ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2010-12-05

ギネス、300人301脚達成!

11月28日、「300人301脚」なるイベントに参加してきました。読んで字の如く、2人3脚の300人バージョンです。30人31脚はテレビでもやってますが、さらにその10倍の人数。しかもこれが成功すれば、そのままギネス記録として認定されるという、なんとも栄誉ある挑戦です。
お昼に代々木公園の陸上競技場に集合。天気は快晴。ギネス日和(?)です。
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初めは20人ずつの15グループに分かれて練習し、徐々に40人、60人、80人、100人…と連結していき、最後に300人で歩きます。
300人のうちの誰一人倒れることなく、また足と足をつなぐバンドがほどけることもなく50メートル歩けば記録達成です。スピードは関係ないので、歩ききることが第一。実際には秒速数センチの、かなりゆっくりな行軍です。赤と青のバンドを交互につなぎ、歩くときは一斉に
「赤!青!赤!青!…」
と声を出しながら歩きます。
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▲これで約60人くらいの列。50メートルも進むと、流石に列がズレてきます。
一応、ぶっつけ本番なのですが、主催者の方やボランティアがすでに何度か練習しているらしく、数十人で歩くためのノウハウは既に得ているため、それを忠実に実行すれば、100人くらいまでは大した苦労もせずに歩ききることができました。大切なのは、

  • 歩幅は一度に50センチ。小さい子もいるので、無理に大きく歩かない
  • 何があっても歩き続ける。よっぽどの事がない限り、止まらない方がむしろ安全
  • 肩を組むのではなく、腰に手を回す。手も交互に回して、一人だけ後ろのめりにならないようにする
って感じだったかな。20人ずつのユニット単位で練習するってアイディアも秀逸だった気がします。
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上の写真で、だいたい100人くらいの列ですが、100人を超えると、流石にきつくなってきます。一人あたり約50センチの持ち幅なので、300人も並んでしまえばそれだけで長さは150メートル。実際には、200メートル以上あったんじゃないかと思いますが、これだけの列だと端っこから端っこまで、お互いに声は届きませんし、顔も見えないのでアイコンタクトもできません。列の中に進むのが速い所と遅い所があって、スタート時は一直線だった列も、徐々に波打ってきます。そもそも300人ともなると、そもそもスタンバイの体制を整えるのだけで大変です。特定の場所がきつくなりすぎても駄目ですから、人と人のスペースを一定にしなければいけません。
「そっちもうちょっとつめてー」
「はい、それくらいで丁度でーす」
とリーダーが一生懸命叫ぶのですが、150メートルの横一直線なので、遠くなるとリーダーの指示が聴き取れないのです。スペースを詰めるのだって、どうしても玉突き状態で進行しますから、なかなか思うように進みません。(主催者の方、本当にお疲れ様です)
実際に300人で歩いたのは、予行練習と本番の2回。意外と、予行練習はすんなりと成功しまして、いざ本番。
「赤の足をひいてー」
「せーの!」
「赤!青!赤!青!…」
予行練習が案外うまくいったので本番も楽勝かと思いきや、30メートルを過ぎたあたりから、足並みのズレが致命的なレベルにまで達してきました。僕たちのFチームはちょうど300人の真ん中あたりだったのですが、右が「赤!」と叫んでいると思ったら、同時に左で「青!」と叫んでいるのです。これはまずい! みんなで必死にアイコンタクトをとりながら、歩幅やタイミングを微妙にずらすことで、ゆがみを解消しようと頑張ったのですが、流石にキツい…。赤・青同時に叫ばれてしまっては、両足を同時に出すという、2速歩行を超えた、人類史的に新しい進化としか言いようがない歩行をするしかありません(笑)
もう限界…と思ったそのとき、遠くから「しゃー!」という歓声が。どうやら、先行していた列の端っこが、ゴールラインを越えた様です。続いて僕らのあたりもゴールラインを越えると、それをみてギネス認定員が続々と旗をあげ、正式に50メートル踏破が認められました! MCの南まいさんが記録達成をアナウンスすると、一斉に鳴り響く歓喜の声。300人の歓声です。これだけでもすごいんですが、当日いきなり集まった見ず知らずの300人が喜びを共有するってのも、なかなか起きることじゃありません。これは実際、感動ものです。
記録が認められるのは50メートル踏破。実際、これくらいが限界かもしれません。100メートルとかになったら、歩いている途中でゆがみがどんどん大きくなって、列は崩壊していたでしょう。ただ、予行練習では簡単に成功してしまっただけに、本番で苦労しつつの記録達成、というのはなかなかドラマチックで感動を増幅させてくれました。
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▲記録達成後の閉会式。喋っているのは、今回の主催団体・虹の扉の代表・酒井さん。
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▲その場で発行された、ギネス認定証に殺到する参加者。300人の参加者ともなると、相乗効果で会場の興奮度も半端じゃありません。実際には、列に加わっていたのは305人で、305人306脚の記録を打ち立てたみたいです。
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以前のブログでも紹介した、南まいさんと。今回はイベントメインMCをされていました。
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▲練習を共にしたFチームのみんなと。ほんわか系のリーダーのもと、抜群のチームワークを発揮。したはず。
ニュースでも紹介されました。
ちなみに、この記録は以前スコットランドで達成された、265人という記録を更新しての快挙でした。305人、という記録、やってみた実感としては、まぁ越えられない、更新できない数ではないと思います。実際、僕たちも見ず知らずの人間が数時間の練習で(なんとか)足並みをそろえることができました。現実的な問題としては、300人以上を横一直線に並べて50メートル歩くだけのスペースを確保できるか、といったところにある様な気もします。
それにしても、これだけの人数を集め、まとめ、喜びを共有させてくれた主催者の方々、本当にお疲れ様でした。


2010-11-14

『「昭和」という国家』

おそらく日本の歴史に関わる以上は、永久的に逃れることはできないであろう問、「日本はなぜあの戦争に負けたのか」について、司馬遼太郎が真正面から取り組んだ本です。



この問に関しては、色々な方々がいたるところで発言されてます。「あの時代の日本はおかしかった」「一部の頭の悪い人たちが起こした戦争だ」などといった、多少「乱暴」な意見もある一方、最近は少し冷静に「そもそもなぜ負けるとわかっていた戦争に突入せざるを得なかったのか」「有能な人材がいたにもかかわらず、なぜ彼らに活躍の場が与えられなかったのか」といったことが論じられるようになり、時代とともに、「あの戦争」が「体験」としてでなく、「歴史」として、きちんと分析対象として冷静に語られるようになってきた印象があります。

そういう意味では、自身も従軍経験のある司馬遼太郎にとって、昭和時代は「冷静」に見ることのできる対象ではないのかもしれません。実際、司馬は本文中で
いったい、こういうばかなことをやる国とは何なのだろうかということが、日本とは何か、日本人とは何か、ということの最初の疑問となりました。(p4)

と、昭和時代への違和感を隠しません。ちなみに「こういうばかなこと」とは、ノモンハン事件を指しています。「日本は明治まではよかったが、昭和からまるで駄目になった」という、いわゆる司馬史観も批判されがちな昨今ですが、本書では司馬さんは司馬さんなりに、「では、昭和の日本が駄目になってしまったのはなぜか」について精一杯考察していまして、中には傾聴に値する意見もあります。僕が一つ興味深く感じたのは、「日本は近代化の過程で江戸時代を捨ててしまった」という指摘です。主に
  • 第9章 買い続けた西洋近代
  • 第10章 青写真に落ちた影
  • 第11章 江戸日本の多様さ
あたりで詳しく述べられている話なのですが、そこで司馬さんが一貫して述べているのは、江戸時代がいかにリアリズムの時代であったか、かつ、多様性にあふれた時代であったかについてです。一方で、昭和時代はその江戸期の遺産引き継ぎに失敗し、空疎な精神主義に陥ってしまった、とも。
昭和元年から二十年の話をずっとしていますが、話していると、だんだん覇気がなくなってきますね。私もその時代の末端に属していながら、青春が末端に属していながらですね、そして同じ民族でありながら他民族の話をしているようです。そして、いまだに思うことはひとつです。
あれは日本だったのだろうか。
むしろ、本当の日本は江戸時代の文明、江戸文明にあったのではないか。江戸中期以後のリアリズムを中心とする、技術をものを見続けて思想を作り上げた代表者たちとわれわれは結びつく。先に話しましたように、職人が好きで、技術が好きな民族なんだと。(pp124・125)
とにかく明治政府というものは江戸期を否定し、そして明治以後の知識人は、軍人を含めて、江戸的な合理主義を持たなかった。それはやはり、何か昭和の大陥没とつながるのではないでしょうか。(中略)
われわれ技術好き、職人好きの民族は、昭和元年から二十年までの間、抑圧されていた。戦後にその留め金がとれ、江戸期に直結したのではないかと思うぐらいです。こういう言い方は非常に正確だと思うのです。(pp133・134)

ちょと極端な言い方をすると、司馬さんは「江戸時代は良い日本で、昭和時代は悪い日本」だと言いきっています。しかも、そういう言い方を「非常に正確だと思う」とまで。こういう、昭和時代を問答無用で切り捨てる司馬さんの態度は、最近よく批判されがちですね。ただ、江戸時代は技術と多様性に支えられた社会で、とそれはそれでひとつの完成した世界だった、というのは納得させられました。近代化の過程で、西洋文明を取り入れた日本は、江戸時代を完全に忘れてしまった。それは実はとても、もったいないことだったのではないか、と司馬さんは言っている様に思います。

