ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-09-29

『大和ごころ入門』

佐藤優と、村上正邦による対談。本書のコンセプトは、副題にもあるとおり、「日本の善によって現代の悪を斬る」です。タイトル、副題、そして著者からして、みるひとがみると、いかにも「右寄り」「国粋主義的」な本かもしれませんね。



対談者・佐藤優は、鈴木宗男事件に連座、村上正邦はKSD事件で逮捕された経験があります。両者は、いわゆる「国策捜査」の犠牲になった人たちで、近年日本を覆う「新自由主義」の風潮に警鐘を鳴らしている論客です。佐藤氏曰く、
日本を改革する処方箋はひとつしかないと思う。日本に内在する「日本の善」の力によって、現下日本にあらわれている悪を排除するのである。外来思想の知識をいくら身につけても、それだけでは日本国家を危機から救い出すことはできない。過去の日本人の英知から虚心坦懐に学ぶことが、現在、なによりも必要とされているのである。(P7)
ちなみに、村上正邦氏は、元参議院議員で、中川一郎・中曽根康弘などに師事した「タカ派」議員です。かつてはあの「青嵐会」にも所属していました。自民党 参議院幹事長として、与野党を問わず参議院に相当の影響力を持ち、「参議院のドン」「村上天皇」などとも呼ばれました。野中広務・青木幹雄などと対立したり、小渕総理の急逝後、後継に森喜朗を指名した「五人組」にも名を連ねるなど、永田町の歴史の要所要所で顔をみせる、キーマンです。

■吉野の山へ

日本古来の思想を探る上で、両者は南北朝時代に注目し、後醍醐天皇陵のある吉野の里へ出向きます。両者が、単なる対談だけでなく、歴史的な場所の現場へ出向く意義について力説されている点について、おもわず納得してしまいました。
佐藤:思想というのは、頭の中でこねまわしてはダメ。そもそもギリシアでも、場所というのは<トポス>といって、抽象的な空間じゃないんです。今ここのところにいるという、この場所なわけなんです。(中略)吉野だって、そこがどんな場所で歴史がどうかっていうデータはコンピュータで見られるわけだし、関連する本も山ほどあります。それで知識を得れば、何も現地に行く必要はないと考えるようになる……。とくに最近の若者にその傾向が強い。しかし、それだけでは捕らえられないことが絶対にあるはずなんです。実は、私は保守の思想の真髄のひとつに、そういうことに価値を見出すか、見出さないかということがあると思うんです。
村上:最近こういう論争があるんですね。インターネットで神社参りができるか否か。コンピュータの世界の中には霊が天下るようなバカなことはないんです。「やっぱりその聖域に行かなければ、神の心にかなわないんだ」という指示を、神社本庁が全国におふれを出したそうです。今の神社のなかには、「インターネットでどうぞお参りください」というのが、相当あったようですよ。ちょっと、話は横道にそれたけど……。
神社にネット参拝とは、恐れおおい(笑) 確かに、私たちの世代(20代前半)は、小さい頃からインターネットに触れて育ちました。今ではGoogle Earthで世界中ワンクリックで行ける環境を、当たり前のものとして生きています。しかしやはり、現場を体験することで感じる何かがあるのは、私にも実感としてあります。

私は大学1年の頃、蘭学者だった先祖ゆかりの地を巡る旅しました。250年前に先祖が活躍した場所を訪れた際、自分の体を流れる血が、それこそDNAの記憶が奮い立つような感覚を体験しました。時間を超越して、その空間だけがタイムスリップしたかのような、頭の中で、景色が先祖の時代に戻ったかのような錯覚に襲われたのを、今での鮮明に覚えています。

去年ヨーロッパを放浪した際も、ナポレオン戦争の古戦場を歩いたときは、「戦場」をリアルに感じることが出来ましたし、東欧で廃れた民宿に泊まったときは、「旧共産圏」の雰囲気が、写真や教科書でみるものとは違う「肌感覚」で実感できたのです。
これが佐藤氏のいう「今ここのところにいるという、この場所」の感覚なのでしょう。


■日本の国体について

そんな「生感覚」を大切にする両者が、吉野の里に実際におもむき、日本古来の思想について思索しています。日本の国体を考える上で、必然的に、皇室の問題や神道にも多くの紙面が割かれています。
佐藤:万世一系というのも、例えば皇室典範の問題でもですね、DNAみたいな近代主義によって計っていくという発想自体に問題があると思うんです。近代主義の発想で皇室の問題を論じたらいけない。
村上:科学で切ることじゃないし。切れないと思う。歴史は裁けないね。日本固有の文化なのです。(P107)
佐藤:北畠親房が『神皇正統記』のなかで「神道の扇というのはなかなかその姿を現さず」と記しています。日本の思想、日本人の考え方の根本というのは、ヒョロヒョロとした青白いインテリがペラペラとしゃべっていくような、そういった理屈ではない、言葉の形では簡単に出てこない。ここのところに特徴があると思うんです。(中略)「何々である、何であるという風に説明できるのは本当に上っ面だけだ。本当に重要なことは、こういうことじゃない。こういうことじゃないといって、『~ではない』という形でしか説明できないのだ」という思想です。(P126)


■現代日本の政治について

佐藤:いや、ですから、このまんまだとほんとに日本の政治は「東洋の神秘」になってしまう。ルース・ベネディクトの『菊と刀』をいまもう一度読まなくちゃいけなくなってくる。
村上:不思議な国だよね。
佐藤:そうです。それどころか、この前、あるイスラエルの友だちはこう言うんですよ。数学で虚数っていうのがあるんですよね。普通の平面には出てこないと。iっていうのが付いてるんですよ。それで、このiとiを掛けて、世間に見えるようになるときは必ずマイナスがつくんですよね。
日本政治はなんかそんな感じだと。普段は全く見えないんだけども、国際社会に見えるときにはいつもマイナスの話だけだと。あなたたちはだから虚数平面か何かで仕事をしてるんじゃないかと言われました。
これは面白いたとえ話ですね。確かに、日本の政治は「東洋の神秘」です。スタンダードの政治学の本を読んでも、日本の政治は理解できません。むしろ、戦国時代を描いた歴史小説なんかのほうが、よっぽど助けになります。加えて、日本の政治は虚数平面で行われているという皮肉。このたとえ話を国会議員が聞いたら、どんな反応が得られるでしょうか。

さて、この『大和ごころ入門』では、太平記の世界がずっと対談のベースになっています。その太平記でも言われているのが、「死霊より生き霊のほうが恐ろしい」ということ。この本を読んで、現代の日本の政治も、とある人物の生き霊にかき回されているのではないかと思ってしまいました。

そのとある人物とは、小沢一郎のことです。栄光の自民党幹事長時代から一転、野党の指導者となり、新党結成・分裂を繰り返し、やがて民主党の代表へ。自分が一番やりたかった日本の新自由主義化、経世会つぶしを小泉純一郎にされてしまい、振り上げたこぶしをどこに下せばいいのかわからなくなっているのが、今の小沢一郎ではないか。だから今の小沢は、自民党を困らせるためならば何でもやる。政権交代のためならば、どんな手段も厭わない。

誰かが、小沢一郎の怨念を鎮めてくれないと、日本の政治は大変なことになってしまうのではないでしょうか(もうすでに大変なことになっているのですが…)。

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