ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-08-04

プラッツの恩人

【承前】
アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-


でろんでろんに酔いつぶれた自分。酔いの勢いでその場の雰囲気を楽しんではいたが、さすがに帰りの電車の時間が気になりだした。ここから一番近い駅まで、歩いて30分はかかる。そろそろ、店を出なくてはならない。

しかし、相手のバレイチェクも相当に酔っ払っている。言葉もうまく通じないので、なかなか席を立つタイミングがつかめない。

そんなときに助けてくれたのが、ピーターだった。別の席で仲間と飲んでいた若い青年だったのだが、英語ができる彼は、自分とバレイチェクの間に通訳に入ってくれたのだ。

タイミングのいいことに、ピーターと彼の仲間たちももう店を出るらしい。ピーターは自分に「よかったら、うちに泊まらないか。外はまだ雪が降っているし、ここから駅まで歩くのは大変だろ?うちでゆっくりして、明日の朝電車に乗ればいい。うちはここからすぐ近くなんだ」と言ってくれた。

普段なら、さっき会ったばかりの人のお世話になるもの抵抗があるが、自分もシラフではないので、この申し出に飛びついた。この際、現地の人の親切に甘えてみよう、一期一会、現地人と触れ合えるいい機会だ。そう思って、バレイチェクと店主に別れを告げ、居酒屋を出た。

ピーターとその仲間たちは、みんな鉄のラケットを背負っていた。彼らはみんな、この地方のアイスホッケーチームだという。確かに、チェコやその隣国・スロヴァキアはアイスホッケーが盛んな国だ。見た目には、年はみな20代から30代に見える。スポーツマンらしい、好青年ばかりのグループだった。

プラッツの街を歩きながら、みなそれぞれが帰路につく。やがて、ピーターと2人になり、彼の家の方角へと歩いた。


「トヨタは、プラッツの街に一体何をしに来たんだい?」
「西洋史を勉強しているんだけど、ナポレオンに興味があって。アウステルリッツの古戦場を見に来たんだ。昼にスラフコフの博物館を見学して、そこのスタッフにプラッツに記念碑があるって聞いたから、ここまで歩いてきたんだ」
「スラフコフから歩いてきた?パワフルだなぁ…。バスに乗ればよかったのに」
「ちょうどいい時間のバスがなかったんだよ。貧乏旅行であんまりお金も使いたくないし、せっかくだから、歩いてみようと思って。でも、途中から雪になったのはさすがに辛かったけどね」
「そもそも、僕はこの町で日本人を見ること自体珍しいよ(笑)」


ピーターはだいぶ若くみえたが、話してみると、奥さんと、息子も一人いるらしい。加えて、母親と4人でこのプラッツの街に住んでいるという。本当に親切な性格で、自分がうまく英語を聞き取れないと、易しい言葉でゆっくり言い直してくれる。酔ってハイテンションになってはいるが、相手も真剣に話をしてくれるので、冷静に話そうと努めた。

「旅行中っていってたけど、いつからヨーロッパに来たんだい?」
「11月の頭に、ウィーンから旅を始めたんだ。チェコに入ったのは、1週間前くらいからかな」
「チェコはどうだい?トヨタはこのプラッツに来る前は、どこにいたんだ?」
「昨日はブルノの街を歩いていたんだ。その前は、世界遺産の街、チェスキー・クロムノフから来た。」
「クロムノフか。有名な観光地だ。あっちは、もう雪は降ってたかい?」
「クロムノフには2泊したんだ。最初はきれいに晴れていたけど、最終日の夜に雪が降ってね、晴れのクロムノフと、雪景色のクロムノフ、両方堪能できてラッキーだったよ」
「プラッツじゃ、この時期は雪ばっかりだ。それにしても、スラフコフ・ウ・ブルナからよくここまで歩いてきたなぁ」
「そりゃあ疲れたよ。でも、アウステルリッツの戦場を体験できてよかった」


