【承前】 アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-
疲れた足取りでプラッツの街へと戻る。もう21時を回っていた。雪も降っているし、当然街を歩く人影は見えない。とりあえず何かを食べたかったが、民家ばかりで食堂らしき建物は見当たらない。
ようやく、それらしい看板のたった建物を見つけた。他には見当たらない。とにかくおなかが減っていたので、そこへ入ることにした。
入ってみると、そこは食堂ではなく、居酒屋だった。カウンターに店主とビールのサーバーやグラスが並び、テーブルにいくつかのグループが座っていた。メニューを見ても、食事らしきものはない。唯一、酒のつまみなのか、カウンターにポテトチップスが並んでいた。
この際、腹にたまれば何でも良かったので、ポテチを頼むことにした。居酒屋でポテチだけというのもアレなので、ビールを一杯頼む。疲れた体にビールはとても美味しくて大口で飲んだが、こんなすきっ腹で一気に飲んだら酔いが回ってしまうと思って、ゆっくり飲むことにした。
重いバックパックを下ろしてテーブルに座ると、入り口付近に体格の良い帽子をかぶった男と、背の高い細い男が二人、座っていた。こっちをもの珍しそうに見ている。それもそうだろう。見慣れぬ黄色人種が、こんな雪の夜に大きなバックを背負って一人でやってきたのだ。
目が合ったので、挨拶してみると、二人は自分のほうに擦り寄ってきた。既に酔っていたようで、高いテンションで話しかけられたが、チェコ語はわからない。英語はどうだろうと思って話しかけてみても、通じない。
自然と、会話はジェスチャー頼りになる。よって、以降の会話は、なんとなくこういっているんだろう、という自分の想像である。たぶん、正確ではない。
大きいほうの男が、「これでもどうだ」と小さなショットグラスを差し出してきた。
においからして、ウォッカだ。ジェスチャーからみて、これでも飲んで体を温めろということらしい。たぶん、コートに雪が張り付き凍っていたのをを見て、気を使ってくれたのだと思う。ショットグラスで出されたということは一気に飲み干すのが礼儀なのだろうか?たぶんここでイッキ飲みをしたら、相当酔いが回るだろうなとは思ったが、せっかくの気遣いなので、応じることにした。
「どうだ、体が暖かくなっただろう?」
「うん、こりゃきくね」
「お前、なかなか良い飲みっぷりだな。マスター、同じものをもう一杯頼む。あと、俺の分も」
マスターに同じものを注文するしぐさを見て、「いかん」と思ったが、言いたいことが上手く伝わらない。
「いいか、こうやるんだ」
大柄の男はショットグラスを持った手のひじを上げ、自分に真似をする様に促した。どうも、チェコ式の乾杯の様だ。2人で飲み干すと、その後で握手をし、抱き合って、お互いの耳元でキスを鳴らす。
小さなグラスだったが、2杯だけでだいぶ喉が熱くなった。後で何かで読んだのだが、チェコのウォッカは、ロシアのものよりも強いらしい。いつの間にか、というかあっという間に酔いが回ってきた。自分は基本的に笑い上戸なので、酔うとなんでも楽しくなってきてしまう。言葉もろくに通じなかったが、現地人との会話は楽しかった。
大柄の男は名をバレイチェクと言うらしい。年は50代くらいに見えた。たぶんこのプラッツの人間なら、ナポレオンの名前を出せば話のタネになると思って現地の発音風に「ナプーレァ、ナプーレァ」と連発してみると、どうも通じたみたいで、彼がなにやら語り出した。内容はわからないが。
酔って上機嫌になった彼は、どんどんウォッカを頼みだした。そしてまた例の乾杯をする。これの繰り返し。楽しかったが、すきっ腹にこのウォッカの畳み掛けはきつかった。テーブルに伝票が置いてあり、何かを注文するごとに、マスターがそこへチェックを入れるのだが、ウォッカを頼むごとにチェックされるのはバレイチェクの伝票だった。おごってもらっていることになるので、断るのも失礼だ。腹を満たすためにここへきたのに、腹は満ちずに、酔いだけ回っていく。
言葉がお互いに通じないので、バレイチェクは歌を歌いだした。細い男とマスターも加わって、合唱が始まる。何度も何度も同じ歌を歌い、遂には自分も一緒に歌ったので、この歌は今でも歌える。自分も言葉に頼らない何らかの方法でコミュニケーションをとろうとして、自分の旅ノートをみせた。そこには、メモのほかに、自分の描いた絵があったからだ。絵なら、言葉がわからなくても解る。
