ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2012-05-02

歴史における正解率
-とあるフィリピン人との会話から-

彼との出会いは、2011年の7月だったと記憶している。名前はRolly。元UP(University of the Philippines 日本でいう東大)で政治学を教えていた教授だったので、フィリピンの政治について興味があった自分とは、話が合った。

話が合う、なんていうのも大それた話で、彼の語る内容に、自分はとにかく聞き入った。フィリピンの政治体制から、各大統領のエピソード、彼がフィリピンの政治の世界に関わってきて思ったことなどなど、全てが興奮に満ちたもので、彼が思っていることを引き出そうと、自分は拙い英語力をフル稼働させて、とにかく彼に質問をしまくった。

いろいろ語り、いろいろ教えてもらった中で、一番印象にのこっている彼の台詞が、これだ。
「我々フィリピンが体験した歴史のうち、その75%以上は間違いだった」
あるのは事実だけで、歴史に間違いも正解もない。歴史にIfは存在しない。…そういう立場をとる歴史学者にとっては、即転倒ものの挑発的な発言だ。

確かに、この国は過去のいくつかのタイミングにおいて、克服しなければいけなかった問題を放置、あるいは解決できなかったことで、今も苦しみ続けている。日本では60年前に終わった「農地改革」なんていうのも、この国ではずっと、解決が望まれながらいつまでもめどがつかない政治的テーマのひとつだ。

フィリピンでは誰もが口をそろえて褒め称える国民的英雄、ホセ・リサールについて、Rollyはこう語る。
「リサールは確かに称えるべき対象ではあるが、我々が選択するべきだったのは、彼の道ではなかった。我々が選ぶべきだったのは、アンドレス・ボニファシオの道だ。独立は、戦って勝ち取らなければならなかった。血を流してでも。リサールは優秀だったが、その方法はあまりにも平和を志向しすぎた。リサールの存在は実際、アメリカにとって、都合がよかったのだ。リサールがこの国で未だに褒め称えられ、ボニファシオが不当に評価されているのは、アメリカの世論操作が原因だ」
フィリピンは歴史的に見て、独立をアメリカから「与えられた」国なのは間違いない(このあたりの事情は、こちらの記事を参照)。自力で勝ち取った独立ではないから、ベトナムの様に、外国勢力を追い出して、血を流して勝ち取った独立ではないから、未だにアメリカや外国資本と協力関係にある支配階級がこの国を牛耳っている。確かに、フィリピンがボニファッシオの道を選んでいたのなら、この国の現在は違ったものになっていただろう。

実は、彼の大学生時代は、独裁者マルコスの時代とオーバーラップする。戒厳令が敷かれる中、彼はマルコス反対運動に参加し、投獄された経験もある。その後UPで政治学の教壇に立つも、教え子が政治家になり、出世するにしたがって汚職に手を染めてくのをみて、その世界にいるのが嫌になったらしい。リサールよりもボニファッシオを評価する彼の主張も学会では傍流で、あるいはそのあたりも、教授職を辞めた原因なのかもしれない。

「フィリピンの歴史のうち、75%は間違いだった」と断言する彼の目は、どこか寂しそうでもあるけれど、それでいて力強い。あくまで歴史には「正解」があるはずで、我々フィリピン人はそれを求め続けなければいけない。そう力強く語っているかのような目だ。

フィリピンの歴史の75%が間違いなら、翻って日本はどうなのか。

幕末・明治維新までの流れ、は間違いなく「正解」だったと思う。日露戦争も「正解」だろう。エラーを犯したのは、どこからだ? 満州事変? 日中戦争? 真珠湾攻撃?

戦後の奇跡的な復興を「正解」だとしても、90年代以降の失われた20年は明らかに「間違い」だろう。いけなかったのはどこからだ? 経世会の内紛をきっかけに始まった90年代の政局? 新自由主義に転換した小泉時代? 09年の政権交代と、それに続く民主党政権の混乱?
…。

Rollyは日本の歴史について、「間違いがあるとしても、せいぜい20%くらいじゃないのか?」と僕に言った。

彼が何を根拠に20%と言ったのかは知らないが、未来の日本人が過去を振り返ったときに、「2010年代前半が、日本の悪い意味での転機だった」と言われないようにしたい、と思う。



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4 件のコメント:

  1. 直ちゃん元気?とても素晴らしい人との出会いがあったんですね。
    歴史って難しいですよね。歴史にifなどはなく、ただあるのは事実のみ。だけど、その事実に対して、見る立場を変えると様々な解釈が可能になってしまう。
    日本の真珠湾攻撃、従軍慰安婦も我々日本からの視点とアメリカや韓国などの相手からの視点によって解釈が全く異なったものになってしまう様に。。。。
    rollyさんは愛国者で、だからこそ彼の視点から見ると、誇れない部分の方が多いんだろうね。
    そこで、僕が、気になったのが、フィリピンの歴史が75%間違いというなら、残りの25%の正解はどういうところなのかな?
    それだけ厳しい目線で国を愛している人が正解と定義する25%そこに僕はとても惹かれます。そこが彼の愛国心の源泉であると勝手に妄想してしまうからですwww。
    もし、具体的なエピソードがあったらブログで取り上げていただけませんか?
    長々とすみません。。。。

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  2. ごめんね、名前がないので特定できないけど、モギセカ塾の関係者(もんちゃんかけんちゃん?)と仮定してコメント返します。こういう記事はあんまりページビュー上がらないんだけど、コメントありがとう笑

    残り25%に関してだけど、
    1.彼のパトリオッティズムの発露として「それでもフィリピンの歴史は、100%が間違いなわけじゃない」という彼の強い主観
    2.未来も含めた上での歴史。具体的にいえばフィリピンが今後英語力、BPO(Business Process Outsourcing)を通じた業務委託、資源・観光開発によって、将来フィリピンが近代国家になる可能性を込めた数字

    だというのが、彼と話した上での印象です。どちらにしても彼の主観によるところが大きいので、俺もそこに関してはあまり聞き出せてません。

    唯一彼が賞賛するフィリピンの歴史は、1986年のPeople's Power Revolution(EDSA革命)だね。Protestorたるフィリピン人の本領が発揮されたのはこの瞬間だ、っては言ってた。ただこれも、彼の反マルコス闘争って政治経歴からくる部分があることは否めないかな。

    また詳しくインタビューしてみます。

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  3. この場ではzonoと言っておきますw(わかるよね?)。個人の歴史認識についての文章をこれだけ解り易く書くのって結構凄いと思うよ。
    俺はこのrollyさんていう人に対してまず興味が湧いた。そんでもってこの人が愛するフィリピンという国の歴史にも興味が湧いたよ。
    だからこそ、残り25%が気になったんだ。
    続編期待してます。

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  4. Zono、ありがとう。俺もZonoのブログみてイスラエルって国に対して今とっても興味わいてる。

    続編、気を長くしてお待ちください笑

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