ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2010-10-30

70年来の風景(2010.09.06)

前日は遅くまで飲んでいたので、祖父に起こされて遅めの起床。ところが、朝食をとりに部屋を出ようとすると…

「わりぃ、俺風邪ひいたみたい。今日ダメだわ」

弟、まさかの風邪ダウン!

まぁ、慣れない旅と興奮で体調のペースが崩れたのかもしれません。仕方がないので、弟を部屋に残し、午前中は祖父と二人で小樽を見下ろす天狗山へ向かいました。残念ながら雨が降っていますが、空には雲にの途切れもあるので、途中で晴れることを祈りつつ出発です。駅前からバスに乗って、まずは天狗山ロープウェイ乗り場まで向かいます。

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▲小樽駅前。空は青いが、実際にはお天気雨。

すでに触れたように、小樽は祖父が幼いころに住んでいた街です。バスでの移動中、祖父は小樽の景色を見ながら僕に昔の思い出を語ります。

「昔あのへんに住んでいたんだ。ちょうど、あの路地の裏あたりに」

「あの坂はずいぶんと急勾配だろう。毎日上るのが大変だった。みんな地獄坂と呼んでいたんだ」

もう何10年も昔の話ですが、昔確かに、祖父はこの街で暮らしていたんだなぁと実感しました。

ロープウェイに乗って、山頂へ。天狗山の街に面した斜面は、冬にはスキー場として使われ、このロープウェイもスキー客を山頂へと運ぶリフトとして活用されます。もちろん、祖父が小樽に住んでいたころにはこんなものはなく、歩いて山頂までのぼり、街のふもとまで直滑降で滑って降りてきたそうです。

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徐々に高度を増していくリフトに乗りながら、

「速いやつはなぁ、山頂から…そう、あそこに見える学校のあたりかな。昔はなかったんだけれども、あのあたりまでは昔はまだスキー場になってたんだ。あのあたりまで、だいたい2分くらいですっ飛ばして滑り降りていったもんだよ。俺はそんなに速い方じゃなかったから、あそこまで滑るのに3分くらいかかったけれど」

と語る祖父。山頂の駅に着くと、その景色に感動しました。ちょうど雨も止み、雲は残っているものの青空が広がって、かなり遠くまで見渡せます。

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▲小樽の風景。昨日の夜に散歩した埠頭公園、運河沿いの町並みも見える

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▲小樽・石狩湾を背景に祖父と。

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▲西側の第2展望台から。

しばらく一緒に天狗山を散策してから、以前と比べてだいぶ足腰の弱くなった祖父をロープウェイ駅のカフェに残し、自分は一人で天狗山のトレッキングコースを歩きました。地図をぱっと見た感じ、10分くらいで一周できるかな、と思っていたら、割と本格的な登山道です。結局、1週するのに早足で30分近くかかりました。

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▲天狗山トレッキングコース

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▲雨が上がって、むしろ日差しが強くなってきました。トレッキングで汗をかいた後は、小樽を見下ろせるカフェで一服。



祖父が小樽に住んでいたのは10歳くらいまで。その後、何度か旅行で小樽には来ていたそうですが、天狗山に登る機会には恵まれず、ここに来たのは実に約70年ぶりとのこと。山頂から見る小樽の町並みは、当時と比べるとだいぶ変わっているはずですが、それでも祖父は思い出に残る景色と現在のそれとを見比べて、自分の幼いころを振り替えてっているようでした。地元の人と会うたびに、「小さいころここに住んでたんですよ。いやぁ、懐かしい」と挨拶する祖父はとても嬉しそうに話し、その顔には幼さが戻っているようにも感じられます。

「いやぁ、天狗山には何度も来ようと思ってたのに、ずっと機会に恵まれなくってね。やっと念願が果たせた。今日で…寿命が5年くらい延びたよ。」

自分はまだ20年そこらしか生きてないので、70年ぶりに見る景色、というのはその目にどう見えるのか、想像もつきません。が、祖父の満足そうな顔を見ると、ここまで一緒に来て良かったなと改めて思いました。

ロープウェイの駅では、小樽の古写真展が催されており、明治・昭和時代の小樽が白黒写真で展示されています。幸運にも、懇意になった駅の職員さんからそのコピーを譲ってもらうこともできました。天狗山から見る小樽は本当にいい景色です。まだ昼ですが、今日はもうこれだけでも満足。