バレイチェクは喜んでくれたが、一番面白がっていたのは自分で鏡を見ながら書いた自画像だった。
「お前、なかなか上手だな。お前の顔にそっくりだ。なぁ、俺の似顔絵も描いてくれよ」
妙な展開になってしまったが、酒をおごられた恩もあるので、バレイチェクの似顔絵を書いてあげることにした。西洋人の顔は書きなれていないのでなかなか苦労したが、出来上がったものをみせると彼はそれをいたく気に入ったらしく、マスターにその絵を壁に張るように言った。
というわけで、この居酒屋にはもしかしたら、今でも自分が書いたバレイチェクの似顔絵が飾ってあるかもしれない(笑) 確か、絵に日付とToyotaというサインを入れたので、プラッツの街に行く人がいたら(いるのか?)是非ご覧になっていただきたい。
何杯飲んだか正確に覚えてはいないが、相当きつかった。視界がおぼろげになって、完全に酔った。正直にいうと、トイレに行って何回か吐いている。自分は酒は好きだが、すきっ腹にウォッカのイッキ飲みを重ねて平然としていられるほど強くはない。たぶん、吐かなかったら完全に潰れていたと思う。大学のサークルのおかげで吐くのに慣れていたことに、心底感謝した。
欧州放浪の旅では何度も酒を飲んだが、吐くまで飲んだのは、唯一この日だけだ。アウステルリッツの大地を果てしなく歩いた後で、へとへとに疲れた体でこんなに泥酔するハメに陥るとは、考えてもいなかった。日本でも、ここまで酔いが回ったことはないかもしれない。もしかしたら、この日は人生で一番胃を痛めつけた日かもしれないのだ。
それにしても、最終電車はここから30分くらい歩いた駅から23時頃に出る。そろそろ店を出ないとまずいと思ったが、正直、この状態でまた雪の中を歩く自信はない。第一、バレイチェクのテンションが高く、容易に返してはくれそうにない。自分の悪いクセなのだが、酔うと楽しくなって、もうどうでも良くなってしまうというか、その場の勢いで物事を済ませてしまうところがある。帰る宿のことは考えずに、しばらく飲み続けた。・・・one shot と、vomit を繰り返しながら。
【続く】 アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-
疲れた足取りでプラッツの街へと戻る。もう21時を回っていた。雪も降っているし、当然街を歩く人影は見えない。とりあえず何かを食べたかったが、民家ばかりで食堂らしき建物は見当たらない。
ようやく、それらしい看板のたった建物を見つけた。他には見当たらない。とにかくおなかが減っていたので、そこへ入ることにした。
入ってみると、そこは食堂ではなく、居酒屋だった。カウンターに店主とビールのサーバーやグラスが並び、テーブルにいくつかのグループが座っていた。メニューを見ても、食事らしきものはない。唯一、酒のつまみなのか、カウンターにポテトチップスが並んでいた。
この際、腹にたまれば何でも良かったので、ポテチを頼むことにした。居酒屋でポテチだけというのもアレなので、ビールを一杯頼む。疲れた体にビールはとても美味しくて大口で飲んだが、こんなすきっ腹で一気に飲んだら酔いが回ってしまうと思って、ゆっくり飲むことにした。
重いバックパックを下ろしてテーブルに座ると、入り口付近に体格の良い帽子をかぶった男と、背の高い細い男が二人、座っていた。こっちをもの珍しそうに見ている。それもそうだろう。見慣れぬ黄色人種が、こんな雪の夜に大きなバックを背負って一人でやってきたのだ。
目が合ったので、挨拶してみると、二人は自分のほうに擦り寄ってきた。既に酔っていたようで、高いテンションで話しかけられたが、チェコ語はわからない。英語はどうだろうと思って話しかけてみても、通じない。
自然と、会話はジェスチャー頼りになる。よって、以降の会話は、なんとなくこういっているんだろう、という自分の想像である。たぶん、正確ではない。
大きいほうの男が、「これでもどうだ」と小さなショットグラスを差し出してきた。
においからして、ウォッカだ。ジェスチャーからみて、これでも飲んで体を温めろということらしい。たぶん、コートに雪が張り付き凍っていたのをを見て、気を使ってくれたのだと思う。ショットグラスで出されたということは一気に飲み干すのが礼儀なのだろうか?たぶんここでイッキ飲みをしたら、相当酔いが回るだろうなとは思ったが、せっかくの気遣いなので、応じることにした。
「どうだ、体が暖かくなっただろう?」
「うん、こりゃきくね」
