あれは…確か07年の12月、クリスマス目前の22日のことだった。
パリに到着して2日目。昨日は、
ペール・ラシェーズ墓地の近くのユースホステルに泊まった。バスティーユ方面へ行こうとして歩き、休憩に教会脇の公園でタバコをふかしていたら、一人のフランス人と、仲良くなった。
名を
キャメール Kamelといった彼は、なかなかの紳士で、フランス語を教えてもらっているうちに、だいぶ打ち解けた。英語が通じたのが、大きかった。
「何しにフランスに来た?」
「旅行だよ。西洋史を勉強してる。パリは見所が沢山合って、どこから見ようか迷ってる」
「ほう。西洋史か。フランス史には興味あるか。俺の先祖は、ナポレオン戦争に従軍してたぞ。平民あがりだったが、
スーシェ元帥の部隊にいた。一時期は副官クラスまでのしあがったらしい」
「すごいなそれ。スーシェの副官って、史料探せば名前残ってそうだよね。それで、ワーテルロー後まで生き残ったの?」
「いや、
第4次対仏大同盟の時期に、プロイセン国境あたりで戦死したらしい。それも、副官に任命された直後だったみたいなんだよ。だから、記録に残ってるかどうかは、知らない。その未亡人が、俺のじいさんの…ばあさんの…」
「へぇ、日本じゃ、自分の家系のことなんて、皆知らないことの方が多いよ」
「フランスでも、今はそうかもな。俺は、じいさんがやたらと昔話を語りたがる人でね。記録のことも、じいさんに聞けば解るかもな。もっとも、彼は今はもう天国だけど。それより、どこに泊まってる」
「あっちだよ。ここから10分くらいのユースホステル」
「俺の家もそっちの方向だ。
良かったら、遊びに来るか。コーヒーでも出すから、ゆっくり話でもしないか」
という成り行きで、キャメルの家にお邪魔することになった。その日は他に行きたいところがあったのだが、現地人との出会いは、旅行の醍醐味。以前、現地人の家に泊めてもらったこともあったので、頭の片隅で、「仲良くなれば宿代浮くかも」って下心があったのも事実。何よりキャメールとの会話は楽しかった。さっきのナポレオン軍に従軍した先祖の話といい、大統領サルコジ論、パリの都市計画の話など、自分の興味をそそる話題を沢山ふってきた。せっかくなので、お邪魔することにしてしまった。
実際、彼の部屋に入ると、沢山本が並んでいる。知識階級なのかもしれない。
「ちょっと、本棚みてもいいかい」
「好きにしな。でもお前、フランス語は読めないだろ」
「まぁさ、作者の名前くらいは読めるよ」
本棚には、それこそルソーからサルトル、F1、欧州サッカーの本など、実にバリエーションに富んだ本が並んでいた。
「すまん、コーヒーが切れてる。ファンタでいいか。それとも、ビールの方がいいか」
「これから行くところがあるから、ビールは遠慮しとくよ。ファンタをもらおうかな」
しかし、乾杯を終えると、それまで紳士だった彼の態度に変化がおきた。
「俺の部屋へようこそ」
といって、彼は握手とキスを求めてきた。欧州では、挨拶代わりにお互いの耳元で2回キスを鳴らすのは普通。ただ、キャメールはその後に、俺の唇を求めてきたのだ!しかも、舌まで入れてくるから驚きだ。パリには入ってまだ2日目。この街ではそういう風習なのかと、不思議に思ったが、警戒レベルをマックスに上げながら、一応スルーした。
そして、「熱いから脱げよ」といって上着を脱ぎ、自分にも脱ぐよう指示するキャメール。あろうことか、奴はズボンまで脱ぎ、パンツ一丁になってしまった !! この時点で、自分のアタマには「ゲイ」という単語が浮かんでいた。頭の危険報知器はうるさいくらいに反応している。…が、「確認しないといけない」と思って、踏みとどまった。