惜しむらくは、小樽の夜景を天狗山から眺めることができなかったこと。この日はこのあと午後に札幌まで移動しなくてはならなかったので、残念ながら今回はお預けですが、またいつか、小樽の夜景を天狗山から望むべく、もう一度来ます。いつになるかはわかりません。ただ、70年たってようやく念願を果たした祖父を見ると、人生長いスパンで考えようって気にもなります。

中心街に戻ってから昼食をとり、宿で寝込んでいる弟を見舞ってから、自分はここで一度2人とお別れです。祖父と弟は小樽にもう一泊していきますが、自分は一足先に札幌へ向かいます。この旅のそもそもの目的でもある、友人との再会のために。





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▲駅前から港に向かって伸びる中央通。そのまま第3埠頭までつながる。見えにくいかもしれませんが、通りの奥にある白い構造物がフェリーです。駅とフェリーがダイレクトにつながっているなんて、洒落た都市設計です。



2010-10-29

『シリコンバレー精神』

『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』でおなじみ、梅田望夫氏の著作。一応、奥付は2006年8月の初版ですが、2001年発行の『シリコンバレーは私をどう変えたか』の改題です。



■梅田本の謎がとけた!
書かれている内容は、96年秋から01年夏にかけてのシリコンバレー情勢についてなので、2010年を生きる僕らが「シリコンバレーのフレッシュな情報」を求めてこの本を読んでも、たいした収穫はないかもしれません。それでもこの本について書評を書こうと思ったのは、ずっと抱いていた、「なぜ梅田さんの一連の著作からは、他のWEB論からは感じることのできない、強い希望を感じることができるのか」という疑問に答えうる、明確な一文を発見したからです。

以前、斎藤孝氏との対談『私塾のすすめ』でも触れましたが、梅田さんの一連の著作からは、くさい言葉でいえば、「未来への無限の可能性」を感じられるというか、読んでいてとても明るい気持ちになれるのです。梅田さんの本には、「世界を良い方向に変える」ことに対してクレイジーと言っても差し支えないくらいに本気で取り組んでいる人々が数多く登場します。そして、人が何かの能力を鍛えようと思ったら、WEBの力を使って距離やお金などの制約を受けずに効率的・効果的な学習がいくらでもできるんだと、いう事例がいくつも紹介されています。これらを読んで、自分は本当にいい時代に生きているんだなぁ、といつも明るい気持ちにさせられますし、読んでいて自分の中に興奮とやる気が沸いてくるのをいつも感じます。少なくとも、何か好きなことに没頭する、ということをこれほど力強く肯定してくれる本に、僕はこれまで出会ったことがありませんでした。

そんな梅田本の「明るさ」や「未来を力強く肯定的に捉えるメンタリティ」はどこから来ているのだろう、というのは、初めて梅田さんの本を読んでからずっと抱いていた疑問でした。

本書の巻末、「文庫のための長いあとがき」に次の文を見つけたとき、その謎がとけたような気がしました。
近未来の方向について、その時点その時点で自分なりの判断を下し(未来から振り返れば間違いだらけであろうとも)、苦しくても断定する表現を心がけてきた。むろん、両論併記の誘惑は常にあった。日本では、オプティミズムに基づき未知の可能性を描くより、ネガティブな問題提起や批判を書くほうが、また判断を下すよりも判断を保留し両論併記をする方が、無難で受容されやすいからだ。
あえて判断と断定にこだわったのは、考えたことを行動に結び付けるには、どうしてもそれが必要だったからだ。そしてもう一つ、断定的表現でモノを書き、それが多くの人の目に触れるということは、自らに強い緊張を課すことになる。迷った挙句に強い表現をした文章は記憶に残る。その記憶が自らに反省を促す。「あそこまで強く断定するのではなかったなぁ」と悩みながら、断定対象の推移を同時代的に眺めつつ考えるのは厳しく辛いことだ。でもそれが人を成長させる。(pp299・300)
ただ楽天的な観測に基づいて「WEBの未来は明るい」と主張されているのではない。情報を吟味し、自分で「断定」することのリスクを負う。その上で人に希望を与えうる文章を書く。それが梅田節だったんだ、とうことがこの一節から伝わってきました。梅田節の「力強さ」は、この梅田さんの「物書きとしての覚悟」に支えられていたんですね。

