ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。
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2012-05-24

続・Physically closest, Spiritually so far.

前回書いた記事、思った以上の反響でした。いやー、我ながら挑発的、というかControversial な記事を書いてしまった。ははは…。

当方、naotonote-online はけっしてアクセス数の多いブログとは言えませんけれども、記事をアップした日だけでも、アクセス数は通常比の約13倍。書いたばっかなのにもかかわらず、いっきに全記事中、アクセス数第4位に躍り出ました。

で、ブログのコメント欄に加えて、Facebook、Twitter、Skype、メール、電話、あるいは直接いろんな方から様々なコメントをいただきました。読んでくださった方、コメントをくれた方、ありがとうございます。

その中でいろいろ気になった、考えさせられたものについての紹介や、加筆したいことまぜて、編集後記的な記事を書きたいと思います。

 ■やっぱり韓国は苦手派

外国に長く住んでいる人、外国で韓国人との付き合いをせざるを得ない環境にいる人は、やはりこの傾向が強い様です。例えば、 Izmからもらったコメント。
ははは。ついに私と同レベルで嫌悪感持ってくれて嬉しいわ。笑 今まで私がイヤだイヤだって言ってもそんなに通じてない感じがあったけど、やっぱり旅じゃなくて実際に暮らしてみると、いや~な部分たっぷり見えるんだよね。 韓国人が多い街では、韓国人は嫌われる傾向にあるしね。LAのKorean Townでは韓国人vs黒人の黒い歴史もあったり。(ロス暴動絡みで) そりゃ無理だよ。あの国民性じゃ。基本的に見合わないプライドを持つ民族だからケンカっぱやいのは仕方ないし、日本への劣等感はいつまでも引きずるんだろうね。自己中多すぎだし、それで国が成り立ってるからある意味すごい。 政治的に右にも左にも傾くつもりはないえど、この点においては右っぽくなっちゃう。(Izm)
僕はIzmとヨーロッパ放浪中の2007年に出会いました。前回の記事に書いたとおり、僕は当時、韓国人について好印象をもってた。しかし、その時すでにアメリカに留学経験があり、アメリカにおける韓国社会のなんたるかを知っている彼女とは、韓国人についてどう思うか、あまり意見が合わなかったのです。

でも、彼女から言わせれば、「トヨタは韓国人のいい側面しか知らない、悪い面を知ったらそんなことは言ってられない」ってことだったんだと思います。実際、彼女の言ったとおりになりました(笑) 

他にも、友人からそのお姉さんの話を聞きました。

そのお姉さんを仮にAさんとしましょうか。Aさんは現在、オーストリアで出会った韓国人の夫がいるのですが、はっきり言って韓国人は嫌いなんだそうです。夫が長男なので、その妻であるAさんは、夫の家族の面倒をすべてみる責任がある。これが韓国文化。

夫のことは好きだけど、韓国人・韓国文化は嫌い。正直、韓国で生きるのは辛い。そう考えたAさんが選んだのは、第3国で暮らすということ。今Aさん夫婦はカナダで暮らしているそうです。これは、韓国人の恋人がいる人にとっては参考になる話かもしれません。

■国籍・人種は関係ない派

やっぱり、韓国人だろうが日本人だろうが、いい奴はいい。悪い奴は悪い。人の評価に国籍や人種は関係ない。という意見は多かった。これは、僕も記事中に書いたとおりです。

中でも考えさせられたのは、某宗教系大学の学生たちからのコメント。
自分は仏法者ないしカルト教団の一員として見られる事にストレスを感じてきたので、「集合」ではなく「個」で見る脳に形成されています。(Bくん)
思った事ですが、理解出来る事は多々ありました。ただ、Bくんと少し重なる意見ですが、俺は何よりも「個」を重視していきたい、尊重していきたい人間なので、文化や国籍等を過度に意識してしまう事を嫌います。余計な先入観が働いては、その人をしっかりと見る事が出来ないですからね。(Gくん)
同じ日本人同士でも、「あいつは●●の一員だ」と色めがねで見られてしまう環境下にいる人たちのコメントだけに、説得力があります。

■在日韓国人と本国の韓国人

前回の記事を書く上で、常に頭からはなれなかったのは彼の存在でした。在日韓国人のりゅじゅん。ブログ、Facebookともにコメントありがとう。

りゅじゅんとは2011年のバギオ英語留学のときのルームメイトで、3ヶ月間ずっと一緒に過ごし、学校を卒業したあとも何度も一緒に飲んだ仲。はじめは日本語を喋れることを隠していたので、部屋の中や学校では英語でしゃべっていました。それがある日、遅れていった飲み会で「遅いよトヨタさーん!」って日本語で喋りかけられたときはガチで驚いた。「えぇ!? お前そんな日本語流暢にしゃべれたんかい!!」って(笑)

