ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-05-20

『私塾のすすめ』

『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』の梅田望夫と、『声に出して読みたい日本語』や「三色ボールペン読書術」などの斉藤メゾットで知られる齋藤孝の対談。



自分は、大学入学以降、斉藤さんの本は何冊も読んできましたし、梅田さんの『ウェブ時代をゆく』は、このブログをはじめようと思ったきっかけでもあります。そんな2人が対談本を出すことを梅田さんのブログで知った瞬間、心はもう書店に飛んでいました。

■ウェブ時代の「私塾」


さて、内容についてです。何かを学ぼうとする人にとっては、同じ分野への関心がある人や、その先駆となっている人と、熱く語り合ったり、教えをうけることは、とても強い願望としてあります。それが、インターネットの普及で場所・時間の制約が薄れつつある今、かなり容易になるのではないかというのが、この本のコンセプト。梅田さんのブログによれば、対談を終えた後に「私塾」というキーワードが浮かんだそうです。
師弟関係、塾生同士の関係を「私塾的関係性」と呼ぶとすると、この関係性は現代においては、もっと広がりをもって捉えることができる。少人数の、直接同じ空間を共有する関係だけでなく、インターネット空間でも「私塾的関係性」は成立しうる。(P11)
実際に自分も、とある本の著者のホームページから、著者にコンタクトをとってみたところ、返信をいただいた経験があります。ホームページから著者に直接メールが送れ、著書についての質問などに答えてくれるというものでした。このときは著者-自分という縦の関係だけでしたが、自分以外の質問者との横の関係ができていたなら、それは塾生同士の関係、その空間はまさに私塾といえたかもしれません。

「私塾」という言葉からは、「お互いに顔の見える関係」が連想されます。もちろんウェブ上ではお互いの顔は見えませんが、やり取りを繰り返しているうちに、相手の考えなどはわかるようになってきます。自分は今大学生ですが、こういう「お互いの顔が見える」形式の授業は好きです。ゼミとか、「せっかく少人数だしたまに討論でもやろうか」的なことをする先生の授業とか、これらは情報の発信が双方向的で、能動的に参加できるから、面白いのです。逆に、大部屋での講義とか、一方的に話を聞くだけの受動的にならざるを得ない授業がダメです。実際によくサボります(おかげで単位がとれません)。

実は梅田さんも斉藤さんもそういうタイプであるらしいのですが(笑)、ネット上にこのような私塾的空間が増えるのであれば、大学の意味が相対的に低下してくる時代が来るかもしれませんね。場所や時間の制約を受けないネット空間で少人数ゼミのようなものができるなら、大学にいく必要は薄れていきます。


■斉藤-梅田の志向性の違い


今まで読んできた斉藤本・梅田本は、どれも読んでいて興奮を伴う、面白い本ばかりでした。この対談で気づいたのは、その両者の興奮の質の違いです。というのも、二人の嗜好性の違いが、はっきりと浮き彫りになったからです。
斉藤:梅田さんは、どんな子でも、どんな若者でも伸びると、前提として思っていらっしゃるのですか?
梅田:そうは思っていません。(中略)個人的には「上を伸ばす」ことに興味があります。やる気があって目を輝かせている人がどんどん伸びていくのを促したり、支援したり、手伝ったりということに、僕自身は強い関心があります。(P69)
斉藤:僕は結構、「無理やり」ということが好きなのです。やる気のない、ぐたっとした雰囲気の連中を変えていくというのが、むしろ快感だったりします。(P78)
やる気のある人をさらに伸ばすことに興味がある梅田さんと、やる気のない者を底上げすることに興味がある斉藤さんの本は、読書感の違いに現れていることに気がつきました。梅田さんの本は「おまえら、やる気があるんだったら、今は勉強するのにこんなにいい時代なんだぞ」といわれている気がして、やる気が更なるやる気を引き起こす、そういう興奮を引き起こす本です。

それに対して斉藤さんの本は「こうやれば、誰にだってできるんだ。さあ、やってみよう」というスタンスのものが多くて、「今までこんなことしようなんて思わなかったけど、それならやってみようかな」的な気分になります。

どちらもやる気が出る本なので読んできて気持ちがいいのですが、このことがわかったこれからは、シチュエーションに応じて両者の本を読むことができそうです。ちょっと勢いづいているときに更にスピードをつけたい気分のときは梅田さんの本。走るのがおっくうな気分のときは、斉藤さんの本、という様に。

