ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-08-05

『AB型 自分の説明書』『「血液型」の世界地図』

実は自分、血液型トークが大好きです。話題のこの本、読まずにはいられませんでした(笑)




読んでみてびっくりです。自分は言うまでもなくAB型ですが、当てはまる項目多すぎて困ります。読んでいて、思わずニヤついてしまいました。
□ 自分ほどずぼらな奴はいない。
□ でも、やるときゃやる!
□ 自分が本気になったら誰もかなわない。本当に。
□ とか思ってる(P19)
□ 「自分はこれで終わる人間じゃない」
□ という願望。(P32)
□ 大事な人に大事なことを、告げない。
□ 誰かに何かを打ち明けるときは、いつも事後。
□ だから「突然の大告白」みたいになる。(P44)
□ 精神的に追いつめられると、人がビックリするような怖いことをする。(P96)
□ そうじのオバちゃんと世間話をする。した。
□ 1人で歩いているとき、前を行く人を追い越す。
一瞬のすき間をぬうようにサっ、サっ。
□ で、信号待ちで追いつかれる。(P105)
もう、引用してたらキリがありませんので、この辺にしておきます(笑)

ところで、血液型性格診断には根拠がない、と言う話をよく聞きますが、本当にそうなのでしょうか?この『○○型 自分の説明書』シリーズのブームで、ますます血液型ごとのステロタイプが広がりそうですが、実際に血液型と性格の関係には、どの程度科学的な根拠があるのでしょうか?

血液型人間科学研究センター理事長の能見 俊賢(のみ としたか)氏は、著書『「血液型」の世界地図』でこう述べています。




改めてハッキリさせておこう。
血液型は性格を分類するものではないということ……人の性格は十人十色、私たち固有の性格づくりの上で、遺伝子的に組み込まれた血液型物質が、どう生かされ影響しているのかを、丹念に確認していくための手がかりである。
人間も含めて全ての生物は“生物学的一様性”と言って、驚くほど同じ材質で出来ているのだが、1900年にオーストリアの医師カール・ランドシュタイナーによって発見された血液型物質によって、この定説は崩れた。ABO式の分類では、科学的構造特性の全く違うものが、人それぞれに分布していることが判明したのである。
ノーベル賞に値したこの物質の発見が、当初、血液中から検出されたために、血液型と命名され、それが一般に知れ渡ってしまっただけで、実はこの物質、髪の毛、脳細胞、筋肉組織、爪、骨など全身に分布する現象であったのだ。
言わば、生物の材質差を示している数少ない標識であり、これまでの輸血や献血の際に問題とされ、血液の違いみたいに誤解されていた認識を改める必要がありそうである。
全身に分布する材質差が、生命活動のあちこちに滲み出るのは、当然のことだろう。(P3-4)
どうやら、一定の関連性はありそうです。なお、本書で興味深いのは、人類がいかにしてO・A・B・AB型の4種類に分かれたかについて、仮説が示されている点です。曰く、人類は元々O型で、現に人類発祥の地と言われるアフリカ中央部は、O型の割合が高いそうです。
O型の人は、人類に共通する血液型物質だけを持つ。生命体としてもっとも自然な人間性を純粋に持ち、それにそう生き方をする。生きる欲求、バイタリティは強く、目的に向かい直進
やがて人類が農耕・牧畜を行うようになり、人の社会に「組織」が誕生としたころから、A型物質・B型物質が誕生します。
まずA型は、北欧の森林地帯やフィヨルドの入り組んだ複雑な地形、西ヨーロッパのアルプスやピレネー山脈周辺の山岳地帯など、見通しの悪い地域で生き残る性能として発生、または生き残ったと思われる。
人間社会の発展における“組織づくり”に、A型の気質は大いに生かされてきた。秩序や形を整えることを重要に考え、それに沿うような気質が目立つ。
これに対してB型は、インド北西部、中東や北アフリカの砂漠と原野、中央アジアの大草原、大平原地帯で遊牧民として暮らすために、素早い情報収集と行動力、臨機応変に対応できる性能として発生、あるいは生き残ったと考えられる。
さらに、西洋のA・Oグループと東洋のB・Oグループが、だんだんと、時にはアレクサンダーの東方遠征などで急激に交わった結果生まれたのが、AB型なのだそうです。つまり、AB型は一番歴史の浅い人種だということですね。
AB型の基本的な方向性は合理性で、人間のナマな欲求からは最も遠ざかっているように見える。A型とB型という対照的な気質を両方持っているAB型は、ひとりの人間の中にA面とB面の対話を常に行っている。
ここに、AB型の特性が集約されている気がします。AとBの性格、それがミックスされて、両者が常に頭の中で戦っているのがAB型なんですね。一般に「二重人格」と言われることが多いのは、これが原因じゃないでしょうか。