氏は「本書は、『シリコンバレー精神』でモノを書くということはどういうことなのかを、常に意識しながら書いた」とも述べています(p298・299)。そして「シリコンバレー精神」を「限られた情報と限られた能力で、限られた時間内につたないながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する」ことだと定義しています(p273)。いわば、シリコンバレーについてシリコンバレー精神に基づいて書いているのが梅田さんの本だったわけです。明るい未来を描いてはいるのだけど、同時に迫力もあったのは、この相乗効果のせいだったわけです。

■シリコンバレー精神は普遍的な価値観

なんだか『シリコンバレー精神』の書評というより、梅田さんのメンタリティ分析みたいな内容になっちゃいましたが(笑)、これってシリコンバレーに限らず、モノを書く、主張する、あるいは何かを人に伝えるうえで、欠かせないものなんじゃないかって気がしました。その時点でできる限りの努力しつつ、リスクを負って断定表現をする。そうした上で口から出る言葉からは、常に他人を動かしうるエネルギーや迫力が感じられます。「シリコンバレー精神」に基づいて動く人間は、洋の東西を問わず、人を動かすエネルギーをもっているのではないか。

本書に限らず、梅田さんの本はシリコンバレーやWEBの世界で起きていることが著述の中心にありますが、その根底には、氏の、あるいはシリコンバレーに生きる人々の人生観めいたものが感じられます。単なる技術論ではなく、人生論。それも梅田本の魅力なのでしょう。そしてそれに読者が共感し、一定の支持を得ているのは、梅田さんの人生観や本書の定義する「シリコンバレー精神」がシリコンバレーだけに特有のものではなく、ある種の普遍性を持っているからなのではないでしょうか。
「限られた情報と限られた能力で、限られた時間内につたないながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する」というのは、人が他人に対して真摯に接するうえでのマナーだともいえます。そして、そうやって行動する人は魅力的ですし、そうやって行動することは人を成長させます。僕には、「シリコンバレー精神」に基づいて行動する人間は、洋の東西を問わず、どこでも一定の評価を得ることができるように感じます。つまり、「シリコンバレー精神」は人類に共通する普遍的な価値観なのではないか…。

自分も、つたないながらもこうやってブログで世に情報・意見を発信しているわけですから、これからはもっと真摯な態度で文章を書かないとだめだなぁ、と改めて思いました。リスクを負っても、これからは「らしい」とか「だそうだ」などといった表現をなるべく使わないように心がけます。それが、自分の成長につながるのですから。

2010-10-28

港町の夜景(2010.09.05)

■苫小牧上陸

9月5日。船内で起床。立ち上がってうまく歩けないのは、寝ぼけているせいなのか、船のゆれのせいなのか。12時の苫小牧入港予定時刻まで、船内のロビーやデッキに出て時間をつぶします。

今日も快晴なので、遠くの海まで見渡せます。

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▲遠くに見える本州。おそらく、下北半島あたり。

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▲洋上の休日。

写真に収めるのは失敗しましたが、たまに、海上に水しぶきが見えます。船員さんに聞くと、おそらくイルカだとのこと。

そして徐々に近づいてくる苫小牧港。

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13:30、ついに北海道に上陸。ここから、バスを乗り継いで小樽を目指します。中継地・札幌では、大都会ぶりに驚きましたが、素通り。札幌には後でまた訪れます。

■小樽夜景散策

夕方、小樽に到着。駅前の宿をとって一休みしてから、夕食です。小樽は寿司でも有名ですが、なにせ祖父・自分・弟は食の好みがまったくかみ合わないので、どこで何を食べるかを決めるのも一苦労。結局、中華料理屋で、自分と弟はラーメン、祖父は天津飯という、どこにも小樽らしさのない夕食メニューに。まぁ、旨い中華料理屋だったので、それはそれでよかったのですが。

本日はほぼ移動だけの一日でしたが、それも悔しいので夕食がてら、小樽の夜景を散歩します。夕食を食べたアーケード街では、何かと榎本武揚の姿を目にします。

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榎本武揚といえば、幕府軍の海軍副総帥(事実上はトップ)で、北海道まで転戦しつつ新政府軍に最後まで対抗した幕臣。最後の激戦地・函館でならわかるのですが、なぜ小樽で榎本? と思って調べてみると、この良港・小樽に目をつけて開発を進めたのは榎本なのだそうです。まったく知らなかった情報ですが、こういう風に、地理から見えてくる歴史ってありますよね。これも旅の醍醐味のひとつです。

