ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。
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2008-08-04

プラッツの恩人

【承前】
アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-


でろんでろんに酔いつぶれた自分。酔いの勢いでその場の雰囲気を楽しんではいたが、さすがに帰りの電車の時間が気になりだした。ここから一番近い駅まで、歩いて30分はかかる。そろそろ、店を出なくてはならない。

しかし、相手のバレイチェクも相当に酔っ払っている。言葉もうまく通じないので、なかなか席を立つタイミングがつかめない。

そんなときに助けてくれたのが、ピーターだった。別の席で仲間と飲んでいた若い青年だったのだが、英語ができる彼は、自分とバレイチェクの間に通訳に入ってくれたのだ。

タイミングのいいことに、ピーターと彼の仲間たちももう店を出るらしい。ピーターは自分に「よかったら、うちに泊まらないか。外はまだ雪が降っているし、ここから駅まで歩くのは大変だろ?うちでゆっくりして、明日の朝電車に乗ればいい。うちはここからすぐ近くなんだ」と言ってくれた。

普段なら、さっき会ったばかりの人のお世話になるもの抵抗があるが、自分もシラフではないので、この申し出に飛びついた。この際、現地の人の親切に甘えてみよう、一期一会、現地人と触れ合えるいい機会だ。そう思って、バレイチェクと店主に別れを告げ、居酒屋を出た。

ピーターとその仲間たちは、みんな鉄のラケットを背負っていた。彼らはみんな、この地方のアイスホッケーチームだという。確かに、チェコやその隣国・スロヴァキアはアイスホッケーが盛んな国だ。見た目には、年はみな20代から30代に見える。スポーツマンらしい、好青年ばかりのグループだった。

プラッツの街を歩きながら、みなそれぞれが帰路につく。やがて、ピーターと2人になり、彼の家の方角へと歩いた。


「トヨタは、プラッツの街に一体何をしに来たんだい?」
「西洋史を勉強しているんだけど、ナポレオンに興味があって。アウステルリッツの古戦場を見に来たんだ。昼にスラフコフの博物館を見学して、そこのスタッフにプラッツに記念碑があるって聞いたから、ここまで歩いてきたんだ」
「スラフコフから歩いてきた?パワフルだなぁ…。バスに乗ればよかったのに」
「ちょうどいい時間のバスがなかったんだよ。貧乏旅行であんまりお金も使いたくないし、せっかくだから、歩いてみようと思って。でも、途中から雪になったのはさすがに辛かったけどね」
「そもそも、僕はこの町で日本人を見ること自体珍しいよ(笑)」


ピーターはだいぶ若くみえたが、話してみると、奥さんと、息子も一人いるらしい。加えて、母親と4人でこのプラッツの街に住んでいるという。本当に親切な性格で、自分がうまく英語を聞き取れないと、易しい言葉でゆっくり言い直してくれる。酔ってハイテンションになってはいるが、相手も真剣に話をしてくれるので、冷静に話そうと努めた。

「旅行中っていってたけど、いつからヨーロッパに来たんだい?」
「11月の頭に、ウィーンから旅を始めたんだ。チェコに入ったのは、1週間前くらいからかな」
「チェコはどうだい?トヨタはこのプラッツに来る前は、どこにいたんだ?」
「昨日はブルノの街を歩いていたんだ。その前は、世界遺産の街、チェスキー・クロムノフから来た。」
「クロムノフか。有名な観光地だ。あっちは、もう雪は降ってたかい?」
「クロムノフには2泊したんだ。最初はきれいに晴れていたけど、最終日の夜に雪が降ってね、晴れのクロムノフと、雪景色のクロムノフ、両方堪能できてラッキーだったよ」
「プラッツじゃ、この時期は雪ばっかりだ。それにしても、スラフコフ・ウ・ブルナからよくここまで歩いてきたなぁ」
「そりゃあ疲れたよ。でも、アウステルリッツの戦場を体験できてよかった」


彼が英語を喋れるのは、元々イギリス人で帰化したからだったか、チェコ人ではあるけれど、イギリスに留学経験があるからだったかだったと思う。説明を受けたのだけれども、酔っていたせいもあってはっきり思い出せない。彼の奥さんの名前はシルビア、息子の名は、トーマスという。全部英国系の名前なので、前者かもしれない。プラッツの街を少し歩いて、彼の家に着いたのは、22時半くらいだった。彼の家族はもう寝ていたが、ピーターと少し飲みながら話をしたあと、案内された部屋で眠りについた。すぐに眠ることができた。なにせ、歩き続けた疲れに加え、酔い疲れが溜まっている。
翌朝は、ピーターに起こされて目覚めた。


「トヨタ、もう朝だ。朝食を食べよう。こっちだ」
食事をする部屋に着くと、朝食を用意する奥さんのシルビアがいた。昨日は顔を見ることが出来なかったので、挨拶をする。
「いきなり泊めてもらうことになって、本当に感謝してます。朝食まで用意してくれて、本当にありがとう」
「いいえ、気にしないで。夫の友人を家に招くことは、私にとってもうれしいことよ。プラッツにようこそ、トヨタ」


シルビアも、とても親切な人だった。突然泊めてもらうことになったわけのわからない外国人を、嫌な顔一つすることなく、暖かく迎えてくれる。

シルビアに挨拶していると、車の模型が自分の足元に近付いてきた。ミニカーが来た方向をみると、小さい男の子が立っている。息子のトーマスだ。愛称は、トミー。
「トミー、彼はトヨタ。お父さんの大切な友人なんだ」
「よろしく、トミー。車が好きなんだね」
トミーはまだ小さく、はっきり言葉を喋られる年ではなかった。最初は見慣れぬ日本人の顔に戸惑ってはいたが、たまにみせてくれる笑顔はとても可愛かった。

このような一家団欒の食事は、久し振りだった。基本的に一人で旅をしているので、朝はいつも宿の食堂で一人で済ませる。飯を一緒に食べる相手がいたのは、韓国人の李眞煕と一緒にいたときだけだ。

「口にあうかしら」
「とってもおいしいよ。貧乏旅行だし、朝からこんなに満足に食べられること自体、珍しいから」
「遠慮せずに、どんどん食べてね」
「トヨタは今日これから、どうするんだい?」
「実は、夜に日本人の友達とプラハで会う約束があるんだ。だから、一度ブルノまで戻って、プラハ行の電車に乗らなくちゃいけない」
「じゃあ、車で駅まで送っていくよ。時間に余裕はあるかい?」
「時刻表だと、昼ごろにブルノを出れば間に合うみたい」
「切符はもう、買ってあるのか?」
「旅行用に、ヨーロッパの路線乗り放題の切符があるんだ」
「出発まで結構時間があるな…よかったら、少しこの辺をドライブしないか?トヨタはナポレオンに興味があってプラッツまで来たんだろ?このあたりには、昨日トヨタが行った平和記念碑のほかにも、いくつかのモニュメントがあるんだ。」
「本当に?是非ともお願いしたいな!」

先日博物館で、スラフコウ・ウ・ブルナ周辺の戦跡地図をもらったが、とても歩いて全部回ることはできないと思った。それで、このプラッツの街の平和記念碑だけに目標を絞ってここまで歩いてきたのだが、現地の人が車で案内してくれるとは、心強い。心底、ピーター一家の親切に感謝した。
朝食を済ませた後、ピーター一家3人と自分を乗せて、車は街へ出た。途中、小さな町でシルビアが買い物に車を降り、別れを告げる。

「さぁ、いまから、トヨタをとっておきの場所に案内しよう。あと10分くらいだ」
しばらくして車がつくと、そこは平原にぽつんと顔を出した高台だった。一番高い所に、記念碑らしき石がある。
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(▲真ん中にはナポレオンの頭文字「N」)
「ここは、戦いのときにナポレオンが陣取った場所なんだ」
「本当だ。記念碑に布陣図が載ってる」
「これだと、ロシア軍があっち、オーストラリア軍がの方角だな、あそこに見える小さな村が、プラッツだ」
「見晴らしがいい、絶好の場所だね。あたりの景色が360度ひらけて見える」
「そうだろ?実は…ここは、シルビアと一番初めにデートしたところなんだよ」
思わぬ情報がとびこんできた。
「じゃあ、思い出の場所じゃないか」
「まぁ、邪魔がいない時にでも、また二人っきりで来るさ」
「夫婦仲が良くて、うらやましいよ。トミーも良い両親を持って幸せだね」
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(「見えるかい?トミー、あれがおうちのあるプラッツの町だ」「え、どこどこ?」)

この後もいくつかのモニュメントを案内され、もういっそのこと、ということでブルノの駅まで送ってくれた。車を降り、ピーターとトーマスに別れを告げる。

「トヨタ、もしまたプラッツに来ることがあれば、いつでも連絡してくれ。あと、これ。君にプレゼントだ」
ピーターはそう言って、プラッツの街が写ったポストカードと、有名な『モルダウ』などチェコのクラシック音楽が入ったCDをくれた。至れり尽くせりだとはまさにこのことだ。
「ピーター、本当にいろいろありがとう。あなたのことは絶対に忘れない。ピーターに会ったおかげで、チェコが大好きになった。トーマス、お父さんみたいな、いい男になるんだよ」
「ははは。そう言ってくれると、僕もうれしいね。じゃあ、気を付けて」
「さようなら」

ピーターと一緒にいた間、何度「ありがとう」を言ったかわからない。彼とその一家は、本当に親切だった。寝る前に一度、宗教の話をしたのを覚えている。日本人の宗教観に興味を持っていたようだが、逆にこっちが彼の宗教について聞き返すと、彼が本当に経験なクリスチャンであることが伝わってきた。

ピーターは、自分が「ありがとう」を言うたびに、決まってこう返してくる。
”No problem. It’s my pleasure”
人に親切にすることが、彼にとっての自然体なのだ。自然体で、親切ができる。掛け値なしで、本当に素晴らしい人だと思う。

