ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-09-29

話題のフィリピン英語留学にいってみた
 -英語留学備忘録-

近頃、割と日本でも浸透してきたフィリピンでの英語留学

え? フィリピンで英語? って思われる方もいるかと思いますが、フィリピンもれっきとした英語圏の国。他の英語圏で留学するのに比べて、メリットも多々あります。例えば、


費用が安い
 欧米圏に比べて、1/3程度とのこと。僕は、3ヶ月で20万とちょっとでした。
マンツーマンの授業が受けられる
 グループレッスンだけの授業だけでなく、1対1でじっくり学べる
現地の物価が安い
 現地で生活するのにもオトク感満載。僕が通った学校は宿・飯付きでしたし、
 感覚としては一日500円も使えばかなり贅沢な生活ができると思います。



など。詳しくは、「フィリピン 英語留学」で検索すればいろんなサイトが出てくるので、見てみてください。上記などの理由などから、韓国ではアメリカで留学生活を始める学生が、その準備としてフィリピンに滞在してから出発する、というのも一般的だそうです。韓国ではどうやらそのブームのピークは去った、とのことで、実際僕のスクールメイトの韓国人も、欧米への留学予備軍よりかは、他の理由で英語力を伸ばしたい人たちが多かったのですが、相変わらずフィリピン国内で英語を勉強する韓国人はとても多かった。

このフィリピン留学は日本でもだいぶ知られるようになり、むこうも他国人と比べて「お行儀のよい」生徒である日本人生徒の呼び込みに積極的になっているみたいです。

さて、僕はこのフィリピン留学を約3ヶ月体験してきたわけですが、結果から言うと大正解でした。自分の中で英語力が伸びた、っていう実感は間違いなくありますし、何より楽しかった。これから英語の勉強を考えている人には、その手段のひとつとして、お勧めです。

■英語というより英「会話」
フィリピーナと個室でふたりっきりレッスン!
…いや、別にいやらしい意味じゃないってば!
個別具体的なことは、通う学校にもよると思うので、なるべく一般化して語りたいと思います。

フィリピン留学のメリット、マンツーマン授業を使いこなそうと思ったら、やっぱりその目的は「会話」を第一におくべきだと思います。まぁ、当たり前、っちゃ当たり前なんですが、要は例えば、TOEICの点数を伸ばしたいから留学する、っていうのはあんまりお勧めしないということです。

もちろん、学校にはTOEICなど各種試験対策用のカリキュラムはあるところがほとんどだと思いますが、先生は当然、英語で英語の授業をするわけです。そのとき、最低限「英語の文法を英語で説明されて頭に入る」くらいの英語力は元から備えていないと、余計に混乱します。中途半端な英語力で文法の解説を聞くよりは、日本語で英語の知識を頭に入れたほうがいい。実際、僕も文法の授業中は先生のペースにと教科書の順番にはまかせず、自習して、分からないところがあったらそこだけ聞く、というスタイルでやっていました。

まぁ英語付漬けの環境にいればそれだけでリスニング力はアップすると思うのですが、コミュニケーション能力よりも、純粋にペーパーテストの点数が欲しい場合には、国内で文法知識を座学したほうがいいのではないかと。

■一定のまとまった期間で行ったほうがいい
先生・生徒での合同イベントも。授業以外でもいっぱい英語使います。
僕の場合は3ヶ月滞在したのですが、3ヶ月でも短かったかな、と思います。というより、学校と現地での生活にも完全に慣れ、自分の英語力がどんどん伸びていることを実感しだしたのがちょうど3ヶ月目くらいからだったからです。学校はそれこそ数週間だろうが1年だろうが受け入れてくれるところがほとんどだと思いますが、やっぱり3ヶ月は欲しいかなぁ。

実際、300時間で耳が英語に慣れる、というデータがあるらしく、
一日の授業6時間 × 週5日 × 10週目 = 300時間
と計算してみると、自分の体験からみても英語力が伸びだした時期とほぼ一致します。実際には授業以外の生活でも英語は使いますから、もっと早いと思います。

別に1週間だろうと2週間だろうと、「知識」はつくと思うのですが、英語の洪水を浴びて、実際に耳が慣れてくるまでには時間がかかります。このあたりの「体で覚える」ってことに関しては、どうしても時間が必要です。