彼は僕の卒業時に仲間とビデオレターを作ってくれたのですが、それを見ると、いまでもボロ泣きしてしまいます。りゅじゅんは本当の意味での親友です。前回のブログに書いた「一生付き合っていきたいな、って思う奴」ってのは、実際彼のことです。

興味ぶかいな、と思ったのは、彼が本国の韓国人に対してどう思っているかについてです。りゅじゅんは日本で生まれ育ち、日本語も普通の日本人と同じ、もしくはそれ以上に流暢(というのも、2ちゃんねる用語を自在に使えるレベル 笑)。

ただ、あまりにも日本語ができすぎるのも、タマに傷。りゅじゅんは今韓国の大学に通っているのですが、本国の韓国人から言わせると、在日朝鮮人の韓国語は「日本なまり」に聞こえるらしいのです。 そして、それによって受ける差別。

韓国では日本人を蔑称で「チョッパリ」というらしいのですが(英語でいう「ジャップ」に相等)この蔑称は在日韓国人に対しても向けられるそうです。要は日本の手先だ、ってことらしい。りゅじゅんは自分が韓国人であることは誇りに思っているけど、本国の韓国人は「クソだ」と言っています(話は少しそれますが、在日韓国人は日本と本国から2重の差別をうけている、というのは考えさせられる点です)。

ともあれ。韓国では、親日派 = 売国奴に等しい。 

実際、日本の植民地時代にも評価すべき点はあるという「日本擁護論」を展開した呉善花いう作家は、後に韓国への入局拒否をくらいました。

このへんの嫌な意味での団結力と排他性、偏狭なナショナリズムは、僕はどうしても好きになれません。歴史的な理由から反日感情があるのはわかるけど、なにも暴力に訴えることはないだろ。在日韓国人は同じ血が流れてる同胞じゃないのか? 差別の対象なのか?

■じゃあ、日本人はどうするべきなのか

さっき「歴史的な理由」って言いましたけど、ここに関しては、日本側にも非があると思います。というのも、韓国では日本が植民地時代にしたことに関して徹底的に教わります。それと比べて、日本人はその点に関しての知識がなさすぎる人が、あまりにも多過ぎる。

僕は大学時代の専門が歴史でしたし、高校時代に韓国の姉妹校生徒と相互ホームステイをした経験もあり、日韓の歴史問題にはもともと興味がありました。けど、そんな僕からみても「え? そんなことも知らないの?」ってくらい、日韓の歴史について無知な日本人は多いと思う。例えばそもそも、韓国が日本の植民地だった、ってことすら知らない人もいます。…さすがにこれはまずい。

韓国人にとって腹立たしいのも、その点です。「加害者」である日本人が「なんでそんなことも知らないんだよ!」って彼らは感じるわけです。実際、僕はよく韓国人の友達からその点をせっつかれます。「他の日本人に、歴史を知ってるお前がレクチャーしてやれ」と。

というか、きちんと歴史を知らないと、反論できないんですね。知らないと、韓国側が言っていることを「ふーん、そうだったんだ」って鵜呑みにしてしまう可能性がある。実際、彼らはめちゃくちゃなこと、歴史的事実を無視したことまで言うこと多いですから。竹島問題とかその典型ですね。

韓国人と事実に基づいたディスカッションをするためには、ある程度知識をつけないといけない。その上で反論すべきところは、きちんと反論しなければいけない。それが、僕のスタンスです。

参考までに、関連記事へのリンクを貼っておきます
→ 韓国人と歴史問題を語るために

■今の時点での、僕の結論

最後に、もういちど某宗教系大学生・Bくんがくれたコメントを紹介します。Bくんは在日韓国人であるりゅじゅんと僕との共通の友人でもあります。 
一ついえることは、僕はりゅじゅんは好きです。だからこそ、韓国人が嫌いだとは決して言えません。 
これに関しては僕も痛いところをつかれたなー、と思いました。韓国人にもいい奴はいる、人間の評価に国籍・人種は関係ないって言った以上、「韓国人が嫌い」って表現を使うのは、矛盾する。もう少し言葉の使い方に気をつけるべきでした。
  • 韓国
  • 韓国人
  • 韓国社会
  • 韓国文化
これらの言葉の使い分けを、もう少していねいにするべきだったと反省しています。 という訳で、今後はこう言うことにします。

「韓国文化・社会は嫌いだけど、韓国人の中には好きな奴もいる」 

これが、今の時点での僕の結論です。






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2012-05-20

Physically closest, Spiritually so far.

