ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-02-29

邂逅

【欧州人物観察記 李眞熙 前編】

その日、やっとのことでウィーンの引力から逃れた。欧州について早々、ウィーンで荷物の70%をロストした自分は、それから数日間、同市のまわりをふらついたり、物価の安いチェコで物資の補充をしていた。

正直、死に体だった。気分は沈みまくって、旅どころではない。 「このままでは」と、とりあえずウィーン都市圏を脱出するために、電車に乗った。

行き先は決めていない。なにせ、ガイドブックすらもっていない。

鉄道は、オーストリアの雪原・山岳地帯を走った。綺麗な景色が、少し心を癒してくれる。車内の路線図を見て「この街へいこう」と決めた。リンツ Linz。電車を何度も乗り継いで、着くのにまる一日かかった。

ちょうど良かった。今日は何も考えずに、車窓を眺めていたい。オーストリア東部を大きく「コ」の字型に回ったので、着いたのは夜の19時。さっそく宿へ向かうと、部屋でまっさきに声をかけてきたのが、眞熙だった。

李眞熙。23歳。韓国人。

”Have you done your dinner? If not, How about with me?”
”Great. but I wanna take a shower at first. Let's have together after I finished it”

人と話すことに飢えていたので、とりあえずOKした。3日ぶりのシャワーで、洗濯物も溜まっていたので、シャワー室から出てくるのに1時間かかった。

"Sorry, you may have waited for me so long time"
"No problem. but I thought you were sleeping in the shower room. or dead" 

眞熙は冗談が上手い。早速、近くのスーパーで夕食を買いこんで、宿のロビーでディナーをはじめた。夕食といっても、メインはスナックとビール。ビールはビン8本で3ユーロ (約500円)。安い。

口から、言葉が洪水の様にあふれ出た。自分でも、自分がこれだけ英語を話せることに驚く。沈んだ気分で、自分の心に満ちていたのは厭世観。その反面、次に人と会ったら、こんな話をしようと、頭の中で何度も英語のシュミレーションをしていたおかげだ。

眞熙とは、旅の話、国の話、異性の話、日韓関係の話などをしているうちに、かなり打ち解けあった。高校のときに、韓国の姉妹校と、短期交換ホームステイをしたことがあったので、相手が韓国人なら、いくらでも意思の疎通はできるんだ、という実体験も、大きな助けになった。

さらに、周りには背の高い白人ばかりのこの欧州で、お互いに東アジア人であることは、民族意識を超えて、少なからぬ親近感を生む。初めてあったにしては、かなり突っ込んだ話もした。

眞熙はよくしゃべる。英語を自分のものにした話し方なので、早口でも話せる。それでも、酔いの勢いで意味が理解できてしまうから不思議だ。…余談になるが、英会話に一番必要なのは勢いだと思う。そのためには、酔っ払ってしまうのが手っ取り早い。

沈んでいた自分は、どっかに消えうせた。まったく意味も無く、ただなんとなく来た街で、面白い奴と出会えた。欧州に来て、こんなに楽しく酔ったのは、初めてだった。

この出会いが無ければ、自分はもっと長い期間、荷物を失ったショックから立ち直れていなかっただろう。本当に、眞熙との出会いには感謝している。

その日が、自分の21歳の誕生日であることには、後から気づいた。この出会いは、最高の誕生日プレゼントだった。

中編:旅の恥はかき捨て

後編:エリートの思考文法




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『フリーメイソン』

欧州放浪中、西洋史の勉強をしてるって言ったら、いろんな人に質問された西洋の秘密結社・フリーメーソン。聞かれたら、とりあえず「創価学会みたいなものじゃないですか。『創価学会』って組織があることはみんなが知ってるけど、だれが学会員なのかはわからないでしょ。」ってな感じに答えていました。

歴代アメリカ大統領がメーソンとつながっているとか、ドル紙幣にメーソンアイが印刷されているとか、陰謀論につながりやすそうなところは適当に濁していたつもりだったのですが、繰り返しているうちに自分が気になってきてしまったので、帰国したらきちんと調べてみようと思って手に取った一冊。再読。




最近の陰謀論ブームやダン・ブラウンの小説のヒットなどで、日本でも知名度が上がってきた(もはや存在が公然としすぎてなんら秘密でもない)秘密結社・フリーメーソンですが、その実態は陰謀論的アプローチが強すぎて、多くの誤解があるように感じます。少なくとも、この本で主張されるメーソン観とは一致しません。