敷衍すれば、取り入れた西洋文明と、昔ながらの江戸文明、この二つを有効にミックスした近代化こそが、日本がとるべき国家像だったのかもしれません。

ただ、明治政府が江戸時代の負の部分 = 硬直し、機能不全に陥った徳川政権を否定して成立した以上、江戸時代を忘れ、西洋の列強に対抗するために西洋文明を吸収せざるを得なかったのは、歴史の必然です。そのような流れの中で、「江戸時代を忘れない明治維新」「旧時代を捨てない新政権」というのは、あの時代にはたしてありえたのだろうか?という疑問が生じます。世の中に変化を起こすには、「過去の否定」が必要です。「変革」とは「過去を否定」することで、新しい価値観を根付かせる行為です。江戸時代を否定し、西洋からの技術を貪欲に取り入れたからこそ、明治維新は成功したのであって、過去(=江戸時代)を中途半端に引きずったままでの明治維新なんて、あり得るのだろうか。そんな「架空の明治時代」がありえたとして、その架空の明治では、江戸時代の文化が邪魔をして、あまり西洋の技術が根付かなかったのではないか? それで果たして、西洋列強と張り合うことができたのだろうか? と、どうしても考えてしまいます。

ただ、司馬さんが言うように「技術好き、職人好きの民族」であることが日本人の本来の姿である、というのには共感できます。日本人は今でも技術力で世界と戦っていますし、マクロな戦略よりもミクロの戦術に強いのが日本人です。ただ、このまま技術に強いだけではこの国際化の時代に日本はどんどんガラパゴス化していってしまう、というのは最近よく言われることでありまして、「技術」をひたすら追求するだけでなく、得意な「技術」をいかに国際スタンダードにするか、ということも、これからの日本人は考えていかなくてはなりません。
(参考→『武器なき“環境”戦争』

さて、「日本はあの戦争になぜ負けたのか」という問に対する、司馬遼太郎のひとつの回答は「江戸時代を捨ててしまったからだ」でした。この問題に対する答えは、おそらく一つではないでしょう。というかそもそも、「正解」があるのかどうかも分かりません。ただ、この問題を考える上で、あるいは日本人とは何者か、という問いを考える上で、本書が一つのヒントを与えてくれることは間違いありません。興味のある方は、ぜひご一読ください。できれば、『「明治」という国家』も併せて。

2010-10-30

70年来の風景(2010.09.06)

前日は遅くまで飲んでいたので、祖父に起こされて遅めの起床。ところが、朝食をとりに部屋を出ようとすると…

「わりぃ、俺風邪ひいたみたい。今日ダメだわ」

弟、まさかの風邪ダウン!

まぁ、慣れない旅と興奮で体調のペースが崩れたのかもしれません。仕方がないので、弟を部屋に残し、午前中は祖父と二人で小樽を見下ろす天狗山へ向かいました。残念ながら雨が降っていますが、空には雲にの途切れもあるので、途中で晴れることを祈りつつ出発です。駅前からバスに乗って、まずは天狗山ロープウェイ乗り場まで向かいます。

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▲小樽駅前。空は青いが、実際にはお天気雨。

すでに触れたように、小樽は祖父が幼いころに住んでいた街です。バスでの移動中、祖父は小樽の景色を見ながら僕に昔の思い出を語ります。

「昔あのへんに住んでいたんだ。ちょうど、あの路地の裏あたりに」

「あの坂はずいぶんと急勾配だろう。毎日上るのが大変だった。みんな地獄坂と呼んでいたんだ」

もう何10年も昔の話ですが、昔確かに、祖父はこの街で暮らしていたんだなぁと実感しました。

ロープウェイに乗って、山頂へ。天狗山の街に面した斜面は、冬にはスキー場として使われ、このロープウェイもスキー客を山頂へと運ぶリフトとして活用されます。もちろん、祖父が小樽に住んでいたころにはこんなものはなく、歩いて山頂までのぼり、街のふもとまで直滑降で滑って降りてきたそうです。

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徐々に高度を増していくリフトに乗りながら、

「速いやつはなぁ、山頂から…そう、あそこに見える学校のあたりかな。昔はなかったんだけれども、あのあたりまでは昔はまだスキー場になってたんだ。あのあたりまで、だいたい2分くらいですっ飛ばして滑り降りていったもんだよ。俺はそんなに速い方じゃなかったから、あそこまで滑るのに3分くらいかかったけれど」

と語る祖父。山頂の駅に着くと、その景色に感動しました。ちょうど雨も止み、雲は残っているものの青空が広がって、かなり遠くまで見渡せます。

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▲小樽の風景。昨日の夜に散歩した埠頭公園、運河沿いの町並みも見える

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▲小樽・石狩湾を背景に祖父と。

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▲西側の第2展望台から。

しばらく一緒に天狗山を散策してから、以前と比べてだいぶ足腰の弱くなった祖父をロープウェイ駅のカフェに残し、自分は一人で天狗山のトレッキングコースを歩きました。地図をぱっと見た感じ、10分くらいで一周できるかな、と思っていたら、割と本格的な登山道です。結局、1週するのに早足で30分近くかかりました。

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▲天狗山トレッキングコース

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▲雨が上がって、むしろ日差しが強くなってきました。トレッキングで汗をかいた後は、小樽を見下ろせるカフェで一服。



祖父が小樽に住んでいたのは10歳くらいまで。その後、何度か旅行で小樽には来ていたそうですが、天狗山に登る機会には恵まれず、ここに来たのは実に約70年ぶりとのこと。山頂から見る小樽の町並みは、当時と比べるとだいぶ変わっているはずですが、それでも祖父は思い出に残る景色と現在のそれとを見比べて、自分の幼いころを振り替えてっているようでした。地元の人と会うたびに、「小さいころここに住んでたんですよ。いやぁ、懐かしい」と挨拶する祖父はとても嬉しそうに話し、その顔には幼さが戻っているようにも感じられます。

「いやぁ、天狗山には何度も来ようと思ってたのに、ずっと機会に恵まれなくってね。やっと念願が果たせた。今日で…寿命が5年くらい延びたよ。」

自分はまだ20年そこらしか生きてないので、70年ぶりに見る景色、というのはその目にどう見えるのか、想像もつきません。が、祖父の満足そうな顔を見ると、ここまで一緒に来て良かったなと改めて思いました。

ロープウェイの駅では、小樽の古写真展が催されており、明治・昭和時代の小樽が白黒写真で展示されています。幸運にも、懇意になった駅の職員さんからそのコピーを譲ってもらうこともできました。天狗山から見る小樽は本当にいい景色です。まだ昼ですが、今日はもうこれだけでも満足。

惜しむらくは、小樽の夜景を天狗山から眺めることができなかったこと。この日はこのあと午後に札幌まで移動しなくてはならなかったので、残念ながら今回はお預けですが、またいつか、小樽の夜景を天狗山から望むべく、もう一度来ます。いつになるかはわかりません。ただ、70年たってようやく念願を果たした祖父を見ると、人生長いスパンで考えようって気にもなります。

中心街に戻ってから昼食をとり、宿で寝込んでいる弟を見舞ってから、自分はここで一度2人とお別れです。祖父と弟は小樽にもう一泊していきますが、自分は一足先に札幌へ向かいます。この旅のそもそもの目的でもある、友人との再会のために。





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▲駅前から港に向かって伸びる中央通。そのまま第3埠頭までつながる。見えにくいかもしれませんが、通りの奥にある白い構造物がフェリーです。駅とフェリーがダイレクトにつながっているなんて、洒落た都市設計です。



2010-10-29

『シリコンバレー精神』

『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』でおなじみ、梅田望夫氏の著作。一応、奥付は2006年8月の初版ですが、2001年発行の『シリコンバレーは私をどう変えたか』の改題です。



■梅田本の謎がとけた!
書かれている内容は、96年秋から01年夏にかけてのシリコンバレー情勢についてなので、2010年を生きる僕らが「シリコンバレーのフレッシュな情報」を求めてこの本を読んでも、たいした収穫はないかもしれません。それでもこの本について書評を書こうと思ったのは、ずっと抱いていた、「なぜ梅田さんの一連の著作からは、他のWEB論からは感じることのできない、強い希望を感じることができるのか」という疑問に答えうる、明確な一文を発見したからです。

以前、斎藤孝氏との対談『私塾のすすめ』でも触れましたが、梅田さんの一連の著作からは、くさい言葉でいえば、「未来への無限の可能性」を感じられるというか、読んでいてとても明るい気持ちになれるのです。梅田さんの本には、「世界を良い方向に変える」ことに対してクレイジーと言っても差し支えないくらいに本気で取り組んでいる人々が数多く登場します。そして、人が何かの能力を鍛えようと思ったら、WEBの力を使って距離やお金などの制約を受けずに効率的・効果的な学習がいくらでもできるんだと、いう事例がいくつも紹介されています。これらを読んで、自分は本当にいい時代に生きているんだなぁ、といつも明るい気持ちにさせられますし、読んでいて自分の中に興奮とやる気が沸いてくるのをいつも感じます。少なくとも、何か好きなことに没頭する、ということをこれほど力強く肯定してくれる本に、僕はこれまで出会ったことがありませんでした。

そんな梅田本の「明るさ」や「未来を力強く肯定的に捉えるメンタリティ」はどこから来ているのだろう、というのは、初めて梅田さんの本を読んでからずっと抱いていた疑問でした。

