見慣れぬ食材でパスタソースを つくる眞熙。お味の方は… |
承前 前編:邂逅
さて、その韓国人・李眞熙。
かなり打ち溶け合ってしまったので、翌日の道程もご一緒することになった。
初めは、次に行く町の方向が同じだったので、途中まで一緒の電車に乗るだけだったのだが、車内トークが盛り上がってしまったので、勢いで眞熙と同じ街に行くことにしてしまった(自分のよくあるパターン)。
眞熙とは2007年11月08日-13日まで一緒に行動し、リンツ、チェスキー・ボドヨビチェ、チェスキー・クルムノフを同行。いったん別れた後で17日にプラハでも再会したので、まる7日間、一週間ずっと一緒に過ごしたことになる。
7日間、大変だったのは、眞熙が無茶苦茶おしゃべり好きだったということ。とにかく、よくしゃべる。
「トヨタは静かな奴だな。もっと話してくれよ。退屈じゃないか」
いやいや、お前が喋りすぎなんだ。対象は自分だけではない。店の人、宿の係、駅員、相部屋になったバックパッカー etc...とにかく誰にでも話しかける。
正直、俺でもわかるくらい、文法が滅茶苦茶な英語を話すときもあるが、言葉数がそれをカバーするので、結局誰とでも意思の疎通をこなしてしまう。そして会話だけに限らず、何事にもアグレッシブだった。
「あの店に入ろう」
「あの場所へいってみよう」
「じゃあ、あの人に聞いてみよう」
初めは、彼のペースに合わせるのがとてもしんどかった。
疲れる…。日本人はシャイな民族なんだ。高校の交換ホームステイのときも苦労したが、“アジアのイタリア人” コリアンとはメンタリティが違いすぎる…。
眞熙がみつけてきたプラハのジャズクラブ。正直、彼が 行こうって言わなかったら無縁な場所だった。 |
それが、案外楽しいのである。思えば、一生に一度これるかこれないかの、遠い異国・チェコの街。どうせ思い出を作るなら、ブっ飛んだ体験をするに越したことは無い。眞熙と共に過ごせる時間も、無限ではない。
沢山話して、自分という人間を、相手に強く印象付けたい。そのうち、日本には「旅の恥はかき捨て」というなんとも便利なことわざがあったことを思い出した。
恥ずかしいのも、今だけ。どうせなら、何もしないで諦めるよりも、何かアクションをしてから落ち込もう。そう考えているうちに、いつの間にか自分の旅のスタイルができあがっていた。眞熙に作ってもらったとも、言えるかもしれない。
あの3ヶ月間、自分の血液型は完全にB型だった。本来の血液型(AB型)の半分であるB型が、もう一方のB型を完全に圧倒していた。
やると決めたら、恥をかいてもやる。
解らないことがあれば、とにかく言葉を連発して誰かに尋ねる。
行くと決めたら、何十キロ歩こうが、とにかく行く。
そんなスタイル。
実際にやってみると、旅の面白さが倍増する。そして何より、勉強になる。ガイドブックにも載っていないことが、自分の旅日記に、どんどん増えてゆく。今となっては『地球の歩き方』に投稿してやりたいネタが盛りだくさんな今日この頃だ。
後で気付いたのだが、眞熙のおしゃべり好きは、彼の性格もさることながら、英会話の勉強だったのだ。英語を「話す」には、いくら難しい学術書が読めたって、「話す」訓練をしないと、上達しない。そういう意味で自分は、眞熙の練習台だった訳で、あまり話さない奴を「退屈」と思うのは当たり前の話でもあった。
ともあれ、自分の旅のスタイルに、眞熙が与えた影響はかなり大きい。
「旅の恥はかき捨て」
そんな言葉を思い出させてくれただけでも、眞熙には感謝だ。
後編:エリートの文法
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