著者によれば、その本質は、「理神論」を核とする18世紀の啓蒙結社であったようです。

本書の大部分が近代メーソンの設立期という、西洋啓蒙活動の時代とオーバーラップしており、あまりオカルティックなアプローチはしていないので、他の本と比べると説得力を感じます。キリストの教えに代わって、西洋社会に浸透した「徳」という概念。この徳の高い人間を育み、「普遍的な人類共同体」を設立することが、メーソンの目的だったようです。

著者はあとがきでこう述べています。
ふりかえって、フリーメーソンとは何かと自問してみると、それは近代という世俗化の時代に登場した一種の擬似宗教ではなかったかという気がする(P178)
「科学」「道徳」「理性」いう名の新しい宗教を広めるための、新しい「教会」となったのがフリーメーソンだったということでしょう。

陰謀論に結びつけるためのメーソン論とは明らかに一線を画していますが、そのぶん、一般の方々が知りたがる、「世界を裏から牛耳る秘密結社」的な記述は見受けられません。そういう類の本を求めてる人は、『ダ・ヴィンチ・コード』の解説本とかを読んだほうが楽しめると思います。研究者でもない限り、面白く、楽しく読める本が一番です。実は、(批判的読書を目的としないならば)自分もそういう本は好きです。

また、現代のメーソンの性格についての描写が少ないのが残念。むしろ、西洋の啓蒙思想や神秘主義を勉強する上で参考になる本かもしれません。

といわけで、おそらくフリーメイソンの「全貌」を描いた本ではないのだと思われます。著者の吉村さんは、西洋の神秘主義への興味からフリーメイソンにいきついたとのことで、そのことは本書にも色濃く反映されています。フリーメイソンの「全貌」に迫るレベルの本だと、新書じゃ無理かな?安価で説得力のある本があるなら、読んでみたいのですがどなたかご存知ないでしょうか?

あと、最近はやり(?)の「竜馬はフリーメーソンに操られてた」説も一回読んでみたくなりました。あくまで「楽しみ」のためですよ。こういうの読むと、たぶん教授に怒られる(笑)  次は「織田信長はフリーメイソンに操られていた」「聖徳太子はフリーメイソンに操られていた」説登場しないかなー。絶対面白いと思うんだけどなー。

2008-02-08

欧州で考えたこと05 -信仰編-


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【写真】宗教について考える大きなヒントを与えてくれた、ジェノヴァのアルナールド神父。哲学問答を繰り返すこと、約3時間。とても疲れました…。死後は聖人 SAINT になるのが目標なんだとか。 …燃えろ!俺のコスモ !!

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欧州であった日本人が、合言葉の様に、口をそろえて言うのは「こっちに来ると、宗教について考えちゃうよね」ということだった。実際、自分もそうだった。

自分の名と共に、守護聖人の名を教えてくれたり教会で膝をつき、額で十字をきる人々。いきなりすれ違いざまに、「メッカの方向はどっちだ?」と聞いてくるムスリム(イスラム教徒)。そんな人との出会いが、日常。美術館を巡っていても、宗教画ばっかりなので、聖書の知識がないと、「へぇ」「すごい」で終了。あっちでは、宗教が当たり前の様に日常に溶け込んでいる。

自分は両親がクリスチャンなので、日曜日には教会に行くのが、小さい頃は普通だった。…やっぱ、「行かされてた」が正確かな。今では西洋史専攻のくせに、キリスト教の知識が絶望的にないことに困っている始末なのだけれども。

現地人からは、よく「宗教はなんだ?」と聞かれた。それこそ、異邦人と会ったときの、お決まりの挨拶のように。そのときはいつも、「宗教は神道」と答えることにしていた。生まれたと同時にクリスチャンとしての洗礼を受けてるそうなのだが、キリスト教の教えというのは、自分の肌にはどうしても合わない。

だいたい自分は「左の頬をぶたれたら右の頬を差し出す」ことができるほどの聖人君子でもなく、また、水をワインに変えたりだとか、水の上を歩けたといった類の話を、熱心に信じてもいない。かといって、今までの人生で、仏教にも特に関り無くこの年まで生きてきたし、「輪廻転生」という考え方にも違和感がある。

自分の先祖を、神に近いものとして尊敬しているし、万物に神(魂といったほうがいいのかな?)が宿るという考え方の神道が、自分の肌には一番合う。実際、神社にはよくお参りにもいく。

神道は日本古来の宗教にすぎず、いわゆる「世界宗教」ではないので、あっちでは知らない人も多い。たまに知ってる人もいるけれど、「宗教は神道」と答えると、「どんな宗教なの?」 「何を崇めているの?」と聞かれるのが普通だ。