■僕が韓国人を嫌いになった理由

韓国人とどう付き合うか。
リンツ(墺)で出会い、チェコの旅を約1週間に過ごした韓国人。
とても頭のいい人で、彼から教えてもらったことはとても多い。
歴史認識に関して一度喧嘩した以外は(笑)、

基本的にいい関係を築けていた…と思う。

人口の約10%を韓国人が占めるこの街(フィリピン・バギオ)では、それは現地人にとっても日本人にとっても、避けて通れない問題だ。

僕は本来、韓国人が大好きだ。いや、大好きだった。

ヨーロッパを放浪した2007-08年、そこで出会い、共に旅をした友人たち。その中の何人かは韓国人で、本当にいい韓国人との出会いに恵まれた。韓国人にはいい奴が多い。自分のアタマにはそうインプットされた。当時は日本で『嫌韓流』なる本が流行っていたが、「自分はそんな意見には与しない。韓国人っていい奴らじゃないか。俺は大好きだ」僕は韓国について聞かれたとき、そう答えるようにした。

ワルシャワでの出会いを皮切りに、
その後全くアポもとらずに
ヴァチカン・パリで合計3度も遭遇した韓国人。
こうなってくるともう運命すら感じてしまう。
変わったのは、この街に来てからだ。
この際はっきり言おう。今は韓国人、そして韓国文化が嫌いだ。嫌いになった。 

もちろん、韓国人の中には本当にいい人もいるし、尊敬に値する人間もいる。だけれども、「一般論」として、今は韓国が好きになれない。僕のアタマのなかで、韓国に対する悪印象が好印象を完全に駆逐してしまい、悪いイメージしか持てないのだ。



■韓国社会をひきずる在外韓国人

この街には、韓国人が大勢いる。コリアタウンもある。そして彼らは、ここがフィリピンという外国であるのにもかかわらず、韓国社会を引きずってくる。それは、年下と年上間の厳しい上下関係であったり、男性が完全に主導権を握る恋愛スタイルであったり、韓国式のビジネススタイルであったり、様々な面で現れる。それがときに、現地人や他の外国人との衝突をひき起こす。

先日、日本人の友人が韓国人とケンカをして、負傷した。2週間絶対安静の生活を強いられている。喧嘩の原因は、ここで具体的に書いてしまうと迷惑がかかってしまう人がいるので、詳しくは述べない。しかし、どう冷静に考えても、韓国人が悪い。「日本人に注意されたのに逆ギレして、韓国人の方から殴りかかった」というのが客観的な状況説明だと思う。

この、喧嘩のスタイルが本当に韓国人らしいっちゃ韓国人らしいのだ。まず、人の意見を冷静に聞こうとしない。そして、勝手に相手の意思を誤解する。そして、勝手に逆ギレする。挙句の果てに、殴る。

まぁ、歴史論争や竹島問題のときと全く同じパターンだ。日本側の意見を聞いてくれようとしない。相手の意見を聞いた上で、それを踏まえて反論する心構えがそもそもない。 建設的な議論が成り立たない。

現地でのビジネスのやり方も、韓国式だ。まず、従業員の給料は最低賃金法で定められた金額を割っていて当たり前。当局には賄賂を渡したり、手厚い接待で見逃してもらう。基本的に従業員は単なる労働力として割り切っていて、待遇に納得がいかないものは、去るもの追わず、さよーなら。この際はっきり言おうと思うが、僕が以前まで働いていたBECIという韓国資本の英語学校も、そういう経営スタイルだった。先生たちを低い賃金で雇い、使い捨てにする。そういうスタイル。

これはサムソンのやり方と同じパターン。「家族型経営」の日本式ビジネススタイルからは、ちょっと理解しにくい(このへんのサムソン型経営について、下に紹介するNewsweekの12年3/28号に詳しく書いてありますので興味ある人はそちらをどうぞ)。 


あるいは、恋愛。韓国人と付き合う日本人の女の子も多い。しかし、この街で長く続いている日韓カップルを、僕はまだ見たことがない。原因は、やはり文化の壁だ。韓国人の男は、韓国スタイルの付き合い方として、彼女に絶対服従を求める。彼女のスケジュールは彼氏が把握していてあたりまえ。彼女の部屋に勝手に入り込んでくるのもあたり前。「草食系」の日本人男性に飽きた日本人女性は、始めアグレッシブに口説いてくる韓国人男性に魅力を感じるも、付き合ってみるとやはり文化の壁にぶち当たり、うまくいっていないのがパターンのようだ。

もっとも、恋愛の問題に関しては「どちらが悪い」と言い切れない場合が多いので、ここで一方的に韓国人、あるいは韓国文化を非難するのは、フェアな態度とは言えない。僕はただ、一般論として「こうなりがちだ」という指摘をしただけにすぎない。

たぶん、ヨーロッパで韓国人と付き合っていたときは、お互いに知らない土地でバックパッカー、つまり異邦人同士だったから、幸運にも韓国人の「いい面」だけを見ることができたのだ。だけど、今は韓国社会が存在する場所で、彼らの「悪い面」が嫌でも目についてしまう状況下で暮らしている。この街にきてから韓国人が嫌いになったのは、たぶんそういう理由からなんだろう。