ひとりで旅をしていると、人に親切にされることのありがたさが、普段以上に敏感に感じられる。現地人の優しさ、バックパッカー同士の助け合いなどに触れるたび、この旅が、沢山の親切に支えられていることに気付く。

宿や朝食を恵んでもらったこと、車でアウステルリッツの古戦場を案内してくれたこともそうだけれども、現地人の深い優しさに触れることができて、自分は本当にいい旅をしたなと思った。


乗り込んだ電車はブルノを出て、チェコの首都・プラハへと向かう。プラッツの街では、今日もピーター一家が笑顔で暮らしているはずだ。
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2008-06-29

すきっ腹にウォッカを少々

【承前】 アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-

疲れた足取りでプラッツの街へと戻る。もう21時を回っていた。雪も降っているし、当然街を歩く人影は見えない。とりあえず何かを食べたかったが、民家ばかりで食堂らしき建物は見当たらない。
ようやく、それらしい看板のたった建物を見つけた。他には見当たらない。とにかくおなかが減っていたので、そこへ入ることにした。

入ってみると、そこは食堂ではなく、居酒屋だった。カウンターに店主とビールのサーバーやグラスが並び、テーブルにいくつかのグループが座っていた。メニューを見ても、食事らしきものはない。唯一、酒のつまみなのか、カウンターにポテトチップスが並んでいた。

この際、腹にたまれば何でも良かったので、ポテチを頼むことにした。居酒屋でポテチだけというのもアレなので、ビールを一杯頼む。疲れた体にビールはとても美味しくて大口で飲んだが、こんなすきっ腹で一気に飲んだら酔いが回ってしまうと思って、ゆっくり飲むことにした。


重いバックパックを下ろしてテーブルに座ると、入り口付近に体格の良い帽子をかぶった男と、背の高い細い男が二人、座っていた。こっちをもの珍しそうに見ている。それもそうだろう。見慣れぬ黄色人種が、こんな雪の夜に大きなバックを背負って一人でやってきたのだ。

目が合ったので、挨拶してみると、二人は自分のほうに擦り寄ってきた。既に酔っていたようで、高いテンションで話しかけられたが、チェコ語はわからない。英語はどうだろうと思って話しかけてみても、通じない。

自然と、会話はジェスチャー頼りになる。よって、以降の会話は、なんとなくこういっているんだろう、という自分の想像である。たぶん、正確ではない。

大きいほうの男が、「これでもどうだ」と小さなショットグラスを差し出してきた。

においからして、ウォッカだ。ジェスチャーからみて、これでも飲んで体を温めろということらしい。たぶん、コートに雪が張り付き凍っていたのをを見て、気を使ってくれたのだと思う。ショットグラスで出されたということは一気に飲み干すのが礼儀なのだろうか?たぶんここでイッキ飲みをしたら、相当酔いが回るだろうなとは思ったが、せっかくの気遣いなので、応じることにした。

「どうだ、体が暖かくなっただろう?」
「うん、こりゃきくね」
「お前、なかなか良い飲みっぷりだな。マスター、同じものをもう一杯頼む。あと、俺の分も」
マスターに同じものを注文するしぐさを見て、「いかん」と思ったが、言いたいことが上手く伝わらない。
「いいか、こうやるんだ」
大柄の男はショットグラスを持った手のひじを上げ、自分に真似をする様に促した。どうも、チェコ式の乾杯の様だ。2人で飲み干すと、その後で握手をし、抱き合って、お互いの耳元でキスを鳴らす。
小さなグラスだったが、2杯だけでだいぶ喉が熱くなった。後で何かで読んだのだが、チェコのウォッカは、ロシアのものよりも強いらしい。いつの間にか、というかあっという間に酔いが回ってきた。自分は基本的に笑い上戸なので、酔うとなんでも楽しくなってきてしまう。言葉もろくに通じなかったが、現地人との会話は楽しかった。

大柄の男は名をバレイチェクと言うらしい。年は50代くらいに見えた。たぶんこのプラッツの人間なら、ナポレオンの名前を出せば話のタネになると思って現地の発音風に「ナプーレァ、ナプーレァ」と連発してみると、どうも通じたみたいで、彼がなにやら語り出した。内容はわからないが。

酔って上機嫌になった彼は、どんどんウォッカを頼みだした。そしてまた例の乾杯をする。これの繰り返し。楽しかったが、すきっ腹にこのウォッカの畳み掛けはきつかった。テーブルに伝票が置いてあり、何かを注文するごとに、マスターがそこへチェックを入れるのだが、ウォッカを頼むごとにチェックされるのはバレイチェクの伝票だった。おごってもらっていることになるので、断るのも失礼だ。腹を満たすためにここへきたのに、腹は満ちずに、酔いだけ回っていく。

言葉がお互いに通じないので、バレイチェクは歌を歌いだした。細い男とマスターも加わって、合唱が始まる。何度も何度も同じ歌を歌い、遂には自分も一緒に歌ったので、この歌は今でも歌える。自分も言葉に頼らない何らかの方法でコミュニケーションをとろうとして、自分の旅ノートをみせた。そこには、メモのほかに、自分の描いた絵があったからだ。絵なら、言葉がわからなくても解る。
バレイチェクは喜んでくれたが、一番面白がっていたのは自分で鏡を見ながら書いた自画像だった。
「お前、なかなか上手だな。お前の顔にそっくりだ。なぁ、俺の似顔絵も描いてくれよ」
妙な展開になってしまったが、酒をおごられた恩もあるので、バレイチェクの似顔絵を書いてあげることにした。西洋人の顔は書きなれていないのでなかなか苦労したが、出来上がったものをみせると彼はそれをいたく気に入ったらしく、マスターにその絵を壁に張るように言った。
というわけで、この居酒屋にはもしかしたら、今でも自分が書いたバレイチェクの似顔絵が飾ってあるかもしれない(笑) 確か、絵に日付とToyotaというサインを入れたので、プラッツの街に行く人がいたら(いるのか?)是非ご覧になっていただきたい。

何杯飲んだか正確に覚えてはいないが、相当きつかった。視界がおぼろげになって、完全に酔った。正直にいうと、トイレに行って何回か吐いている。自分は酒は好きだが、すきっ腹にウォッカのイッキ飲みを重ねて平然としていられるほど強くはない。たぶん、吐かなかったら完全に潰れていたと思う。大学のサークルのおかげで吐くのに慣れていたことに、心底感謝した。

欧州放浪の旅では何度も酒を飲んだが、吐くまで飲んだのは、唯一この日だけだ。アウステルリッツの大地を果てしなく歩いた後で、へとへとに疲れた体でこんなに泥酔するハメに陥るとは、考えてもいなかった。日本でも、ここまで酔いが回ったことはないかもしれない。もしかしたら、この日は人生で一番胃を痛めつけた日かもしれないのだ。

それにしても、最終電車はここから30分くらい歩いた駅から23時頃に出る。そろそろ店を出ないとまずいと思ったが、正直、この状態でまた雪の中を歩く自信はない。第一、バレイチェクのテンションが高く、容易に返してはくれそうにない。自分の悪いクセなのだが、酔うと楽しくなって、もうどうでも良くなってしまうというか、その場の勢いで物事を済ませてしまうところがある。帰る宿のことは考えずに、しばらく飲み続けた。・・・one shot と、vomit を繰り返しながら。

【続く】 アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-

2008-06-17

チェコ遭難

07年11月15日のこと。
チェコの、スラフコフ・ウ・ブルナ Slavkov u Brnaという町を歩いていた。ドイツ名、アウステルリッツ Austerlitz。「三帝会戦」の名で有名な、ナポレオン戦争の大一番。欧州大陸の覇権を巡る、ヨーロッパ版・関ヶ原の戦いの舞台である。
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(▲スラフコフ宮殿。現在は博物館。アウステルリッツ関連の展示も盛り沢山)

夕方まで博物館を見学した自分は、学芸員の人から「少し歩いたプラッツ Prace という町に、戦いの記念碑がある」と聞いて、それを目指して歩いていた。周囲の景色は、山と地平線が全て。バスは2時間に一本レベルの、田舎の町。かといって、タクシーを使うほどの贅沢はできない。旅費節約の為に、今日は宿提供の朝食しか食べていない。半分だけ食べて、残りは袋に入れて、明日の朝食にしようと思っていた。そんな貧乏旅行。

…歩けど歩けど、なかなか着かない。

2時間歩いて気付いた。旅行の定番・「すぐそこ現象」だ。地元人の「すぐそこ」と、strangerの「すぐそこ」は全然違う。チェコ・モラビア地方の田舎で暮らす人と、世界有数の東京都市圏に住む人間の「すぐそこ」も、全く違う。

着かない。


雪が降り出し、それはやがて吹雪へと姿を変える。街道沿いを歩いていたので、ヒッチハイクをしようと思ったが、車なんて1時間に1台通るかどうかが関の山。ようやくすれ違った車は、吹雪に隠れた自分の姿を見つけられずに、遠くへと去っていった。

歩くしかない。

が、約30キロあるバックパックを背負って、肩は限界。泥と雪の道を歩き続けて、足もふらついてきた。吹雪に吹き付けられて、体中がかじかむ。なによりも、空腹が耐え難い。

半分残していた、食料の存在を思い出した。バックパックに手を伸ばす。

…ない。

たぶん、さっきバックパックに防水カバーをかけたときだ。吹雪で手元の視界すらかすんでいた。不幸中の幸い。かろうじて、1つのりんごが難を逃れ、バックに残っていた。芯までかぶりつくくらいに、残さず口に入れる。この際、腹を満たせるものなら何だってかまわない。

それでも、まだ目的地は見えない。休めば楽になれるのだろうが、生存本能がその判断に「NO」と
いう答えを突きつける。この疲労と寒さの中で休んだら、本当の意味で「楽」になりかねない。それくらい、強い吹雪に体は弱められていた。落とすくらいならきちんと朝食を摂っておくべきだったが、今更どうしようもない。歩くしかない。

