実際、数日後に元神主さんと会っていろいろと話を伺うことができたので、興味がわいていってみることにしました。その神社の名とは…崇道すどう神社。
■早良親王のタタリ
さて、その崇道神社が「一番怖い」といわれている理由ですが、それは「タタリ」にあります。誰のタタリかというと、早良さわら親王。物語は、奈良時代から平安時代に移りつつある時代までさかのぼります。
平安京を建てた桓武天皇。 早良親王の兄で、彼を 死に追いやったのもこの人。 |
しかしその後、皇族のあい次ぐ病死や疫病の発生、洪水などの天変地異がおこり、人々は「これは無罪の罪で死んだ早良親王のタタリに違いない」とうわさします。結局、長岡京への遷都計画は中途半端なかたちでおわり、心機一転、平安京の造営へとすすむわけです。これが、京都のはじまりですので、ある意味、こんにちの京都があるのは、早良親王のタタリのおかげだと言えないこともない…。
この早良親王の呪いが、新都・平安京に及ぶことのない様に、彼の魂を鎮める意味で建てられたのが、この崇道神社です。早良親王は立太子、つまり次の天皇後継者に指名されていたことから、タタリを鎮める意味でも、死後「崇道天皇」の称号をうけました。「崇道」の名前はここから来ています。
■境内
…とまぁ前置きが長くなりましたが、とにかくこの崇道神社は、早良親王の怒りが未だに収まらないのかどうか、幽霊? の目撃証言もとても多いそうです。実際、確かめるべく、足を運んでみました。
確かに、境内はうっそうと茂る森の中にあって人気がなく、かなり不気味な感じがするのですが、いわれてみるほど怖くはない…。
これは、昼間にきたのがいけなかったな、ってことで、日を改めて、夜にいってみることに。今回は、例の同居人・スウェーデン人軍団も同行しました。いや、別に一人じゃ怖かったとかそういうわけじゃないですよ! 奴らがたまたま行きたいって言ったからしょうがなく同行しただけですよ!? ね?。
さて、これが夜の崇道神社の様子。
いや、これは確かに怖いよ。かなり怖いよ。実際一人じゃこんな奥まではいってこれなかったよ…。たしかに何か出てもおかしくない雰囲気。
ただ、驚いたのがスウェーデン軍団が全然ビビってないこと。後から一人遅れて到着したんですが、「えー、もうみんな行っちゃったの? じゃあ俺今からみてくるわー」って平気な顔してすーっと入って、すーっと出てきちゃいました。「怖くなかった?」って聞いたら「まぁ、そこまででも…」と全然平気な様子。なんだか一人で怖がってるのがアホらしくなりました…。なんだろ、文化が違うと怖さの価値観も違うんですかね?
怖かったとはいえ、何事もなく帰ろうとしたそのとき…
出ました。
…ずいぶんかわいいお化けが。
オチwwwwwwwwwwwwww
返信削除お、そろそろ帰ってくるらしいね! 飲みに行くぞー!
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