■現地人は韓国に対してどう思っているか

事実、現地のフィリピン人は韓国人のことを嫌っている。

そう言い切ってしまって問題はないと思う。

「街から出て行け!」くらいはともかく「韓国人を殺せ!」と興奮しながら僕に訴えかけてくるフィリピン人もいるくらいだ(いや、本当なんですよこれが)。

話は少しそれるが、韓国人がこの街で「悪さ」をしてくれているおかげで、日本人の印象が相対的に良くなっているのはラッキーなことかもしれない。実際、この街(バギオ)は第2次大戦中に在フィリピン駐留日本軍の司令部があった街で、日本軍は当時それなりの数のフィリピン人を殺している。当時を知る世代の人なんかは、未だに日本に悪印象を持っているのも事実。しかし、そんなことも忘れさせるほどのインパクトが、韓国人の行いにはある。

古くからバギオに住む日本人の先輩諸氏が日本=フィリピン友好のための慈善活動をしてくださってきたおかげも相まって、この街ではあまり日本人に対する悪い評判はあまり聞かない(あえていうなら、「日本人はもっときちんとリーダーシップとれよ!」くらいの好意的な(?)せっつきはある)。

対韓国追い出し政策を推進する
Mauricio Comogan バギオ市長
(写真はWikipediaから)
この街を歩いていると、だいたい現地のひとは僕を韓国人だと勘違いする。フィリピン人から見たら、日本人も韓国人も同じ顔なのだ。しかし、「違う、日本人だ」と訂正すると、彼らは嬉しがる。嬉しがって「あー、日本人か! すまんね! 韓国人かと思った! 実を言うと、俺は韓国人大っ嫌ぇなんだよ!」って話になることが多々ある。

実はいま、この街の市長が韓国人を嫌っている。増え続ける韓国人人口と、それに伴うトラブルの増加に嫌気がさし、市当局としても対応の必要性を感じているらしい。彼は今、違法行為を行なった韓国資本への締め付け強化など、韓国の「追い出し」政策を模索している段階だ(もっとも、これが成功するかどうかはわからない。どんなに韓国企業のやり方がエグいとはいえ、この街で韓国資本に依存している現地人がいるのも事実なのだから)。

…こういう経験を重ねていると、「韓国人は世界で一番嫌われている民族だ」っていうのも、あながち嘘じゃないんじゃないか、信ぴょう性があるんじゃないか、って思えてくるのだ。

■おわりに

うーん、なんだかいろいろ思ったことを思いつくままに書いてみて、思いっきり韓国をディスった内容になってしまった。できるだけ冷静に書いたつもりなんだけれども、それが出来ているかどうかは、読者の方々の判断に委ねたい。

ただ、もう一度言わせてもらうと、僕にだって、韓国人の友達はいるし、その中には本当にいい奴だ、尊敬に値する、って人もいる。こいつとは一生のつきあいになるだろうな、っていう、本当に一緒にいて快い気分になる韓国人もいる。逆に、日本人の友人のなかに「こいつとはどうしても付き合えない」って人もいる。

つきつめていえば、人の評価を国籍で判断するのは間違いなんだろう。そいつがいい奴か悪い奴か、その判断に国籍・人種は関係ない。

ただし、繰り返しになるけれども、この街においてはれっきとした韓国社会が存在し、それとどう付き合うかは避けて通れない問題なのだ。フィリピンにいて、フィリピン人とどう付き合っていくかよりも、フィリピンにいる韓国人とどう付き合っていくかの方が深刻な問題になってしまうところが、なんとも面白い。…面白い、というか、正直にいえばなんでフィリピンにまで来てこんなことで頭悩まされないといけないんだ…って思う。 

地図で見るとこんなに近いのに…。
ちなみにドクトじゃなくて「竹島」、東海じゃなくて日本海だからね!
実際、韓国人とつきあっていて思うのは「日本と韓国は物理的に一番近く、それでいて精神的に一番遠い国だ」ということ。日本と韓国は、近いようで遠い。日本文化と韓国文化は、似ているようで全く違う。 

この街で暮らす限り、これからも彼らとの付き合い方は模索しないといけない。いや、この街に住む人々に限らず、すべての日本人にとって、韓国とどう付き合っていくかは、一生避けては通れない問題なんだ。

「日本と韓国は、引越ししたくてもできない隣人の関係」とは、まさしく的を得た表現に聞こえる。

たぶん、僕と似たようなことを考えている人は多いと思う。そんな人がいたら、ぜひ「こうしたらいいんじゃないか」っていうアドバイスをしていただきたい。

また、もしかしたら日本語を読める韓国人が、この記事を読んでいるかもしれない(たぶん、さぞや気を悪くされたことだろう)。そしたら遠慮なく、この記事に対する反論なり、あなたが日本に対して思っていることを言って欲しい。そうやって議論・喧嘩を重ねていくことが、長く付き合っていくためには必要不可欠なんだと、僕は思うから。


【関連記事】韓国人と歴史問題を語るために

反響が大きかったので、続編を書きました 
→ 続・Physically closest, Spiritually so far.



