山」とされていたそうです。

また、清少納言が『枕草子』で「丘は船岡」と言及しています。当時の平安貴族にとっては、「丘」といばここ舟岡山だったんですね。


応仁の乱の際には、西軍がここに陣地を構えました。この名残が、いまも「西陣」という地名に見受けられます。

戦国時代。本能寺の変で没した織田信長の魂を、豊臣秀吉がこの地に祭ったことから、以後は信長ゆかりの地として記憶されるようになります。明治時代、明治天皇によって正式に信長を祭る神社がつくられることになり、これが建勲神社の起源になっています。

 ■建勲神社

まずは、山の東側、建勲神社から。現地に来て、案内板を読んで初めて知ったのですが、「けんくん」神社ではなく、正式には「たけいさお」神社なんですね。想いっきり間違ってたわ…(通称として「けんくん」神社でもOKだそうです)。

信長着用のヨロイ、桶狭間の戦いで戦利品として持ち帰った刀、太田牛一の『信長公記』(信長研究の基本資料)自筆本など、重要文化財を多数所有。


ぱっと見、普通の神社でしたが、おもいっきり信長を感じさせたのが、この碑。
桶狭間の戦いの前に信長が舞った『敦盛』のフレーズ。

本殿

神社の真東には、信長によって滅ぼされた比叡山 延暦寺が。
見下ろされているのがなんともオツ。
■舟岡山公園

さて、舟岡山公園。実際には建勲神社とつながっているようなものですが、山のすそに自転車を置きっぱなしで神社の本殿まで上ってしまったので、一度下山して、山の西から回り込んで公園へ。

頂上まで登ると、かなり眺めがいいです。Google Earth によれば、標高は約100m。京都盆地が見事に見渡せます。これは、応仁の乱で西軍が陣取ったのも納得。


公園内部

頂上から南側に臨む。北の大徳寺を上から見下ろせないかなーって期待してましたが、
残念ながら木が邪魔でビューポイントを見つけることはかなわず。
それにしても、京都編一発目の記事にしては、えらくマイナー(失礼!)な場所からはじめた気がします。このあたりで観光といえば、大徳寺とか、金閣寺とかがメジャーなんでしょうけども…。ゆっくりいきましょう。ゆっくり(笑)


2011-10-09

そうだ、京都へいこう

さて、一応フィリピンで何していたかの記事は書いたので、そろそろ帰国後からいままで何をしていたのか、これから何をするのかを書こうと思います。フィリピンについてはまだ書きたいことがいくつかあるので、ときどきコラム的な記事をアップし続けることになると思います。乞うご期待。

んでもって帰国後。

実は、本来フィリピンからそのまま東南アジア放浪 → オーストラリアもしくはニュージーランドでワーホリ、って計画だったんですが、事情により一時帰国。そのまま、京都にしばらく滞在することになりました。このあたり事情は話すと長いので端折らせていただきます(笑)


というわけで、まさかの国内、京都編スタート。

おお! なんか「京都編」って『るろ剣』みたいで格好いいな。どれだけ京都に滞在するかは、正直なところ未定です。ただ、この街は歴史好きにはたまらない、というか日本人なら誰をも魅了してやまない観光スポットがこれでもか、といわんばかりにあるので、全然退屈しません。ブログのネタにも困らないので、しばらくは居続けます。

フィリピンから帰ってくると日本の物価の高さに辟易しますが、こっちでアルバイトもしつつ、「国内ワーホリ」的なノリです。英語のあとは関西弁の勉強や…。

とりあえず、左京区の北部にゲストハウスを借りて滞在しています。もはや比叡山のふもと。こっちに少し住んでみて、ようやくここがだいぶ京都のはずれであることを認識しました(笑)


ただ、自転車があれば市内の移動は困りません。祇園・四条エリアへも鴨川沿いにまっすぐ「下る」(おお、この言い方は京都っぽい!)だけですし、実はこっちに来てからまだ一度もバス・電車を使ってない。

と、いうわけで「そうだ、京都へいこう」編、これから神社・仏閣関係の記事が増えることになると思います。

2011-10-02

『Liztomania』

なんとなく、気になった音楽を紹介してみようと思います。今までブログでは音楽にノータッチでしたが、1ヶ月に1回くらい、"Melody of the Month"と題して、その月に聞いた音楽を紹介してみようかと。

フィリピン生活でルームメイトに教えてもらった曲ですが、ここ一ヶ月、頭からこびりついて離れません。

フランスのバンド PhoenixLiztomania (リストマニア)。



そのメロディはともかく、歌詞の意味がさっぱり分からないのが、逆に興味をそそります。

一行ごとなら訳せるんですが、それを並べてみると、さっぱり意味が分からなくなってしまいます。ストーリーにならない…。しかも調べてみると、「リスト」って作曲家・ピアニストのリストのことなんだそうで、これによってますます意味が分からん…。誰か邦訳もっている人がいたら教えてください(これ、そもそも訳せるのか?)。

"These days it comes it comes ... it comes and goes"って英語の響きが好き。