■好きなことを貫く


好きなことを貫く生き方がしやすくなった時代であるということは、梅田さんのこれまでの本から、伝わってきました。今回、それが更に突き詰められて、
梅田:僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、(中略)自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。(P146)
とまで言われているのが印象的でした。自分が何に向いているのか、何になら没頭できるのかを考えないと生きていけない、そんな時代。この言葉には、自分のやりたいことをやっていいんだ、と励まされると同時に、自分の志向性をきちんと見極めるのも大切だなと感じました。こういう時代を吉ととらえるか凶ととららえるか、好きなことがはっきりしている人間にとっては、前者ですが、そうではない人はどうなのでしょう。

内容は全体的に、今までの2人の主張をお互いに確認しあっている感が強かったです。今までの両者の本を何冊か読んでいる読者にとっては、目新しいフレーズはあまり見受けられないかもしれませんが、二人とも、相手の考えを自分の言葉にして言い直すのが上手だなと感じました。

あと、あれだけ大量の本を出版しつづける齋藤さんが、なぜブログには手を手を出さないのか。実際に梅田さんも対談で「ブログを書いてみたらどうか」と勧めているのですが、それを断り続ける理由がわかって、ひとつ納得がいきました。

2008-05-15

『堂々たる政治』

前安倍政権で官房長官を務めた、与謝野馨(よさの かおる)氏の著。氏は与謝野鉄幹・晶子の孫でもあり、小泉政権でも何度か閣僚ポストを経験した政治家。最近は、ポスト福田としての期待度も増しています。最近発売の本ですが、発売と同時に書店から姿を消していたので、思った以上に売れたのかもしれません。再び書店に並んでいたので、今度は買いそびれないように購入。奥付をみると、初版の10日後に3刷になっていました。



新潮新書からは、麻生太郎の『とてつもない日本』も出版されているので、割と人目につきやすいのかもしれません。安倍前首相の『美しい国』以降、知名度の高い政治家が新書を出版するケースが増えていますが、これは歓迎すべき風潮ですね。安い新書で、著者も「わかりやすく」を第一に書くので、政治家が何を考えているのか、国民に伝わりやすくなります。

もっとも、政治家にとっては印税やら出版記念パーティで活動資金源になりますし、多くの国民の目に触れる分、ハードカバー本に比べると、あまり突っ込んだことは書かないという側面もありますが。
さて、内容ですがおおざっぱにわけると
  • 第1 - 3章 :小泉・安倍政権の総括
  • 第4 - 5章 :これまでの政治遍歴
  • 第6 - 終章:自身の政策
となっています。1-3章では自身も大きく関った小泉・安倍政権下のできごとについて述べられています。安倍首相退任時の「麻生=与謝野クーデター説」についてもきちんと反論し、小泉・安倍の両首相についても著者の評価が読み取れる部分が何箇所かあります。4・5章の政治遍歴については、与謝野氏の生い立ちや、氏が師事した中曽根康弘氏・梶山静六氏などとのエピソードが沢山あってとても面白のですが、ここでは割愛します。やはり政治家の本なので、パーソナリティよりも政策について述べられている部分を中心に見ていきたいと思います。