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2011-08-16

韓国人と歴史問題を語るために

僕と韓国人のジョン(English name)が学校で一緒に過ごした時間は、そう長くはない。僕が滞在残り1ヶ月くらいのタイミングで彼が入学してきたと記憶しているので、一緒にいたのはせいぜいそれくらいだ。

それでも、彼と仲良くなったのは、グループクラスが一緒になったこと、ロビーで座る席が近かったことが大きい。お互いの英語力が近かった、というか、どちらかの英語力がどちらかを圧倒していることもなかったので、気楽に話せたというのも理由の一つだろう。そもそも人当たりが良く、かつ知的な彼は、学校内でも友人が多かった。そして、彼の記憶が鮮明に残っている理由の一番は、おそらく「日本と韓国」をテーマにいろいろ話意見を交換したからだ。

◆

ある日、ジョンは僕に日本の「倭寇」について聞いてきた。どうも韓国では、「ニンジャ」や「サムライ」の如く、「ワコー」のイメージがひとつのキャラクターとして定着しているらしい。特に、TVゲームでそれは顕著のようだ。

「倭寇」とは、手っ取り早く言うと日本の海賊だ。

ジョンはそんなキャラクターとしての「倭寇」が好きらしい。「こんど、対馬列島に行きたいんだ。そこは、倭寇の基地があるはずなんだ。何か知らないかい? 対馬にいけば、倭寇に関連した史跡があるんだろう?」

対馬にそんな場所があるかどうかは知らなかったので、正直に「わからない」と答えた。ただ、ジョンの中で倭寇に対して相当変なイメージができあがっている気がしたので、倭寇について、知っている限りのことを教えようと努めた。

「倭寇には前期倭寇と後期倭寇があって、後期はほとんど日本人じゃないんだ。中国人がその大半で、倭寇に参加した朝鮮人だっていた」
「彼らは単純に海賊ってだけじゃなくて、武装商人っていう言い方もありかも」
「これはただの想像だけど、韓国でも探せば海賊の歴史ってあるんじゃないの? 海に面してる地域って、だいたい海賊が発生するでしょ?」

ジョンはそのたびに、「本当?」「そんなの聞くのは初めてだ!」と驚いた。そのあと、会話はだいぶ盛りあった。テーマは主に、対馬の話題から発展して、日本と韓国の観光名所などについてだった。盛り上がっていたので、自分はジョンに思い切って聞いてみることにした。


「日本の統治時代について、ジョンはどう思う?」

日本人と韓国人がおよそ半々の比率で暮らすこの学校において、ある意味タブーとも言えるこの質問に対して返ってきたのは、予期せぬ内容だった。

「あぁ、それはとても難しい質問だ。…でも、僕が思うに、あの当時は帝国主義の時代でしょ。日本が、韓国を植民地化したのは、なんというか…Natural なことだと思うよ」

ここでNatural をどう訳するかは、とてもデリケートな問題だと思う。「自然な流れ」とか「当たり前」とか「仕方がない」とか、いろんなニュアンスで受け取ることができる。ただ、どう解釈するにしても、ジョンの意見はとても「冷静」かつ「客観的」だと僕は思った。そして、驚いた。

あの時代、日本は韓国(李氏朝鮮)の近代化を願った。しかし、閔妃(ミンピ)を初めとする保守派が力を持っていた朝鮮では、金玉均らをはじめとする改革派グループの努力は実を結ばず、朝鮮の自力での近代化はできなかった。

近代化ができない、というのは、当時の国際情勢的には「植民地になるしかない」ということだ。日本にとって、朝鮮半島は国防のためにとても重要な場所だった。朝鮮半島がロシアの植民地になるくらいなら、日本が植民地にするしかない。「とるか、とられるか、2つに1つ」。これが、当時の世界だった。以上が、僕の基本的な認識だ。僕個人の認識であると同時に、かなり客観的な歴史的事実に即した見解であるとも、自負している。

この、「客観的な事実」を受け入れてくれることが、韓国人にとっては難しい。なぜなら、彼らは「被害者」だからだ。そして、「加害者」は僕ら日本人だ。植民地になったのは韓国で、それを支配していたのは日本だ。運良く日本は近代化に明治維新という名の近代化に成功し、列強の一員となった。一方、韓国は近代化に失敗し、日本の植民地になった。

韓国にもプライドはある。日本の植民地になったことが「歴史の流れだった」と割り切って受け入れることは、難しい。まぁ、日本も同じかもしれない。先の戦争でアメリカに敗北し、その後アメリカの属国になったことを「歴史の必然だった」と受け入れることは、自分の中のなにかが許さない。