「お前、なかなか良い飲みっぷりだな。マスター、同じものをもう一杯頼む。あと、俺の分も」
マスターに同じものを注文するしぐさを見て、「いかん」と思ったが、言いたいことが上手く伝わらない。
「いいか、こうやるんだ」
大柄の男はショットグラスを持った手のひじを上げ、自分に真似をする様に促した。どうも、チェコ式の乾杯の様だ。2人で飲み干すと、その後で握手をし、抱き合って、お互いの耳元でキスを鳴らす。
小さなグラスだったが、2杯だけでだいぶ喉が熱くなった。後で何かで読んだのだが、チェコのウォッカは、ロシアのものよりも強いらしい。いつの間にか、というかあっという間に酔いが回ってきた。自分は基本的に笑い上戸なので、酔うとなんでも楽しくなってきてしまう。言葉もろくに通じなかったが、現地人との会話は楽しかった。
大柄の男は名をバレイチェクと言うらしい。年は50代くらいに見えた。たぶんこのプラッツの人間なら、ナポレオンの名前を出せば話のタネになると思って現地の発音風に「ナプーレァ、ナプーレァ」と連発してみると、どうも通じたみたいで、彼がなにやら語り出した。内容はわからないが。
酔って上機嫌になった彼は、どんどんウォッカを頼みだした。そしてまた例の乾杯をする。これの繰り返し。楽しかったが、すきっ腹にこのウォッカの畳み掛けはきつかった。テーブルに伝票が置いてあり、何かを注文するごとに、マスターがそこへチェックを入れるのだが、ウォッカを頼むごとにチェックされるのはバレイチェクの伝票だった。おごってもらっていることになるので、断るのも失礼だ。腹を満たすためにここへきたのに、腹は満ちずに、酔いだけ回っていく。
言葉がお互いに通じないので、バレイチェクは歌を歌いだした。細い男とマスターも加わって、合唱が始まる。何度も何度も同じ歌を歌い、遂には自分も一緒に歌ったので、この歌は今でも歌える。自分も言葉に頼らない何らかの方法でコミュニケーションをとろうとして、自分の旅ノートをみせた。そこには、メモのほかに、自分の描いた絵があったからだ。絵なら、言葉がわからなくても解る。
バレイチェクは喜んでくれたが、一番面白がっていたのは自分で鏡を見ながら書いた自画像だった。
「お前、なかなか上手だな。お前の顔にそっくりだ。なぁ、俺の似顔絵も描いてくれよ」
妙な展開になってしまったが、酒をおごられた恩もあるので、バレイチェクの似顔絵を書いてあげることにした。西洋人の顔は書きなれていないのでなかなか苦労したが、出来上がったものをみせると彼はそれをいたく気に入ったらしく、マスターにその絵を壁に張るように言った。
というわけで、この居酒屋にはもしかしたら、今でも自分が書いたバレイチェクの似顔絵が飾ってあるかもしれない(笑) 確か、絵に日付とToyotaというサインを入れたので、プラッツの街に行く人がいたら(いるのか?)是非ご覧になっていただきたい。
何杯飲んだか正確に覚えてはいないが、相当きつかった。視界がおぼろげになって、完全に酔った。正直にいうと、トイレに行って何回か吐いている。自分は酒は好きだが、すきっ腹にウォッカのイッキ飲みを重ねて平然としていられるほど強くはない。たぶん、吐かなかったら完全に潰れていたと思う。大学のサークルのおかげで吐くのに慣れていたことに、心底感謝した。
欧州放浪の旅では何度も酒を飲んだが、吐くまで飲んだのは、唯一この日だけだ。アウステルリッツの大地を果てしなく歩いた後で、へとへとに疲れた体でこんなに泥酔するハメに陥るとは、考えてもいなかった。日本でも、ここまで酔いが回ったことはないかもしれない。もしかしたら、この日は人生で一番胃を痛めつけた日かもしれないのだ。
それにしても、最終電車はここから30分くらい歩いた駅から23時頃に出る。そろそろ店を出ないとまずいと思ったが、正直、この状態でまた雪の中を歩く自信はない。第一、バレイチェクのテンションが高く、容易に返してはくれそうにない。自分の悪いクセなのだが、酔うと楽しくなって、もうどうでも良くなってしまうというか、その場の勢いで物事を済ませてしまうところがある。帰る宿のことは考えずに、しばらく飲み続けた。・・・one shot と、vomit を繰り返しながら。
【続く】 アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-
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