思えば、200年前にこの地で戦った兵士達も、この様な感覚を味わったのだろう。パリを出発し、アルプスを迂回してイタリア・オーストリアでの連戦の果てに、この大地を同じように歩いた。車も鉄道も発明されてない時代、使える移動手段は、士官や騎兵でもない限り、唯一自分の足だけ。

背嚢(=バックパック) を背負い、空腹に耐えて歩く兵士達。自分の境遇と重なる。補給も送れ、以前の戦場で負傷した兵士も多かったことだろう。五体満足で歩いていられるだけ、自分は恵まれているといえる。これだけの思いをして、やっとたどり着いた決戦の場で、たった一発の銃弾と、たった一本のサーベルが、簡単すぎるくらいに、あっさりと人の命を奪ってゆく。これが戦争なのだ。前線から離れ、戦略地図とにらみ合うだけの高級参謀とは、違う世界。何億もの屍を土台として、歴史は積み重なってゆく。そんな当たり前の事実を、今になってやっと思い出した。
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そんなことを考えながらさらに1時間歩いて、心に希望がわいてきた。地平線の果てに、うっすらと光が見える。たぶんあれが、記念碑のある町・プラッツだろう。もう何も考える必要はない。機械の様に命令を実行する兵士の如く、ただ前に、足を動かせばいい。ただそれだけだ。そう考えると、少し気が楽になった。

さらに2時間と少し歩いて、やっと目的地についた。吹雪で記念碑の全体像は見えないが、ともかくもここが、アウステルリッツの戦いの主戦場・プラッツ(旧プラッツェン高地)だ。きっとこの下にも、数多くの死体が埋まっているのだろう。
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プラッツの高台からは、歩いてきた道が、雪にさえぎられながらも、うっすらと道路沿いの街頭で確認できた。これだけの距離を歩いたことに、自分で驚く。少なくとも、地平線よりも向こうから、自分は歩いてきた。人の生存本能は、なかなか侮れない。

ようやくたどり着いた目的地。眠くならないように注意しながら、頭の中で200年前の戦いを再現する。実際の戦いは、12月02日。今日は11月15日。近い。200年前の兵士達も味わったであろう、この吹雪を体験したことは、無駄ではなかったような、そんな気持ちになれた。

歴史は文章で勉強するものではない。体で学んでナンボだ。静かな興奮で忘れていた、空腹の限界に気付く。地図を確認すると、ここからなら、約2キロ歩けば駅がある。その前に、何か食べよう。もう限界だ。

そう思って、プラッツの町に向かうことにした。「町」という表現ですら大げさに感じられる、「集落」といった規模の場所だが、こんな所でも、食堂のひとつくらいはあるだろう。メニューには何があるだろう。まずはグラーシュスープで体を温めよう。

そんな想像をしながら、早足でプラッツの町へと向かう。…その判断は間違いだったことは、まだ知る由もなく。

【続く】
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-
アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-

2008-05-12

Slovakian Sisters

その日は、プラハで古川さん・まりこさん・眞熙とオサラバした後、プラハ中央駅から夜行列車でポーランドのクラクフへ向かう予定だった。
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…が、クラクフ行きの最短ルート・オストラーヴァ Ostrava経由の便は満席。予約が必要というわけでもないけど、コレじゃあ車内で寝れない。今日は一日朝早くからプラハを観光して、おしゃべり眞熙に付き合って、だいぶ疲れていた。夜眠れないのはツラい。今まで夜行列車がこんなに込み合うことはなかったが、週末だからだろうか。

仕方なく、時間がかかることは覚悟でスロヴァキアの首都・ブラティスラヴァ Bratisrava経由でクラクフを目指すことにした。幸い、こちらの路線は込み合うこともなく、じっくり睡眠をとって、疲れを癒すことが出来た。朝方5時、ブラティスラヴァに到着。そこからジリナ Zilinaで乗り換えて、クラクフを目指す。ヨーロッパの電車は、どんな鈍行でも、地下鉄でも、ボックスタイプの向かい合った客席が一般的。ブラティスラヴァ発の電車では、自分の前に少女とお母さんの親子が座った。

ブラティスラヴァ - コシツェ Kosice間という、スロヴァキアの首都と第2の都市を結ぶ路線なので、日本で言ったなら東京 - 大阪間の東海道線みたいなものだ。だが、正直退屈である。景色はずっと田舎じみていて落ち着くが、あまり変化がない。ただ、駅に止まるたび、乗り降りがある。途中の駅で、小さい女の子が2人座った。

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何の変哲もない道中に変化が起きたのは、その子達が退屈しのぎにか、突然歌いだしたからだ。その声は、すぐに客車中に響き渡り、歌いだす2人を見て、周りから同じくらいの年の女の子達が集まり出してきた。次々と集まりだす少女達。客室はあっという間にライブ会場になってしまった。自分の前に座っていた少女も、当たり前の様にそれに加わりたがる。お母さんが相槌をうち、さらにメンバーが一人増えた。最終的に、7・8人集まったと思う。

凄かったのは、歌がきちんとパートに分かれていて、きちんとハモったり、ソロパートになったり、手の振り付けなんかもあったことだ。きちんとしたゴスペルだ。
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歌い終わった後に、思わず拍手をしてしまった。自然と目が合う。思い切って「もっと歌ってくれ」って頼んでみると、彼女達は快くリクエストに答えてくれた。前日、眞熙の勧めで初めてのジャズバー生演奏を聞いていたが、それとはまた違った感動と興奮が身を襲った。
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そのうち、シスターらしき先生がやってきた。彼女は英語が出来たのでいろいろ聞いてみると、彼女達は、スロヴァキアの修道女見習いなんだそうな。これから大きな教会へ行き、しばらく俗世との関りを絶って、修行の身となるらしい。歌がゴスペルっぽかったのには、そういう理由があった。彼女達の多くは、両親が先立って、孤独の身らしい。教会で修道女となることで、生活が保証される。

しかし、彼女達の歌には暗さのかけらもなく、生き生きと、朗らかに歌う。こんな可愛い娘たちが仕えてくれるなんて、神様はさぞ幸せ者だなーと思った。

自分が日本から来たこと、名前を「TOYOTA」ということを告げると、ちょうど横を、車を積んだ貨物列車が併走したこともあって、これがウケた。お返しに日本の歌を聞かせてあげたり、彼女達の名前を無理やり漢字にあてはめて、筆ペンで書いてあげたりしているうちに、だいぶ打ち解けられた。
彼女達がやけに熱心に聞いてきたのは「ゲイシャ」についてだった。こっちでは渡辺謙・チャン・ツィーの『SAYURI』が人気を得ているらしく、芸者についての興味が高まっているらしい。自分も詳しくはないが、彼女たちが娼婦ではなくプロフェッショナルであること、日本のサムライでヒーローのリョーマ・サカモト(坂本龍馬)やコゴロー・カツラ(桂小五郎)の妻は芸者だったことなどを話すと、喜んでくれた。

さらに、彼女達は歌を教えてあげるから、一緒に歌おうといってくる。なかなか発音が難しかったが、面白い曲だった。確か『オフォレラ・ミシュカ・マラ』という歌で、なんらかのストーリーのある歌だったと記憶している。どなたかご存知ないだろうか。
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そのうち、乗換えをするはずのジリナはとうに過ぎ、電車は終点のコシツェに着いていた。場が盛り上がってしまっていたので、今さらここで乗換えだとは言いにくかったこと、なによりもこの旅行では現地人とのふれあいを大事にしたかったことから、そのまま終点まで言ってしまうことにしたのだ。

コシツェに着いても、道中すっかり仲良くなっていたので、先生のお許しのもと、修道女のうちの一人が自分をコシツェ案内に付き合ってくれた。スロヴァキアは、特に目当てがあったわけではないけど、彼女達との出会いも含めて、とても人々の優しさが伝わってくるいい国だった。
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余談ですが、この後、旅のスタイルにバックパッカーを選んでホント良かったと思いました。地元人のナマ歌聞けたし、気まぐれで目的地帰られるんだから、普通の旅行では味わえない旅がしたいなら、やっぱバックパッカーです。


2008-05-06

ゲイ術の都

あれは…確か07年の12月、クリスマス目前の22日のことだった。

パリに到着して2日目。昨日は、ペール・ラシェーズ墓地の近くのユースホステルに泊まった。バスティーユ方面へ行こうとして歩き、休憩に教会脇の公園でタバコをふかしていたら、一人のフランス人と、仲良くなった。
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名をキャメール Kamelといった彼は、なかなかの紳士で、フランス語を教えてもらっているうちに、だいぶ打ち解けた。英語が通じたのが、大きかった。

「何しにフランスに来た?」
「旅行だよ。西洋史を勉強してる。パリは見所が沢山合って、どこから見ようか迷ってる」
「ほう。西洋史か。フランス史には興味あるか。俺の先祖は、ナポレオン戦争に従軍してたぞ。平民あがりだったが、スーシェ元帥の部隊にいた。一時期は副官クラスまでのしあがったらしい」
「すごいなそれ。スーシェの副官って、史料探せば名前残ってそうだよね。それで、ワーテルロー後まで生き残ったの?」
「いや、第4次対仏大同盟の時期に、プロイセン国境あたりで戦死したらしい。それも、副官に任命された直後だったみたいなんだよ。だから、記録に残ってるかどうかは、知らない。その未亡人が、俺のじいさんの…ばあさんの…」
「へぇ、日本じゃ、自分の家系のことなんて、皆知らないことの方が多いよ」
「フランスでも、今はそうかもな。俺は、じいさんがやたらと昔話を語りたがる人でね。記録のことも、じいさんに聞けば解るかもな。もっとも、彼は今はもう天国だけど。それより、どこに泊まってる」
「あっちだよ。ここから10分くらいのユースホステル」
「俺の家もそっちの方向だ。良かったら、遊びに来るか。コーヒーでも出すから、ゆっくり話でもしないか」