これまでも韓国人と歴史認識について話したことは何度かある。高校に韓国の姉妹校があった関係で、ホームステイにいったとき。前回の欧州放浪のとき。でも、「当時の状況を考えれば、仕方なかった」論はなかなか受け入れてもらえない。そういった状況論よりも、「日本人は植民地支配の過程で、多くの朝鮮人を殺した」とか「我々から言葉や朝鮮名を奪った」という、自分達が受けた被害について説明するのを好む。

そういうわけで、ジョンの口から、自分の認識ときわめて近い意見がでてきたことは、僕にとってかなりの驚きだった。感情に頼らず、日本の韓国植民地化を「Natural」と言った。すくなくとも、彼の意見は、日本の当時の立場を理解したうえでの発言だ。続けて聞いてみる。

「ジョン、俺は、君の意見はとても客観的で冷静だと思う。でも、そういう意見をもってるのは、韓国ではマイノリティなんじゃないのか?」
「まぁ、世代にもよるよね。ただ、僕らの世代(注:彼は19歳)には、こういう考え方する人間も、そこそこいるよ」

これは、驚きだった。日本では、韓国人は「反日」で当たり前だというムードがある。正直、僕もジョンはこの話題に関しては、日本の非を責めてくるのではないかと思って、それに対してどう反論するか、待ち構えていた部分がなくもなかった。それが、見事に肩透かしを食らった。しかも、彼のような意見を持つ韓国人も、その割合はともかく、確実に存在するのだという。

おそらく、彼の言っていることは本当だろう。感情的には難しくても、「日本の朝鮮植民地化は、当時の状況を考えると自然なことだった」と理屈で理解できる韓国人はそれなりにいるに違いない。


◆

日本では韓国、あるいは中国の反日ムードばかりが報道されるが、こういう韓国人もいることを、日本人はもっと知るべきだ。韓国人の中にも、日本と歴史論争ができるだけの「冷静さ」を兼ね備えた人間は、確実にいる。それを忘れて、感情と感情で対立しあっていても、建設的議論はなにもできない。

僕も含めて、日本人は「韓国人は感情的で、彼らとはまともな歴史論争ができない」と決め付けてはいなかったか。韓国のなかにも、ジョンのように相手の立場にたって物事を考えることのできる人間は、いる。僕たちが語りかけるべきなのは、そういった相手に対してだ。

むろん、政府と政府の喧嘩は、大いにしてくれて結構。国益と国益をかけて闘う外交の場では、韓国政府に遠慮はこれっぽっちもいらない。竹島問題に関しても、日本政府は韓国に遅れをとるべきではない。竹島は日本領であると、しっかり主張して然るべきだ(まぁ、今更民主党政府には何も期待しないけれど)。

ただ、民間レベルでは別だ。僕らは国益を追求する外交官ではない。僕らのようなバックパッカーにとっては、国籍を超えてお互いのパーソナリティーを理解しあうことが最重要課題であり、そのしこりとして「歴史問題」が横たわるのならば、それを取り除くための対話が必要だ。そして、冷静な対話ができる韓国人は、一定数存在することがわかった。僕らは、こういった人たちに対して語りかけなければいけないと思う。




2008-03-03

エリートの思考文法

【欧州人物観察記 李眞熙 後編】
前編:邂逅
後編:旅の恥はかきすて

前編・後編では、眞熙自身よりもむしろ、眞熙との出会いで影響を受けた、自分の変化にウエイトを置いて書いたので、そろそろ本格的に眞熙の人間分析を始めたいと思う。

眞熙は、人間観察をする上で、他の人間とは明らかに一線を画す「属性」を持っている。それは「エリート」であるということ。まず彼の大学だが、韓国の首都・ソウルのハンニャン大学という。

眞熙や、後であった他の韓国人の話から判断すると、日本でいう一橋大学あたりに相当するのだと思う。要は、「ちょっとアタリが悪くて東大にいけなかった」レベル。 韓国には徴兵制があるけれど、彼の所属部隊が派遣された地域も、他の韓国人は「あ、それ、エリート部隊のいくトコだね」と言っていた。

父親はドイツで建築の仕事をし、母親は昔フランスに住んでいたお嬢様。父親は今でもドイツで仕事をしていて、親に会いに行くのも、眞熙の旅の目的の一つだった。彼自身も英語は難なく話し、簡単なドイツ語・フランス語も話せる。

