ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-09-11

イントラムロス(後編)

承前:イントラムロス(前編)

【2011.07.31】

教会・博物館の見学後の目的地は、イントラムロスの核であるサンチャゴ要塞(Fort Santiago)です。イントラムロスのうち、砦としての体裁を残している部分であり、内部には国の英雄・リサールの記念館があります。
大砲と砲弾。なんか要塞っぽい。
「要塞」といっても殺伐とした雰囲気ではなく、内部は整備された公園に

リサール記念館では、彼にまつわる展示品がいろいろ。折りしも今年は彼の生誕150周年記念なので、フィリピン中でリサールの姿をみかけます。そもそも、だいたいどの小学校にも彼の銅像があるくらいです。日本で言ったら、二宮金次郎と坂本龍馬を足して2で割ったようなものか。
リサールの医療道具。彼は医者でもあった
リサールの日本人妻・おせいさん
マニラの中心を流れるパッシグ川にも面する
近日の台風をうけて、川は増水気味
公園内部には要塞の面影を残す狭い通路も

大砲ごっこ。
それにしても城壁の上は、水溜りが多くて歩きにくい…。
要塞・記念館の見学後、そのままイントラムロスの外壁を時計回りに歩いて、マニラを南下します。
イントラムロスの城壁からエルミタ地区の高層ビル街を望む。
どことなく、皇居から見る丸の内のビル街を彷彿させます。


本日最後の目的地は、イントラムロスの外になりますが、日本の戦国武将・高山右近の銅像です。


キリシタン大名であった彼は、秀吉のバテレン追放令に反発。全ての領地を失いますが、引き換えにキリスト信仰を守りました。その後、小西行長や前田利家らの庇護によってかくまわれますが、徳川時代になるとついに国外追放に。
銅像の場所は、上記地図外、PNP(フィリピン国鉄)のペトロ・ジル駅前。
LRTにも同名の駅があるので注意。タフト通りからジプニーで行くのが楽。
1614年、他の神父やキリシタンとともにマニラへと旅立ちました。到着後すぐの1615年に死亡しますが、現地総督との交流があった彼は、聖アンナ教会にてマニラ市あげての大葬儀で見送られます。荒木村重の謀反とか、千利休がらみの話とか、戦国史のいろんなところで名前がでてくる大名です。400年も前にマニラに移住した、在比邦人の大先輩。


…さて。本日の散策はこれにて終了。


今日はいろいろ見学できました。いままでのだらーけた旅から脱却して、ようやく旅人魂を取り戻しつつ…ある気がする。うん。
本日の地図。歩いた距離はたいしたことないんですが、
一日中雨だったので、いやー、濡れた濡れた。


【フィリピンの旅 マニラ編】
・マニラ滞在記 01 -マニラ到着-
・マニラ滞在記 02 -ケソン合流作戦-

・マニラ滞在記 03 -スモーキーマウンテン-
・マニラ滞在記 04 -エドゥサ聖堂-
・マニラ滞在記 05 -リサール公園 / 再会-
・マニラ滞在記 06 -イントラムロス(前編)-
・マニラ滞在記 07 -イントラムロス(後編)-
・マニラ滞在記 08 -ムスリム街-
・マニラ滞在記 09 -聖トマス大学 / ボニファシオ-
・マニラ滞在記 10 -帰国-

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