ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-05-08

『国家論』

『国家の罠』で有名になった佐藤優の、本格的な国家論。副題は「日本社会をどう強化するか」一度読み通してみたのですが、その場その場で理解するのが精一杯で、全体を俯瞰しながら読むことができなかったので、メモを頼りに、もう一度読み直してみたいと思います。幸い、著者は結論への作業仮説や論理構成を提示しながら持論を展開してくれているので、道に迷う心配はありません。地図を見ながら、もう一度著者の思考をなぞってみたいと思います。


序章 国家と社会

国家論のための社会論
まず、『国家論』とはいいながら、「社会」についても、相当な論考が加えられています。曰く
…国家と社会は、21世紀の日本に生きるわれわれにとって、渾然一体となっている。ですから、どこまでが国家でどこまでが社会なのかということは、分からないというのが通常の状態なのです。(P11)
社会と国家は切り離すことができないのか。あるいは、国家のない社会とは、ありえないのか。この疑問には、著者はアーネスト・ゲルナーの説を援用してこの様に述べています。
…産業社会においては、国家は必ず存在するとゲルナーは言っている。
その根拠は、人を産業社会に対応させるためには、長期間の基礎教育を受けさせなければならないが、その基礎教育の負担に耐えるだけの資源があるのは、国家しかない、したがって国家の存在は必須だ、ということになります。(P10-11)
なお、ゲルナーは社会の発展段階を3つに分けており、一番初めの「前農耕社会」では、社会には国家は存在しないそうです。次が「農業社会」で、最後が「産業社会」。これが、現代の社会です。この現代の産業社会で、国家と社会が一体となっているのなら、どうやって国家について考察すればいいか。著者は思考実験として、国家から社会を排除してみる、そのような作業仮説を提示します。
区別されるが、分離できない
国家と社会は一体となっているが、完全に混ざり合っているわけではない。「区別ができるはずです。ただし、それは分離されていないのです」(P20)ここで著者は、得意の神学を生かして、カルケドンの定式を持ち出します。
カルケドンの定式とは、451年に行われたカルケドン公会議での結論のことであり、「キリストは神でもあり、人間でもある」という、いまいちよくわからない結論です。つまり、イエス・キリストの人間性と神性は、区別されるが、分離できないのだそうです。
…国家と社会というものは、イエス・キリストにおける神性と人性のように、「混乱もせず、転化もせず、分割もせず、分離もしないものとして」、つまり、知的な努力では区別が可能でも分離は不可能なものとして、我々の前に現出していると言えるのではないか。これが私の作業仮説です。(P28)
では、分離できない国家と社会から、どう国家論を導き出すのか。
われわれの関心は、国家にあるのですが、ここでは社会の構造を解明することによって、その解明から漏れてしまう部分に国家の特徴を求めるという方法をとりたいと思います。これは、否定神学の応用です。(P32)
『国家論』の目的
P47から、佐藤優がこの本で何をしたいのか、いわば、本書の目的が明かされます。9.11以前の世界では、グローバリゼーションに対抗しうる軸といえばアンチグローバリズムしかなく、それはときどき資本の論理と対立するとはいえ、基本的に非暴力でした。しかし、アルカイダの様な暴力に訴えるかたちでの反グローバリズムが登場すると、それに対抗すべく、国家や、それを維持する官僚は「きれい好き」の特性を強め、どんどん国民への干渉を強めていきます。「テロを未然に防ぐ」という旗の下に、国家の統制が強くなるのです。国家の暴走が始まるのです。人々は「国家の罠」にはまりやすくなるのです。
では、国家の暴走に対抗する具体的な対案はあるのか。国家によってきれいな社会を作るのは不可能というとことがポイントです。国家は社会ではなく、自己保全のことしか考えていない。アルカイダ的なテロが起きたら、官僚は生き残れない。だからテロは嫌だということです。われわれもアルカイダが嫌だというなら、社会を強化しないといけない。(P49)
つまり、9.11以後の世界で暴走を強める、国家・官僚へ対抗すべく、社会を強化するための設計図が、この本です。
佐藤優によれば、日本の現状をこのまま放っておくと、近未来に2つの地獄絵が出現することになります。第1は、新自由主義化の格差がもたらす地獄絵。格差の広がりによって、低所得者は自分の範囲でぎりぎりの生活しか出来ず、子を生み育てることすら難しくなる。さらに、高額所得者と低所得者の間で、同じ日本人であるという同胞意識が薄れていく。第2は、国家の暴力がもたらす地獄絵。国家の実態とは「税金を取り立てつことによって生活している官僚」であり、放っておけば、国民のためではなく官僚のための国家暴力が生まれるといいます。
結論の頭出しをすると、社会は社会によってしか強化されません。そしてまた、国家も社会によって強化されるのです。国家は必要悪です。社会による監視を怠ると国家の悪はいくらでも拡大します。社会が強くなると、国家も強くなります。そして、強い国家は悪の要素が少なくなるのです。(P51)
ここから、日本社会の構造を解き明かす第一章へと移行します。


0 件のコメント:

コメントを投稿