ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-11-01

金戒光明寺

黒谷の金戒光明寺にいってきました。

■金戒光明寺縁起

金戒光明寺は、浄土宗の開祖・法然によって建てられたお寺です。もともとは比叡山で修行していた法然が教えを広めるために下山したとき、この地で何かを感じとり、草庵を建てたのがはじまりで、浄土宗最初の寺院でもあります。

奥に見えるのが、本堂である御影堂

熊谷直実 鎧掛けの松。源平の争乱時代の武将・熊谷直実が
法然と対峙して出家を決意。脱いだ鎧を掛けたと伝わる松。
また、現在の大河ドラマの主人公・お江にゆかりあるお寺でもあります。写真下は、お江とその息子・3大将軍家光の教育方針をめぐって激しい「女の戦い」を演じた春日局がお江の死後に立てた供養塔。また、春日局自身の供養塔もすぐ近くにあります。


国の重要文化財にも指定の三重塔
もともとはお江の夫・2代将軍秀忠の供養塔。
■会津藩と新撰組、城郭としての寺

ここ金戒光明寺の名前は、幕末史においてよく見受けられます。というのも、全国から浪人が集まり治安の悪化しだした京都の平和を維持すべく、京都守護職に任命された会津藩主・松平容保が陣を構えたのがここだからです。以後、反幕府活動をとりしまる会津藩兵の拠点として機能し、会津配下の新撰組にもゆかりがあります。

言われてみれば、「寺」には似つかわしくない立派な「城壁」が。
そもそもこの寺は、単純に「寺」というよりも「軍事拠点」としての機能が備わっています。土方歳三を主人公とした『燃えよ剣』に詳しい事情が書いてあるので、ちょっと引用してみます。
鉄鋲を打った城門のような門がそびえていた。会津本陣とはいえ、ありようは、浄土宗別格本山金戒光明寺である。が、寺院建築というよりも、丘陵を背負い城郭に似ている。似ているどころか、これにはわけがある。
江戸初期、徳川家は、万一京都に反乱のある場合を想定し、正式の城である二条城のほかに、二つの模擬城をつくった。それが、華頂山にある知恩院と、この黒谷の金戒光明寺である。当節、幕府にとって「万一のとき」がきている。そのため、会津松平藩を京に駐屯させた。本陣は模擬城である金戒光明寺である。徳川氏の先祖の知恵は、二百余年をへて、役立ったといえる。(『燃えよ剣』上巻、p200)


寺は一帯が小高い山に位置していて、頂上からは京都を一望できますし、上の写真のように「城壁」も備わっています。実際にいってみてわかりましたが、これは立派な砦ですね。また、祇園や東海道の終点・三条大橋も近く、立地にもおおきなアドバンテージがあったようです。

その縁から、幕末に殉職した会津藩士の墓もあります。お墓には、故郷・会津若松城(鶴ヶ城)の写真が添えられていました。

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