本書の巻末、「文庫のための長いあとがき」に次の文を見つけたとき、その謎がとけたような気がしました。
近未来の方向について、その時点その時点で自分なりの判断を下し(未来から振り返れば間違いだらけであろうとも)、苦しくても断定する表現を心がけてきた。むろん、両論併記の誘惑は常にあった。日本では、オプティミズムに基づき未知の可能性を描くより、ネガティブな問題提起や批判を書くほうが、また判断を下すよりも判断を保留し両論併記をする方が、無難で受容されやすいからだ。
あえて判断と断定にこだわったのは、考えたことを行動に結び付けるには、どうしてもそれが必要だったからだ。そしてもう一つ、断定的表現でモノを書き、それが多くの人の目に触れるということは、自らに強い緊張を課すことになる。迷った挙句に強い表現をした文章は記憶に残る。その記憶が自らに反省を促す。「あそこまで強く断定するのではなかったなぁ」と悩みながら、断定対象の推移を同時代的に眺めつつ考えるのは厳しく辛いことだ。でもそれが人を成長させる。(pp299・300)
ただ楽天的な観測に基づいて「WEBの未来は明るい」と主張されているのではない。情報を吟味し、自分で「断定」することのリスクを負う。その上で人に希望を与えうる文章を書く。それが梅田節だったんだ、とうことがこの一節から伝わってきました。梅田節の「力強さ」は、この梅田さんの「物書きとしての覚悟」に支えられていたんですね。

氏は「本書は、『シリコンバレー精神』でモノを書くということはどういうことなのかを、常に意識しながら書いた」とも述べています(p298・299)。そして「シリコンバレー精神」を「限られた情報と限られた能力で、限られた時間内につたないながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する」ことだと定義しています(p273)。いわば、シリコンバレーについてシリコンバレー精神に基づいて書いているのが梅田さんの本だったわけです。明るい未来を描いてはいるのだけど、同時に迫力もあったのは、この相乗効果のせいだったわけです。

■シリコンバレー精神は普遍的な価値観

なんだか『シリコンバレー精神』の書評というより、梅田さんのメンタリティ分析みたいな内容になっちゃいましたが(笑)、これってシリコンバレーに限らず、モノを書く、主張する、あるいは何かを人に伝えるうえで、欠かせないものなんじゃないかって気がしました。その時点でできる限りの努力しつつ、リスクを負って断定表現をする。そうした上で口から出る言葉からは、常に他人を動かしうるエネルギーや迫力が感じられます。「シリコンバレー精神」に基づいて動く人間は、洋の東西を問わず、人を動かすエネルギーをもっているのではないか。

本書に限らず、梅田さんの本はシリコンバレーやWEBの世界で起きていることが著述の中心にありますが、その根底には、氏の、あるいはシリコンバレーに生きる人々の人生観めいたものが感じられます。単なる技術論ではなく、人生論。それも梅田本の魅力なのでしょう。そしてそれに読者が共感し、一定の支持を得ているのは、梅田さんの人生観や本書の定義する「シリコンバレー精神」がシリコンバレーだけに特有のものではなく、ある種の普遍性を持っているからなのではないでしょうか。
「限られた情報と限られた能力で、限られた時間内につたないながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する」というのは、人が他人に対して真摯に接するうえでのマナーだともいえます。そして、そうやって行動する人は魅力的ですし、そうやって行動することは人を成長させます。僕には、「シリコンバレー精神」に基づいて行動する人間は、洋の東西を問わず、どこでも一定の評価を得ることができるように感じます。つまり、「シリコンバレー精神」は人類に共通する普遍的な価値観なのではないか…。

自分も、つたないながらもこうやってブログで世に情報・意見を発信しているわけですから、これからはもっと真摯な態度で文章を書かないとだめだなぁ、と改めて思いました。リスクを負っても、これからは「らしい」とか「だそうだ」などといった表現をなるべく使わないように心がけます。それが、自分の成長につながるのですから。

2010-10-28

港町の夜景(2010.09.05)

■苫小牧上陸

9月5日。船内で起床。立ち上がってうまく歩けないのは、寝ぼけているせいなのか、船のゆれのせいなのか。12時の苫小牧入港予定時刻まで、船内のロビーやデッキに出て時間をつぶします。

今日も快晴なので、遠くの海まで見渡せます。

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▲遠くに見える本州。おそらく、下北半島あたり。

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▲洋上の休日。

写真に収めるのは失敗しましたが、たまに、海上に水しぶきが見えます。船員さんに聞くと、おそらくイルカだとのこと。

そして徐々に近づいてくる苫小牧港。

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13:30、ついに北海道に上陸。ここから、バスを乗り継いで小樽を目指します。中継地・札幌では、大都会ぶりに驚きましたが、素通り。札幌には後でまた訪れます。

■小樽夜景散策

夕方、小樽に到着。駅前の宿をとって一休みしてから、夕食です。小樽は寿司でも有名ですが、なにせ祖父・自分・弟は食の好みがまったくかみ合わないので、どこで何を食べるかを決めるのも一苦労。結局、中華料理屋で、自分と弟はラーメン、祖父は天津飯という、どこにも小樽らしさのない夕食メニューに。まぁ、旨い中華料理屋だったので、それはそれでよかったのですが。

本日はほぼ移動だけの一日でしたが、それも悔しいので夕食がてら、小樽の夜景を散歩します。夕食を食べたアーケード街では、何かと榎本武揚の姿を目にします。

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榎本武揚といえば、幕府軍の海軍副総帥(事実上はトップ)で、北海道まで転戦しつつ新政府軍に最後まで対抗した幕臣。最後の激戦地・函館でならわかるのですが、なぜ小樽で榎本? と思って調べてみると、この良港・小樽に目をつけて開発を進めたのは榎本なのだそうです。まったく知らなかった情報ですが、こういう風に、地理から見えてくる歴史ってありますよね。これも旅の醍醐味のひとつです。

榎本武揚の軌跡たどる ゆかりの地マップ完成 後で知りましたが、こんなマップがあるなら、もらっておくべきだった…。

祖父はすぐに宿に戻りましたが、兄弟二人で夜景散策続行。駅前から伸びる中央通を下りつつ、有名な小樽の運河沿いに夜の町を散歩。地元の方が、ボランティアで夜景をバックに写真を取ってくれるサービスをやっていたので、取ってもらったのが下の写真。

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やっぱり、街の中に水路があると景色が映えますし、歴史を感じさせます。

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このまま埠頭公園のあたりまで散歩して宿まで戻りましたが、帰る途中で妙なものに出くわしました。街の中に、一本の線路がさりげなく敷かれているのですが、踏み切りもなく、また電車が通っている気配もありません。

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しばらく疑問に思いつつ、線路沿いを兄弟でスタンド・バイ・ミーが如く歩いていると観光案内版がありました。実はこれ、実際に使われていた路線の遺構なんだそうです。その名も手宮線。港町の貨物線で、石炭や海産物の積み出しや、札幌への物資輸送に使われました。なんと北海道で敷かれた最初の路線であり、開通は1880年(明治13年)。古っ! 日本最初の鉄道、新橋-横浜間の開業が1872年ですから、そのわずか8年後。2番目の鉄道、神戸-大阪間に次いで日本で3番目に開業した路線でもあるそうです。こうしてみると、小樽が意外と早いうちから拓けた港町なんだということがわかります。さらに上記の路線すべてに共通することですが、日本の鉄道の歴史は、都市と都市の間の路線よりも、まず大都市と港町をつなぐ路線から始まったのですね。

散歩を終え、宿に戻った後は弟と二人で飲みました。このせいで翌日は大変なことになるのですが…。



2010-10-20

『アナーキー・イン・ザ・JP』


アルバイト先の書店で上司に薦められた一冊。もともとこういう現代小説はあまり読まない人間なので、薦められなかったら確実に読むことはなかったであろう本なんですが、読了後の今はこの本を紹介してくださった上司に感謝です。痛快な読みごこちと、謎の感動があります。



昭和時代の有名な無政府主義者、大杉栄の魂が、現代を生きるパンクな高校生に乗りうつってしまうってしまうという、一見「?」な話。これがなぜだか、面白い。僕は大杉栄については高校の日本史で習った程度の知識しかありませんでしたが、大杉がどういう人間だったのかもよく伝わってきますし(実際に作中の様な口調で話していたのかは疑問ですが)、昭和時代の無政府主義者が現代の様々な事象をみて想ったことや、無政府主義者がパンク少年と妙にマッチする様など、物語としてもとても楽しめました。大杉が「インターネット」を「インターナショナル・ネットワーク」つまり「第4インター」と勘違いし、現代に世界革命が成就したと勘違いしてしまうあたりなんかは、思わず笑ってしまいました。
現代の高校生、パンクロック、無政府主義、と一見関係のない物事をつなぎ、この物語を作品として成り立たせているのは、次の一文だったような気がします。
<いや、そうだ。間違いない。アナーキストってのは、実は思想家や運動家じゃないんだ。まぁ、いわば性格とか人柄なんだな。顔を見ればわかるよ、そいつがアナーキストかどうかなんて、すぐにね>(p131)
オビには「痛快『青春』パンク文学」と紹介されています。はじめ、大杉栄が出てくる「青春」文学? って疑問に思いましたが、確かに「青春」文学です。最後のライブのシーンには、謎の感動があります。自分でも、なぜ感動したのか、うまく言葉で説明がつかないのですが…。


2010-10-12

出航(2010.09.04)