榎本武揚の軌跡たどる ゆかりの地マップ完成 後で知りましたが、こんなマップがあるなら、もらっておくべきだった…。

祖父はすぐに宿に戻りましたが、兄弟二人で夜景散策続行。駅前から伸びる中央通を下りつつ、有名な小樽の運河沿いに夜の町を散歩。地元の方が、ボランティアで夜景をバックに写真を取ってくれるサービスをやっていたので、取ってもらったのが下の写真。

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やっぱり、街の中に水路があると景色が映えますし、歴史を感じさせます。

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このまま埠頭公園のあたりまで散歩して宿まで戻りましたが、帰る途中で妙なものに出くわしました。街の中に、一本の線路がさりげなく敷かれているのですが、踏み切りもなく、また電車が通っている気配もありません。

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しばらく疑問に思いつつ、線路沿いを兄弟でスタンド・バイ・ミーが如く歩いていると観光案内版がありました。実はこれ、実際に使われていた路線の遺構なんだそうです。その名も手宮線。港町の貨物線で、石炭や海産物の積み出しや、札幌への物資輸送に使われました。なんと北海道で敷かれた最初の路線であり、開通は1880年(明治13年)。古っ! 日本最初の鉄道、新橋-横浜間の開業が1872年ですから、そのわずか8年後。2番目の鉄道、神戸-大阪間に次いで日本で3番目に開業した路線でもあるそうです。こうしてみると、小樽が意外と早いうちから拓けた港町なんだということがわかります。さらに上記の路線すべてに共通することですが、日本の鉄道の歴史は、都市と都市の間の路線よりも、まず大都市と港町をつなぐ路線から始まったのですね。

散歩を終え、宿に戻った後は弟と二人で飲みました。このせいで翌日は大変なことになるのですが…。



2010-10-20

『アナーキー・イン・ザ・JP』


アルバイト先の書店で上司に薦められた一冊。もともとこういう現代小説はあまり読まない人間なので、薦められなかったら確実に読むことはなかったであろう本なんですが、読了後の今はこの本を紹介してくださった上司に感謝です。痛快な読みごこちと、謎の感動があります。



昭和時代の有名な無政府主義者、大杉栄の魂が、現代を生きるパンクな高校生に乗りうつってしまうってしまうという、一見「?」な話。これがなぜだか、面白い。僕は大杉栄については高校の日本史で習った程度の知識しかありませんでしたが、大杉がどういう人間だったのかもよく伝わってきますし(実際に作中の様な口調で話していたのかは疑問ですが)、昭和時代の無政府主義者が現代の様々な事象をみて想ったことや、無政府主義者がパンク少年と妙にマッチする様など、物語としてもとても楽しめました。大杉が「インターネット」を「インターナショナル・ネットワーク」つまり「第4インター」と勘違いし、現代に世界革命が成就したと勘違いしてしまうあたりなんかは、思わず笑ってしまいました。
現代の高校生、パンクロック、無政府主義、と一見関係のない物事をつなぎ、この物語を作品として成り立たせているのは、次の一文だったような気がします。
<いや、そうだ。間違いない。アナーキストってのは、実は思想家や運動家じゃないんだ。まぁ、いわば性格とか人柄なんだな。顔を見ればわかるよ、そいつがアナーキストかどうかなんて、すぐにね>(p131)
オビには「痛快『青春』パンク文学」と紹介されています。はじめ、大杉栄が出てくる「青春」文学? って疑問に思いましたが、確かに「青春」文学です。最後のライブのシーンには、謎の感動があります。自分でも、なぜ感動したのか、うまく言葉で説明がつかないのですが…。


2010-10-12

出航(2010.09.04)


9月の前半、約2週間の北海道放浪旅行にいってきました。そもそもの目的は札幌に住む友人を訪ねることにありましたが、実は北海道に上陸するのは人生で初めて。それならばということで、北海道をぐるっと一周するバックパッキングをすることに。ついでに、今年大学1年になる弟に旅の醍醐味を味合わせてやろうと、弟も一緒に連れ出すことにしました。兄弟2人旅行するのも、実は初めてです。

さらに。それを聞きつけた祖父が、俺もついていくと言い出し、結局祖父・自分・弟の3人で行くことに。はじめは友人に会いに行くだけだった旅が、どんどんエスカレートしていきます(ただし、後で述べるように祖父・弟とは旅の途中ですぐに別れました)…。