一番やっちゃいけないのは、数週間だけいて、自信を喪失して帰ってきちゃうことだと思います。まぁ、僕は今わりと自由に暮らしている身分なのでアレですが、まとまった時間のとりにくい学生・社会人の方に言うのは酷かもしれませんね…(ただ、学生に関しては、後述の用に「休学」も一つの選択肢にするべきです)。できれば「~を達成するまでは、期間を延長してでも滞在する」っていう、フリーなスケジュールでいけることが理想なんですが。

■バックパッカー・ワーホリの準備にお勧め
グループクラスのいち風景。
先生が生徒になって、生徒がプレゼンテーション。
というわけで、上記の条件、すなわち「会話重視」「割と自由なスケジュール」という2つを満たす人種、といえばバックパッカーですね。国にもよりますが、海外を旅していて英語ができるかどうか、ってのは死活的な問題です。最近は世界一周の旅もだいぶメジャーになってきましたが、その準備としてフィリピンから旅をスタートするのもアリだと思います。実際、僕の学校にもバックパッカーは何人かいました。

それに並んで多かったのが、ワーキングホリデーの準備で来ている人たち。卒業後、オーストラリア・カナダ・ニュージーランドなどの英語圏で勉強する人たちです。実際、向こうで学校に通うよりも安いですし、授業もマンツーマン。英語を習得してから行ったほうが、向こうの生活も楽しめる。逆に、ワーホリを体験したのだけど、思ったよりも英語力が伸びず、勉強し直しに来たって人もいました。

学生組も、割と多かったと思います。卒業後はワーホリだったり、バックパッキングだったり、道は様々。僕がいたのは5・6・7月なので、そこにいたのは必然的に休学組になるわけですが、夏・冬休みの短期で来る学生も多いみたいです。もっとも、僕は上記のように3ヶ月以上のまとまったスパンで滞在することをおすすめしますが。

■フィリピン人の英語力
もちろん、教材もぜんぶ英語。
最後に、気になる「フィリピン人の英語ってどうなの?」って疑問に関して。こればっかりは、先生の質による、としかいえません。ただ、フィリピンでは英語は公用語ですが、あくまで学校教育によって習った言語であり、ネイティブの言語ではありません。先生によっては、明らかに一生懸命頭で英文を作りながら話す人や、例えば ”They does” とかって文法的な間違いをする人もいます。

先生も、英語教育のライセンスを持っていたりいなかったりと、正直質にはバラつきがあると思います。ただ、どの学校でも「あの先生は発音がいい」だの「文法知識に強い」だの、評判が立っていると思いますので、それを聞いて先生をリクエストするのも、いい練習になると思います。結局、評判の悪い先生は淘汰されていきますし。

フィリピン人の英語力は、日本人のそれと比べて格段に上だとは思いますが、ネイティブ並みではない。もちろん文句なしに素晴らしい先生もたくさんいるので「学校と人による」としか言えないのですが、あえて一般化して言うのなら、これが僕の実感です(教わった立場なのに上から目線で申し訳ない…)。

ただ、僕は英語学習の目的を、いわゆるGlobish(要はネイティブレベルかどうかにこだわらず、現地人しか分からないようなイディオムを使わずに、意味が通じる英会話)を目指して行ったので、そこまでは気になりませんでした。良い先生にあう運にも、相当恵まれていたと思います。このあたりも、フィリピン留学をバックパッカーにお勧めしたい理由です。


安くて効果的、フィリピン留学。世界を旅しようと思っているあなたに、是非!
【加筆】リクエストをいただいたので、最後にちょこっと、僕の通ったBECIという学校について言及しておきます。バギオのBECIはその安さと検索での引っかかり安さから多くの日本人がやってくる学校です。ただ、質に関しては正直「安かろう悪かろう」です。日本側の責任者であるエージェントの対応について評判が悪く、現地にきてみて「はじめに聞いていた話と違う」って声を多数の生徒から聞きました。現地の韓国人責任者も「学校経営には興味あるけれども、英語教育には興味がない」ってスタイルです。僕はそれなりに楽しんじゃいましたが、本気で英語力を伸ばしたいなら、正直お薦めはできません。他の学校を探したほうが無難です。