この『「血液型」の世界地図』は他にも、日本でB型社長が多い理由、米・英が戦争で手を組む理由、イタリアの南北文化論を血液型の観点から分析するなど、様々な社会的現象に関して、考察が加えられています。『自分の説明書』は直感的な面白さを追求したタイプの本ですが、こちらではきちんとした理由が示された考察なので、思わず納得させられることも多いです。

ちなみに、巻末には有名人の血液型リストつき。どれどれ、AB型は…ジョン・F・ケネディ、勝海舟、塩川正十郎、田中真紀子、アンオニオ猪木、太宰治、石ノ森章太郎などなど、何となくうなづいてしまう顔ぶれがズラリ。特に、僕が尊敬してやまない勝海舟はAB型人間の典型のような気がします(笑)


2008-08-04

プラッツの恩人

【承前】
アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-


でろんでろんに酔いつぶれた自分。酔いの勢いでその場の雰囲気を楽しんではいたが、さすがに帰りの電車の時間が気になりだした。ここから一番近い駅まで、歩いて30分はかかる。そろそろ、店を出なくてはならない。

しかし、相手のバレイチェクも相当に酔っ払っている。言葉もうまく通じないので、なかなか席を立つタイミングがつかめない。

そんなときに助けてくれたのが、ピーターだった。別の席で仲間と飲んでいた若い青年だったのだが、英語ができる彼は、自分とバレイチェクの間に通訳に入ってくれたのだ。

タイミングのいいことに、ピーターと彼の仲間たちももう店を出るらしい。ピーターは自分に「よかったら、うちに泊まらないか。外はまだ雪が降っているし、ここから駅まで歩くのは大変だろ?うちでゆっくりして、明日の朝電車に乗ればいい。うちはここからすぐ近くなんだ」と言ってくれた。

普段なら、さっき会ったばかりの人のお世話になるもの抵抗があるが、自分もシラフではないので、この申し出に飛びついた。この際、現地の人の親切に甘えてみよう、一期一会、現地人と触れ合えるいい機会だ。そう思って、バレイチェクと店主に別れを告げ、居酒屋を出た。

ピーターとその仲間たちは、みんな鉄のラケットを背負っていた。彼らはみんな、この地方のアイスホッケーチームだという。確かに、チェコやその隣国・スロヴァキアはアイスホッケーが盛んな国だ。見た目には、年はみな20代から30代に見える。スポーツマンらしい、好青年ばかりのグループだった。

プラッツの街を歩きながら、みなそれぞれが帰路につく。やがて、ピーターと2人になり、彼の家の方角へと歩いた。


「トヨタは、プラッツの街に一体何をしに来たんだい?」
「西洋史を勉強しているんだけど、ナポレオンに興味があって。アウステルリッツの古戦場を見に来たんだ。昼にスラフコフの博物館を見学して、そこのスタッフにプラッツに記念碑があるって聞いたから、ここまで歩いてきたんだ」
「スラフコフから歩いてきた?パワフルだなぁ…。バスに乗ればよかったのに」
「ちょうどいい時間のバスがなかったんだよ。貧乏旅行であんまりお金も使いたくないし、せっかくだから、歩いてみようと思って。でも、途中から雪になったのはさすがに辛かったけどね」
「そもそも、僕はこの町で日本人を見ること自体珍しいよ(笑)」


