ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-10-19

『大いなる陰謀』

ストーリー紹介は省きます。映画の公式HPか、下の予告編動画で大体解ると思います。
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■銃弾よりも議論の応酬

  • イラク戦争の失敗に対する、世論の攻撃に悩む上院議員。彼の招きで、独占インタビューに応じるベテラン女性記者。
  • 上院議員の立案に基づき、アフガニスタンで最新の作戦に従軍する兵士。
  • その兵士達の元指導教員。その教え子で、政治学を学びつつも、国の上層部に対して不満を抱く学生。
この3つのエピソードが、それぞれ別の場所で同時に進行しながら、物語の核心に迫るテーマが浮き彫りにされる構成です。登場人物は実在の人物ではないようですが、おそらくモデルとなった人物がいるのでしょうね。機会があったら調べてみたいと思います。

ジャンル分けが難しい映画ですが、あえて分けるなら戦争映画になるのでしょうか? とはいえ、この映画のシーンは戦闘シーンよりも、議論のシーンがメインです。新作戦を進める上院議員と、その内容について疑いの目を向ける記者。世界を変えるために、従軍を決めた黒人・ヒスパニック系の学生と、それをあざ笑うWASPの学生。戦争を扱った映画であることは間違いないのですが、銃での戦いよりも、議論の応酬の方が激しい。

この映画を見終わった後、この内容について誰かと意見を交わしたいという、激しい欲求に襲われました。アメリカのキャンパス内で教授や生徒どうしが意見を戦わすシーンもあることですし、時間も丁度1時間半程度なので、大学の授業で鑑賞したら、面白い映画かもしれませんね。

■「大いなる陰謀」は本当に陰謀だったのか?

この映画の英語版タイトルは「Lions for Lambs」(劇中に登場する台詞、「子羊に率いられたライオン」の意)で、日本語版の「大いなる陰謀」とはだいぶ響きが違います。

上の予告編動画でも、「陰謀を企む1人の政治家」と明言されていますが、この紹介にはどうも語弊があるような気がしました。というのも、トム・ハンクス演じるアーヴィング上院議員の口ぶりは、どうも本当にこの新しい作戦の意義を信じていた様な印象を受けたからです。日本では、「アフガン空爆・イラク戦争は大義の無い戦争だ」という意見が大勢を占めていますが、9.11のショックで冷静さを失い、愛国心に火をつけたアメリカ人にとっては、そうではない意見を持つ人間も多いのが現実です。アメリカ人の一部はテロリストを本気で悪だと信じているし、劇中でアーヴィング議員が言っているように「中世を引きずった部族国家に振り回されているという屈辱に耐えられない」のです。

他のサイトのレビューで、「トム・ハンクスがうさんくさい議員を好演」という意見がありましたが、自分にはむしろ、トム・ハンクスはうさんくさいどころか、本気で作戦の意義を信じている議員を演じているように見えました。「陰謀」といわれると確信犯的なニュアンスがありますが、軍産複合体はともかく、対テロ戦争強硬派や宗教右派のアメリカ人は、むしろ本気で「対テロ」という大義を信じているのが一般的なのではないでしょうか。というわけで、私はこの「大いなる陰謀」という邦訳には、違和感を感じます。

■いち学生として

というわけで、私はこのアーヴィング上院議員と女性記者のやりとりよりも、実際にアフガンで従軍した学生の行動に興味を惹かれました。私は、彼ら(アーリアン、アーネスト)の様に、従軍してまでアフガンで戦おうとは思いません。マレー教授が指摘するように、イラク戦争もアフガン戦争も、大義のあった戦争だとは思えないからです。それに正直言えば、戦争で死ぬのは怖い。去年ヨーロッパを放浪している際に、実際にイラク戦争に従軍したアメリカ人から戦闘の映像を見せてもらう経験がありましたが、それは正に地獄絵図でした。自分の国を守るための戦争なら、闘わざるを得ないでしょうし、闘います。しかし、侵略戦争に進んで従軍したいとは思いません。

とはいえ、「文句を言っているだけでは何も変わらない。何かを変えるためには、自分がリスクを背負わなければ」というのが彼らの主張であり、この映画のテーマでもあります。その点はもっともですし、同じ学生として、従軍してまで国際貢献を果たそうとする彼らの選択には、敬意を表します。
また、アーリアンやアーネストは黒人・ヒスパニック系で、貧しい身分の学生です。従軍すれば復学時に学費が免除されるという要素も、彼らの選択の要因としてありました。自分もいま正に「大学院に進学したいが、学費をどうするか」という問題に直面しているので、彼らの気持ちもわかります。

「政治の勉強をし、政府の批判を口にしていながら、何も行動をしていない」と、マレー教授はアーネスト、アーリアンを引き合いに出しながら、別の学生を責めます。確かに、こう言われては反論は難しいでしょう。今の日本でも同じだと思います。「自民も民主もダメだ」といいながら、自分は何もしない国民。そもそも、政治になんか関心が無いという学生。

政治に対して批判はするが、何も行動を起こさない白人の裕福な学生と、戦う意味を信じて戦地に赴きつつも、政治の道具となって死んでゆく貧しいマイノリティ系の学生との対比が、考える材料を与えてくれるいい映画に仕上がっています。

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