2011-09-27

帰国

さて、本日は空港行って、日本に帰るだけ。当初、そのまま東南アジアの旅に行く予定だったのですが、事情により一時帰国することに。

宿は空港近くなので、ゆっくり起きて、朝飯食べて、タクシーで空港へ。

マニラの国際空港は、正式名称をニノイ・アキノ国際空港といいます。おそらくリサールに次ぐ、あるいはそれに匹敵するフィリピンの英雄、ニノイ・アキノが暗殺された場所であることから、彼の名前にちなみ改名されました。アキノはマルコス独裁に反対していた有力議員ですが、マルコス派によって暗殺され、これが1986年のエドゥサ革命へとつながっていきます。ちなみに、現アキノ大統領は、彼の息子。


約3ヶ月暮らしたフィリピン生活も今日で終わり。最後にフィリピンの安い物価にあやかっていろいろお土産を買っていこうとすると、空港内はもはや国際価格。50ペソくらいで買えるはずのガムボックスが、日本と大して値段変わらない…。お土産を買うなら、前日に空港外で買うことをお勧めします。

ロビーでネットを使える場所を探していると、昨日さよならしたあっちゃんとまたも遭遇(笑)彼とは、バギオの学校、昨日、そして今日と、都合3回もばいばい言うことになりました。まぁ奴とはまたどっかで会うだろう。

約3ヶ月暮らしたフィリピンとも今日でおさらば。いろいろ思うことはありますが、飛行機に搭乗。途中、台湾の台北桃園空港で乗り継ぎをして成田到着。

フィリピンでお世話になった皆様、本当にありがとうございました。英語も伸びたし、なにより楽しい3ヶ月を送れたのはみんなのおかげです。一部の人たちとは相当濃い関係を築けたので、いずれどっかでまた会うことになるでしょう。それまで皆様、お達者で!

【フィリピンの旅 マニラ編】
・マニラ滞在記 01 -マニラ到着-
・マニラ滞在記 02 -ケソン合流作戦-

・マニラ滞在記 03 -スモーキーマウンテン-
・マニラ滞在記 04 -エドゥサ聖堂-
・マニラ滞在記 05 -リサール公園 / 再会-
・マニラ滞在記 06 -イントラムロス(前編)-
・マニラ滞在記 07 -イントラムロス(後編)-
・マニラ滞在記 08 -ムスリム街-
・マニラ滞在記 09 -聖トマス大学 / ボニファシオ-
・マニラ滞在記 10 -帰国-

フィリピンの旅 記事一覧



2011-09-19

サント・トーマス大学 / ボニファシオ

承前:ムスリム街 

【2011.08.01】
マラカニャン宮殿を出て、次に目指すのはサント・トーマス大学。マカラニャンからMendiora → Quezon と通り沿いに歩きます。ん? ケソン通り? これはあれですね。以前待ち合わせに使おうとしたケソン・メモリアルパークまで続いている道ですね。なんとなく、高架下の雰囲気が246沿いの風景に似てなくもない?

University of the east。直訳すれば「東大」だ!
このあたりは、大学が集中している地区らしく、露店の古本市場や、フィリピン大手の本屋チェーン、National book storeなどが並んでいます。さしずめ、マニラの神保町か?

■サント・トーマス大学

途中、昼飯を食べ、本屋に入り、着きました。セント・トーマス大学。1611年創立の、アジア最古の大学。フィリピンのエリート校のひとつでもあり、卒業生には有名な政治家もちらほら。

校門を入ると、おそろいのジャージをまとって体育の授業? をしている一群に遭遇。2本の棒を持って、ずらっと並んでいます。たぶんこれだけじゃ何やってるのかわからなかったと思うんですが、運よく昨日しょーへいさんが話していたのを思い出しました。加えて、さっきよった本屋にもそれらしき本が並んでいたので、すぐにピンときました。これ、フィリピンの伝統武術で「カリ」というらしいです。しょーへいさん曰く、スペインがフィリピンの植民地支配を進める上で、カリを駆使する山岳民族の抵抗に相当てこずったとかどうとか。


あくまで練習だったので、僕が見たのはここまですばやい動きではありませんでしたけれども、流石に先生にはなんともいえぬ風格が漂ってました。大学でこういう伝統武術教えてるって、いいですね。

シンボルとなっている、メインキャンパス。中に入ると…
学生がめっちゃいっぱい。おそらくはフィリピンの未来を担うエリートたち。
今年はちょうど創立400周年です。古い!
■アンドレス・ボニファッシオ