9月の前半、約2週間の北海道放浪旅行にいってきました。そもそもの目的は札幌に住む友人を訪ねることにありましたが、実は北海道に上陸するのは人生で初めて。それならばということで、北海道をぐるっと一周するバックパッキングをすることに。ついでに、今年大学1年になる弟に旅の醍醐味を味合わせてやろうと、弟も一緒に連れ出すことにしました。兄弟2人旅行するのも、実は初めてです。

さらに。それを聞きつけた祖父が、俺もついていくと言い出し、結局祖父・自分・弟の3人で行くことに。はじめは友人に会いに行くだけだった旅が、どんどんエスカレートしていきます(ただし、後で述べるように祖父・弟とは旅の途中ですぐに別れました)…。

飛行機 VS 鉄道 VS …

問題は、何でいくか、です。すでに、最初の目的地は祖父が幼いころに住んでいた小樽に決定しています。

飛行機は速いし、比較的安いのでいいのですが、たった数時間で北海道着っていうのもなんだか味気ない。自分は旅のゆったり間を大切にしたいので、新幹線&特急も同じくです。そんなわけで、はじめはちょっと贅沢して夜行列車、もしくは青春18きっぷで鈍行を乗り継ぎながらゆっくり北海道に行くのもありかと思ってました。ただ、夜行列車はともかく、北海道まで鈍行は80歳を過ぎる祖父には酷です。

そこで決まったのが、フェリーを使った船旅です。もともと船乗りだった祖父のアイディアですが、料金もかなり安いですし、船中で一泊したら翌日北海道ってのもなんだかいい。すぐにフェリーのチケットを手配し、何でいくか問題は解決しました。

フェリーは茨城の大洗港初、北海道苫小牧港着で、所要時間は約18時間。実際には東京-水戸経由-大洗港と苫小牧港-札幌経由-小樽までのバスチケットを含めたセットになっています。とってもお得。北海道旅行、料金を安く抑えたい方、移動時間にこだわらない方にはオススメです。

さんふらわあで行く、首都圏・北海道の船旅-三井商船フェリー

後悔の水戸

12:50、東京発のバスでまずは水戸へ。着いてから遅めの昼食です。が。ここで早速後悔しました。水戸も初めて訪れたのですが、けっこう街がでかい! しかも、周りに観光したら面白そうなスポットがたくさんある! さすが、天下の副将軍の城下町。

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北海道で見ることができる史跡は、やはり幕末・明治以降のものが中心なので、戦国・江戸時代の空気を感じることのできそうな水戸城跡・偕楽園・弘道館あたり、よってみるのも面白かったかもしれません。朝東京を出発していれば、半日くらいは水戸を観光できたので、残念です。

泣く泣く、駅前の水戸黄門像の前で写真だけ撮影して水戸とはおさらば。16:14発のバスで大洗港を目指します。

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乗船

到着後、乗船手続きをする前に、港を散策。潮風のにおいやヒトデがいかにも「海」って感じです。こういうとき、一人旅だとたそがれるしかないのですが、兄弟でいるとつい悪ノリします。ヒトデを投げあったり、港といえばオキマリのあのポーズで撮影したり。

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乗船するフェリーはすでに入港しており、港からはその全容を眺めることができます。

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たぷり港で遊んでから、乗船手続きをして、船内へ。シーズンオフであるにも関わらず、意外と乗客は多いみたいです。

部屋は8人部屋。毎日のように使っていた海外の安宿が思い出されます。

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18:30出航。ちょうど夕暮れ時の大洗港を後にしながら、北海道へのクルーズがスタートしました。

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食事を済ませ、風呂に入ると(船内なのに広い!)、もうすぐに就寝タイムですが、ラウンジや喫煙ルームは、若者を中心に夜もにぎやかでした。ちょうどW杯後初の日本代表、雪辱の対パラグアイ戦も放送中。ですが、海の上なので電波が悪く、要所要所のプレー映像が途切れます。うーん、じれったい! 波はおだやかで、元船乗りの祖父曰く「ベタ凪ぎ」の海でしたが、それでもやはり、揺れます。弟も船酔いにやられて寝てしまいました。

自分は眠れないので、ずと本を読んでいたのですが、それでも眠くならないので深夜にデッキへ出て風にあたりにいきました。甲板へのドアを開けると、真っ暗な中にしゃがんだ人影が。何をしているのかと覗き込むと

「わぁ、びっくりした」

「あ、すいません。お邪魔しちゃいましたか」

「いやいや、いいんだけど。写真とってたのよ。星がすっごく綺麗だから」

と言われて夜空を見上げると、すさまじい数の星々が! 目が慣れてくるにつれて、星空がどんどん明るくなってきます。こんな星空を見たのは生まれて初めて。そうえいばここは、街の光も煙も届かない、太平洋上なのです。こんなにはっきりと天の川を見たのも初めてですし、星がありすぎて、逆に有名な星座が発見しにくいという状況です。

先に写真を撮ってた方は、これから旦那さんと一緒に北海道でツーリングをしにいくそうです。写真も綺麗に写っていたので、触発されて自分も60秒間の集光モードで精一杯撮影にトライしてみましたが、写っていたのは暗い夜空だけ。記録には残せませんでしたが、あの明るい星空はいまだに鮮明に覚えています。

満足したので就寝。明日はいよいよ北海道上陸です。



2010-10-07

『独女世界放浪記』

いま、都内の某書店でバイトしてます。いつも「次はこれ読もうかなー」って目をつけながら働いているのですが、この本も「次読むリスト」に入ってた本のひとつ。そんな中、まさかの著者ご本人様が営業でご来店! 話を聞いているとやはり面白そう…。仕事中にも関わらず、その場で買って、あつかましいことにサインまでいただいちゃいました。




■女性ならではのトラブル

副題は「世界一周だいたい50カ国、510日」。著者が女性の方なんですが、こういうバックパッカーの旅行記で女性ものって、そういえばあまり目にしたことがありません。というわけで、この本で目立つのは「女性ならではの旅行トラブル」です。具体的に言いますと、要は「旅先であったセクハラ」です(笑)例えば、エジプトでスパイスを買いにでかけたときのエピソード。南さんは、とあるスパイス屋に呼び止められます。
そしてそれからもどんどんスパイスの説明が続く…
「この実をかじると君のナイトライフがグレイトだよ」
「この紅茶を飲むと君のバストは大きくなるよ」
そんなことを言いながら、男はさり気に私の胸元をタッチしてきた。や、やべーこいつ。ちょっとおかしいかも。
(中略)
足元の棚にサフランらしきものがあったので腰をかがめて見ていると、後ろからこう声をかけたれた。
「ほらこれを見て。すごい効果だろ?」
その声に後ろを振り返ると、しゃがんだ私の目線の先には……イスに腰掛けた男が、ワンピースタイプのイスラム服を腰までめくりあげ、
○○○まるだしっ!!
「キャあァァァ~~~っ!!!」
びっくりしてしりもちをつき、後ずさりして逃げ出そうとすると、
「ノーノー、ジャストルック!」
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。見てるだけでとか、そーいう問題じゃないしっ!(pp.106・107)
とまぁこんな具合に、セクハラを受けたエピソードが満載です。実際に著者の南さんにお会しましたが、とっても綺麗な方でした。放浪に出かける前には女優業をされていたそうです。そりゃあ、外人にモテるのも納得です。

女性の一人旅って、やはり男が一人旅をするのとは違った危険があるので、大変ですね。僕なんかは、主な旅先が治安も割といいヨーロッパ中心でしたし、夜も夜景を見るために平気で出歩いてましたけど、女性ではそうも言ってられないので、仲間の女性バックパッカーからうらやましがられたことがあります。

…とはいえ、男でもセクハラにあう危険性はあるので注意が必要っちゃ必要なんですけれどもね…。僕もパリでゲイに○○○をまるだしにされたときには仰天しました。外人って、○○○を見せびらかすのが好きなんですかね? 女性と男性じゃ一口に「襲われる」って言っても違いますけど、自分も同じような体験があるので、南さんの本はかなり感情移入しながら読めました。

■女性ならではの「オトク」

逆に、女性ならではの、得することもあります。作中では、ネパールでの国境越えの際、ビザが切れていたために払わなくてはいけない罰金を、泣き落とし作戦で切り抜けたエピソードなどが紹介されています。そう、男にない女性の最大の武器はやはり「涙」なのかもしれません(笑)いたるところでドリンクをタダで振舞われたって記述がありますが、たぶん男だったらこうはいかなかったんじゃないかな。まぁ、相手がゲイなら、ある程度通用するかもしれませんが…。

日本人女性は海外でモテるので、外人からナンパされやすいみたいです。知り合いに、それを逆手にとって、食事をおごらせたり観光案内させたりしながら全然お金を使わずに旅をしている女の子もいました。曰く、「ローマに一週間くらいいて1ユーロも使わなかった」とのこと。

…とまあ、メリット・デメリットの両方ある女性の一人旅ですが、南さんは「旅の経験は私の宝物」と締めくくっています。旅行記にはその土地の風土や地理・観光名所を紹介するタイプのものと、その土地であった出会いを中心に書くタイプのものがありますが、この本は完全に後者です。やっぱり旅って、見知らぬ人との出会いがあるから最高に面白いんですね。

これから一人旅に出る人、特に女性のバックパッカーには必読の一冊です。


南まいさんのブログ:『ぐるっと!世界一周


2010-10-05

『武器なき”環境”戦争』

いまや「エコ」だの「環境」だのの本は世にあふれていますが、この本を読んでみようと思ったのは手嶋龍一と池上彰の対談であったこと。なんか面白い組み合わせだなぁ、と思いましたが、そういえば二人とも元NHK組なんですね。もうひとつは、手嶋龍一が著者であることからも明らかですが、「環境」を倫理的・科学的な問題としてではなく、国際政治のスキームとして論じている点に興味を覚えたからです。「環境」についてまともに勉強するのは小学校以来かもしれませんが、基本的な知識をおさらいする意味でも、本書を読んでみました。