「神道は、日本の伝統宗教」

「 『八百万 (やおよろず) の神』といって、それはもう沢山の神様がいる」

「感じることさえできれば、森羅万象に神は宿る」

「人は死んだら、神になれる」

「俺にとっての神は、自分の先祖だ」

こんな説明を繰り返すと、最後には「お前が死んだら神様かよ。お前が。ははは」といって、ジョークに巻かれて会話が終わるのが、よくあるパターン。実際、教会の神父さんとじっくり話したことも何度かあったが、一神教が基本のユダヤ・キリスト・イスラム文化圏では、多神教の概念は理解しにくいらしい。というか、多神教、つまり「万物に神が宿る」という考え方を突き詰めていくと、「全てが神なら、結局は神とはなんなのだ?」となって、無神論に行き着いてしまう。これは、汎神論という考え方。実際、汎神論を唱えた神学者は、中世キリスト教世界では異端扱い、火あぶりの刑だった。

神道には、キリスト教を否定しかねない内在的論理が潜んでいる。(まぁ、神道はキリスト教さえも飲み込んでしまう宗教ではあるのだけど)

欧州人にとって神とは「Jesus」という絶対的なものであって、それ以外ではない。八百万の神だの、死んだら神になれるだの、恐れ多いことを平気で口に出してた東洋人をみて、彼らはさぞ不思議だったに違いない。

さて、やって本題に戻って 、「こっちにくると、宗教について考えるよね」という問いに戻ってみる。「宗教」については普段考えることの無い日本人だが、立派な「信念」を持つ人は、なかなか多い。とりわけ向こうでは、自分の生き方を貫いている立派な方々に、沢山出会えた。そんな人たちと話をしていて、ふと思う。

「信念」はある意味、「自分教」と言い換えることが、できないだろうか。

結局、「信念」は、「自分を支える『宗教』」と、いえなくもない。

「自分教」では、教祖様は自分自身や尊敬する先達であり、過去の生き様や実績が、聖書である。自分にとっても、血を引く御先祖様たちの生き様は、キリスト教徒にとっての、ペテロやパウロら、信徒達の活動の記録に相当するものだとも、言えなくもない。

西洋社会では、各家庭に一冊は聖書があるのが当たり前だし、自分の回想録を書くときに、やたら聖書からの引用をふんだんに使ったものが多い。日本にはそんな文化は無いけれども、本屋さんに行ってビジネス書や自己啓発本のコーナーを見ると、社長さんが書いた自伝のような類の本が多いのには、そんな事情があるんじゃないかと、考えた。

彼らは自分の生きた証として、自分の「信念」を、他の人に伝道したいのではないか。「信仰」が無い代わりに「信念」を求める。これが日本人の正体なんじゃないかと、考えてみた。

…どうすかね?



2008-02-01

欧州で考えたこと04 -日常編-


欧州放浪旅行から帰って、ようやくいろいろと、感覚が戻ってきました日本での生活がまた「日常」化してきました。…って言っても、向こうにいたのは、たかだか3ヶ月。留学してる人や、1-2年放浪してる人に比べたら、日本社会には割とすんなり、復帰できてるハズです。たぶん。

…こうやって、日本での生活が普通になってくると、あっちでの記憶がどんどん薄れてくる。あっちで現地人と仲良くなったり、世界遺産を毎日の様に見ていた経験が、夢だったかのように、思えてくる。

「日常」ってのは、「当たり前の毎日」と言い換えることができるだろう。「当たり前」の連続こそが、「日常」だから、欧州を放浪しているときは、日本語以外の言葉が「日常」で、むしろ日本語で会話できることが「非日常」だった。

そして、その「非日常」を楽しむことこそが、旅の醍醐味なのだ。日本で体験できない「非日常」を体験するところに、海外で放浪する意義がある。外国で和食ばっか食ってても、日本人ばっかりとつるんでいても、海外旅行としては、何の面白みもないと思う。

だから、ひとつ正解だったのは、旅行のスタイルとして「バックパッカー」を選んだこと。あの3ヶ月間、ツアー旅行なんかじゃできないような出会いや、予定の大番狂わせの連続だった日本では知り合う機会もなかったような年・職業・出身地の日本人とも、沢山出会えた。

体当たりで大恥かいたことも何度もあったけど、この一年、休学してまでバックパッキングして大正解だった。

さて、「日常」に飽きた皆さん、未知なる「非日常」を求めて、旅に出てはいかが?知らない世界が、きっとアナタを待っているはずです♪

…そして早くも、新たな旅に出たくなってきた、今日この頃。だけれども、金が無いのが、どうしようもない泣き所てかまず、あっちで使いまくったクレジットカードの引き落としがあるんだよなぁ…。

あぁ、こんな「日常」から逃避したい… (笑)