ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-03-01

旅の恥はかき捨て

見慣れぬ食材でパスタソースを
つくる眞熙。お味の方は…
【欧州人物観察記 李眞熙 中編
承前 前編:邂逅

さて、その韓国人・李眞熙。

かなり打ち溶け合ってしまったので、翌日の道程もご一緒することになった。

初めは、次に行く町の方向が同じだったので、途中まで一緒の電車に乗るだけだったのだが、車内トークが盛り上がってしまったので、勢いで眞熙と同じ街に行くことにしてしまった(自分のよくあるパターン)。

眞熙とは2007年11月08日-13日まで一緒に行動し、リンツ、チェスキー・ボドヨビチェ、チェスキー・クルムノフを同行。いったん別れた後で17日にプラハでも再会したので、まる7日間、一週間ずっと一緒に過ごしたことになる。

7日間、大変だったのは、眞熙が無茶苦茶おしゃべり好きだったということ。とにかく、よくしゃべる。

「トヨタは静かな奴だな。もっと話してくれよ。退屈じゃないか」

いやいや、お前が喋りすぎなんだ。対象は自分だけではない。店の人、宿の係、駅員、相部屋になったバックパッカー etc...とにかく誰にでも話しかける。

正直、俺でもわかるくらい、文法が滅茶苦茶な英語を話すときもあるが、言葉数がそれをカバーするので、結局誰とでも意思の疎通をこなしてしまう。そして会話だけに限らず、何事にもアグレッシブだった。

「あの店に入ろう」 
「あの場所へいってみよう」
「じゃあ、あの人に聞いてみよう」

初めは、彼のペースに合わせるのがとてもしんどかった。

疲れる…。日本人はシャイな民族なんだ。高校の交換ホームステイのときも苦労したが、“アジアのイタリア人” コリアンとはメンタリティが違いすぎる…。

眞熙がみつけてきたプラハのジャズクラブ。正直、彼が
行こうって言わなかったら無縁な場所だった。
が。2、3日もしてくると、それが日常化してくるので、自分も眞熙をおちょくる意味でも、ジョークをいってみたり、積極的に街を歩くようになった。積極的に話しかけ、普段は入らないような店に入り、正しいのかも解らない英語を、とにかく口から出す。

それが、案外楽しいのである。思えば、一生に一度これるかこれないかの、遠い異国・チェコの街。どうせ思い出を作るなら、ブっ飛んだ体験をするに越したことは無い。眞熙と共に過ごせる時間も、無限ではない。

沢山話して、自分という人間を、相手に強く印象付けたい。そのうち、日本には「旅の恥はかき捨て」というなんとも便利なことわざがあったことを思い出した。

恥ずかしいのも、今だけ。どうせなら、何もしないで諦めるよりも、何かアクションをしてから落ち込もう。そう考えているうちに、いつの間にか自分の旅のスタイルができあがっていた。眞熙に作ってもらったとも、言えるかもしれない。

あの3ヶ月間、自分の血液型は完全にB型だった。本来の血液型(AB型)の半分であるB型が、もう一方のB型を完全に圧倒していた。

やると決めたら、恥をかいてもやる。
解らないことがあれば、とにかく言葉を連発して誰かに尋ねる。
行くと決めたら、何十キロ歩こうが、とにかく行く

そんなスタイル。

実際にやってみると、旅の面白さが倍増する。そして何より、勉強になる。ガイドブックにも載っていないことが、自分の旅日記に、どんどん増えてゆく。今となっては『地球の歩き方』に投稿してやりたいネタが盛りだくさんな今日この頃だ。

後で気付いたのだが、眞熙のおしゃべり好きは、彼の性格もさることながら、英会話の勉強だったのだ。英語を「話す」には、いくら難しい学術書が読めたって、「話す」訓練をしないと、上達しない。そういう意味で自分は、眞熙の練習台だった訳で、あまり話さない奴を「退屈」と思うのは当たり前の話でもあった。

ともあれ、自分の旅のスタイルに、眞熙が与えた影響はかなり大きい。

「旅の恥はかき捨て」

そんな言葉を思い出させてくれただけでも、眞熙には感謝だ。

後編:エリートの文法









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