■石油時代の終わり
本書の第1章は「『石油の時代』、終わりの始まり」です。僕が「石油時代の終わり」と聞いて必要以上に反応してしまったのは、以前紹介した小説『Limit』と関係があります。書評ではストーリーにほとんど触れませんでしたが、この話の舞台は2025年。人類を支えるエネルギーは石油から月に埋蔵されるヘリウム3へと移行しており、それを宇宙エレベーターを使って地球への大量輸送できるシステムも確立。新しい時代に乗り遅れた石油業界は大きなダメージをうけ、それが物語の核心にも大きく関わってきます。

この物語では、現在からわずか15年後の2025年で石油時代が完全に終わりを迎えているのです。これを「早すぎる」と感じる人も多いと思いますが、実際に『Limit』の登場人物の多くも同じように「時代のパラダイムシフトは突然、それも急速に起こった」と感じており、ついていくのに精一杯です。

手嶋龍一は、この石油時代の終わりの象徴としてメキシコ湾での石油流出事件をあげています。日本のメディアが、その意味に気付いていないで事件をただの事故として報道している点を指摘しつつ。『Limit』の世界では石油を駆逐したのはヘリウム3でしたが、そう遠くない未来、石油に代わる何らかの代替エネルギーが主役に躍り出るのは時間の問題なのでしょう。それが何なのか、本書では明示はされていませんが。

■軍艦・核兵器・二酸化炭素
手嶋:対談ではCO2、二酸化炭素が戦前の軍艦、戦後の核兵器に次ぐ人類の最重要課題になったことが指摘されています。
第1次世界大戦の終結から第2次世界大戦の勃発までのいわゆる選喚起には、列強がどれほどの主力艦を保有しているかが、その国力を測る最も直截な指標でした。従って互いに建艦競争を牽制しあい、戦艦や巡洋艦の保有トン数を制限する海軍軍縮交渉が、国際政治の華やかな舞台としてスポットライトを浴びることになりました。
(中略)
第2次世界大戦後には、軍艦に代わって、核ミサイルこそが東西両陣営の軍縮・軍備管理交渉の主役となりました。
(中略)
これに代わって、1997年の「京都会議」以降、地球温暖化を防ぐ「環境」が、主役として舞台に踊り出てきた観があります。CO2の排出量こそ、その国の経済力、産業構造、省エネ技術、ライフスタイルを反映しているからです。まさしく、CO2削減は、軍艦、核ミサイルに次ぐ、人類の最重要課題となりました。従って、CO2の削減を、狭い環境問題と考えることは誤りなのでしょう。低炭素社会を目指す地球のシステムをいかに設計するのかという問題と捉えるべきなのです。(pp.152-154)

現在国際社会でCO2がいかに扱われているのかを説明するのに、非常にわかりやすい例えだと思います。軍艦・核兵器と同格の存在としてCO2が扱われているのには一見、違和感もありますが、この違和感こそ、日本人が現在「環境」というスキームの中で国際的な駆け引きが行われていることに気付いていない証明なのかもしれません。

手嶋氏の言うとおり、「CO2の削減を環境問題と考えるのは誤り」なのでしょう。倫理的な視点から「CO2を減らせ」と叫ぶのも確かに素晴らしいことなのでしょうが、それ以上に、「CO2の削減」が現在の国際社会のメインサブジェクトであるという認識を広めることも、それ以上に大切なのです。

■国際スタンダード作りが苦手な日本
さて、世界の興味が「CO2の削減」に集まる中、そんな国際社会のルールを定めたのが「京都議定書」であり、そのルール作りにおいて日本は主導権を握れませんでした。このことは「第2章 すべては京都から始まった」で詳しく述べられていますが、日本人の「国際ルール」づくりの下手さについてはよく指摘されるところです。それがなぜなのか、本書に興味深い指摘があったので紹介します。
手嶋:1980年代には、アメリカでベータ対VHSの戦争が熾烈に行われました。まさしくどちらが「グローバル・スタンダード」をとるか、という戦いでした。『電子立国日本の自叙伝』というテレビ番組の秀作がありました。その番組の関係者に聞いたのですが、日本発の技術システムがなかなか「グローバル・スタンダード」として広がらないのは、日本人が海外で布教活動をした経験に乏しいからだ――と。
池上:ああ、それは名言だなぁ。
手嶋:確かに、日本の神道を世界に広げるといった、布教活動の経験をあまり持ってませんね。(pp.178・179)

そこへいくと、キリスト教圏の人々は2000年前のパウロの時代から異民族への布教活動というものを経験として持っているわけですし、ザビエルの時代にはわざわざ地球の裏側にまで自分たちの文化を広めにきているわけです。十字軍やイスラム圏のジハードのように、戦争をしてまで教えを広めるという経験もありませんし、中国の「華僑」のような存在も日本にはありません。実は、僕はいまとあるアメリカの新興宗教(とはいっても18世紀に起こった、比較的古い新興宗教)からオルグを受けているのですが(笑)、彼らの熱心さといったら、とても日本人にはまねできません。布教のためにわざわざ海外に来て、現地で生活する。日本人が海外に行くといったら、まず旅行かビジネスのどちらかでしょう。

こうして考えると、日本人が自分たちの文化を世界に広めるための経験値が、他国と比べて圧倒的に劣っていることがわかります。日本が国際ルールを制定するのが下手なのも、ある意味当然なのかもしれません。だからといって、このままルール作りの競争に遅れをとったままでいい、という話にはならないのですが…。

…とまぁ、こんな具合に、読んでみて思ったのは、本書は「環境」というよりは「外交」「国際政治」の本だったように思います。手嶋さんの外交ウォッチャーとしての指摘は相変わらずさえているし、要所要所で池上さんが的確にわかりやすい説明を加えてくれるので、とても読みやすい。ぜひともこの組み合わせで、別のテーマでも対談をしてほしいですね。

2010-10-03

『Limit』

『深海のYrr』で有名になったフランク・シェッツィングによる長編SF小説、『Limit』に挑戦しました。9月に約2週間の北海道旅行に出かけたのですが、旅の暇な時間に読める、割と長い小説を読もうと思って手を出しました。約600ページ×4巻。いやー、疲れた。



あらすじは、ちょっと複雑な上にネタバレを避けられそうにないので割愛します。興味のある方は上のリンク先、Amazonの内容紹介をご覧ください。

とっても長く、しかも登場人物の多い物語です。正直1巻がキツイ。いきなり多くの人物が出てくる上に、物語に展開がありません。実質、1巻約600ページは登場人物紹介と物語の背景説明で終わります。後半になると、それぞれのキャラクター描写が生きてくるのですが、1巻の話の進まなさにイラついて挫折した方も多いのでは。

2巻あたりからようやく話が動き出しまして、そこからはイッキに読めました。ただ、2025年の話なので、現在では存在しないテクノロジーを余すことなく用いたシーンも多く、ちょっと想像しながら読むのが大変です。『深海のYrr』の映画化が決定しているだけに、今作も映像化を前提に書かれているのかもしれません。壮大な話ですし、アクションシーンも多く、宇宙ステーションや月面が舞台なので、映像化したら面白いことになりそうですが、映画化だけは絶対にやめてほしい。長く、登場人物が多く、さらにテクノロジーや政治的背景の説明がきちんとないとわかりにくい話なので、絶対に2時間の枠には収まりません。連続ドラマなら向いてるかも。

事件の目的や、黒幕の正体が最後の最後まで明かされないので、ラストまで飽きることなく読めます。個人的には、かなり綺麗にオチたと思います。テロの目的がわかったときには「なるほどー」って思いましたし、黒幕の正体が明かされたときには思わず「お前だったのかー!」と心の中で叫びました。

面白さは保証しますが、長いページ数をイッキに読める時間的余裕のない方にはあまりオススメしません。ちょっとずつ読むのは逆に大変だと思います。アクション・諜報・国際政治・SF・人間ドラマと様々な要素をふんだんに取り入れた、総合格闘技の様な小説です。時間のある方は、是非!

