ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-06-18

フィリピンの戦後事情

【フィリピン歴史物語02】
承前:日本統治時代まで
お待たせしました。こんなの書いても誰も読まねぇだろ、と思いきや、こっちに留学中の学生仲間には意外と好評(?)をいただいている「フィリピン歴史物語シリーズ」第2回。授業中、先生に歴史・政治の話をされて「ぽかーん」ってなっている人の助けになれば幸いです(笑)。

■フィリピンの現代史を理解するにあたって

2回目の記事を書くまでにだいぶ時間がかかりました。遅延の原因は、フィリピンの「歴史」というより、政治風土を理解するまでに時間がかかってしまったからです。フィリピンには日本とは違う政治文化がいくつかあります。

たとえば一例をあげるなら、People's Power。「民衆の力」とでも訳したらいいのでしょうか、人々が大規模なデモ・暴動を起こすことによって、大統領が交代してしまうことがあるのです。その最たる例は1986年のエドゥサ革命ですが、それについては後ほど詳しく書きます。デモで首相が交代する、というのは、今の日本では考えられないですね。まぁむしろ、日本でもデモを起こして、とっととポンコツ菅を辞めさせてほしいものですが。
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(▲2001年、エストラーダ大統領を退陣に追いやった第2次エドゥサ革命の写真。革命の聖地・エドゥサ聖堂を中心に何千もの人々が抗議のために集結した)

それはともかくとして、日本で首相を辞めさせようと思ったら、基本的には首相の自発的な辞任を待つか、内閣不信任案の提出を待つしか方法はありません。ですが、ここフィリピンでは、軍部のクーデターや民衆のデモによって、つまり「制度の外からの力」によって、制度内の政治に大きな影響がおよぼされることがあるのです。「制度の外からの力」というのは、要は「違法な手段で」ということです。これがフィリピンの政治の特徴で、政治の制度も把握した上で、制度外の力が現実の政治に大きな影響を与えることを知っておかないと、フィリピンの現代史は理解できません。

■フィリピンとアメリカ

さて、前回の記事では第2次大戦の終結と、第3共和国の成立(1946年)まで書きました。まずはざらっと、戦後のフィリピンの状況に触れてみます。

第3共和国初の大統領(第1共和国から数えると、第5代)になったのは、マニュエル・ロハス(Manel Roxas)です。彼が大統領として担った主な役割は、言うまでもなく、戦後フィリピンの復興でした。ただし、第2次大戦でめちゃくちゃに荒廃した国土を復興させるには、膨大な金額とマンパワーが必要です。そこでロハスが頼ったのが、アメリカでした。ロハスは戦前から活躍するベテランの政治家で、特に戦時中、アメリカ軍とフィリピン政府を結ぶ連絡係(liaison officer)としての役割を負ったことから、マッカーサーとのコネクションももつ、親米派です。彼はアメリカとのコネクションを生かし、フィリピンの戦後復興をすすめます。

ここに、戦後フィリピンの基本的な立ち位置が決まりました。経済・軍事上の支援をうける代わりに、アメリカの意向を無視できくなってしまった。率直に言えば、アメリカの属国になったということです。一応、第3共和国というのは成立と同時にフィリピンの独立をも意味するのですが、結局は日本にとられた植民地を、アメリカが取り返しただけのこと。これが現実です。

この時期、アメリカにとってもフィリピンは手放すことのできない土地でした。その理由は、世界地図を見れば一目瞭然です。南シナ海をはさんでフィリピンの対岸に位置するのは、ベトナムと中国。それぞれ1945年にホー・チ・ミンによってベトナム民主共和国が、1949年には毛沢東により中華人民共和国が建国されています。どちらも、名前からわかるとおり共産主義国家です。冷戦体制のもと、アメリカは資本主義陣営の代表として、アジアにおける共産主義の拡大を許すわけにはいきませんでした。アメリカの同盟国(ときにどこかの国のように、「属国」と同じ意味で使われることが多い)として、共産主義に対する防波堤として機能したのがフィリピンでした。
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(▲地図を見れば、アメリカにとって日本・韓国・台湾・フィリピンは、ソ連・中国など、ユーラシア大陸から太平洋を脅かす勢力をくい止めるための防波堤であることがわかる)
ちなみに、時代は変わってもアメリカとフィリピンの関係は変わりません。共産主義はソ連の崩壊(1991)とともに滅び去りましたが、今ソ連に代わってアメリカを脅かしているのが、中国です。太平洋への進出をもくろむ中国に対してフィリピンは相変わらず防波堤としての役割をアメリカから期待されています。いわゆるスプラトリー諸島(南沙諸島 Spratly Islands)の領有問題がそれですね。