という成り行きで、キャメルの家にお邪魔することになった。その日は他に行きたいところがあったのだが、現地人との出会いは、旅行の醍醐味。以前、現地人の家に泊めてもらったこともあったので、頭の片隅で、「仲良くなれば宿代浮くかも」って下心があったのも事実。何よりキャメールとの会話は楽しかった。さっきのナポレオン軍に従軍した先祖の話といい、大統領サルコジ論、パリの都市計画の話など、自分の興味をそそる話題を沢山ふってきた。せっかくなので、お邪魔することにしてしまった。

実際、彼の部屋に入ると、沢山本が並んでいる。知識階級なのかもしれない。
「ちょっと、本棚みてもいいかい」
「好きにしな。でもお前、フランス語は読めないだろ」
「まぁさ、作者の名前くらいは読めるよ」

本棚には、それこそルソーからサルトル、F1、欧州サッカーの本など、実にバリエーションに富んだ本が並んでいた。

「すまん、コーヒーが切れてる。ファンタでいいか。それとも、ビールの方がいいか」
「これから行くところがあるから、ビールは遠慮しとくよ。ファンタをもらおうかな」

しかし、乾杯を終えると、それまで紳士だった彼の態度に変化がおきた。

「俺の部屋へようこそ」
といって、彼は握手とキスを求めてきた。欧州では、挨拶代わりにお互いの耳元で2回キスを鳴らすのは普通。ただ、キャメールはその後に、俺の唇を求めてきたのだ!しかも、舌まで入れてくるから驚きだ。パリには入ってまだ2日目。この街ではそういう風習なのかと、不思議に思ったが、警戒レベルをマックスに上げながら、一応スルーした。

そして、「熱いから脱げよ」といって上着を脱ぎ、自分にも脱ぐよう指示するキャメール。あろうことか、奴はズボンまで脱ぎ、パンツ一丁になってしまった !! この時点で、自分のアタマには「ゲイ」という単語が浮かんでいた。頭の危険報知器はうるさいくらいに反応している。…が、「確認しないといけない」と思って、踏みとどまった。

せっかく休学してまで欧州にきたのだ。どうせなら、ブっ飛んだ体験を重ねたい。「ゲイのような人が自分の家でパンツ一丁になっているのを見た」と「ゲイに襲われた」では意味が違う。おやじだって、家の中でパンツ一丁になることはある。自分も、熱い夏は自分の部屋で然り。なにせ、この狭い部屋には男しかいないのだ。キャメルにとっては自分の家だし、気を使う必要はどこにもない。内心、危険を感じながらもその場を楽しんでいた。

(確かめよう。ただくつろいでいるだけなのか。それとも…)

たぶん、危険な場所にあえてとびこむジャーナリストや探偵って、こんな心境なんだろう。
「まぁ、座れよ」といってソファーに案内するキャメル。

次の瞬間、自分の心配が杞憂でなかったことが判明する。座らそうとするばかりか、自分を押し倒してくるキャメール。どうやら、寝かせたいらしい。抵抗する自分のしぐさに、どうやら興奮した様だ。終いには、パンツまで脱ぎ、

「どうだ?触ってみるか?」

といって自分のイチモツを見せびらかしてきた。

マックスで上を向いている。そんなに自分は魅力的なのか。それにしても、欧州産のサイズは、馬鹿にならない。アレは凶器だった。あんなのでされたら、自分の下半身はズタボロになるだろう。自然と、下腹部に力が入る。流石に、深入りしすぎたかと、自分の身に危険を感じる。が、あくまで冷静に対処しよう。そんなに危険な男には見えない。部屋の鍵も閉めないし、出されたジュースも、缶からあけて注いだ。怪しい催眠薬は、入っていないはず。逃げ道も覚えているし、ここは人通りが少ないとはいえ、そこまで裏路地ではない。

「俺にはそういう趣味はないよ。キャメル、あんたはゲイなのか」
「この街じゃ、これが普通なだけだ。特に珍しいことじゃない。お前は体験したことがないのか」
「まぁ、日本人男性の99%は、男同士でそんなことはしないと思う」
「もったいない。これはこれで、いいもんがあるぞ。体験してみないか」
「いいのかどうかは知らないけど、俺は男とキスしても、気持ち悪いだけだ。ましてや男同士で体を重ねるなんて、想像できない」
「お前はさっき俺とキスしたとき、感じなかったのか。まいったな。じゃあわかった。体には触らない。だからもう一度、口付けさせてくれ」
あくまで真面目に、自分をそっちの世界へ引き釣り込もうとするキャメール。あくまで、真面目である。カッフェで議論に花を咲かせるパリジャンの口調と、なんら変わりはない。フランス人は(男はもとより)女を口説くときも、こうなのだろうか。

「わかったキャメル。一緒に写真をとろう。記念だ。俺はあんたと一緒にいて楽しいし、話も面白かった。ほら、さっきのサルコジ論は、なかなか新鮮だったよ。日本じゃサルコジは、あんな報道のされ方はしない。でも、俺はそういうことはしないんだ。わかってくれよ。あんたが嫌いなわけじゃないんだから」
「写真を撮ったら、キスしてくれるか?」
「写真の写りがよかったら、考える。ほら、早く服を着ろよ。裸で写真に写りたいのか」
「わかった。とりあえず写真を撮ろう」
作戦はうまくいった。とりあえず、彼の刀を納めることに成功した。こうして撮影したのが、この写真である。
f:id:naotoyota:20080506140859j:image
断っておくが、自分は男の体に興味はない。自分にとって男は性的欲求の対象ではなく、友情やライバル心・尊敬の対象である。自分が華奢な体型なので、筋肉質なスポーツマンを見てかっこいいと思うことはあるけれども、性的興奮を感じたことは一度たりとてない。女性の体は常に興奮と憧れの対象だが、男のそれは別だ。

話を戻そう。

「良い出来か」
「そうだね。キャメールはこの写り方で満足?」
「なんだっていい」
写真の出来には興味がないらしい。早く約束のキスをしよう。そういってきた。あしらっても、あきらめる気配はない。
「わかった。仕方ない。キスはしてもいいけど、舌は入れるなよ。そこまでしてきたら、噛み付くからね」
「約束が違わないか」
「違わない。俺はキスはするとは言ったけど、男とディープキスをするつもりはないよ。ディープキスは俺にとって、そういう行為の入り口だ。フレンチで我慢して」
残念がるキャメール。実際、今までも性的な意味はなく、挨拶のノリで教会の神父さんに口付けをされたり、男とフレンチなキスをすることは何度もあったので、ディープでもない限り、あまり抵抗は感じなくなっていた。

「お前、俺のこと好きか」

「・・・。今日あったばっかりで好きかといわれても、答えられないな。話してて面白いとは思うけど」
「じゃあ、嫌いじゃないんだな」
「でも、俺は誰であろうと、男には女性に対して抱くような感情を抱くことはないよ。あんたは友達だ。それ以上でも、以下でもない」
「それじゃ駄目なんだ。お前にとっての特別な存在じゃないと」
「俺にとって、そういう存在になりえるのは女性だけだよ。男には友情とか信頼を感じることはあるけど、性的な興味は全くない」
「もう体のことはいいんだ。さっきのは、俺が悪かった。でも、俺はお前のことが忘れられそうにない」
泥酔したときでさえ、こんなやりとりをしたことはない。なんだこれは。BLの世界だ。心なしか、キャメールの背景にバラの花が見えなくもない。流石は華の都・パリ。演出効果は抜群だ。キャメールは、明らかに苦悶していた。それは自分の愛が受け入れられない、苦しさを語った表情だった。

(こいつ、意外と繊細だな)

と思う。実際、そうだった。自分よりかは、明らかに体格もいい。実力行使にでれば、自分の貞操は奪われていたかもしれない。もっとも、その際は自分とて全力で抵抗するが。俺が嫌なそぶりをみせると、明らかに遠慮する。気持ちが通じていないと、嫌らしい。見た目は完全におっさんだが、心は乙女なのかもしれない。パリジャンの心は、実に奥が深い。

「キャメール、俺はもう帰るよ。待ち合わせがあるんだ」
これは本当だった。待ち合わせがあって、バスティーユのホステルに行きたかった。
「また、会えるか?」
「さぁ、縁があれば、会えるかもしれないね」

そう言って、帰る準備をした。キャメールは丁寧に自分にマフラーを巻いてくれ、最後に一言、こう言った。

「やっぱり、お前は魅力的だ。また会えることを願っている」
正直、男に言われてもあまり嬉しくない。むしろこっちとしては、もう会いたくない。相手がパリジャンじゃなく、パリジェンヌだったらなぁ…と惜しみながら、彼の家を後にした。ただ、相手がキャメールだったことは、運が良かった。相手によっては問答無用で実力行使にでてきたかもしれない。キャメールは実戦よりも舌戦を重視する人間だったらしいのでうまくかわせたが、力の論理でいったら、間違いなく自分の貞操は奪われていた。後で知ったのには、キャメールと遭遇した公園は、そういう人種が多い、パリ20区だった。マレ地区と並んで、パリでは悪名高い地区のひとつ。

もっと悪質な人間に襲われていた可能性もある。その意味では、彼は自分の気持ちを尊重してくれた分、紳士ではあった。相手がキャメールでまだマシだった。

余談ではあるが、キャメールが話した「こういうことは、この街では普通」というのは、他のパリ市民にとっては非常に迷惑な話され方だろう。ひょっとしたら「この街」ではなく「この地区」といいたかったのかもしれない。ただし、男同士で手をつないで歩くおっさんのカップルは、何度か目撃したことも、付け加えておく。加えて、知識人階級には古くからそういう文化があるという話も聞いた。キャメールも知的な人ではあったので、そういう層にいる人間なのかもしれない。

