ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-09-04

エドゥサ聖堂


【2011.07.29】
本日から本格的なマニラ散策を開始。本日はここケソンから、マニラの中心部、イントラムロス周辺まで移動します。

午前中はゆっくり起きて、ネットを使いたかったので宿の向かいのSM North でカフェごもり。フィリピンでは、こういう大きなショッピングモールでは、大体フリーアクセスのWi-Fiが使えます。


午後から移動開始。経路はMRTを使ってタフト駅まで戻る → LRTに乗り換えてイントラムロス近くのUN駅らへんで適当に下車、を予定。マニラを時計回りに3/4周する大移動。ただ、移動の途中に是非見ておきたい場所があったので、MRTのオルティガス駅(Ortigas Station)で途中下車。目的地は、エドゥサ聖堂(EDSA Shrine)です。 


フィリピンの現代史を語る上で欠かせない、エドゥサ革命(1986年)。政権に抗議する100万人の群集が、20年にわたる独裁を行ったマルコス大統領を国外逃亡へと追いやったことから、人民の力による革命(Peoples Power Revolution)とも呼ばれます。

このエドゥサ革命を記念して作られたのがこの寺院です。1989年建立。以後、革命の象徴として栄え、これ以降、反政府デモや実際のクーデター・革命が起こるときはいつも、まずここに人が集まります。日本で言ったら、渋谷の山下公園、代々木公園みたいなもんでしょうか。

EDSA Ⅱ(第2次エドゥサ革命)の様子。聖堂前の交差点に何万もの人々が集結。
ここではShrine を聖堂、と訳しましたが、マニラ司教区に属する、れっきとしたキリスト教の教会です。実際、内部ではミサをやってました。

行ってみて驚いたのは、周りはパシッグ・エリアの高層ビル街。かなり近代的なビルが並びぶ商業エリアです。しかも目の前はショッピングモールになっている。映画館・本屋・ロビンソンデパートなどが入ったコンプレックスです。

革命の中心地の目の前がショッピングモールってこれ、いざってときは略奪とかで大変なんじゃないですかね。物資の補給って意味では、絶好のポジションかもしれませんけれども。

聖堂の中心にどてーんと立つのは、EDSAの聖母(Our Lady of EDSA)または平和の女王(Queen of Peace)と呼ばれる革命の象徴らしいのですが、キリスト教的な位置づけでは、聖母マリアでもあるそうです。

このあたりの神学的な解釈はよくわかりません。やっぱフィリピン独特なのかな。

イエスの母でもある聖母マリアが、同時にエドゥサ革命を導いた女神でもある。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』みたいな存在が、キリスト教信仰と結合しているのかもしれません。

右の画像は、地面に埋め込まれた記念碑。エストラーダ大統領を追い出したEDSA Ⅱ(第2次エドゥサ革命)のときのものです。

エストラーダの副大統領でありながら、革命勢力を率いて後任の大統領におさまったグロリア・マカパガル・アロヨの名前が大きく刻んであります。

彼女もこの後、政権運営に困難をきたし、この聖堂を中心とする反政府デモやクーデターにさんざん悩まされるのですが、それでも自分の名前を、さも革命の申し子とでも言わんばかりに残しておくあたり、図太いというかなんというか…。

最下層の壁には、EDSA革命~第2次までの流れをあらわすレリーフが。

マルコスの辞任を求める人々
政権の転覆を勝ち取った民衆
エストラーダの辞任を求める人々
エストラーダの辞任後、宣誓する新大統領アロヨ
正面に立って、頭の中で革命の情景を「妄想」して見学終了。

その後、予定通りMRT → LRTと乗り換えてイントラムロス周辺まで移動。ちょうど夕方の帰宅ラッシュで、車内はかなり混んでいます。でかいバックパックが邪魔で仕方がない…。


それにしても、本日はやったら熱くて、しょっちゅう水分補給やら一服タイムを設けていました。だらだらと市内見学をしていたので、実質的に見学したのはこのEDSA聖堂のみ。いかん…。

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