彼が英語を喋れるのは、元々イギリス人で帰化したからだったか、チェコ人ではあるけれど、イギリスに留学経験があるからだったかだったと思う。説明を受けたのだけれども、酔っていたせいもあってはっきり思い出せない。彼の奥さんの名前はシルビア、息子の名は、トーマスという。全部英国系の名前なので、前者かもしれない。プラッツの街を少し歩いて、彼の家に着いたのは、22時半くらいだった。彼の家族はもう寝ていたが、ピーターと少し飲みながら話をしたあと、案内された部屋で眠りについた。すぐに眠ることができた。なにせ、歩き続けた疲れに加え、酔い疲れが溜まっている。
翌朝は、ピーターに起こされて目覚めた。


「トヨタ、もう朝だ。朝食を食べよう。こっちだ」
食事をする部屋に着くと、朝食を用意する奥さんのシルビアがいた。昨日は顔を見ることが出来なかったので、挨拶をする。
「いきなり泊めてもらうことになって、本当に感謝してます。朝食まで用意してくれて、本当にありがとう」
「いいえ、気にしないで。夫の友人を家に招くことは、私にとってもうれしいことよ。プラッツにようこそ、トヨタ」


シルビアも、とても親切な人だった。突然泊めてもらうことになったわけのわからない外国人を、嫌な顔一つすることなく、暖かく迎えてくれる。

シルビアに挨拶していると、車の模型が自分の足元に近付いてきた。ミニカーが来た方向をみると、小さい男の子が立っている。息子のトーマスだ。愛称は、トミー。
「トミー、彼はトヨタ。お父さんの大切な友人なんだ」
「よろしく、トミー。車が好きなんだね」
トミーはまだ小さく、はっきり言葉を喋られる年ではなかった。最初は見慣れぬ日本人の顔に戸惑ってはいたが、たまにみせてくれる笑顔はとても可愛かった。

このような一家団欒の食事は、久し振りだった。基本的に一人で旅をしているので、朝はいつも宿の食堂で一人で済ませる。飯を一緒に食べる相手がいたのは、韓国人の李眞煕と一緒にいたときだけだ。

「口にあうかしら」
「とってもおいしいよ。貧乏旅行だし、朝からこんなに満足に食べられること自体、珍しいから」
「遠慮せずに、どんどん食べてね」
「トヨタは今日これから、どうするんだい?」
「実は、夜に日本人の友達とプラハで会う約束があるんだ。だから、一度ブルノまで戻って、プラハ行の電車に乗らなくちゃいけない」
「じゃあ、車で駅まで送っていくよ。時間に余裕はあるかい?」
「時刻表だと、昼ごろにブルノを出れば間に合うみたい」
「切符はもう、買ってあるのか?」
「旅行用に、ヨーロッパの路線乗り放題の切符があるんだ」
「出発まで結構時間があるな…よかったら、少しこの辺をドライブしないか?トヨタはナポレオンに興味があってプラッツまで来たんだろ?このあたりには、昨日トヨタが行った平和記念碑のほかにも、いくつかのモニュメントがあるんだ。」
「本当に?是非ともお願いしたいな!」

先日博物館で、スラフコウ・ウ・ブルナ周辺の戦跡地図をもらったが、とても歩いて全部回ることはできないと思った。それで、このプラッツの街の平和記念碑だけに目標を絞ってここまで歩いてきたのだが、現地の人が車で案内してくれるとは、心強い。心底、ピーター一家の親切に感謝した。
朝食を済ませた後、ピーター一家3人と自分を乗せて、車は街へ出た。途中、小さな町でシルビアが買い物に車を降り、別れを告げる。

