【2011.08.01】
マラカニャン宮殿を出て、次に目指すのはサント・トーマス大学。マカラニャンからMendiora → Quezon と通り沿いに歩きます。ん? ケソン通り? これはあれですね。以前待ち合わせに使おうとしたケソン・メモリアルパークまで続いている道ですね。なんとなく、高架下の雰囲気が246沿いの風景に似てなくもない?
University of the east。直訳すれば「東大」だ! |
■サント・トーマス大学
校門を入ると、おそろいのジャージをまとって体育の授業? をしている一群に遭遇。2本の棒を持って、ずらっと並んでいます。たぶんこれだけじゃ何やってるのかわからなかったと思うんですが、運よく昨日しょーへいさんが話していたのを思い出しました。加えて、さっきよった本屋にもそれらしき本が並んでいたので、すぐにピンときました。これ、フィリピンの伝統武術で「カリ」というらしいです。しょーへいさん曰く、スペインがフィリピンの植民地支配を進める上で、カリを駆使する山岳民族の抵抗に相当てこずったとかどうとか。
あくまで練習だったので、僕が見たのはここまですばやい動きではありませんでしたけれども、流石に先生にはなんともいえぬ風格が漂ってました。大学でこういう伝統武術教えてるって、いいですね。
シンボルとなっている、メインキャンパス。中に入ると… |
学生がめっちゃいっぱい。おそらくはフィリピンの未来を担うエリートたち。 |
今年はちょうど創立400周年です。古い! |
ボニファッシオは、簡単に言うとフィリピンの独立革命を戦った革命家、あるいはゲリラの親玉です。割と平和路線の独立を目指していたリサールと比べて武装蜂起ありきの革命を志向していましたし、フィリピンのエリート・資産家を中心としたアギナルドの一派と比べても、庶民派かつ平等思想の持ち主であり、リサール死後につくられた革命組織、カティプナンの中ではアギナルド派に追いやられ、処刑されてしまいます。
リサールと並ぶ英雄であることは間違いないのですが、最後まで武力革命を目指したことから、アメリカにとって彼の存在は都合が悪く、その影響化にある歴史観のうえでは不当に評価されている面も否めません。実際、リサールの銅像はフィリピン全土でこれでもか、というくらいに見受けられますが、ボニファッシオの銅像を見るのは、この銅像が初めてです。このあたりの、リサールとボニファッシオの評価について、現地でであった元政治学教授から興味深い話を聞けたので、そのうち記事に書きたいと思います(→こちら)。
一応、大きくて目立つ場所には立っているんですが、 ロータリー交差点に囲まれているため、島に渡るのが一苦労。 あまり親しみやすい場所にあるとはいえませんね。 |
■空港へ
もうLRTはラッシュの時間だったので、バックパック背負ってLRTに乗るのは非常にしんどい…。ので、タクシーで宿まで移動。
【フィリピンの旅 マニラ編】
・マニラ滞在記 01 -マニラ到着-
・マニラ滞在記 02 -ケソン合流作戦-
・マニラ滞在記 03 -スモーキーマウンテン-
・マニラ滞在記 04 -エドゥサ聖堂-
・マニラ滞在記 05 -リサール公園 / 再会-
・マニラ滞在記 06 -イントラムロス(前編)-
・マニラ滞在記 07 -イントラムロス(後編)-
・マニラ滞在記 08 -ムスリム街-
・マニラ滞在記 09 -聖トマス大学 / ボニファシオ-
・マニラ滞在記 10 -帰国-
【フィリピンの旅 記事一覧】
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