ステータス的には、こんな感じ(はぁ、思い出しながら書いてて嫌になってきた) 。

表向きのステータスに加えて、先に触れたように、眞熙には余りある行動力が備わっている。つまり、エリート育ちではあるが、ペーパーテストしかできない書斎派ではない。

 「血統がよく、一流の環境と教育を受けてはいるが、地は粗野でアクティヴ」というのは、古今東西、他人を引き付ける人間の典型の一つだ。


  • ロマノフ家の王子に生まれながら、自分で船の設計までこなした大男 ピョートル大帝
  • 英雄アウンサン将軍の娘に生まれながら、地道な民主化活動を続ける スーチー女史
  • 財閥の御曹司ながら、べらんめぇ口調でサブカルにも理解を示す 麻生太郎

…と、ここまで書くと大げさかもしれないが、眞熙も程度の差はあれ、間違いなくこの系列に属する人間だった。金の使い方も割と豪華で(儒教社会・韓国人の慣習もあるはずだが)、眞熙には何度かおごってもらった(ごっつぁんです)。

友人にも一流人が多く、フランスの3つ星レストランで働いているソムリエ、プロのカメラマン、Googleだかどっかで働くプログラマー etc...。それらの友人から教わったワイン、パソコンの知識、写真術はどれも凄いものだった。特に目立つ特技のないT田といて、眞熙はさぞ退屈だっただろう(あぁ、もう書いてて落ち込んできたわ…)。

そんな彼の目標は、「United Nations of Department Economic」国連の経済部門で働きたいのだそうだ。国連というと、人道主義・理想主義者の集まりというイメージがあるが、眞熙が興味あるのはそんなものではない。眞熙は純粋に、世界経済戦争のいちプレーヤーとして、ゲームに参加したがっている。そのための所属団体として、国連に魅力を感じているらしい。

国連を、世界最高の良心ととらえる人間も多いこの世の中、彼の国連観は、「世界に数多くある国際機関の一つに過ぎない」という認識だ。 一般人の思考文法とは、根本が違うのである。

歴史を勉強する上で、以前からエリート育ちの人間がどんなんだかには興味があった。まさか、ヨーロッパで韓国人のエリートと出会うとは思いもよらなかったけれど。 

さて、現在大学4年生で卒業も決定している彼は、08年の4月から、ドイツの銀行に勤務するらしい。

これからこの男が、世界でどんな活躍をするのか、今から楽しみだ。忙しくなるだろうけど、たまにはメール頂戴ね。




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2008-03-01

旅の恥はかき捨て

見慣れぬ食材でパスタソースを
つくる眞熙。お味の方は…
【欧州人物観察記 李眞熙 中編】
承前 前編:邂逅

さて、その韓国人・李眞熙。

かなり打ち溶け合ってしまったので、翌日の道程もご一緒することになった。

初めは、次に行く町の方向が同じだったので、途中まで一緒の電車に乗るだけだったのだが、車内トークが盛り上がってしまったので、勢いで眞熙と同じ街に行くことにしてしまった(自分のよくあるパターン)。

眞熙とは2007年11月08日-13日まで一緒に行動し、リンツ、チェスキー・ボドヨビチェ、チェスキー・クルムノフを同行。いったん別れた後で17日にプラハでも再会したので、まる7日間、一週間ずっと一緒に過ごしたことになる。

7日間、大変だったのは、眞熙が無茶苦茶おしゃべり好きだったということ。とにかく、よくしゃべる。

「トヨタは静かな奴だな。もっと話してくれよ。退屈じゃないか」

いやいや、お前が喋りすぎなんだ。対象は自分だけではない。店の人、宿の係、駅員、相部屋になったバックパッカー etc...とにかく誰にでも話しかける。

正直、俺でもわかるくらい、文法が滅茶苦茶な英語を話すときもあるが、言葉数がそれをカバーするので、結局誰とでも意思の疎通をこなしてしまう。そして会話だけに限らず、何事にもアグレッシブだった。

「あの店に入ろう」 
「あの場所へいってみよう」
「じゃあ、あの人に聞いてみよう」

初めは、彼のペースに合わせるのがとてもしんどかった。

疲れる…。日本人はシャイな民族なんだ。高校の交換ホームステイのときも苦労したが、“アジアのイタリア人” コリアンとはメンタリティが違いすぎる…。

眞熙がみつけてきたプラハのジャズクラブ。正直、彼が
行こうって言わなかったら無縁な場所だった。
が。2、3日もしてくると、それが日常化してくるので、自分も眞熙をおちょくる意味でも、ジョークをいってみたり、積極的に街を歩くようになった。積極的に話しかけ、普段は入らないような店に入り、正しいのかも解らない英語を、とにかく口から出す。

それが、案外楽しいのである。思えば、一生に一度これるかこれないかの、遠い異国・チェコの街。どうせ思い出を作るなら、ブっ飛んだ体験をするに越したことは無い。眞熙と共に過ごせる時間も、無限ではない。

沢山話して、自分という人間を、相手に強く印象付けたい。そのうち、日本には「旅の恥はかき捨て」というなんとも便利なことわざがあったことを思い出した。

恥ずかしいのも、今だけ。どうせなら、何もしないで諦めるよりも、何かアクションをしてから落ち込もう。そう考えているうちに、いつの間にか自分の旅のスタイルができあがっていた。眞熙に作ってもらったとも、言えるかもしれない。