この話を、旅先で会ったバックパッカーにすると何度か「あぁ、確かにトヨタ君、狙われそうだよね」と言われた。「俺、そういう趣味ないですからね」ときちんと反論するが、みんな「どうだか」とからかってくる。

このブログをご覧になっている皆様には、自分の名誉のためにも、きちんと言っておきたい。自分はゲイではありません。願わくば、誤解のあらざらんことを。


2008-04-14

実録・ゴルゴ13

【欧州人物観察記 Edward Hattori編】

服部さんとの出会いは、12月のアタマ、クリスマスのムードが漂うドイツのミュンヘンだった。ミュンヘンには12月と、帰国間際の1月の計2回行ったが、2回とも服部さんと遭遇した。

ホステルのラウンジで飲みながら旅日記書いていると、ジャージ姿の日本人のおっちゃんが、ビール片手に声をかけてくる。こっちは日記書いて集中しているのに、おっちゃんのマシンガントークが止まらない。

半分は聞き流しつつ聞いていると、日系企業のドイツ支社で働いていたところクビになり、安いユースホステルに住み着いているのだという。日本で言ったらネットカフェ難民みたいなもんだ。

しかし、服部さんはそこらの難民とは違う。なんと、日本の外務省から国際指名手配を受けている難民さんなのだ。

外務省公安4課。要は日本版のCIAみたいな部署。組織のメンツもあるので、捕まったら即・刑務所送りになる(らしい。というか本当にそんな部署があるのかどうか定かではない)。

さて、その服部さんだけれども、なぜ指名手配を受けているのか。
ここが重要。

服部さんはドイツの帰国子女で、大学時代は日本にいたらしいが、日本の没個人社会に肌が合わず、若いころから外国人コミュニティに出入りし、彼らの勧めで日本の労働条件の悪さについて、海外紙に投稿をしまくっていたのだという。

時代はちょうど冷戦体制の末期。日本型経営に世界の関心が集まる中、あまりにも日本の実情に肉薄した服部さんのレポートは、日本の国益を損ねるとして、そのときから外務省に目をつけられていたらしい。

海外支社勤務になっても、服部さんの日本批判の筆はやまず、会社とのトラブルも絶えなかったそうだ。服部さんによると、陰で常に外務省からの妨害があったらしい。

「出る杭は打たれる」は日本の悪習だが、これを服部さんは毛嫌いした。

それがやがて、日本への帰属意識を徹底的に薄めた。 最近も、イギリスの大手新聞・ガーディアン紙に日本の労働条件についての投稿をし、それが3週にわたって掲載され(エドワード・ハットリの筆名)、大反響を呼んだそうだ。

公安4課はその反応の大きさに震えあがり、ついに超法規的措置として指名手配にいたった。

…らしい。

さて、この時点でもう怪しいと思ったアナタ。こっからもっと凄くなるので、心のご準備を。

服部さんの「潜伏」しているユースホステルは、宿泊名簿があるので、簡単に足がつく。実際に僕の名前も載っていたはずである。じゃあ、何故彼はつかまらないのか。

実は服部さんには、韓国人で超能力者の彼女がいるのだ。予知能力が使える彼女は、当局のガサ入れがあるとそれを察知し、服部さんはその前に逃げてしまう。今までホステルには外務省の職員が何度も来たが、そのたびにタイミングよく逃げてしまうらしい。

超能力。

これも実は、服部さんが追われる原因の一つなんだそうな。冷戦期、ソ連が超能力を諜報に転用として研究していたのは有名な話。服部さん自身は超能力者ではないが、昔も超能力者の友人がいたということで、それを利用しようとする日本政府から目をつけられていたそうだ。おまけに彼には、対外スピーカーとしての発言力があることで、さらに危険視されていたという。

…。

さらにすごいのは、金正日と知り合いで、彼から勲章をもらったこともあるという。商社時代に、北朝鮮に日本の使われていない鉄道車両を寄付したのがきっかけらしい。話は長くなるので省略するが、ジョンナムやその他軍の将軍など、北朝鮮のトップとのパイプはかなり太いらしい。同じことを韓国にもしたおかげで、韓国の空港は、顔パスなんだとか。

服部さんのパスポートはあと1年で切れる。やばくなったら、韓国か北朝鮮に亡命する気らしい。「日本よりは、まだいいだろう」そう言っていた。

カルロス・ゴーン、奥田会長…。他にも彼の知り合いのビッグネームは枚挙に暇がない。…とまぁ後から聞けばかなり胡散臭い話なのだが、服部さんと話していて、頭のいい人であることは感じたのも事実。実際に、英語・ドイツ語・フランス語・朝鮮語・北京語ペラペラのマルチリンガル、何よりも知識量は半端ない(おかげで、よりトンデモ論っぽく聞こえてしまうのだけど)。


ヨーロッパでは放浪中に佐藤優・手島龍一の本を読んでいたせいで、こんな人間が身近にいることに疑いを持たなかったのも、服部さんの話に食い入る大きな要因だった。


「俺は、ゴルゴ13の世界に住んでいるんだよ」

そのセリフが自己陶酔だったのか、あるいは真実だったのかは、今となっては分からない。

…。

…え?国際指名手配の人間についてここまで暴露しちゃっていいのかって?
大丈夫です。彼の話が本当なら、超能力使ってまた逃げるはずですから(笑)

あ、ちなみに潜伏先は、ミュンヘン中央駅前のEURO YOUTH HOSTELです。


--------------------------------------------
そいや『ゴルゴ13』アニメ化するらしいですね。
声は舘ひろし?せっかく渋いのに、ゴルゴあんま喋んねー。

数あるゴルゴの中でも、この話が一番好きです。
「全て人民のもの」

ゴルゴはあの怪僧○○の末裔だったのだ!
そして服部さんはたぶん、ゴルゴの読みすぎだったのだ!






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2008-03-03

エリートの思考文法

【欧州人物観察記 李眞熙 後編】
前編:邂逅
後編:旅の恥はかきすて

前編・後編では、眞熙自身よりもむしろ、眞熙との出会いで影響を受けた、自分の変化にウエイトを置いて書いたので、そろそろ本格的に眞熙の人間分析を始めたいと思う。

眞熙は、人間観察をする上で、他の人間とは明らかに一線を画す「属性」を持っている。それは「エリート」であるということ。まず彼の大学だが、韓国の首都・ソウルのハンニャン大学という。

眞熙や、後であった他の韓国人の話から判断すると、日本でいう一橋大学あたりに相当するのだと思う。要は、「ちょっとアタリが悪くて東大にいけなかった」レベル。 韓国には徴兵制があるけれど、彼の所属部隊が派遣された地域も、他の韓国人は「あ、それ、エリート部隊のいくトコだね」と言っていた。

父親はドイツで建築の仕事をし、母親は昔フランスに住んでいたお嬢様。父親は今でもドイツで仕事をしていて、親に会いに行くのも、眞熙の旅の目的の一つだった。彼自身も英語は難なく話し、簡単なドイツ語・フランス語も話せる。

ステータス的には、こんな感じ(はぁ、思い出しながら書いてて嫌になってきた) 。

表向きのステータスに加えて、先に触れたように、眞熙には余りある行動力が備わっている。つまり、エリート育ちではあるが、ペーパーテストしかできない書斎派ではない。

 「血統がよく、一流の環境と教育を受けてはいるが、地は粗野でアクティヴ」というのは、古今東西、他人を引き付ける人間の典型の一つだ。


  • ロマノフ家の王子に生まれながら、自分で船の設計までこなした大男 ピョートル大帝
  • 英雄アウンサン将軍の娘に生まれながら、地道な民主化活動を続ける スーチー女史
  • 財閥の御曹司ながら、べらんめぇ口調でサブカルにも理解を示す 麻生太郎

…と、ここまで書くと大げさかもしれないが、眞熙も程度の差はあれ、間違いなくこの系列に属する人間だった。金の使い方も割と豪華で(儒教社会・韓国人の慣習もあるはずだが)、眞熙には何度かおごってもらった(ごっつぁんです)。

友人にも一流人が多く、フランスの3つ星レストランで働いているソムリエ、プロのカメラマン、Googleだかどっかで働くプログラマー etc...。それらの友人から教わったワイン、パソコンの知識、写真術はどれも凄いものだった。特に目立つ特技のないT田といて、眞熙はさぞ退屈だっただろう(あぁ、もう書いてて落ち込んできたわ…)。

そんな彼の目標は、「United Nations of Department Economic」国連の経済部門で働きたいのだそうだ。国連というと、人道主義・理想主義者の集まりというイメージがあるが、眞熙が興味あるのはそんなものではない。眞熙は純粋に、世界経済戦争のいちプレーヤーとして、ゲームに参加したがっている。そのための所属団体として、国連に魅力を感じているらしい。

国連を、世界最高の良心ととらえる人間も多いこの世の中、彼の国連観は、「世界に数多くある国際機関の一つに過ぎない」という認識だ。 一般人の思考文法とは、根本が違うのである。

歴史を勉強する上で、以前からエリート育ちの人間がどんなんだかには興味があった。まさか、ヨーロッパで韓国人のエリートと出会うとは思いもよらなかったけれど。 

さて、現在大学4年生で卒業も決定している彼は、08年の4月から、ドイツの銀行に勤務するらしい。

これからこの男が、世界でどんな活躍をするのか、今から楽しみだ。忙しくなるだろうけど、たまにはメール頂戴ね。




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2008-03-01

旅の恥はかき捨て

見慣れぬ食材でパスタソースを
つくる眞熙。お味の方は…
【欧州人物観察記 李眞熙 中編】
承前 前編:邂逅

さて、その韓国人・李眞熙。

かなり打ち溶け合ってしまったので、翌日の道程もご一緒することになった。

初めは、次に行く町の方向が同じだったので、途中まで一緒の電車に乗るだけだったのだが、車内トークが盛り上がってしまったので、勢いで眞熙と同じ街に行くことにしてしまった(自分のよくあるパターン)。