飛行機 VS 鉄道 VS …

問題は、何でいくか、です。すでに、最初の目的地は祖父が幼いころに住んでいた小樽に決定しています。

飛行機は速いし、比較的安いのでいいのですが、たった数時間で北海道着っていうのもなんだか味気ない。自分は旅のゆったり間を大切にしたいので、新幹線&特急も同じくです。そんなわけで、はじめはちょっと贅沢して夜行列車、もしくは青春18きっぷで鈍行を乗り継ぎながらゆっくり北海道に行くのもありかと思ってました。ただ、夜行列車はともかく、北海道まで鈍行は80歳を過ぎる祖父には酷です。

そこで決まったのが、フェリーを使った船旅です。もともと船乗りだった祖父のアイディアですが、料金もかなり安いですし、船中で一泊したら翌日北海道ってのもなんだかいい。すぐにフェリーのチケットを手配し、何でいくか問題は解決しました。

フェリーは茨城の大洗港初、北海道苫小牧港着で、所要時間は約18時間。実際には東京-水戸経由-大洗港と苫小牧港-札幌経由-小樽までのバスチケットを含めたセットになっています。とってもお得。北海道旅行、料金を安く抑えたい方、移動時間にこだわらない方にはオススメです。

さんふらわあで行く、首都圏・北海道の船旅-三井商船フェリー

後悔の水戸

12:50、東京発のバスでまずは水戸へ。着いてから遅めの昼食です。が。ここで早速後悔しました。水戸も初めて訪れたのですが、けっこう街がでかい! しかも、周りに観光したら面白そうなスポットがたくさんある! さすが、天下の副将軍の城下町。

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北海道で見ることができる史跡は、やはり幕末・明治以降のものが中心なので、戦国・江戸時代の空気を感じることのできそうな水戸城跡・偕楽園・弘道館あたり、よってみるのも面白かったかもしれません。朝東京を出発していれば、半日くらいは水戸を観光できたので、残念です。

泣く泣く、駅前の水戸黄門像の前で写真だけ撮影して水戸とはおさらば。16:14発のバスで大洗港を目指します。

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乗船

到着後、乗船手続きをする前に、港を散策。潮風のにおいやヒトデがいかにも「海」って感じです。こういうとき、一人旅だとたそがれるしかないのですが、兄弟でいるとつい悪ノリします。ヒトデを投げあったり、港といえばオキマリのあのポーズで撮影したり。

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乗船するフェリーはすでに入港しており、港からはその全容を眺めることができます。

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たぷり港で遊んでから、乗船手続きをして、船内へ。シーズンオフであるにも関わらず、意外と乗客は多いみたいです。

部屋は8人部屋。毎日のように使っていた海外の安宿が思い出されます。

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18:30出航。ちょうど夕暮れ時の大洗港を後にしながら、北海道へのクルーズがスタートしました。

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食事を済ませ、風呂に入ると(船内なのに広い!)、もうすぐに就寝タイムですが、ラウンジや喫煙ルームは、若者を中心に夜もにぎやかでした。ちょうどW杯後初の日本代表、雪辱の対パラグアイ戦も放送中。ですが、海の上なので電波が悪く、要所要所のプレー映像が途切れます。うーん、じれったい! 波はおだやかで、元船乗りの祖父曰く「ベタ凪ぎ」の海でしたが、それでもやはり、揺れます。弟も船酔いにやられて寝てしまいました。

自分は眠れないので、ずと本を読んでいたのですが、それでも眠くならないので深夜にデッキへ出て風にあたりにいきました。甲板へのドアを開けると、真っ暗な中にしゃがんだ人影が。何をしているのかと覗き込むと

「わぁ、びっくりした」

「あ、すいません。お邪魔しちゃいましたか」

「いやいや、いいんだけど。写真とってたのよ。星がすっごく綺麗だから」

と言われて夜空を見上げると、すさまじい数の星々が! 目が慣れてくるにつれて、星空がどんどん明るくなってきます。こんな星空を見たのは生まれて初めて。そうえいばここは、街の光も煙も届かない、太平洋上なのです。こんなにはっきりと天の川を見たのも初めてですし、星がありすぎて、逆に有名な星座が発見しにくいという状況です。