ピーターはだいぶ若くみえたが、話してみると、奥さんと、息子も一人いるらしい。加えて、母親と4人でこのプラッツの街に住んでいるという。本当に親切な性格で、自分がうまく英語を聞き取れないと、易しい言葉でゆっくり言い直してくれる。酔ってハイテンションになってはいるが、相手も真剣に話をしてくれるので、冷静に話そうと努めた。

「旅行中っていってたけど、いつからヨーロッパに来たんだい?」
「11月の頭に、ウィーンから旅を始めたんだ。チェコに入ったのは、1週間前くらいからかな」
「チェコはどうだい?トヨタはこのプラッツに来る前は、どこにいたんだ?」
「昨日はブルノの街を歩いていたんだ。その前は、世界遺産の街、チェスキー・クロムノフから来た。」
「クロムノフか。有名な観光地だ。あっちは、もう雪は降ってたかい?」
「クロムノフには2泊したんだ。最初はきれいに晴れていたけど、最終日の夜に雪が降ってね、晴れのクロムノフと、雪景色のクロムノフ、両方堪能できてラッキーだったよ」
「プラッツじゃ、この時期は雪ばっかりだ。それにしても、スラフコフ・ウ・ブルナからよくここまで歩いてきたなぁ」
「そりゃあ疲れたよ。でも、アウステルリッツの戦場を体験できてよかった」


彼が英語を喋れるのは、元々イギリス人で帰化したからだったか、チェコ人ではあるけれど、イギリスに留学経験があるからだったかだったと思う。説明を受けたのだけれども、酔っていたせいもあってはっきり思い出せない。彼の奥さんの名前はシルビア、息子の名は、トーマスという。全部英国系の名前なので、前者かもしれない。プラッツの街を少し歩いて、彼の家に着いたのは、22時半くらいだった。彼の家族はもう寝ていたが、ピーターと少し飲みながら話をしたあと、案内された部屋で眠りについた。すぐに眠ることができた。なにせ、歩き続けた疲れに加え、酔い疲れが溜まっている。
翌朝は、ピーターに起こされて目覚めた。


「トヨタ、もう朝だ。朝食を食べよう。こっちだ」
食事をする部屋に着くと、朝食を用意する奥さんのシルビアがいた。昨日は顔を見ることが出来なかったので、挨拶をする。
「いきなり泊めてもらうことになって、本当に感謝してます。朝食まで用意してくれて、本当にありがとう」
「いいえ、気にしないで。夫の友人を家に招くことは、私にとってもうれしいことよ。プラッツにようこそ、トヨタ」


シルビアも、とても親切な人だった。突然泊めてもらうことになったわけのわからない外国人を、嫌な顔一つすることなく、暖かく迎えてくれる。

シルビアに挨拶していると、車の模型が自分の足元に近付いてきた。ミニカーが来た方向をみると、小さい男の子が立っている。息子のトーマスだ。愛称は、トミー。
「トミー、彼はトヨタ。お父さんの大切な友人なんだ」
「よろしく、トミー。車が好きなんだね」
トミーはまだ小さく、はっきり言葉を喋られる年ではなかった。最初は見慣れぬ日本人の顔に戸惑ってはいたが、たまにみせてくれる笑顔はとても可愛かった。

このような一家団欒の食事は、久し振りだった。基本的に一人で旅をしているので、朝はいつも宿の食堂で一人で済ませる。飯を一緒に食べる相手がいたのは、韓国人の李眞煕と一緒にいたときだけだ。

「口にあうかしら」
「とってもおいしいよ。貧乏旅行だし、朝からこんなに満足に食べられること自体、珍しいから」
「遠慮せずに、どんどん食べてね」
「トヨタは今日これから、どうするんだい?」
「実は、夜に日本人の友達とプラハで会う約束があるんだ。だから、一度ブルノまで戻って、プラハ行の電車に乗らなくちゃいけない」
「じゃあ、車で駅まで送っていくよ。時間に余裕はあるかい?」
「時刻表だと、昼ごろにブルノを出れば間に合うみたい」
「切符はもう、買ってあるのか?」
「旅行用に、ヨーロッパの路線乗り放題の切符があるんだ」
「出発まで結構時間があるな…よかったら、少しこの辺をドライブしないか?トヨタはナポレオンに興味があってプラッツまで来たんだろ?このあたりには、昨日トヨタが行った平和記念碑のほかにも、いくつかのモニュメントがあるんだ。」
「本当に?是非ともお願いしたいな!」