2010-04-30

イギリス総選挙がいろいろと面白い

■ブラウン首相、痛恨の失言

日本では次期参院選をにらんで新党の結党が相次いでいますが、現在イギリスでは総選挙(庶民院議員選挙、さらに地方統一選も同日実施)の真っ只中にあります。投票日はちょうど来週木曜日(イギリスでは伝統的に総選挙は木曜日に実施)の5月6日です。
そんな中、与党・労働党党首、現英国首相のゴードン・ブラウンが痛恨のマイクトラブル。
【4月29日 AFP】総選挙を来週に控えた英国で28日、遊説中のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)首相が有権者の女性を「頑固者」呼ばわりし、直接謝罪した。厳しい戦いの中、大きな痛手となった。
イングランド北西部ロッチデール(Rochdale)を遊説していた労働党党首のブラウン首相は、テレビカメラの前で、有権者のギリアン・ダフィー(Gillian Duffy)さん(66)から移民政策、国債、税金などについて質問を受けた。
首相はダフィーさんとの会話を終え車に乗り込むとすぐさま側近に対し、「とんだ災難だ。あの女とわたしを会わせるべきではなかった。誰のアイデアだ?」と文句を言い、「あの頑固な女め」と悪態をついた。車はすでにその場を離れていたが、マイクのスイッチが入ったままで、会話が拾われてしまった。
これまでずっと労働党を支持してきたダフィーさんはブラウン首相の態度について、「ひどすぎる」とし、「本当にがっかりした。教養のある人なのに、なぜあんな言葉が出るのかしら」と語った。ブラウン首相が選挙で勝ってほしいかと聞かれると、「今はどちらでもいいわ」と答えた。
(AFP http://www.afpbb.com/article/politics/2722323/5682645#blogbtn
問題のシーンはこちら
D
いやー、笑えるくらい見事に録音されちゃってますね。ただでさえ逆風の労働党にこの痛恨の失言。ブラウン首相はこの後ギリアン氏の自宅へ謝罪に訪れたみたいですが、英国では今このニュースで持ちきりです。海外のニュースなんかろくに放送しない日本でも、報道されてるくらいの大失態です。

■総選挙概要

労働党政権は賞味期限切れ?
さて、今回の総選挙ですが、いろんな意味で注目されてます。まず第一に、97年以来ずっと政権を担当していた労働党政権への審判という点。特に07年にブレア首相のあとを継いだブラウン首相は、今まで一度も総選挙の信任を受けておらず、これが初めて浴びる国民の審判となります。
はじめはそこそこだった支持率ですが、世界金融危機のあおりを受けて失速。さらに、ブレア政権下でブラウンがずっと財務大臣を務めていたことから、金融立国を目指したブラウンの過去の仕事まで非難される有様。加えて、議員の経費乱用問題や党内の反乱など厳しい状況下でここまでなんとかやってきました。

イギリスでは政権交代は日本に比べて頻繁に起こります。97年-10年までの13年間政権を担ってきた労働党。そろそろ第一野党の保守党へ政権交代の時期、といえばそうなのかもしれません。
ところが今回は、素直に「労働党が駄目だから次は保守党政権で」とはならない事情があるのです。
第3極の台頭とハング・パーラメント
第2の注目は、イギリスの伝統、2大政党制が崩れつつある点です。3ヶ月くらい前までは、保守党による政権交代は確実、というのが一般的な観測でした。しかし、保守党が政策面で労働党との差別化に成功していないことなどから、いまいち保守党も支持率を伸ばせていません。両2大政党の間を縫って支持率を伸ばしつつあるのが、第2野党の自由民主党です。

英国にも自民党ってのがあるんですね(笑)ちなみに英語表記はLiberal Democrats(通称LibDem リブデム)、日本の自民党はLiberal Democratic Party(LDP)です。

この第3極・自民党の台頭で懸念されるようになってきたのが、ハング・パーラメント、つまり、どの党も議席過半数を獲得できない状況です。「宙吊り議会」などと訳します。どうも現状ではハング・パーラメント化の可能性がかなり高いみたいですが、そうなると政権を樹立するために、どうしても2つ以上の党による連立が必要になります。

政策面から見て、保守党が自民党と組む可能性は低いため、労働党は自民党を取り込んで政権を維持する可能性が浮上し、保守党は単独過半数を目指して奮闘中、というのが現在の状況です。ただ、議席数第1党が保守党となった場合、それに劣る労働党=自民党連合が政権を担当するのは民意の反映としてはどうなのか、という問題があります。

自民も民主もダメ。間隙を縫ってみんなの党の支持率が上昇、という日本の状況に似ていますね。ただ、英国の自民党は現状でも62議席、全体の22%を占める立派な第3勢力。みんなの党とは規模が違います。たちあがれ日本、新党改革など、第3極がまとまれば、自民・民主を脅かすことが出来るのかもしれませんが…。

■選挙特集サイトが面白い

今回の選挙で個人的に興味を惹かれているのが、英国の選挙特集サイトの充実振りです。BBC(英国放送教会、イギリス版NHK)やGurdian紙のサイトなど、非常に面白いガジェットがそろっています。
Election Seat Calculator(BBC)
実際に見てみましょう。こちらは、BBCのElection Seat Calculator(http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/election_2010/8609989.stm
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上の画面は、4月27日のYouGov社による世論調査の結果を反映した選挙区勝敗一覧。各政党支持率、労働党28%/保守党33%/自民党29%を反映すると…おお、このままなら労働党が第一党の座を守れそうです。ただ、過半数には達しないため、ハング・パーラメントとなってしまいます。
さて、上記の失言事件を反映して労働党の支持率が下落したと仮定しましょう。左上の円グラフのつまみを移動させると、それぞれの政党支持率が変化。各選挙区の当落予想も変化します。ちょっと極端ですが、労働党が支持率を10%近く落とし、労働党20%/保守党35%/自民党35%でシュミレーション。
すると…。
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保守党が第1党となり、労働党は第2野党に転落。しかし、またもハングパーラメントです。労働党143・自民党181の議席を足して324議席。保守党の297議席を超えます。これは自民=労働党連立政権の誕生か!? 
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ちなみに上の画面は、ブレア労働党が政権を奪還した97年総選挙の再現。歴史的大勝利とされていますが全英が労働党のシンボルカラー・赤一色。円グラフの真ん中も、労働党のシンボルマーク・赤いバラです。
Election map and swingometer(Gurdian)
こちらはGurdian紙のElection map and swingometer(http://www.guardian.co.uk/politics/interactive/2010/apr/05/general-election-map-swingometer)。ガーディアンは、どちらかといえば労働党よりの新聞と言われています。
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上が選挙前の現在の議席状況。ロンドン・マンチェスター・エディンバラなどの都市部で労働党、逆に地方では保守党が多くの議席を占めていることが一目瞭然です。

さて右上の丸ボタンをスイング。労働党の支持率を大幅に減らし、保守党を大幅、自民党を小幅に支持率上昇のスイングをかけます。すると…
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おお、保守党の単独過半数が実現です。ただ、この可能性は低そうなので、次は労働党の支持率減少をそのままに、自民党の支持率を大幅にアップしてみます。すると…。
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労働党が第1党を守ったものの、またもハングパーラメントです。自民党と連立すれば過半数を獲得。労働党と保守党の間にもかろうじて1議席差があるので、なんとか体面を維持できそうな連立政権の誕生です。

…とまぁ、こうやってマウスの操作だけで気軽に選挙予測を楽しめるわけです。実際にどんな計算式を使ったソフトなのかは解りませんが、どれもハングパーラメントの可能性が高そうですね。

それにしてもこれは面白い! たぶん画面だけみててもわかりにくいと思いますので、実際にいじってその面白さを体験してください。今回は2つだけ紹介しましたが、他にもいろいろな選挙予測ガジェットが存在します。
日本の報道各社にも、参院選が始まる前に、是非これに匹敵するガジェットを作成していただきたい!

2010-04-23

『ユリウス・カエサル ルビコン以後[下]』


塩野七生の『ローマ人の物語』シリーズです。流石に長いので、このシリーズに関しては自分の興味のある部分だけ買ってつまみ読みしてます。DVDで『ローマン・エンパイア』を見たのがきっかけで、カエサル死後のローマ史を復習したくなったので読んでみました。



主人公はオクタヴィアヌス(アウグストゥス)。彼が若かりし頃の活躍と、老いてからの苦悩のシーンを交互に展開。時代が行ったり来たりするのに加えて、誰が誰を演じているのかわかりにくいので、ローマ史の知識がない人がいきなり見ると展開を追うだけで精一杯かもしれない。老いたアウグストゥスを演じるピーター・オトゥールの演技が秀逸。



タイトルは『ユリウス・カエサル』ですが、この巻はカエサル暗殺に始まって、オクタヴィアヌスがその後を継ぐまでの話。事実上、アントニウス&クレオパトラ VS オクタヴィアヌスの戦いがメインです。
内容の要約をしてると、そのまま史実を追うだけになってしまいますので、印象に残った塩野さんの文章の引用だけします。塩野さんの文章は、史実の描写も簡潔・明快でわかりやすい上に歴史だけに留まらない、物事の本質というか、核心を鋭く突いてくる文章が読んでてとても勉強になりますね。
ユリウス・カエサルの名を継ぐことは、1億セルティウスの金の寄贈よりも効力があったのだ。それを解ってて遺したカエサルも見事だが、18歳でしかなかったのにカエサルの真意を理解したオクタヴィアヌスも見事である。世界史上屈指の、後継者人事の傑作とさえ思う。(p109)
…(略)…優れた男は女の意のままにならず、意のままになるのはその次に位置する男でしかない…(略)…
意のままにならなくてもそれでよしとするか、または、器量才能では第一級とはいかなくても、意のままになる男を採るか。クレオパトラは、後者を選んだ。これで、彼女の以後の生き方も決まった。(p153)
カエサルは、自らの後継者と密かに決めた17歳当時のオクタヴィアヌスにアグリッパを配することで、若者に一つのことを教えていたのである。自分にある種の才能が欠けていてもそれ自体では不利ではなく、欠けている才能を代行できる者との協力体制さえ確立すればよいということを、教えたのであった。(p159)
クレオパトラは、ギリシア語・ラテン語はもちろんのことエジプトの民衆の言葉まで解したという。しかし、多くの言語を巧みに操る技能(タレント)と知性(インテリジェンス)は、必ずしもイコールではないのである。(pp179・180)
全15巻、文庫にして40巻以上のこのシリーズですが、カエサル、オクタヴィアヌス、ブルートゥス、キケロ、アントニウス、クレオパトラと豪華な登場人物に恵まれた本編は、特に面白い一冊だと思います。もともとDVD『ローマン・エンパイア』のおさらいをするために読み返しているこのシリーズ。続けて、『パクス・ロマーナ[上]』を読みたいと思います。