先に写真を撮ってた方は、これから旦那さんと一緒に北海道でツーリングをしにいくそうです。写真も綺麗に写っていたので、触発されて自分も60秒間の集光モードで精一杯撮影にトライしてみましたが、写っていたのは暗い夜空だけ。記録には残せませんでしたが、あの明るい星空はいまだに鮮明に覚えています。

満足したので就寝。明日はいよいよ北海道上陸です。



2010-10-07

『独女世界放浪記』

いま、都内の某書店でバイトしてます。いつも「次はこれ読もうかなー」って目をつけながら働いているのですが、この本も「次読むリスト」に入ってた本のひとつ。そんな中、まさかの著者ご本人様が営業でご来店! 話を聞いているとやはり面白そう…。仕事中にも関わらず、その場で買って、あつかましいことにサインまでいただいちゃいました。




■女性ならではのトラブル

副題は「世界一周だいたい50カ国、510日」。著者が女性の方なんですが、こういうバックパッカーの旅行記で女性ものって、そういえばあまり目にしたことがありません。というわけで、この本で目立つのは「女性ならではの旅行トラブル」です。具体的に言いますと、要は「旅先であったセクハラ」です(笑)例えば、エジプトでスパイスを買いにでかけたときのエピソード。南さんは、とあるスパイス屋に呼び止められます。
そしてそれからもどんどんスパイスの説明が続く…
「この実をかじると君のナイトライフがグレイトだよ」
「この紅茶を飲むと君のバストは大きくなるよ」
そんなことを言いながら、男はさり気に私の胸元をタッチしてきた。や、やべーこいつ。ちょっとおかしいかも。
(中略)
足元の棚にサフランらしきものがあったので腰をかがめて見ていると、後ろからこう声をかけたれた。
「ほらこれを見て。すごい効果だろ?」
その声に後ろを振り返ると、しゃがんだ私の目線の先には……イスに腰掛けた男が、ワンピースタイプのイスラム服を腰までめくりあげ、
○○○まるだしっ!!
「キャあァァァ~~~っ!!!」
びっくりしてしりもちをつき、後ずさりして逃げ出そうとすると、
「ノーノー、ジャストルック!」
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。見てるだけでとか、そーいう問題じゃないしっ!(pp.106・107)
とまぁこんな具合に、セクハラを受けたエピソードが満載です。実際に著者の南さんにお会しましたが、とっても綺麗な方でした。放浪に出かける前には女優業をされていたそうです。そりゃあ、外人にモテるのも納得です。

女性の一人旅って、やはり男が一人旅をするのとは違った危険があるので、大変ですね。僕なんかは、主な旅先が治安も割といいヨーロッパ中心でしたし、夜も夜景を見るために平気で出歩いてましたけど、女性ではそうも言ってられないので、仲間の女性バックパッカーからうらやましがられたことがあります。

…とはいえ、男でもセクハラにあう危険性はあるので注意が必要っちゃ必要なんですけれどもね…。僕もパリでゲイに○○○をまるだしにされたときには仰天しました。外人って、○○○を見せびらかすのが好きなんですかね? 女性と男性じゃ一口に「襲われる」って言っても違いますけど、自分も同じような体験があるので、南さんの本はかなり感情移入しながら読めました。

■女性ならではの「オトク」

逆に、女性ならではの、得することもあります。作中では、ネパールでの国境越えの際、ビザが切れていたために払わなくてはいけない罰金を、泣き落とし作戦で切り抜けたエピソードなどが紹介されています。そう、男にない女性の最大の武器はやはり「涙」なのかもしれません(笑)いたるところでドリンクをタダで振舞われたって記述がありますが、たぶん男だったらこうはいかなかったんじゃないかな。まぁ、相手がゲイなら、ある程度通用するかもしれませんが…。

日本人女性は海外でモテるので、外人からナンパされやすいみたいです。知り合いに、それを逆手にとって、食事をおごらせたり観光案内させたりしながら全然お金を使わずに旅をしている女の子もいました。曰く、「ローマに一週間くらいいて1ユーロも使わなかった」とのこと。

…とまあ、メリット・デメリットの両方ある女性の一人旅ですが、南さんは「旅の経験は私の宝物」と締めくくっています。旅行記にはその土地の風土や地理・観光名所を紹介するタイプのものと、その土地であった出会いを中心に書くタイプのものがありますが、この本は完全に後者です。やっぱり旅って、見知らぬ人との出会いがあるから最高に面白いんですね。