せっかく休学してまで欧州にきたのだ。どうせなら、ブっ飛んだ体験を重ねたい。「ゲイのような人が自分の家でパンツ一丁になっているのを見た」と「ゲイに襲われた」では意味が違う。おやじだって、家の中でパンツ一丁になることはある。自分も、熱い夏は自分の部屋で然り。なにせ、この狭い部屋には男しかいないのだ。キャメルにとっては自分の家だし、気を使う必要はどこにもない。内心、危険を感じながらもその場を楽しんでいた。
(確かめよう。ただくつろいでいるだけなのか。それとも…)
たぶん、危険な場所にあえてとびこむジャーナリストや探偵って、こんな心境なんだろう。
「まぁ、座れよ」といってソファーに案内するキャメル。
次の瞬間、自分の心配が杞憂でなかったことが判明する。座らそうとするばかりか、自分を押し倒してくるキャメール。どうやら、寝かせたいらしい。抵抗する自分のしぐさに、どうやら興奮した様だ。終いには、パンツまで脱ぎ、
「
どうだ?触ってみるか?」
といって自分のイチモツを見せびらかしてきた。
マックスで上を向いている。そんなに自分は魅力的なのか。それにしても、欧州産のサイズは、馬鹿にならない。アレは凶器だった。あんなのでされたら、自分の下半身はズタボロになるだろう。自然と、下腹部に力が入る。流石に、深入りしすぎたかと、自分の身に危険を感じる。が、あくまで冷静に対処しよう。そんなに危険な男には見えない。部屋の鍵も閉めないし、出されたジュースも、缶からあけて注いだ。怪しい催眠薬は、入っていないはず。逃げ道も覚えているし、ここは人通りが少ないとはいえ、そこまで裏路地ではない。
「俺にはそういう趣味はないよ。キャメル、あんたはゲイなのか」
「この街じゃ、これが普通なだけだ。特に珍しいことじゃない。お前は体験したことがないのか」
「まぁ、日本人男性の99%は、男同士でそんなことはしないと思う」
「もったいない。これはこれで、いいもんがあるぞ。体験してみないか」
「いいのかどうかは知らないけど、俺は男とキスしても、気持ち悪いだけだ。ましてや男同士で体を重ねるなんて、想像できない」
「お前はさっき俺とキスしたとき、感じなかったのか。まいったな。じゃあわかった。体には触らない。だからもう一度、口付けさせてくれ」
あくまで真面目に、自分をそっちの世界へ引き釣り込もうとするキャメール。あくまで、真面目である。カッフェで議論に花を咲かせるパリジャンの口調と、なんら変わりはない。フランス人は(男はもとより)女を口説くときも、こうなのだろうか。
「わかったキャメル。一緒に写真をとろう。記念だ。俺はあんたと一緒にいて楽しいし、話も面白かった。ほら、さっきのサルコジ論は、なかなか新鮮だったよ。日本じゃサルコジは、あんな報道のされ方はしない。でも、俺はそういうことはしないんだ。わかってくれよ。あんたが嫌いなわけじゃないんだから」
「写真を撮ったら、キスしてくれるか?」
「写真の写りがよかったら、考える。ほら、早く服を着ろよ。裸で写真に写りたいのか」
「わかった。とりあえず写真を撮ろう」
作戦はうまくいった。とりあえず、彼の刀を納めることに成功した。こうして撮影したのが、この写真である。
断っておくが、自分は男の体に興味はない。自分にとって男は性的欲求の対象ではなく、友情やライバル心・尊敬の対象である。自分が華奢な体型なので、筋肉質なスポーツマンを見てかっこいいと思うことはあるけれども、性的興奮を感じたことは一度たりとてない。女性の体は常に興奮と憧れの対象だが、男のそれは別だ。
話を戻そう。
「良い出来か」
「そうだね。キャメールはこの写り方で満足?」
「なんだっていい」
写真の出来には興味がないらしい。早く約束のキスをしよう。そういってきた。あしらっても、あきらめる気配はない。
「わかった。仕方ない。キスはしてもいいけど、舌は入れるなよ。そこまでしてきたら、噛み付くからね」
「約束が違わないか」
「違わない。俺はキスはするとは言ったけど、男とディープキスをするつもりはないよ。ディープキスは俺にとって、そういう行為の入り口だ。フレンチで我慢して」
