池田晶子さんの「41歳からの哲学」シリーズ第3巻。いつも、これが読みたくて週刊新潮を立ち読みしていました。
固定観念を捨てて読まないと、たまに頭ん中がこんがらがります。池田女史の言葉を素直に感じないと、何を仰っているのか、さっぱりつかめなくなるときがあります。ですがそれだけ、物事の本質を突いているってことでしょう。納得がいくと、視界がひとつクリアーになった気がします。
なお、これにも関連して、本書には以前紹介した『国家の品格』に触れた部分があるので、紹介しておきます。
学生時代、『JJ』の読者モデルを務めたこともあった著者。カバーの写真、60年生まれなのに若い&綺麗すぎです。そんな彼女も07年、お亡くなりになられました。まぁ、本人にとっては何の問題もないのだろうけれど。「言葉を売る」のが仕事である文士の中、この人の言葉には説得力がこもっている。哲学者って、こういう人のことを指す言葉なんだろうと思います。
固定観念を捨てて読まないと、たまに頭ん中がこんがらがります。池田女史の言葉を素直に感じないと、何を仰っているのか、さっぱりつかめなくなるときがあります。ですがそれだけ、物事の本質を突いているってことでしょう。納得がいくと、視界がひとつクリアーになった気がします。
生きるということは、大変なことなのである。しかし、そもそもなぜ我々は、そんな大変な思いをしてまで生きなければならないか。存在が存在するという、謎。これを著者は飽きもせずに考えているように思われます。
これを今さら考えてみると、どうも理由がよくわからない。「どういうわけか」生まれてしまったのである。生まれてしまった、存在した、存在が存在するということには、どう考えても理由がない。人生が存在するということには、どうやら理由がないのである。
だとしたら、ひょっとしたら人生というものは、何ものでもないのかもしれないのである。(P42)
なお、これにも関連して、本書には以前紹介した『国家の品格』に触れた部分があるので、紹介しておきます。
『国家の品格』の危うさがそこにある。主張されている内容は完全に真っ当である。しかしその主張のされ方が危ういのである。彼女は日本に生まれたのは偶然である。確かに日本には素晴らしいものがあるが、それは自分が偉いというわけではない。偉いのではない。そのことから「日本人だからすばらしい」「日本人だから誇りを持て」と主張を捻じ曲げられやすい、本書の危うさを指摘しています。著者に言わせれば、「国家の品格」よりも「人間の品格」なんだそうです。ごもっとも。
「最も重要なことは論理では説明できない」と筆者は言う。その通りである。人を殺してはいけない論理的な理由は見つからない。その理由はわかっている。(我々が)存在するとはどういうことなのか、そもそもこれが論理的に理解できないからである。この問いを因り具体的に開いてみると、「なぜ私は日本という国に生まれたのか」これは論理的には説明できないのである。(P120)
学生時代、『JJ』の読者モデルを務めたこともあった著者。カバーの写真、60年生まれなのに若い&綺麗すぎです。そんな彼女も07年、お亡くなりになられました。まぁ、本人にとっては何の問題もないのだろうけれど。「言葉を売る」のが仕事である文士の中、この人の言葉には説得力がこもっている。哲学者って、こういう人のことを指す言葉なんだろうと思います。
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