先日博物館で、スラフコウ・ウ・ブルナ周辺の戦跡地図をもらったが、とても歩いて全部回ることはできないと思った。それで、このプラッツの街の平和記念碑だけに目標を絞ってここまで歩いてきたのだが、現地の人が車で案内してくれるとは、心強い。心底、ピーター一家の親切に感謝した。
朝食を済ませた後、ピーター一家3人と自分を乗せて、車は街へ出た。途中、小さな町でシルビアが買い物に車を降り、別れを告げる。

「さぁ、いまから、トヨタをとっておきの場所に案内しよう。あと10分くらいだ」
しばらくして車がつくと、そこは平原にぽつんと顔を出した高台だった。一番高い所に、記念碑らしき石がある。
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(▲真ん中にはナポレオンの頭文字「N」)
「ここは、戦いのときにナポレオンが陣取った場所なんだ」
「本当だ。記念碑に布陣図が載ってる」
「これだと、ロシア軍があっち、オーストラリア軍がの方角だな、あそこに見える小さな村が、プラッツだ」
「見晴らしがいい、絶好の場所だね。あたりの景色が360度ひらけて見える」
「そうだろ?実は…ここは、シルビアと一番初めにデートしたところなんだよ」
思わぬ情報がとびこんできた。
「じゃあ、思い出の場所じゃないか」
「まぁ、邪魔がいない時にでも、また二人っきりで来るさ」
「夫婦仲が良くて、うらやましいよ。トミーも良い両親を持って幸せだね」
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(「見えるかい?トミー、あれがおうちのあるプラッツの町だ」「え、どこどこ?」)

この後もいくつかのモニュメントを案内され、もういっそのこと、ということでブルノの駅まで送ってくれた。車を降り、ピーターとトーマスに別れを告げる。

「トヨタ、もしまたプラッツに来ることがあれば、いつでも連絡してくれ。あと、これ。君にプレゼントだ」
ピーターはそう言って、プラッツの街が写ったポストカードと、有名な『モルダウ』などチェコのクラシック音楽が入ったCDをくれた。至れり尽くせりだとはまさにこのことだ。
「ピーター、本当にいろいろありがとう。あなたのことは絶対に忘れない。ピーターに会ったおかげで、チェコが大好きになった。トーマス、お父さんみたいな、いい男になるんだよ」
「ははは。そう言ってくれると、僕もうれしいね。じゃあ、気を付けて」
「さようなら」

ピーターと一緒にいた間、何度「ありがとう」を言ったかわからない。彼とその一家は、本当に親切だった。寝る前に一度、宗教の話をしたのを覚えている。日本人の宗教観に興味を持っていたようだが、逆にこっちが彼の宗教について聞き返すと、彼が本当に経験なクリスチャンであることが伝わってきた。

ピーターは、自分が「ありがとう」を言うたびに、決まってこう返してくる。
”No problem. It’s my pleasure”
人に親切にすることが、彼にとっての自然体なのだ。自然体で、親切ができる。掛け値なしで、本当に素晴らしい人だと思う。

ひとりで旅をしていると、人に親切にされることのありがたさが、普段以上に敏感に感じられる。現地人の優しさ、バックパッカー同士の助け合いなどに触れるたび、この旅が、沢山の親切に支えられていることに気付く。

宿や朝食を恵んでもらったこと、車でアウステルリッツの古戦場を案内してくれたこともそうだけれども、現地人の深い優しさに触れることができて、自分は本当にいい旅をしたなと思った。


乗り込んだ電車はブルノを出て、チェコの首都・プラハへと向かう。プラッツの街では、今日もピーター一家が笑顔で暮らしているはずだ。
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