これでほぼ今日の目的地は全部回ったんですが、もう一つ見たかった場所があったことを思い出し、ついでに行ってみることに。徒歩でLRTの駅まで行き、路線の最北端である、ボニファシオ駅まで。ここには、リサールと並ぶ、フィリピンのもう一人の英雄、アンドレス・ボニファシオ(Andres Bonifacio)の銅像があります。

ボニファッシオは、簡単に言うとフィリピンの独立革命を戦った革命家、あるいはゲリラの親玉です。割と平和路線の独立を目指していたリサールと比べて武装蜂起ありきの革命を志向していましたし、フィリピンのエリート・資産家を中心としたアギナルドの一派と比べても、庶民派かつ平等思想の持ち主であり、リサール死後につくられた革命組織、カティプナンの中ではアギナルド派に追いやられ、処刑されてしまいます。

リサールと並ぶ英雄であることは間違いないのですが、最後まで武力革命を目指したことから、アメリカにとって彼の存在は都合が悪く、その影響化にある歴史観のうえでは不当に評価されている面も否めません。実際、リサールの銅像はフィリピン全土でこれでもか、というくらいに見受けられますが、ボニファッシオの銅像を見るのは、この銅像が初めてです。このあたりの、リサールとボニファッシオの評価について、現地でであった元政治学教授から興味深い話を聞けたので、そのうち記事に書きたいと思います(→こちら)。
一応、大きくて目立つ場所には立っているんですが、
ロータリー交差点に囲まれているため、島に渡るのが一苦労。
あまり親しみやすい場所にあるとはいえませんね。
ともあれ。銅像はなんとも迫力があってかっこええものでした。満足。碑文がタガログ語でまったく読めなかったのが残念。

■空港へ

さて、これにてマニラ観光は一応終わりです。あとは明日、日本に帰るだけ。同行していたあっちゃんも、明日オーストラリアへと旅立ち、これからワーホリして暮らす予定です。僕はマニラ到着後にステイした空港近くの宿を予約していたので、あっちゃんとはここでお別れ。ばいばいあっちゃん! また!

もうLRTはラッシュの時間だったので、バックパック背負ってLRTに乗るのは非常にしんどい…。ので、タクシーで宿まで移動。

タクシーの運転手は自分が日本人だということを知ると、とあるお札を手渡してきました。ぱっと見「?」なんですが、良く見ると紙幣の額面は1ペソ。1ペソの紙幣? 1ペソは現在、普通は硬貨でありまして、かろうじてガムが1ピース買える値段。もっと良く見るてみると「THE JAPANESE GOVERNMENT」の文字が。なんと日本統治時代に使われていた紙幣だそうです。おじいちゃんから譲り受け、たまに日本人の客を乗せては、そのつど自慢しているとのこと。ともあれ、いいものを見せてもらいました。

【フィリピンの旅 マニラ編】
・マニラ滞在記 01 -マニラ到着-
・マニラ滞在記 02 -ケソン合流作戦-

・マニラ滞在記 03 -スモーキーマウンテン-
・マニラ滞在記 04 -エドゥサ聖堂-
・マニラ滞在記 05 -リサール公園 / 再会-
・マニラ滞在記 06 -イントラムロス(前編)-
・マニラ滞在記 07 -イントラムロス(後編)-
・マニラ滞在記 08 -ムスリム街-
・マニラ滞在記 09 -聖トマス大学 / ボニファシオ-
・マニラ滞在記 10 -帰国-

フィリピンの旅 記事一覧





2011-09-14

フィリピンの旅 ポータル

記事が増えてきたので作りました。フィリピン滞在時の日記一覧です。

【フィリピンの旅 バギオ編】
・バギオ滞在記 01 -バギオ-
・バギオ滞在記 02 -It's a small world-
・バギオ滞在記 03 -ミッキーマウンテン-
・バギオ滞在記 04 -BBQ-
・バギオ滞在記 05 -ビガン-
・バギオ滞在記 06 -ライブ!!-
・バギオ滞在記 07 -ハウスブレッシング-
・バギオ滞在記 08 -最後の夜-
・バギオ滞在記 E1 -バギオ総括-
・バギオ滞在記 E2 -旅と生活-