さっきは「フィリピンと日本の政治文化は違う」と書きましたが、このあたりの事情は、むしろかなり似通ってますね。日本もフィリピンも、地政学的にはアメリカにとって欠かせない大切な同盟国であると同時に、都合の良い「子分」でもあります。
【マニュエル・ロハス】
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第5代大統領。在位1946 - 48。日本統治時代は親日政権に協力するも、アメリカとも裏でつながっていたといわれる。フィリピン・コモンウェルス最後の大統領にして、第3共和国初代の大統領に就任。基地協定やアメリカに有利な貿易ルールを定めるなど、アメリカの強い影響下にあった。1948年、心臓マヒにより急死。彼の後は、副大統領キリノが継ぐことになる。

■フックバラハップ

ただし、日本も同じ状況ですが、親アメリカも度が過ぎると、それに反発する勢力が現れます。その代表が、フックバラハップ(Hukbalahap)です。日本語の文献では「フク団」と略して記述されることが多いですね。彼らはもともと抗日ゲリラ軍でしたが、終戦後に内部で共産主義勢力が主導権を握ったことから、資本主義の排除を目指す思想を帯びるようになります。また、スペイン統治時代から存在する、スペイン・アメリカ・日本など、海外からの侵略に対して抵抗してきたゲリラの流れをくむ組織であるため、ナショナリスティックな性格が強いのも特徴です。

日本軍との闘争を終えた彼らにとって、新たなる打倒の対象は、主に以下のとおりです。

  1. 外からフィリピンをコントロールしようともくろむ、アメリカに代表される外国勢力
  2. 大地主に代表される、フィリピンの資本家、既得権益層
  3. それらを支持基盤、もしくは協力者とし、貧困に対して有効な政策をうたない政府
彼らはもともと神出鬼没のゲリラ戦法を得意とする武装集団で、都市部ではなく、農村に支持基盤をもっています。農村の人々は、腐敗した政府ではなく、身近にいるフックバラハップをかばうわけです。こういう相手ほど、正規軍にとっては相手しにくい。今、アフガニスタンで世界最強のアメリカ軍がイスラム原理主義テロリストに苦戦しているのと同じ状況です。まともに戦ったら、正規軍のほうが強いのですけれども、山奥やジャングルに逃げ込まれたら、現地の地理を熟知しているゲリラの方が強い。しかも、彼らは一般民衆と見分けがつかないので、正規軍にしてみればどこまでを打倒の対象とすればよいのかわからない。

事実、彼らの勢いはすさまじく、一時は首都マニラを占領する寸前のところまでいきました。首都マニラの陥落は、政府の崩壊を意味します。ときの大統領、エルピディオ・キリノ(Elpidio Quirino)は彼らとの和平交渉を試みますが、失敗。キリノ政権時代、フィリピンは順調な復興をとげますが、唯一の頭痛の種が、このフックバラハップでした。彼らは先ほど触れた「制度の外の力」の典型ですね。日本で反政府組織が現実の政治を脅かすことは、めったにありません。
【エルピディオ・キリノ】
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第6代大統領。在位:1948 - 53。ロハス政権で副大統領・外務大臣を兼務。ロハス大統領の死後、大統領に昇格。米比同盟にのっとり、朝鮮戦争(1950 - 53)に参戦したのも彼の在位中のことだった。彼の在位中、フィリピンは順調な経済成長をとげるが、反政府組織に対しては有効な政策をうてなかった。
彼らの反乱に対して有効な手をうてなかったキリノ政権の中で、ただひとり有効な手段をとることができたのが、ラモン・マグサイサイ国防大臣(Ramon Magsaysay)でした。彼がフックバラハップの討伐に成功したのには、理由があります。
…とここで、いいところなんですけれども、ここで一度話をとめます。マグサイサイについては書きたいことがたくさんあるので、このまま続けると、記事が長くなりすぎてしまいそうです。次回、マグサイサイのフックバラハップ討伐と、彼が大統領になってからの話をしたいと思います。
次回の記事に乞うご期待!

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