眞熙とは2007年11月08日-13日まで一緒に行動し、リンツ、チェスキー・ボドヨビチェ、チェスキー・クルムノフを同行。いったん別れた後で17日にプラハでも再会したので、まる7日間、一週間ずっと一緒に過ごしたことになる。

7日間、大変だったのは、眞熙が無茶苦茶おしゃべり好きだったということ。とにかく、よくしゃべる。

「トヨタは静かな奴だな。もっと話してくれよ。退屈じゃないか」

いやいや、お前が喋りすぎなんだ。対象は自分だけではない。店の人、宿の係、駅員、相部屋になったバックパッカー etc...とにかく誰にでも話しかける。

正直、俺でもわかるくらい、文法が滅茶苦茶な英語を話すときもあるが、言葉数がそれをカバーするので、結局誰とでも意思の疎通をこなしてしまう。そして会話だけに限らず、何事にもアグレッシブだった。

「あの店に入ろう」 
「あの場所へいってみよう」
「じゃあ、あの人に聞いてみよう」

初めは、彼のペースに合わせるのがとてもしんどかった。

疲れる…。日本人はシャイな民族なんだ。高校の交換ホームステイのときも苦労したが、“アジアのイタリア人” コリアンとはメンタリティが違いすぎる…。

眞熙がみつけてきたプラハのジャズクラブ。正直、彼が
行こうって言わなかったら無縁な場所だった。
が。2、3日もしてくると、それが日常化してくるので、自分も眞熙をおちょくる意味でも、ジョークをいってみたり、積極的に街を歩くようになった。積極的に話しかけ、普段は入らないような店に入り、正しいのかも解らない英語を、とにかく口から出す。

それが、案外楽しいのである。思えば、一生に一度これるかこれないかの、遠い異国・チェコの街。どうせ思い出を作るなら、ブっ飛んだ体験をするに越したことは無い。眞熙と共に過ごせる時間も、無限ではない。

沢山話して、自分という人間を、相手に強く印象付けたい。そのうち、日本には「旅の恥はかき捨て」というなんとも便利なことわざがあったことを思い出した。

恥ずかしいのも、今だけ。どうせなら、何もしないで諦めるよりも、何かアクションをしてから落ち込もう。そう考えているうちに、いつの間にか自分の旅のスタイルができあがっていた。眞熙に作ってもらったとも、言えるかもしれない。

あの3ヶ月間、自分の血液型は完全にB型だった。本来の血液型(AB型)の半分であるB型が、もう一方のB型を完全に圧倒していた。

やると決めたら、恥をかいてもやる。
解らないことがあれば、とにかく言葉を連発して誰かに尋ねる。
行くと決めたら、何十キロ歩こうが、とにかく行く。

そんなスタイル。

実際にやってみると、旅の面白さが倍増する。そして何より、勉強になる。ガイドブックにも載っていないことが、自分の旅日記に、どんどん増えてゆく。今となっては『地球の歩き方』に投稿してやりたいネタが盛りだくさんな今日この頃だ。

後で気付いたのだが、眞熙のおしゃべり好きは、彼の性格もさることながら、英会話の勉強だったのだ。英語を「話す」には、いくら難しい学術書が読めたって、「話す」訓練をしないと、上達しない。そういう意味で自分は、眞熙の練習台だった訳で、あまり話さない奴を「退屈」と思うのは当たり前の話でもあった。

ともあれ、自分の旅のスタイルに、眞熙が与えた影響はかなり大きい。

「旅の恥はかき捨て」

そんな言葉を思い出させてくれただけでも、眞熙には感謝だ。

後編:エリートの文法









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2008-02-29

邂逅

【欧州人物観察記 李眞熙 前編】

その日、やっとのことでウィーンの引力から逃れた。欧州について早々、ウィーンで荷物の70%をロストした自分は、それから数日間、同市のまわりをふらついたり、物価の安いチェコで物資の補充をしていた。

正直、死に体だった。気分は沈みまくって、旅どころではない。 「このままでは」と、とりあえずウィーン都市圏を脱出するために、電車に乗った。

行き先は決めていない。なにせ、ガイドブックすらもっていない。

鉄道は、オーストリアの雪原・山岳地帯を走った。綺麗な景色が、少し心を癒してくれる。車内の路線図を見て「この街へいこう」と決めた。リンツ Linz。電車を何度も乗り継いで、着くのにまる一日かかった。

ちょうど良かった。今日は何も考えずに、車窓を眺めていたい。オーストリア東部を大きく「コ」の字型に回ったので、着いたのは夜の19時。さっそく宿へ向かうと、部屋でまっさきに声をかけてきたのが、眞熙だった。

李眞熙。23歳。韓国人。

”Have you done your dinner? If not, How about with me?”
”Great. but I wanna take a shower at first. Let's have together after I finished it”

人と話すことに飢えていたので、とりあえずOKした。3日ぶりのシャワーで、洗濯物も溜まっていたので、シャワー室から出てくるのに1時間かかった。

"Sorry, you may have waited for me so long time"
"No problem. but I thought you were sleeping in the shower room. or dead" 

眞熙は冗談が上手い。早速、近くのスーパーで夕食を買いこんで、宿のロビーでディナーをはじめた。夕食といっても、メインはスナックとビール。ビールはビン8本で3ユーロ (約500円)。安い。

口から、言葉が洪水の様にあふれ出た。自分でも、自分がこれだけ英語を話せることに驚く。沈んだ気分で、自分の心に満ちていたのは厭世観。その反面、次に人と会ったら、こんな話をしようと、頭の中で何度も英語のシュミレーションをしていたおかげだ。

眞熙とは、旅の話、国の話、異性の話、日韓関係の話などをしているうちに、かなり打ち解けあった。高校のときに、韓国の姉妹校と、短期交換ホームステイをしたことがあったので、相手が韓国人なら、いくらでも意思の疎通はできるんだ、という実体験も、大きな助けになった。

さらに、周りには背の高い白人ばかりのこの欧州で、お互いに東アジア人であることは、民族意識を超えて、少なからぬ親近感を生む。初めてあったにしては、かなり突っ込んだ話もした。

眞熙はよくしゃべる。英語を自分のものにした話し方なので、早口でも話せる。それでも、酔いの勢いで意味が理解できてしまうから不思議だ。…余談になるが、英会話に一番必要なのは勢いだと思う。そのためには、酔っ払ってしまうのが手っ取り早い。

沈んでいた自分は、どっかに消えうせた。まったく意味も無く、ただなんとなく来た街で、面白い奴と出会えた。欧州に来て、こんなに楽しく酔ったのは、初めてだった。

この出会いが無ければ、自分はもっと長い期間、荷物を失ったショックから立ち直れていなかっただろう。本当に、眞熙との出会いには感謝している。

その日が、自分の21歳の誕生日であることには、後から気づいた。この出会いは、最高の誕生日プレゼントだった。

中編:旅の恥はかき捨て

後編:エリートの思考文法




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2008-02-08

欧州で考えたこと05 -信仰編-


f:id:naotoyota:20100201201729j:image

【写真】宗教について考える大きなヒントを与えてくれた、ジェノヴァのアルナールド神父。哲学問答を繰り返すこと、約3時間。とても疲れました…。死後は聖人 SAINT になるのが目標なんだとか。 …燃えろ!俺のコスモ !!

――――――――――――――――――――――――――――― 

欧州であった日本人が、合言葉の様に、口をそろえて言うのは「こっちに来ると、宗教について考えちゃうよね」ということだった。実際、自分もそうだった。

自分の名と共に、守護聖人の名を教えてくれたり教会で膝をつき、額で十字をきる人々。いきなりすれ違いざまに、「メッカの方向はどっちだ?」と聞いてくるムスリム(イスラム教徒)。そんな人との出会いが、日常。美術館を巡っていても、宗教画ばっかりなので、聖書の知識がないと、「へぇ」「すごい」で終了。あっちでは、宗教が当たり前の様に日常に溶け込んでいる。

自分は両親がクリスチャンなので、日曜日には教会に行くのが、小さい頃は普通だった。…やっぱ、「行かされてた」が正確かな。今では西洋史専攻のくせに、キリスト教の知識が絶望的にないことに困っている始末なのだけれども。

現地人からは、よく「宗教はなんだ?」と聞かれた。それこそ、異邦人と会ったときの、お決まりの挨拶のように。そのときはいつも、「宗教は神道」と答えることにしていた。生まれたと同時にクリスチャンとしての洗礼を受けてるそうなのだが、キリスト教の教えというのは、自分の肌にはどうしても合わない。

だいたい自分は「左の頬をぶたれたら右の頬を差し出す」ことができるほどの聖人君子でもなく、また、水をワインに変えたりだとか、水の上を歩けたといった類の話を、熱心に信じてもいない。かといって、今までの人生で、仏教にも特に関り無くこの年まで生きてきたし、「輪廻転生」という考え方にも違和感がある。

自分の先祖を、神に近いものとして尊敬しているし、万物に神(魂といったほうがいいのかな?)が宿るという考え方の神道が、自分の肌には一番合う。実際、神社にはよくお参りにもいく。

神道は日本古来の宗教にすぎず、いわゆる「世界宗教」ではないので、あっちでは知らない人も多い。たまに知ってる人もいるけれど、「宗教は神道」と答えると、「どんな宗教なの?」 「何を崇めているの?」と聞かれるのが普通だ。