■与謝野馨の政策論

市場原理主義批判
割愛した5章までですが、注目すべきは第3章で、昨今の新自由主義・市場原理主義についてきっぱりと批判しています。
私は今でも、小泉構造改革路線は、あの時点では正しかったと思っている。
問題は、この小泉改革の成功によって、「市場原理は常に正しい。小さな政府路線はいつも正しい」ということが「永遠の真理」として証明されたと信じている人、「市場原理主義」と呼ぶべき輸入品の考えを振り回す人々がいることだ。(P64)
「あの時点では」というところがミソでしょうか。小泉=竹中改革について「富めるものがさらに裕福になり、貧しい人はさらに貧しくなったというが、あの時点ではああするしかなかった。あの時点で何もしていなかったら、日本全てが貧しくなっていた。あと少しで沈没する船がある。船員は救出されたが、乗客は溺死した。それでも、皆が溺れ死ぬよりかはマシだった」という評価を聞いたことがあります。与謝野氏はこの本で状況が目まぐるしく変わる現実を見つめる政治家は、それに合わせて自分の意見も臨機応変に変えなければならない、としきりに主張しています。曰く「君主豹変せよ」だそうです。あの時点で正しかったからといって、今後も市場原理主義が「永遠の真理」であることは決してないと言っています。
割り勘国家論・増税論
第6章では、与謝野氏の国家観が展開されます。
国と国民というのは、字句は異なるが同義語だということを忘れがちだ。
国家とは、国民が割り勘で運営している組織に過ぎない。…あくまで割り勘でやっている組織なので、国民と乖離したところに国という別の組織があるわけではない。(P147)
「国家とは自己保全を目的とした官僚機構であり、必要悪である」と主張する佐藤優の国家観と比べると、国民が国家の主体、あるいは同一体であることが強調されていて興味深いです。しかし本章で著者が述べたいことは国家観ではありません。国家は割り勘の組織であることを前提とした上で、日本の財政が危ないので、これからは割り勘の負担を増やす、つまり増税が必要だ、ということです。与謝野馨は谷垣禎一らと並ぶ自民党内屈指の増税派です。
結局、財政再建をするためには、消費税率を10パーセントまで引き上げるところまでは、国民に耐えていただかなければならないことになる。これは否定できないことだと思う。皆で割り勘の額を増やさなくてはいけない。
「増税よりもまず、無駄遣いを無くせ」という批判に対しては、財政赤字の金額と無駄遣いの金額では、予算の規模が違うと述べています。
上げ潮路線批判と両輪路線
「上げ潮路線」とは、主に中川秀直などが主張する経済成長路線です。基本的には経済成長にストップをかける増税に反対で、経済成長を第一と捕らえる人たちのことです。著者の理解によれば「小規模なインフレを人工的に作りながら名目成長率を伸ばすことで、税収が伸びるからこの先も大丈夫、という考え方」(P168)です。これに対し、著者は「両輪」路線を提唱しています。
…財政が再建できなければ、日本の国全体の格付けは低下するばかりで、成長力が阻害される。つまり、財政再建と成長力の強化は車の「両輪」なのだ。私は一貫して「両輪」路線を主張し、元祖「両輪」派を辞任している・
「上げ潮」路線との大きな分かれ目は、インフレ頼みの再建か、増税を含めて考えるか、その違いである。
「上げ潮」路線に対して、著者はこの章で「幻想である」と一喝しています。自分は正直、経済・財政の分野に関しては全くの素人なので、「増税で国家支出と歳入のバランスをとらなければ国家は崩壊する」という主張と「増税は消費を低迷させ、景気を悪くする」という主張のどちらが正しいのか、判断がつきかねます。専門家の間でも意見が分かれる難しい問題のようですが、どちらが正しいのでしょうか。

■与謝野馨はポスト福田たりえるか


最後に、本書とは関係ありませんが、政界での与謝野馨のポジションにいて見てみたいと思います。最近、与謝野氏をポスト福田候補として推す声が高まっているようですが、これは実際にはどうなのでしょうか。

まず、真っ先に気になるのが、現在与謝野馨は党内無派閥であるということ。麻生太郎・小池百合子・谷垣禎一などは、それぞれ自分の所属する派閥があり、その派閥の人数分は、ほぼイコールで総裁選での得票数になりえます。与謝野氏は一時期志帥会という派閥(伊吹派)に所属していたこともありますが、現在は無派閥。派閥に所属しない議員が自民党の総裁になったことは、今まで一度もありません。

自民党内で派閥の力自体が弱まっている現在、福田が選ばれた総裁選の様に派閥の拘束が聞かなくなる場合もありますが、無派閥の議員が総裁選でどこまで戦えるのかは疑問があります。
また、面白いのは本書の上げ潮路線批判で槍玉にあがっている中川秀直が、最近ポスト福田に意欲を見せているということです。仮に与謝野・中川の両人が総裁候補として手を上げれば、政策面で真っ向から対立することになります。これは総裁選の構図としては、選ぶ側もわかりやすく、国民の関心も高まるでしょう。

さらに、民主党の勢いが強まっている時期に、総選挙の顔として与謝野馨に集票能力があるのかという疑問があります。選挙の顔としてなら、麻生や小池の方が格段にインパクトがあるでしょう。先日の補選で敗北し、自民党に逆風が吹く中で、与謝野馨に自民党の救世主となるだけの素養があるか、といわれれば、少し印象が薄い気が否めません。個人的には、与謝野氏は主義・主張がハッキリしている人間なので、総理大臣よりも大臣や党役職として活躍して欲しいと思っています。最後に、ポスト福田に関して気になる記事を見つけたので、紹介しておきます。

→上杉隆「『ポスト福田』候補を決定的に変えた2つの記事」
麻生と与謝野の再接近は、麻生=与謝野クーデター説の再来か!?