【バギオ案内】

・バギオ案内 01 -食事編-
・バギオ案内 02 -観光編-

【フィリピンの旅 マニラ編】
・マニラ滞在記 01 -マニラ到着-
・マニラ滞在記 02 -ケソン合流作戦-

・マニラ滞在記 03 -スモーキーマウンテン-
・マニラ滞在記 04 -エドゥサ聖堂-
・マニラ滞在記 05 -リサール公園 / 再会-
・マニラ滞在記 06 -イントラムロス(前編)-
・マニラ滞在記 07 -イントラムロス(後編)-
・マニラ滞在記 08 -ムスリム街-
・マニラ滞在記 09 -聖トマス大学 / ボニファシオ-
・マニラ滞在記 10 -帰国-

【フィリピン現代史シリーズ】
・フィリピン歴史物語 01 -日本統治時代まで-
・フィリピン歴史物語 02 -フィリピン戦後事情-
・フィリピン歴史物語 03 -マグサイサイ-
 …続く。…かもしれない。

【フィリピンレポート】
・ジプニー
・タバコ事情
・国民の休日
・フィリピン家庭事情
・大都市 -ゴミ山との共存-
・フードチェーン事典

【その他】
・英語を勉強するにあたって
・鼠嶽三十六景
・書評『20代のうちに知っておきたかったこと』





ムスリム街

【2011.08.01】
そういえば書き忘れたんですが、昨日の夜、スモーキーマウンテンのツアー以降、ずっとマニラ散策に付きまとわれていた同行してくれたしょーへいさんがバギオへと帰っていきました。曰く、これ以上授業はサボれないとのこと。彼のおかげでだいぶ旅がだらけた楽しめたので、泣く泣くのお別れ。
ばいばいしょーへいさん! お達者で!
今日はベテランバックパッカーの元ルームメイト、あっちゃんとの2人旅なので、すっとばして行きます。今日の目的地は、イントラムロス北部。中華街、マラカニャン宮殿、サント・トーマス大学、ボニファッシオのモニュメントなどなど。結構歩く予定ですが、しょーへいさんもいないし、彼となら大丈夫だろう。

まずは、LRTでPetro Gill駅からCarriedo駅まで移動。降りればすぐ中華街です。

すさまじい水溜り。もはや洪水のレベルですが、現地の人はおかまいなし。これが日常。
伊勢丹じゃないよ! 「アイセタン」だよ! パクリじゃないよ!
歩いていると、中華街を通り抜け、いつの間にかムスリム街に入っていました。このムスリム街のゴールデン・モスクも目的地のひとつなので、そのまま直進。界隈を歩く人々は、ターバンをまいたり、女性は肌を隠しています。


■フィリピンとイスラム教

フィリピンにおけるムスリム(イスラム教徒)の位置づけは、微妙です。そもそもフィリピンは、キリスト教化されるよりも前にイスラム教が伝来していたため、キリスト教はむしろ後発組の宗教なんですが、スペイン・アメリカ統治時代にほぼ完全にキリスト教化されたため、いまではムスリムの方が少数派です。


イスラム勢力は主にフィリピン諸島の南側に多く、過激派は国際テロ組織、アルカイーダともつながりを持つアブー・サヤーフ(Abu Sayyaf)などの主導により、イスラム国家として分離独立を求めていたりします。これは、ときの政権の対応にもよるのですが、事実上の内戦状態です。そのため、彼らの活動拠点であるミンダナオ島南部などは、気軽に旅行で行ける場所ではありません。

学校の先生も何人かはそうでしたが、クリスチャンの中には、増し続けるムスリムの人口と影響力を「イスラムによる侵略」と位置づけている人も多く、事態は深刻です。ここマニラのムスリム街の住人達は平和そうに暮らしていますが、おそらく差別なんかもあるんでしょうね。まさにサミュエル・ハンチントンの言う「文明の衝突」状態です。

さて、ゴールデン・モスク。実は、モスクを見るのは生まれて初めてです。内部では、昼寝したり、コーランを読んだり、過ごし方は人それぞれ。初めてのモスクなので、規模だとか様式だとか、比較の対象がないのでなんとも言えません。ただ、この内部に人が集まって、人々が一斉に祈る姿を想像すると、結構迫力ありそうです。

■マラカニャン宮殿

ムスリム街を抜けて、次に目指すのはマラカニャン宮殿(Malacanang Palace)。フィリピンの大統領府です。

もともとはスペイン・アメリカ統治時代、現地総督の別荘だった建物ですが、マニュエル・ケソン大統領以降、ここを大統領府として使用し続け、今日に至ります。EDSA革命の際には、怒れる民衆達がこの宮殿に殺到、マルコスを国外逃亡へと追いやった歴史的な場所でもあります。
日本語表記にはゆれがあり、「マラカニアン宮殿」とも。
流石に周囲の警備はかなり厳しい。

一応、一般解放もされているらしいのですが、事前申し込みが必要だとのことで、本日は外面だけを眺めるだけで終了。

続けて、アジア最古の大学である、サント・トーマス大学を目指します。続く!