残念がるキャメール。実際、今までも性的な意味はなく、挨拶のノリで教会の神父さんに口付けをされたり、男とフレンチなキスをすることは何度もあったので、ディープでもない限り、あまり抵抗は感じなくなっていた。
「
お前、俺のこと好きか」
「・・・。今日あったばっかりで好きかといわれても、答えられないな。話してて面白いとは思うけど」
「じゃあ、嫌いじゃないんだな」
「でも、俺は誰であろうと、男には女性に対して抱くような感情を抱くことはないよ。あんたは友達だ。それ以上でも、以下でもない」
「それじゃ駄目なんだ。お前にとっての特別な存在じゃないと」
「俺にとって、そういう存在になりえるのは女性だけだよ。男には友情とか信頼を感じることはあるけど、性的な興味は全くない」
「もう体のことはいいんだ。さっきのは、俺が悪かった。でも、俺はお前のことが忘れられそうにない」
泥酔したときでさえ、こんなやりとりをしたことはない。なんだこれは。BLの世界だ。心なしか、キャメールの背景にバラの花が見えなくもない。流石は華の都・パリ。演出効果は抜群だ。キャメールは、明らかに苦悶していた。それは自分の愛が受け入れられない、苦しさを語った表情だった。
(こいつ、意外と繊細だな)
と思う。実際、そうだった。自分よりかは、明らかに体格もいい。実力行使にでれば、自分の貞操は奪われていたかもしれない。もっとも、その際は自分とて全力で抵抗するが。俺が嫌なそぶりをみせると、明らかに遠慮する。気持ちが通じていないと、嫌らしい。見た目は完全におっさんだが、心は乙女なのかもしれない。パリジャンの心は、実に奥が深い。
「キャメール、俺はもう帰るよ。待ち合わせがあるんだ」
これは本当だった。待ち合わせがあって、バスティーユのホステルに行きたかった。
「また、会えるか?」
「さぁ、縁があれば、会えるかもしれないね」
そう言って、帰る準備をした。キャメールは丁寧に自分にマフラーを巻いてくれ、最後に一言、こう言った。
「やっぱり、お前は魅力的だ。また会えることを願っている」
正直、男に言われてもあまり嬉しくない。むしろこっちとしては、もう会いたくない。相手がパリジャンじゃなく、パリジェンヌだったらなぁ…と惜しみながら、彼の家を後にした。ただ、相手がキャメールだったことは、運が良かった。相手によっては問答無用で実力行使にでてきたかもしれない。キャメールは実戦よりも舌戦を重視する人間だったらしいのでうまくかわせたが、力の論理でいったら、間違いなく自分の貞操は奪われていた。後で知ったのには、キャメールと遭遇した公園は、そういう人種が多い、パリ20区だった。
マレ地区と並んで、パリでは悪名高い地区のひとつ。
もっと悪質な人間に襲われていた可能性もある。その意味では、彼は自分の気持ちを尊重してくれた分、紳士ではあった。相手がキャメールでまだマシだった。
余談ではあるが、キャメールが話した「こういうことは、この街では普通」というのは、他のパリ市民にとっては非常に迷惑な話され方だろう。ひょっとしたら「この街」ではなく「この地区」といいたかったのかもしれない。ただし、男同士で手をつないで歩くおっさんのカップルは、何度か目撃したことも、付け加えておく。加えて、知識人階級には古くからそういう文化があるという話も聞いた。キャメールも知的な人ではあったので、そういう層にいる人間なのかもしれない。
この話を、旅先で会ったバックパッカーにすると何度か「あぁ、確かにトヨタ君、狙われそうだよね」と言われた。「俺、そういう趣味ないですからね」ときちんと反論するが、みんな「どうだか」とからかってくる。
このブログをご覧になっている皆様には、自分の名誉のためにも、きちんと言っておきたい。自分はゲイではありません。願わくば、誤解のあらざらんことを。