2008-05-12

Slovakian Sisters

その日は、プラハで古川さん・まりこさん・眞熙とオサラバした後、プラハ中央駅から夜行列車でポーランドのクラクフへ向かう予定だった。
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…が、クラクフ行きの最短ルート・オストラーヴァ Ostrava経由の便は満席。予約が必要というわけでもないけど、コレじゃあ車内で寝れない。今日は一日朝早くからプラハを観光して、おしゃべり眞熙に付き合って、だいぶ疲れていた。夜眠れないのはツラい。今まで夜行列車がこんなに込み合うことはなかったが、週末だからだろうか。

仕方なく、時間がかかることは覚悟でスロヴァキアの首都・ブラティスラヴァ Bratisrava経由でクラクフを目指すことにした。幸い、こちらの路線は込み合うこともなく、じっくり睡眠をとって、疲れを癒すことが出来た。朝方5時、ブラティスラヴァに到着。そこからジリナ Zilinaで乗り換えて、クラクフを目指す。ヨーロッパの電車は、どんな鈍行でも、地下鉄でも、ボックスタイプの向かい合った客席が一般的。ブラティスラヴァ発の電車では、自分の前に少女とお母さんの親子が座った。

ブラティスラヴァ - コシツェ Kosice間という、スロヴァキアの首都と第2の都市を結ぶ路線なので、日本で言ったなら東京 - 大阪間の東海道線みたいなものだ。だが、正直退屈である。景色はずっと田舎じみていて落ち着くが、あまり変化がない。ただ、駅に止まるたび、乗り降りがある。途中の駅で、小さい女の子が2人座った。

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何の変哲もない道中に変化が起きたのは、その子達が退屈しのぎにか、突然歌いだしたからだ。その声は、すぐに客車中に響き渡り、歌いだす2人を見て、周りから同じくらいの年の女の子達が集まり出してきた。次々と集まりだす少女達。客室はあっという間にライブ会場になってしまった。自分の前に座っていた少女も、当たり前の様にそれに加わりたがる。お母さんが相槌をうち、さらにメンバーが一人増えた。最終的に、7・8人集まったと思う。

凄かったのは、歌がきちんとパートに分かれていて、きちんとハモったり、ソロパートになったり、手の振り付けなんかもあったことだ。きちんとしたゴスペルだ。
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歌い終わった後に、思わず拍手をしてしまった。自然と目が合う。思い切って「もっと歌ってくれ」って頼んでみると、彼女達は快くリクエストに答えてくれた。前日、眞熙の勧めで初めてのジャズバー生演奏を聞いていたが、それとはまた違った感動と興奮が身を襲った。
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そのうち、シスターらしき先生がやってきた。彼女は英語が出来たのでいろいろ聞いてみると、彼女達は、スロヴァキアの修道女見習いなんだそうな。これから大きな教会へ行き、しばらく俗世との関りを絶って、修行の身となるらしい。歌がゴスペルっぽかったのには、そういう理由があった。彼女達の多くは、両親が先立って、孤独の身らしい。教会で修道女となることで、生活が保証される。

しかし、彼女達の歌には暗さのかけらもなく、生き生きと、朗らかに歌う。こんな可愛い娘たちが仕えてくれるなんて、神様はさぞ幸せ者だなーと思った。

自分が日本から来たこと、名前を「TOYOTA」ということを告げると、ちょうど横を、車を積んだ貨物列車が併走したこともあって、これがウケた。お返しに日本の歌を聞かせてあげたり、彼女達の名前を無理やり漢字にあてはめて、筆ペンで書いてあげたりしているうちに、だいぶ打ち解けられた。
彼女達がやけに熱心に聞いてきたのは「ゲイシャ」についてだった。こっちでは渡辺謙・チャン・ツィーの『SAYURI』が人気を得ているらしく、芸者についての興味が高まっているらしい。自分も詳しくはないが、彼女たちが娼婦ではなくプロフェッショナルであること、日本のサムライでヒーローのリョーマ・サカモト(坂本龍馬)やコゴロー・カツラ(桂小五郎)の妻は芸者だったことなどを話すと、喜んでくれた。

さらに、彼女達は歌を教えてあげるから、一緒に歌おうといってくる。なかなか発音が難しかったが、面白い曲だった。確か『オフォレラ・ミシュカ・マラ』という歌で、なんらかのストーリーのある歌だったと記憶している。どなたかご存知ないだろうか。
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そのうち、乗換えをするはずのジリナはとうに過ぎ、電車は終点のコシツェに着いていた。場が盛り上がってしまっていたので、今さらここで乗換えだとは言いにくかったこと、なによりもこの旅行では現地人とのふれあいを大事にしたかったことから、そのまま終点まで言ってしまうことにしたのだ。

コシツェに着いても、道中すっかり仲良くなっていたので、先生のお許しのもと、修道女のうちの一人が自分をコシツェ案内に付き合ってくれた。スロヴァキアは、特に目当てがあったわけではないけど、彼女達との出会いも含めて、とても人々の優しさが伝わってくるいい国だった。
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余談ですが、この後、旅のスタイルにバックパッカーを選んでホント良かったと思いました。地元人のナマ歌聞けたし、気まぐれで目的地帰られるんだから、普通の旅行では味わえない旅がしたいなら、やっぱバックパッカーです。