これから一人旅に出る人、特に女性のバックパッカーには必読の一冊です。


南まいさんのブログ:『ぐるっと!世界一周


2010-10-05

『武器なき”環境”戦争』

いまや「エコ」だの「環境」だのの本は世にあふれていますが、この本を読んでみようと思ったのは手嶋龍一と池上彰の対談であったこと。なんか面白い組み合わせだなぁ、と思いましたが、そういえば二人とも元NHK組なんですね。もうひとつは、手嶋龍一が著者であることからも明らかですが、「環境」を倫理的・科学的な問題としてではなく、国際政治のスキームとして論じている点に興味を覚えたからです。「環境」についてまともに勉強するのは小学校以来かもしれませんが、基本的な知識をおさらいする意味でも、本書を読んでみました。




■石油時代の終わり
本書の第1章は「『石油の時代』、終わりの始まり」です。僕が「石油時代の終わり」と聞いて必要以上に反応してしまったのは、以前紹介した小説『Limit』と関係があります。書評ではストーリーにほとんど触れませんでしたが、この話の舞台は2025年。人類を支えるエネルギーは石油から月に埋蔵されるヘリウム3へと移行しており、それを宇宙エレベーターを使って地球への大量輸送できるシステムも確立。新しい時代に乗り遅れた石油業界は大きなダメージをうけ、それが物語の核心にも大きく関わってきます。

この物語では、現在からわずか15年後の2025年で石油時代が完全に終わりを迎えているのです。これを「早すぎる」と感じる人も多いと思いますが、実際に『Limit』の登場人物の多くも同じように「時代のパラダイムシフトは突然、それも急速に起こった」と感じており、ついていくのに精一杯です。

手嶋龍一は、この石油時代の終わりの象徴としてメキシコ湾での石油流出事件をあげています。日本のメディアが、その意味に気付いていないで事件をただの事故として報道している点を指摘しつつ。『Limit』の世界では石油を駆逐したのはヘリウム3でしたが、そう遠くない未来、石油に代わる何らかの代替エネルギーが主役に躍り出るのは時間の問題なのでしょう。それが何なのか、本書では明示はされていませんが。

■軍艦・核兵器・二酸化炭素
手嶋:対談ではCO2、二酸化炭素が戦前の軍艦、戦後の核兵器に次ぐ人類の最重要課題になったことが指摘されています。
第1次世界大戦の終結から第2次世界大戦の勃発までのいわゆる選喚起には、列強がどれほどの主力艦を保有しているかが、その国力を測る最も直截な指標でした。従って互いに建艦競争を牽制しあい、戦艦や巡洋艦の保有トン数を制限する海軍軍縮交渉が、国際政治の華やかな舞台としてスポットライトを浴びることになりました。
(中略)
第2次世界大戦後には、軍艦に代わって、核ミサイルこそが東西両陣営の軍縮・軍備管理交渉の主役となりました。
(中略)
これに代わって、1997年の「京都会議」以降、地球温暖化を防ぐ「環境」が、主役として舞台に踊り出てきた観があります。CO2の排出量こそ、その国の経済力、産業構造、省エネ技術、ライフスタイルを反映しているからです。まさしく、CO2削減は、軍艦、核ミサイルに次ぐ、人類の最重要課題となりました。従って、CO2の削減を、狭い環境問題と考えることは誤りなのでしょう。低炭素社会を目指す地球のシステムをいかに設計するのかという問題と捉えるべきなのです。(pp.152-154)

現在国際社会でCO2がいかに扱われているのかを説明するのに、非常にわかりやすい例えだと思います。軍艦・核兵器と同格の存在としてCO2が扱われているのには一見、違和感もありますが、この違和感こそ、日本人が現在「環境」というスキームの中で国際的な駆け引きが行われていることに気付いていない証明なのかもしれません。

手嶋氏の言うとおり、「CO2の削減を環境問題と考えるのは誤り」なのでしょう。倫理的な視点から「CO2を減らせ」と叫ぶのも確かに素晴らしいことなのでしょうが、それ以上に、「CO2の削減」が現在の国際社会のメインサブジェクトであるという認識を広めることも、それ以上に大切なのです。