あの3ヶ月間、自分の血液型は完全にB型だった。本来の血液型(AB型)の半分であるB型が、もう一方のB型を完全に圧倒していた。

やると決めたら、恥をかいてもやる。
解らないことがあれば、とにかく言葉を連発して誰かに尋ねる。
行くと決めたら、何十キロ歩こうが、とにかく行く。

そんなスタイル。

実際にやってみると、旅の面白さが倍増する。そして何より、勉強になる。ガイドブックにも載っていないことが、自分の旅日記に、どんどん増えてゆく。今となっては『地球の歩き方』に投稿してやりたいネタが盛りだくさんな今日この頃だ。

後で気付いたのだが、眞熙のおしゃべり好きは、彼の性格もさることながら、英会話の勉強だったのだ。英語を「話す」には、いくら難しい学術書が読めたって、「話す」訓練をしないと、上達しない。そういう意味で自分は、眞熙の練習台だった訳で、あまり話さない奴を「退屈」と思うのは当たり前の話でもあった。

ともあれ、自分の旅のスタイルに、眞熙が与えた影響はかなり大きい。

「旅の恥はかき捨て」

そんな言葉を思い出させてくれただけでも、眞熙には感謝だ。

後編:エリートの文法









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2008-02-29

邂逅

【欧州人物観察記 李眞熙 前編】

その日、やっとのことでウィーンの引力から逃れた。欧州について早々、ウィーンで荷物の70%をロストした自分は、それから数日間、同市のまわりをふらついたり、物価の安いチェコで物資の補充をしていた。

正直、死に体だった。気分は沈みまくって、旅どころではない。 「このままでは」と、とりあえずウィーン都市圏を脱出するために、電車に乗った。

行き先は決めていない。なにせ、ガイドブックすらもっていない。

鉄道は、オーストリアの雪原・山岳地帯を走った。綺麗な景色が、少し心を癒してくれる。車内の路線図を見て「この街へいこう」と決めた。リンツ Linz。電車を何度も乗り継いで、着くのにまる一日かかった。

ちょうど良かった。今日は何も考えずに、車窓を眺めていたい。オーストリア東部を大きく「コ」の字型に回ったので、着いたのは夜の19時。さっそく宿へ向かうと、部屋でまっさきに声をかけてきたのが、眞熙だった。

李眞熙。23歳。韓国人。

”Have you done your dinner? If not, How about with me?”
”Great. but I wanna take a shower at first. Let's have together after I finished it”

人と話すことに飢えていたので、とりあえずOKした。3日ぶりのシャワーで、洗濯物も溜まっていたので、シャワー室から出てくるのに1時間かかった。

"Sorry, you may have waited for me so long time"
"No problem. but I thought you were sleeping in the shower room. or dead" 

眞熙は冗談が上手い。早速、近くのスーパーで夕食を買いこんで、宿のロビーでディナーをはじめた。夕食といっても、メインはスナックとビール。ビールはビン8本で3ユーロ (約500円)。安い。

口から、言葉が洪水の様にあふれ出た。自分でも、自分がこれだけ英語を話せることに驚く。沈んだ気分で、自分の心に満ちていたのは厭世観。その反面、次に人と会ったら、こんな話をしようと、頭の中で何度も英語のシュミレーションをしていたおかげだ。

眞熙とは、旅の話、国の話、異性の話、日韓関係の話などをしているうちに、かなり打ち解けあった。高校のときに、韓国の姉妹校と、短期交換ホームステイをしたことがあったので、相手が韓国人なら、いくらでも意思の疎通はできるんだ、という実体験も、大きな助けになった。

さらに、周りには背の高い白人ばかりのこの欧州で、お互いに東アジア人であることは、民族意識を超えて、少なからぬ親近感を生む。初めてあったにしては、かなり突っ込んだ話もした。

眞熙はよくしゃべる。英語を自分のものにした話し方なので、早口でも話せる。それでも、酔いの勢いで意味が理解できてしまうから不思議だ。…余談になるが、英会話に一番必要なのは勢いだと思う。そのためには、酔っ払ってしまうのが手っ取り早い。

沈んでいた自分は、どっかに消えうせた。まったく意味も無く、ただなんとなく来た街で、面白い奴と出会えた。欧州に来て、こんなに楽しく酔ったのは、初めてだった。

この出会いが無ければ、自分はもっと長い期間、荷物を失ったショックから立ち直れていなかっただろう。本当に、眞熙との出会いには感謝している。

その日が、自分の21歳の誕生日であることには、後から気づいた。この出会いは、最高の誕生日プレゼントだった。

中編:旅の恥はかき捨て

後編:エリートの思考文法




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