「神道は、日本の伝統宗教」

「 『八百万 (やおよろず) の神』といって、それはもう沢山の神様がいる」

「感じることさえできれば、森羅万象に神は宿る」

「人は死んだら、神になれる」

「俺にとっての神は、自分の先祖だ」

こんな説明を繰り返すと、最後には「お前が死んだら神様かよ。お前が。ははは」といって、ジョークに巻かれて会話が終わるのが、よくあるパターン。実際、教会の神父さんとじっくり話したことも何度かあったが、一神教が基本のユダヤ・キリスト・イスラム文化圏では、多神教の概念は理解しにくいらしい。というか、多神教、つまり「万物に神が宿る」という考え方を突き詰めていくと、「全てが神なら、結局は神とはなんなのだ?」となって、無神論に行き着いてしまう。これは、汎神論という考え方。実際、汎神論を唱えた神学者は、中世キリスト教世界では異端扱い、火あぶりの刑だった。

神道には、キリスト教を否定しかねない内在的論理が潜んでいる。(まぁ、神道はキリスト教さえも飲み込んでしまう宗教ではあるのだけど)

欧州人にとって神とは「Jesus」という絶対的なものであって、それ以外ではない。八百万の神だの、死んだら神になれるだの、恐れ多いことを平気で口に出してた東洋人をみて、彼らはさぞ不思議だったに違いない。

さて、やって本題に戻って 、「こっちにくると、宗教について考えるよね」という問いに戻ってみる。「宗教」については普段考えることの無い日本人だが、立派な「信念」を持つ人は、なかなか多い。とりわけ向こうでは、自分の生き方を貫いている立派な方々に、沢山出会えた。そんな人たちと話をしていて、ふと思う。

「信念」はある意味、「自分教」と言い換えることが、できないだろうか。

結局、「信念」は、「自分を支える『宗教』」と、いえなくもない。

「自分教」では、教祖様は自分自身や尊敬する先達であり、過去の生き様や実績が、聖書である。自分にとっても、血を引く御先祖様たちの生き様は、キリスト教徒にとっての、ペテロやパウロら、信徒達の活動の記録に相当するものだとも、言えなくもない。

西洋社会では、各家庭に一冊は聖書があるのが当たり前だし、自分の回想録を書くときに、やたら聖書からの引用をふんだんに使ったものが多い。日本にはそんな文化は無いけれども、本屋さんに行ってビジネス書や自己啓発本のコーナーを見ると、社長さんが書いた自伝のような類の本が多いのには、そんな事情があるんじゃないかと、考えた。

彼らは自分の生きた証として、自分の「信念」を、他の人に伝道したいのではないか。「信仰」が無い代わりに「信念」を求める。これが日本人の正体なんじゃないかと、考えてみた。

…どうすかね?



2008-02-01

欧州で考えたこと04 -日常編-


欧州放浪旅行から帰って、ようやくいろいろと、感覚が戻ってきました日本での生活がまた「日常」化してきました。…って言っても、向こうにいたのは、たかだか3ヶ月。留学してる人や、1-2年放浪してる人に比べたら、日本社会には割とすんなり、復帰できてるハズです。たぶん。

…こうやって、日本での生活が普通になってくると、あっちでの記憶がどんどん薄れてくる。あっちで現地人と仲良くなったり、世界遺産を毎日の様に見ていた経験が、夢だったかのように、思えてくる。

「日常」ってのは、「当たり前の毎日」と言い換えることができるだろう。「当たり前」の連続こそが、「日常」だから、欧州を放浪しているときは、日本語以外の言葉が「日常」で、むしろ日本語で会話できることが「非日常」だった。

そして、その「非日常」を楽しむことこそが、旅の醍醐味なのだ。日本で体験できない「非日常」を体験するところに、海外で放浪する意義がある。外国で和食ばっか食ってても、日本人ばっかりとつるんでいても、海外旅行としては、何の面白みもないと思う。

だから、ひとつ正解だったのは、旅行のスタイルとして「バックパッカー」を選んだこと。あの3ヶ月間、ツアー旅行なんかじゃできないような出会いや、予定の大番狂わせの連続だった日本では知り合う機会もなかったような年・職業・出身地の日本人とも、沢山出会えた。

体当たりで大恥かいたことも何度もあったけど、この一年、休学してまでバックパッキングして大正解だった。

さて、「日常」に飽きた皆さん、未知なる「非日常」を求めて、旅に出てはいかが?知らない世界が、きっとアナタを待っているはずです♪

…そして早くも、新たな旅に出たくなってきた、今日この頃。だけれども、金が無いのが、どうしようもない泣き所てかまず、あっちで使いまくったクレジットカードの引き落としがあるんだよなぁ…。

あぁ、こんな「日常」から逃避したい… (笑)



2008-01-29

欧州で考えたこと03 -仕事編-

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【写真】パリのKEBAB屋店員

今日は約3ヶ月ぶりに、アルバイトをしてきました。6時間働いて、やっぱり日本人って「お客様は神さま」って労働哲学が染み付いてるんだなぁ、って思った。客がカウンターに並んだら、別の仕事しててもすぐにレジに向かう。クレームには、頭を下げてでも丁寧に対応する。

アムステルダムのマックでは、店員同士がしゃべってるせいで注文したビッグマックが20分遅れで出てきたり、パリのネットカフェでは、「フランス語話せ。英語はわからん。帰れ」って追い返されたこともある。本当に、仕事や客に対する態度が違う。

ちなみに、欧州には大きく別けて3つの民族がいる。


  1. ラテン系 : フランス・イタリア・スペイン等
  2. ゲルマン系 : ドイツ・イギリス等
  3. スラヴ系 : 東欧の国々・ロシアなど主に旧共産圏の国

(北欧のサーミ人とか、アラブ系の移民もいるけど、ここでは除外)

1番日本人に近いと感じたのが、ゲルマン系の人たち。スラヴ系のチェコ、ポーランドなんかでは、電車が1-2時間平気で遅れたりもしてたけど、ゲルマン系ドイツの電車は1分の誤差もなく駅に着く。ラテン系の人たちは、(日本人の感覚だと)総じて客に対する態度が悪い。あいつら、本当に客よりも自分の事情を優先する。

そのかわり、ラテン系は楽しそうに生きてるなって印象は、強く受けた。現に、イタリア人は「世界一遊び上手な民族」って呼ばれてたりもするし、フランス人はジョークがうまい。

日本だと、「仕事が生きがい」って人も多いけど、「過労死」 (英語でも Karoshi で通じる、あるいは death from overwork)なんて言葉もあるくらい、自分の人生を犠牲にすることもある。イタリア人もスペイン人も、楽しそうに生きてはいるけれど、正直、経済的な発展の度合いでは、日本・イギリス・ドイツには敵わない。

「生きがいになる仕事でバリバリ働いて、倒れるならそれでも良いや」

「いやいや、仕事よりも自分の人生、楽しんでナンボでしょ」

あなたはどっち派?(特に、就活やってる人に聞いてみたい今日このごろ)



2008-01-27

欧州で考えたこと02 -言語編-


今日は、久々に旧友と会いました。仕事で自分の地元の隣町まで来てるということで、まぁどうせなら会おうかという話に。こいつとは昔、いろいろドンパチやったりもしたけど、そういう過去があるからこそ、じっくりと話が深まる部分もある。なんたって、今じゃサークルで1番長い付き合いだからねぇ(笑)

あっちでは、その日にあった人と飲んだり、世界中のバックパッカーと不慣れな英語で話したりして、かなり貴重な体験ができた。けれども、やっぱりお互いの暗黙知が少なかったり、日本語独特の機微が英語に訳せなかったりしたせいで、会話の深まり方に限界があったのも否定できない事実。

帰ってきて思うのは、やっぱ母国語って、1番長く使ってるから、細かい表現ができて便利ですよね。実際、あっちで生まれたっていう日本の人なんかには、日本語独特の表現が、通じにくいこともありました。たぶんその人にとっては、母国語は日本語ではなく、その現地の言葉だからです。

世界に数ある言語の中でも、やっぱり、日本語って、綺麗な言葉だと思う。え、フランス語も綺麗?自分には理解できません(笑)

ずっと昔から好きで、旅してる間もずっと、心の支えにしてた曲がある。ポルノグラフィティの『うたかた』って曲。旅人の詩として読むこともできます。

ポルノのファンならたぶんうなづいてくれると思うけど、『うたかた』は本当にいい曲だ。歌詞といい、曲のリズム、編曲といい、本当に完成度が高い。中でも歌詞は本当に感動するくらい綺麗な言の葉の連続で、詩人・岡野昭仁の面目躍如といった感がある。

あっちで会ったポーランド人に、この『うたかた』を聞かせてみた。(まぁ、いかにも「オリエンタル」な雰囲気を醸し出した曲だし)彼はこの曲を気に入ってくれたみたいで、なんとか英語に訳してみようと、辞書片手に頑張ってみた。
うたかた [泡沫] …
1.水の泡:bubbles
2.はかないこと:transience ; evanescence
¶うたかたの恋 a short-lived love
 無理やり英語を当てはめることはできるんだけれども、英語に訳すと、歌詞の綺麗なリズムが崩れてしまう。しかもこの詩で昭仁は、「あなた」を「貴方」とか「貴女」とは書いていない、つまり性別を特定していないので、heとかsheとか、性別を特定しちゃう言語の英語にのせようとすると、それだけで作詞者の意図を無視してしまうことになってしまう。「帰る」と「還る」じゃ意味が違うし、「消えた」と「滅えた」も違う。

…。


どうしてもうまい訳ができなくて、結局諦めた。だいたい、アルファベット文化圏には、「数多」「幾千」「泡沫」なんて言葉を理解する、土台となる文化はあるんだろうか?「燦々(さんさん)と浴びてみようか」なんて、そもそも訳せるのか?漢字文化圏の人間じゃないと、無理かも…。そんなことを、考えてしまった。

…誰か、この歌詞を綺麗に訳せる人がいたら、手ぇ貸してください。





宣伝。この「うたかた」はポルノグラフィティの5thアルバム『THUMPx』 (サンプ サンプ サンプと読む) に収録されてます。名曲なので、是非一度、お聞きくださいまし。