2010-04-20

『the hell song』

ちょっと前からバイト先の面子でバンドをやっています。なんか演奏にちょうどいい曲ないかなー、と曲をあさっていたところ、再発掘したのがこの曲。Sum41の『the hell song』です。
D
曲も格好いいし、自分の担当するドラムパートも面白そうなので、現在メンバーをこの曲をやる方向で説得中。
ただ、一見歌詞の意味が分かりにくかったので、一度きちんと訳してみようと思いました。あと、ボーカル担当者のための参考資料です(笑)以下、英語の歌詞と、下段に自分なりの和訳。歌なので、めちゃくちゃ意訳です。
Everybody's got their problems (problems)
誰もが問題を抱えている
Everybody says the same thing to you
誰もが同じことを言う
It’s just a matter how you solve them (solve them)
「問題はそれをいかに解決するか
And knowing how to change the things you've been through
過去をどうやって変えるのかなんだ」と


I feel I've come to realize
どうやら僕は解ってきたみたいだ
How fast life can be compromised
人生がどんなに傷つきやすいものなのかを
Step back to see what’s going on
何が起こっているのかを見極めるために、一歩身を引こう
I can’t believe this happened to you
僕にはそんなことは信じられないんだ
This happened to you..
そんなことは…


It’s just a problem that I'm faced with
これは僕の問題なんだ
Am I not the only one that hates to stand by
だけど、こんな状況が嫌なのは僕だけじゃない
Complication's headed first in this line
問題はとても複雑だけど
With all these pictures running through my mind
僕には頭の中を駆け抜けた光景があるんだ


Knowing endless, consequences
終わりがないことも、その結果も知ってるから
I feel so useless in this
徒労感ばかり感じてしまうけど
Get back, Step back,
一歩身を引いて状況を見極めるんだ
and as for me, I can't believe
僕にはどうしても信じられない

★ Part of me, won't agree
僕の中の何かがどうしても認めようとしないんだ
Cause I don't know if it's for sure
だってそれが本当に確かなのかなんてわからないだろう
Suddenly, suddenly
何故だかもう、突然
I don't feel so insecure
不安は感じなくなってしまったんだ <★繰り返し>
Anymore (So)
何も感じなくなってしまったんだ

Everybody's got their problems (problems)
誰もが問題を抱えている
Everybody says the same thing to you
誰もが同じことを言う
It's just a matter how you solve them (solve them)
「問題はそれをいかに解決するかなんだ」と
What else are we supposed to do..
だけど他に、一体どうしろって言うんだよ…

★ Part of me, won't agree
僕の中の何かがどうしても認めようとしないんだ
Cause I don't know if it's for sure
だってそれが本当に確かなのかなんてわからないだろう
Suddenly, suddenly
何故だかもう、突然
I don't feel so insecure
不安は感じなくなってしまったんだ <★繰り返し>
Anymore (So)
何も感じなくなってしまったんだ


Why do things that matter the most
なぜそれが一番大切なのか知っているんだろう?
Never end up being what we chose
選んだことに終わりはない、それを続ければいいんだ
Now that I find out, it ain't so bad
それがわかった今、そんなに悪い気はしない
I don't think I knew what I had [x2]
僕はもう、過去を気にしたりはしない


かなりの独自解釈になってしまっている部分も相当多いと思います。Wikipedia当該項目(英語版)の記事によれば、HIVに感染した友達のことを歌っているのだそうです。

I can’t believe this happened to you 僕には君に起こったことが信じられない
Knowing endless, consequences I feel so useless in this 終わりなきことも、その結果も知っているから徒労感ばかり感じてしまう
とかいったフレーズはそのことを指しているのでしょうね。

そういえば、以前知り合いでこの曲のサビのフレーズ、「Suddenly, Suddenly」を「Sunny rain, Sunny rain」と覚えている人がいました。曰く「晴れなのに雨なんだよ。この矛盾ぐあいがなんともロックじゃない?」とのこと。…言われてみれば、確かにSunny rainに聞こえないこともないな…(笑)


2010-04-16

『血戦』

ドラマ『宿命 1969-2010 -ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京-』が面白かったので、続編に当たる『血戦 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京2』を読んでみました。ドラマは上杉景勝…もとい北村一輝演ずる有川崇、彼を支える妻白井尚子、老獪な政治家白井眞一郎と、魅力的なキャラクターに恵まれ、わずか8話ながら、非常に楽しめました。見終わった後、続編にあたる小説が発売中、とのことで即購入。



■ドラマ版との差異

ドラマの原作に当たる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京』上・下巻は読んでいなかったので、まずは小説版とドラマ版のキャラクターの違いに目が行きました。『2』のみ読んだだけでも解る一番の違いは、有川崇と政略結婚の末に結ばれた妻・白井尚子の性格でしょう。ドラマ版では政略結婚でありながらもそれなりに愛に溢れた夫婦生活を営んでいた様ですが、『2』では崇の失脚後、完全に愛がさめてしまっています。ドラマ版の尚子の性格なら、夫が失脚し、冷や飯を食う生活が続いても、2人の間の愛は冷めず、むしろけなげに夫を支えていきそうな気がします。

個人的にはドラマ版の尚子の方が、キャラクター造形的に好きですね。『2』では、ドラマで崇が「あのお嬢さん、なかなか肝が据わってます」と賞賛した尚子の強さがあまり感じられませんでした。
■現実を追う展開
ドラマでは崇が岳父・白井眞一郎に叛旗を翻すところで終わりましたが、『2』では実際に崇が政界に進出するため、眞一郎と同じ選挙区で野党の刺客として出馬し、その選挙戦がメインとなっています。

この選挙戦というのが、民主党による政権交代が実現した、現実世界の2009年の衆議院選挙の流れをトレースした形で展開します。5年に渡る長期政権、後に続く2人の総理の電撃辞任、世界金融危機の発生と与党への逆風、“豪腕”で与党へのゆさぶりをかける野党幹事長・・・。これらの既視感あるできごとが、小説の中でも同じように展開します。

もちろん、我々は政権交代にいたる(いたってしまった・・・)までの一連の政局を見てきたからこそ、この小説の劇的な選挙戦にもリアリティを感じることが出来るのですが、少し現実に起きた出来事に即しすぎているのではないかな、という印象を持ちました。読んでいて、去年の政局をおさらいしているような感覚にすらとらわれてしまいます。もう少し小説オリジナルの展開があっても良かったのではないでしょうか。

あんまり現実の流れに制約を受けすぎてしまうと、今後の小説の展開も、現実の政局に左右されかねないのが心配です。実際に今は民主党政権がボロボロになっていますが、こんな状況の中で(架空の)野党新人議員・有川崇はどう動けるのでしょうか?
■なんだかもったいない・・・
物語全体にいえることなのですが、もう少し深く書き込んだり、エピソードを増やして欲しいな、と思いました。この話の魅力は登場人物のキャラクターと、人物同士の複雑な関係の展開にあると思うのですが、『2』では新しい登場人物も増え、「この人とこの人会話させたら面白そうだなー」と思うことがしばしば。ドラマ45分×8話分と比べると、これだけの話の流れがわずか250ページ、どうしても薄っぺらい印象が否めません。200ページくらい読んで、「え?もう終わり?」と思っていしまいました。この3倍のページを使って、もう少し深くじっくり書いて欲しかった。話自体はとても面白いのに、深く書き込める、という小説形式の利点が感じられません。なんだか、非常にもったいない。

まぁ、ドラマの放送にあわせて急遽書き下ろしたのでしょうか、時間もあまりなかったのかもしれませんが、それだけの力が、作者にはあるように思えます。

ともあれ、プロローグ&エピローグにわずかばかり登場する宣子の存在といい、いかにも「続きます」的な終わり方です。続編が刊行されるのを楽しみにしています。

2010-02-03

『ロングバケーション』

『ロングバケーション』、通称『ロンバケ』ってドラマ覚えてますか?キムタクと山口智子主演のドラマで、1996年の放送なので、自分が小学校4年のころです。もう10年以上もたったのかぁ…。



自分はこのドラマが大好きで、うちにビデオがあったので、定期的に何度も見ていました。うちのビデオデッキが壊れ、DVDに移行して以来、『ロンバケ』を見ることはなかったのですが、最近、また全11話をじっくりと、見返してみました。
いやぁ。いい!
『ロンバケ』はいい。なんか見るだけで、人に対して素直になれるドラマです。音楽を題材にしたドラマといえば、今はすっかり『のだめカンタービレ』が定番ですけど、自分の中で『ロンバケ』を越えるドラマには未だに出会ったことがありません。「桃ちゃんでぇ~す」 とか「マタニティ~、バブ~」とか、意味不明な名言(?)も多いけど、そこもまたいい。
久しぶりに見て気付いたのは、自分がドラマをみてて「おもしろい」と感じるシーンやセリフが変わったなということ。そりゃあ、小学生のころと大学生じゃ、感じるものが違いますよね。小学生のころは、なんとなく「大人になったらこんな楽しそうな生活を遅れるのかー」くらいですけど、初回の放送から10年、自分もいろいろと、オトナになったのかな?(笑)
恋愛だけではなく、人との付き合い方とか、自分に正直になる生き方とか、このドラマには沢山のものが詰まっています。最近人づきあいに丁寧さを欠いていたのは、このドラマを忘れていたからかもしれない。