■国際スタンダード作りが苦手な日本
さて、世界の興味が「CO2の削減」に集まる中、そんな国際社会のルールを定めたのが「京都議定書」であり、そのルール作りにおいて日本は主導権を握れませんでした。このことは「第2章 すべては京都から始まった」で詳しく述べられていますが、日本人の「国際ルール」づくりの下手さについてはよく指摘されるところです。それがなぜなのか、本書に興味深い指摘があったので紹介します。
手嶋:1980年代には、アメリカでベータ対VHSの戦争が熾烈に行われました。まさしくどちらが「グローバル・スタンダード」をとるか、という戦いでした。『電子立国日本の自叙伝』というテレビ番組の秀作がありました。その番組の関係者に聞いたのですが、日本発の技術システムがなかなか「グローバル・スタンダード」として広がらないのは、日本人が海外で布教活動をした経験に乏しいからだ――と。
池上:ああ、それは名言だなぁ。
手嶋:確かに、日本の神道を世界に広げるといった、布教活動の経験をあまり持ってませんね。(pp.178・179)

そこへいくと、キリスト教圏の人々は2000年前のパウロの時代から異民族への布教活動というものを経験として持っているわけですし、ザビエルの時代にはわざわざ地球の裏側にまで自分たちの文化を広めにきているわけです。十字軍やイスラム圏のジハードのように、戦争をしてまで教えを広めるという経験もありませんし、中国の「華僑」のような存在も日本にはありません。実は、僕はいまとあるアメリカの新興宗教(とはいっても18世紀に起こった、比較的古い新興宗教)からオルグを受けているのですが(笑)、彼らの熱心さといったら、とても日本人にはまねできません。布教のためにわざわざ海外に来て、現地で生活する。日本人が海外に行くといったら、まず旅行かビジネスのどちらかでしょう。

こうして考えると、日本人が自分たちの文化を世界に広めるための経験値が、他国と比べて圧倒的に劣っていることがわかります。日本が国際ルールを制定するのが下手なのも、ある意味当然なのかもしれません。だからといって、このままルール作りの競争に遅れをとったままでいい、という話にはならないのですが…。

…とまぁ、こんな具合に、読んでみて思ったのは、本書は「環境」というよりは「外交」「国際政治」の本だったように思います。手嶋さんの外交ウォッチャーとしての指摘は相変わらずさえているし、要所要所で池上さんが的確にわかりやすい説明を加えてくれるので、とても読みやすい。ぜひともこの組み合わせで、別のテーマでも対談をしてほしいですね。

2010-10-03

『Limit』

『深海のYrr』で有名になったフランク・シェッツィングによる長編SF小説、『Limit』に挑戦しました。9月に約2週間の北海道旅行に出かけたのですが、旅の暇な時間に読める、割と長い小説を読もうと思って手を出しました。約600ページ×4巻。いやー、疲れた。



あらすじは、ちょっと複雑な上にネタバレを避けられそうにないので割愛します。興味のある方は上のリンク先、Amazonの内容紹介をご覧ください。

とっても長く、しかも登場人物の多い物語です。正直1巻がキツイ。いきなり多くの人物が出てくる上に、物語に展開がありません。実質、1巻約600ページは登場人物紹介と物語の背景説明で終わります。後半になると、それぞれのキャラクター描写が生きてくるのですが、1巻の話の進まなさにイラついて挫折した方も多いのでは。

2巻あたりからようやく話が動き出しまして、そこからはイッキに読めました。ただ、2025年の話なので、現在では存在しないテクノロジーを余すことなく用いたシーンも多く、ちょっと想像しながら読むのが大変です。『深海のYrr』の映画化が決定しているだけに、今作も映像化を前提に書かれているのかもしれません。壮大な話ですし、アクションシーンも多く、宇宙ステーションや月面が舞台なので、映像化したら面白いことになりそうですが、映画化だけは絶対にやめてほしい。長く、登場人物が多く、さらにテクノロジーや政治的背景の説明がきちんとないとわかりにくい話なので、絶対に2時間の枠には収まりません。連続ドラマなら向いてるかも。

事件の目的や、黒幕の正体が最後の最後まで明かされないので、ラストまで飽きることなく読めます。個人的には、かなり綺麗にオチたと思います。テロの目的がわかったときには「なるほどー」って思いましたし、黒幕の正体が明かされたときには思わず「お前だったのかー!」と心の中で叫びました。

面白さは保証しますが、長いページ数をイッキに読める時間的余裕のない方にはあまりオススメしません。ちょっとずつ読むのは逆に大変だと思います。アクション・諜報・国際政治・SF・人間ドラマと様々な要素をふんだんに取り入れた、総合格闘技の様な小説です。時間のある方は、是非!