2008-01-26

欧州で考えたこと01 -国防編-


補給再開へ 護衛艦新たな船出

「(給油問題で)『憲法違反』と言われた一国民として私どもにも意地と誇りがございます。我が国の信頼回復のため全力を尽くします。行って参ります」(派遣部隊指揮官 佐伯精司 一等海佐)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=390633&media_id=2

立派だよ、佐伯司令官。日本の意地を世界に見せ付けてやってださい。実際、「自衛隊」なんて中途半端な肩書きで、自衛官も大変だと思う。自衛隊は正式に「日本国軍」とするべき。

あっちでも「日本の軍隊は強いのか」って聞かれて、「日本は軍隊(army)は持ってない。あるのは自衛隊(SDF=Self Defence Forces)だ」って答えても、「じゃあどう違うの?」って聞き返される。

そんなときは、いつも「Actually, same」って答えるしかなかった。まぁ日本のややこしい憲法問題を説明できるほどの英語力ないせいもあるけど…。

あんだけの装備もってて、「軍隊じゃない?」そんなの世界から逆に疑われるだけだ(実際にみんな疑ってた)。きちんと憲法改正して、自衛隊は正式な日本国軍にするべき。堂々と、「国を守るための力です」って、世界に誇ればいいじゃないか。

平和のために、9条守れ?馬鹿言ってんじゃない。平和ってのは闘って勝ち取るもんでしょう。念仏みたいに「戦争反対」を唱えてれば平和でいられるとでも?

アメリカは中東で手ェいっぱいだし、今年はたぶん民主党政権に変わるだろうから、北の将軍様がミサイル飛ばしてきても、ピョートル大帝の再来・プーチン=ロシア帝国や今年北京五輪を終えたら何しだすかわからない中国共産党が領土的野心むき出しにしてきても、アメリカの軍も政府も、日本を守ってくれるかどうか、確実に「yes」とは言えないよ。

自分の身は自分で守る。

これが基本でしょう。きちんと有事法制整えて、危機に備えなきゃ。

…このあたりの政策は、まだ安倍さんのときの方が議論活発でよかったなぁ…。世間の風当たりはまだ冷たいだろうけど、体調も復帰したらしいし(このニュースの出港式にも参加)、頑張れ安倍さん。あなたまだ若いんだから、いくらでも復活できるよ。『美しい国』で「私は闘う政治家になりたい」って書いてあったの、嘘じゃないでしょう?

2008-01-21

What I think after the journey in Europe

いやぁ、終わった終わった。

わずか3ヶ月ですが、欧州旅行、たっぷりと堪能してきました。

それにしても、たった3ヶ月で欧州巡りだなんて、やっぱりナメたな…。行けなかったところ、できなかったことばかりです。

なかでも、楽しみにしてた「ライン河畔ツアー」ができなかったのは本当に残念。まぁ、これをやる前に死ぬことはありえないので、欧州には、いつかもう一度行きます。

この旅のおかげで、やりたいことが、非常に増えました。 

もっと英語の勉強がしたい…。
美術の勉強がしたい…。
いろんな本が読みたい…。
いろんな検定とりたい…。
留学したい…。
>
いろんな人に出合って、色んな影響を受けました。

…そう、出会いです。出会いこそが、旅なのです。

現地人と、がんばってコミュニケーションをとってみたり、日本じゃ知り合う機会のなかったような人と、日本じゃできない話をしたり。本当に、この旅では素晴らしい人たちに、沢山出会えたと思います。

そして、そんな人たちと夢を語り合う。

「俺はいつか、××になるんだ」
「いつか自分の店を建てる」
「絶対に○○賞をとる」

欧州で出合った人たちは、ほとんどが得てして野心家でした。

そりゃそうだ。自分の夢を叶えるために、日本の生活投げ打って、一人でこっちきて勉強しているのだから。

そんな野心家たちと夢を語り合っているうちに、俺も絶対負けられない、と思うようになりました。

まぁそんなところで、結局言いたいことは、この旅に出て大正解だった、ということですね。

ウィーンのシュベヒャート空港に降り立った11月1日が昨日の様に感じられ、本当にあっという間の3ヶ月でしたが、不思議と、11月以前がかなり遠い昔の様にも思います。

きっと、旅の前と後で自分の中に変化が起きたからでしょう。うん、そう いうことにしておこう。

…帰りの飛行機、経由したチューリヒの空港からテイクオフするときに、行けなかったライン河畔ツアーの出発地、ボーデンゼー湖を空から見下ろすことができました。 


「また来いよ」 


 そう言ってくれてるように、思えてなりませんでした。 








 さーて、次はいつ行こうかな♪


【最終レコード】
訪れた国:15 
制覇した街:52 
世界遺産:33


【Special Thanks!!】
アエロフロート機で同席したロシア人・アレクセイ、マリナ、スミルノフ
ウィーンで会った最初の友達・ポーランド人イギー
チェコの夜行列車で同席・自称スポーツ会社のCEO、ジミー 


リンツでの出会いに感謝、1週間のトラベルメイト・李眞熙
ブルノのタバコ&ワイン友達・スロヴァキア人2人組
スラウコフ・ウ・ブルナの酒屋のマスターと酔っ払いのモゼシュ
プラッツで俺にウォッカを10杯は飲ませたであろう酒豪・バレイチェク
自宅に泊めてくれ、翌日もアウステルリッツを案内してくれたピーター
その綺麗な奥さんシルビア、可愛い息子トーマス
プラハで高校の同窓会? 補給物資には大変感謝・古川さん&まりこさん 
スロヴァキアの列車でパンとチキンをくれた現地人親子
ゴスペルで車内がコンサート会場に・スロヴァキアの修道女たちと先生
甘く切ないスロヴァキアの恋・アンジーことアンドゥレーア


ブダペストでまたも同行・古川さん&まりこさん
ブダペストの綺麗な夜景にタバコの火を貸してくれたハンガリー人
クラクフで安くて良い宿に案内してくれた斡旋業者のおっさん
何かあるとすぐにタバコをくれという宿のおっちゃん・おばちゃん
アウシュビッツを同行、アジアからの大陸横断旅行人・青木さん
ワルシャワでケバブをおごってくれた韓国人・崔鐘万
部屋が一緒だった日本語話せるイタリア系オーストラリア人・ローリー
文化科学宮殿のふもとで朝まで一緒に飲んだ酔っ払いたち


ベルリンであったブっ飛び芸術家・平川ヒロ
ミュンヘンの宿で再会・ローリー
ミュンヘンの英国庭園のタバコ仲間・イタリア系移民パーチェ
ノイシュヴァンシュタイン城を同行・美容師の塚本さん
ミュンヘンのホステルに潜伏中・外務省公安4課手配中の服部さん 
ザルツブルクの宿で一緒に飲んだ韓国人4人グループ&ナオキさん


アルプス越えの電車で相席、アメリカ人夫婦・ジャンとケーラ
ヴェネツィアで相部屋、イギリス留学中の台湾人・林昇豪
元箱根駅伝ランナー、ローマまで同行・ミスターチョコレートぐっさん
俺をバルセロナまで拉致しようとしたカンザス&パリの2重留学生・いづみ 
ローマ行きの列車&夕食をご一緒、凸凹コンビ・花岡さん&小川さん
ローマの宿で相部屋・スコットランド人リンダとメキシコ人エドワード
ヴァチカンで奇跡の再会・崔鐘万 
ローマの宿で一緒にタバコふかした横国の留学生2人&スペイン人ヴィッラ
フィレンツェで絡まれた能天気おねーさん、ピサ&ジェノヴァ同行・あきさん
ジェノヴァの教会で宗教について熱く語ってくれたアルナールド神父
ニースで出会った男気ある料理人・アオキーノこと青木さん


パリの20区で俺を襲ったゲイ・キャメル
AB型の同い年、フライトアテンダントを目指すマルタへの留学生・明日香
パリで3度目の再会・崔鐘万
またも再会、パリ留学生いづみと吉川姉妹
その友達のパリ在住帰国子女かずくんと俺をゲイだと疑うシーラ
パリの宿で朝まで飲み明かした仲間・4月から警官磯部さん&経済通の大学生 
結局一番付き合いの長くなったニースであったコックさん・アオキーノ
同室になったリヨンの留学生・竜馬くん バックパッカーの大先輩・諏訪さん
世界一周旅行に挑戦中、アジアで井戸掘りの経験もあるタカさん
2年間世界を放浪。ブダペストから自転車でパリまできたチャリダー・マサさん
同い年の武闘派、元自衛隊員・まこと
竜馬君の友達、朝まで語り合ったリヨンの留学生
キャバクラで働いた金で旅を続ける18歳・ギャル曽根
まことさんの旅仲間、悪知恵なら誰にも負けない・ひとしさん
ワーホリでフランスへ、アーティスティックなおねーさん・さとみさん
同じくワーホリ、お洒落な頼れる兄貴・しんさん
同じくワーホリ、田舎でファームステイ中・まこさん
何気なく世界放浪中、独特のオーラを放つ男・ゆうさん
年末年始フランス旅行中・きょうこさん
中国からパリにきてすぐ戻る忙しい姉御・しほさん
フランス留学中、ミスB型・あべちゃん
ソムリエール斉木さん&パティシエ環さん 
「ピコーン」て変な飲み会芸を教えてくれたアイルランド人グループ
めちゃくちゃ強いオレンジテキーラをくれたメキシコ人2人組
結構イケメン、サニーことキム・ソンフー


めちゃくちゃジェントル、ミスター英国紳士・アレックス
飲みすぎて朝の4時までゲロゲロ、フランス系カナダ人アントワーヌ
マクドナルドマニア、イタリア留学後に欧州旅行・ヨーコさん
CDG空港で最後の夜を共に過ごしたカメルーン人・マルス 


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