以下は、今回見返してみて、自分が1番いいなと思ったシーン。瀬名と佐々木教授が、ラーメン屋・マンキンで飲んでいる場面です。

セリフだけ抜き出してもなかなか伝わらないと思うので、興味がある人は是非とも鑑賞してください。

瀬名:飲みすぎですよ
教授:ううん、大丈夫。大丈夫。あぁ~、熱いなぁ。瀬名君。恋っていうのはねぇ、とても、テンションの高いものなんです。だからみんなそれが一番大切なものだと思ってしまうんですが、でも僕は…少し、違うと思うんだなぁ。『マディソン郡の橋』とか、僕は、信じません。
瀬名:あ、それ僕まだ見てないから…
教授:夫をね…最後まで裏切って死んでいくような、そんな手紙を書いてはいけません。そばにね…そばにいる人を……大切にしなければ…いけない。やはりね…部屋で待っててくれる人を…大切にしなければ…いけないんです。でもねぇ…瀬名君。ショパンというのは、何度帰っても、『おかえり』とは言ってくれません。
瀬名:いや家に帰って…ショパンが『おかえり』って言ってくれたらそれはそれで怖いですけどね。
教授:・・・。瀬名君はね・・・ズルイ人です。あなたは決して…『さみしい』という言葉を使わない人だ。
瀬名:そんなわかんないじゃないですか。
教授:いや、わかります。あなたのピアノを聞いていればわかるんだ。世界中の全ての人間が『さみしい』という弱音を吐いたとしても、あなたは絶対に『さみしい』という言葉を…使わない…!! 強い…人なんです。
瀬名:まさか。
教授:強いから…優しくなって、しまうんです。
瀬名:あのそれ…先生の買い被りですよ。僕…けっこう女々しいですから…。
教授:女々しい。女々しいい、いじゃないですか。大いにいいです。女々しいというのは、素直、という意味なんです。いいですか瀬名君、君は自分自身に、もっと素直になれば、それでいいんです。
瀬名:うぅん…そうですね…。
教授:熱ければ窓を開けて、夏の風に浸るように。寒ければストーブに火をつけて、手をかざすように。もちろん、みんなの前である必要はありません。だれかの…誰かの前だけで、いいんです。瀬名君、…壁。とっぱらってください。

最後の「壁をとっぱらう」ってのは、このドラマにおける一つのキーワードですね。佐々木教授とか桃ちゃんとか、こうやってさらっと素敵なセリフを吐ける大人は魅力的だと思います。自分もこういうおっさんになりたい…。
…次に『ロンバケ』を見たとき、自分はどのシーンに惹かれるのかな。
あと、ロンバケは劇中の音楽もいい!ピアニストが主人公なんで、ピアノの楽曲もそうですが、挿入歌や行きつけのクラブで流れる音楽とか、自分のなかでの名曲が盛りだくさんです。併せてこちらもどうぞ。

2010-02-02

日中歴史認識、溝は埋まらず…

日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)は31日、報告書を発表した。焦点となった近現代史では「南京事件」(1937年)の犠牲者数を日本側が「20万人を上限」、中国側は「30万人余り」とするなど戦前を中心に歴史認識の隔たりは埋まらなかった。
1945年以降の現代史は中国側の要請で公表を見送った。委員会は今後、委員を入れ替えて第2期研究に着手する方針だが、作業は難航が予想される。
報告書は約550ページで、「総論」のほか、「古代・中近世史」と明治維新前後~45年までの「近現代史」を対象とした「各論」で構成。各論は双方の委員が個人の立場で執筆した論文を掲載し、両論併記の形を取った。
旧日本軍による中国国民政府の首都・南京攻略時に起きた南京事件について、日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と認定した。ただ、犠牲者数は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘。「副次的要因」として中国軍の民衆保護策の欠如なども挙げた。これに対し、中国側は「中国軍人が集団的に虐殺された」と強調。犠牲者数は中国の軍事裁判の認定を引用して「30万人余り」とした。
満州事変については中国側が「侵略」と断じた。日本側はきっかけとなった南満州鉄道(満鉄)爆破事件(31年)を関東軍の「謀略」と明記したが、当時の政府は追認せざるを得なかったとした。日中戦争では日本側が発端となった盧溝橋事件(37年)を「偶発的」としながらも、「原因の大半は日本側が作り出した」と認めた。中国側は「全面的な侵略戦争」とした。
一方、文化大革命(66~76年)や天安門事件(89年)などを含む45年以降については、中国の現政権批判に直結しかねないこともあり、中国側が公表見送りを強く求めた。委員会は2006年10月の日中首脳会談で設立に合意した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00678.htm?from=nwla

■そもそもの目的は?

日中の共同歴史研究が案の定、上手くいっていないというニュースです。自分は、地域・立場・時代が違えば歴史観が食い違うのは当然だと思っています。同じ日本の中でさえ、例えば山口県(旧長州藩)と福島県(旧会津藩)とでは明治維新に対する見方も変わるでしょう。ましてや、60年前に戦争をしていた国同士が歴史観を共有するなんて、そこにどれだけの困難が付きまとうことか。
それでは、この「日中歴史共同研究委員会」なる組織は、なんのために共通の歴史観を構築しようとしているのか? 外務省の発表によれば、

  • 双方は、日中共同声明等の3つの政治文書の原則、及び、歴史を直視し、未来に向かうとの精神に基づき、日中歴史共同研究を実施するとの認識で一致した。
  • 双方は、日中歴史共同研究の目的は、両国の有識者が、日中二千年余りの交流に関する歴史、近代の不幸な歴史及び戦後60年の日中関係の発展に関する歴史についての共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることによって相互理解の増進を図ることにあるとの認識で一致した。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_aso/apec_06/kaidan_jc_rekishi.html(外務省:日中共同歴史研究について)
とのこと。日中関係の回復に努めた安倍政権時代の合意の様なので、こういう方向になったみたいですが、上記の文章からは、「仲良くするために」とか「まぁ、お互いの理解を深めるためにとりあえずやっておこう」といったような弱い印象を受けてしまいます。

共通の歴史観を構築するには、何か高い目的のための手段として割り切らなければ、到底不可能な気がします。例えば、東アジア共同体設立のための下地になるように、とか・・・(もっとも、自分は東アジア共同体の設立には懐疑的な立場ですが)。現に、何百年間という長いスパンでドンパチやってきたドイツとフランスも、共通の歴史教科書を持つことで有名ですが、その動きが本格化したのは欧州共同体構築の動きが進むのと平行しています。そのような現実的な目標があるならともかく、「未来に向かうとの精神」とか「相互理解の増進」といった曖昧な目的のために共同研究を行っても、かえって両国間の認識のズレが際立ってしまうだけの様な気がします。

■共産党政府の歴史観


もう一つの問題は、日本の相手が中国という国、あるいは地域というよりも、むしろ中国共産党だという点です。一口に中国、といっても、チベットやウイグルの民衆からみた日本の歴史と、中国共産党の幹部から見た日本史は印象が違うのではないでしょうか。上記の記事でも、共産党政府にとって都合の悪い文化大革命や天安門事件に関する記述は公表できないということが述べられていますが、日中共同の歴史研究といっても、共産党政権にとって都合の悪い記述を、彼らが許してくれるはずがありません。


中国歴代の王朝は、以前の王朝の失政・暴政を強調することで自らの正当性を裏付ける歴史観をつくってきました。そう考ると、侵略者・日本帝国軍を追い払い、民衆の支持を得て成立したのが中国共産党政府なわけで、彼らにとっては、日本は絶対的な悪役でなくては困るのです。そんな彼らが、南京事件の被害者数や、日本の大陸進出の原因について妥協を許すはずがありません。
自分は、日本側の委員が発表した「日中戦争では日本側が発端となった盧溝橋事件(37年)を『偶発的』としながらも、『原因の大半は日本側が作り出した』」という認識は、極めて客観的で真実に近い気がするのですが、それでも中国側にとっては「全面的な侵略戦争」でなければ困るようです。
相手が共産党政府である限り、永久に相手に都合の良い歴史観しか認められないような気がします。

■日中+韓の共通歴史観


以前、この「日中共同歴史研究委員会」とは別の組織ですが、日中韓3国共通の歴史教科書を作ろうとする民間の「日中韓3国共通歴史教材委員会」という団体に参加している大日方純夫(早大教授)という人の講演を聞きにいったことがあります。この動きは、2005年に日中韓共通の現代史教科書が発行されて形になりました。



「日中共同歴史研究会」に比べて、日本側の参加者も左派色の濃い研究員が多いのか、中韓に対してだいぶ妥協したような記述が多い印象を受けました。そもそも、この「日中韓3国共通歴史教材委員会」は、新しい歴史教科書を作る会の動きに対抗する流れで生まれた団体だったと記憶しています。

まぁ、この共通教科書自体にはそれほどの面白さは感じなかったのですが、講演を聞いて面白かったのは、日中・日韓の間だけでなく、中国・韓国の間にも歴史認識の対立がある、という指摘でした。例えば、韓国側は「中国の五・四運動は、三・一独立運動の影響を受けた」、と主張して譲らないそうですが、中国側はそれを否定しているようです。さらに、旧中華冊封体制下における宗主国・属国との間の認識のズレも相当あるようです。

歴史問題に関しては、中国と韓国が共同で日本を敵にしている印象がありますが、実は中国・韓国の間にも不協和音は存在するのですね。そう考えると、東アジアの共通歴史観なんて、果たして本当にできるのか、そもそもそれを構築する必要なんてあるのか、ますます疑問が募っていきます…。