【フィリピンの旅 マニラ編】
・マニラ滞在記 01 -マニラ到着-
・マニラ滞在記 02 -ケソン合流作戦-

・マニラ滞在記 03 -スモーキーマウンテン-
・マニラ滞在記 04 -エドゥサ聖堂-
・マニラ滞在記 05 -リサール公園 / 再会-
・マニラ滞在記 06 -イントラムロス(前編)-
・マニラ滞在記 07 -イントラムロス(後編)-
・マニラ滞在記 08 -ムスリム街-
・マニラ滞在記 09 -聖トマス大学 / ボニファシオ-
・マニラ滞在記 10 -帰国-

フィリピンの旅 記事一覧



2011-09-11

イントラムロス(後編)

承前:イントラムロス(前編)

【2011.07.31】

教会・博物館の見学後の目的地は、イントラムロスの核であるサンチャゴ要塞(Fort Santiago)です。イントラムロスのうち、砦としての体裁を残している部分であり、内部には国の英雄・リサールの記念館があります。
大砲と砲弾。なんか要塞っぽい。
「要塞」といっても殺伐とした雰囲気ではなく、内部は整備された公園に

リサール記念館では、彼にまつわる展示品がいろいろ。折りしも今年は彼の生誕150周年記念なので、フィリピン中でリサールの姿をみかけます。そもそも、だいたいどの小学校にも彼の銅像があるくらいです。日本で言ったら、二宮金次郎と坂本龍馬を足して2で割ったようなものか。
リサールの医療道具。彼は医者でもあった
リサールの日本人妻・おせいさん
マニラの中心を流れるパッシグ川にも面する
近日の台風をうけて、川は増水気味
公園内部には要塞の面影を残す狭い通路も

大砲ごっこ。
それにしても城壁の上は、水溜りが多くて歩きにくい…。
要塞・記念館の見学後、そのままイントラムロスの外壁を時計回りに歩いて、マニラを南下します。
イントラムロスの城壁からエルミタ地区の高層ビル街を望む。
どことなく、皇居から見る丸の内のビル街を彷彿させます。


本日最後の目的地は、イントラムロスの外になりますが、日本の戦国武将・高山右近の銅像です。


キリシタン大名であった彼は、秀吉のバテレン追放令に反発。全ての領地を失いますが、引き換えにキリスト信仰を守りました。その後、小西行長や前田利家らの庇護によってかくまわれますが、徳川時代になるとついに国外追放に。
銅像の場所は、上記地図外、PNP(フィリピン国鉄)のペトロ・ジル駅前。
LRTにも同名の駅があるので注意。タフト通りからジプニーで行くのが楽。
1614年、他の神父やキリシタンとともにマニラへと旅立ちました。到着後すぐの1615年に死亡しますが、現地総督との交流があった彼は、聖アンナ教会にてマニラ市あげての大葬儀で見送られます。荒木村重の謀反とか、千利休がらみの話とか、戦国史のいろんなところで名前がでてくる大名です。400年も前にマニラに移住した、在比邦人の大先輩。


…さて。本日の散策はこれにて終了。


今日はいろいろ見学できました。いままでのだらーけた旅から脱却して、ようやく旅人魂を取り戻しつつ…ある気がする。うん。
本日の地図。歩いた距離はたいしたことないんですが、
一日中雨だったので、いやー、濡れた濡れた。


【フィリピンの旅 マニラ編】
・マニラ滞在記 01 -マニラ到着-
・マニラ滞在記 02 -ケソン合流作戦-

・マニラ滞在記 03 -スモーキーマウンテン-
・マニラ滞在記 04 -エドゥサ聖堂-
・マニラ滞在記 05 -リサール公園 / 再会-
・マニラ滞在記 06 -イントラムロス(前編)-
・マニラ滞在記 07 -イントラムロス(後編)-
・マニラ滞在記 08 -ムスリム街-
・マニラ滞在記 09 -聖トマス大学 / ボニファシオ-
・マニラ滞在記 10 -帰国-

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