「さぁ、いまから、トヨタをとっておきの場所に案内しよう。あと10分くらいだ」
しばらくして車がつくと、そこは平原にぽつんと顔を出した高台だった。一番高い所に、記念碑らしき石がある。
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(▲真ん中にはナポレオンの頭文字「N」)
「ここは、戦いのときにナポレオンが陣取った場所なんだ」
「本当だ。記念碑に布陣図が載ってる」
「これだと、ロシア軍があっち、オーストラリア軍がの方角だな、あそこに見える小さな村が、プラッツだ」
「見晴らしがいい、絶好の場所だね。あたりの景色が360度ひらけて見える」
「そうだろ?実は…ここは、シルビアと一番初めにデートしたところなんだよ」
思わぬ情報がとびこんできた。
「じゃあ、思い出の場所じゃないか」
「まぁ、邪魔がいない時にでも、また二人っきりで来るさ」
「夫婦仲が良くて、うらやましいよ。トミーも良い両親を持って幸せだね」
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(「見えるかい?トミー、あれがおうちのあるプラッツの町だ」「え、どこどこ?」)

この後もいくつかのモニュメントを案内され、もういっそのこと、ということでブルノの駅まで送ってくれた。車を降り、ピーターとトーマスに別れを告げる。

「トヨタ、もしまたプラッツに来ることがあれば、いつでも連絡してくれ。あと、これ。君にプレゼントだ」
ピーターはそう言って、プラッツの街が写ったポストカードと、有名な『モルダウ』などチェコのクラシック音楽が入ったCDをくれた。至れり尽くせりだとはまさにこのことだ。
「ピーター、本当にいろいろありがとう。あなたのことは絶対に忘れない。ピーターに会ったおかげで、チェコが大好きになった。トーマス、お父さんみたいな、いい男になるんだよ」
「ははは。そう言ってくれると、僕もうれしいね。じゃあ、気を付けて」
「さようなら」

ピーターと一緒にいた間、何度「ありがとう」を言ったかわからない。彼とその一家は、本当に親切だった。寝る前に一度、宗教の話をしたのを覚えている。日本人の宗教観に興味を持っていたようだが、逆にこっちが彼の宗教について聞き返すと、彼が本当に経験なクリスチャンであることが伝わってきた。

ピーターは、自分が「ありがとう」を言うたびに、決まってこう返してくる。
”No problem. It’s my pleasure”
人に親切にすることが、彼にとっての自然体なのだ。自然体で、親切ができる。掛け値なしで、本当に素晴らしい人だと思う。

ひとりで旅をしていると、人に親切にされることのありがたさが、普段以上に敏感に感じられる。現地人の優しさ、バックパッカー同士の助け合いなどに触れるたび、この旅が、沢山の親切に支えられていることに気付く。

宿や朝食を恵んでもらったこと、車でアウステルリッツの古戦場を案内してくれたこともそうだけれども、現地人の深い優しさに触れることができて、自分は本当にいい旅をしたなと思った。


乗り込んだ電車はブルノを出て、チェコの首都・プラハへと向かう。プラッツの街では、今日もピーター一家が笑顔で暮らしているはずだ。
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2008-06-29

すきっ腹にウォッカを少々

【承前】 アウステルリッツ前編 -チェコ遭難-

疲れた足取りでプラッツの街へと戻る。もう21時を回っていた。雪も降っているし、当然街を歩く人影は見えない。とりあえず何かを食べたかったが、民家ばかりで食堂らしき建物は見当たらない。
ようやく、それらしい看板のたった建物を見つけた。他には見当たらない。とにかくおなかが減っていたので、そこへ入ることにした。

入ってみると、そこは食堂ではなく、居酒屋だった。カウンターに店主とビールのサーバーやグラスが並び、テーブルにいくつかのグループが座っていた。メニューを見ても、食事らしきものはない。唯一、酒のつまみなのか、カウンターにポテトチップスが並んでいた。

この際、腹にたまれば何でも良かったので、ポテチを頼むことにした。居酒屋でポテチだけというのもアレなので、ビールを一杯頼む。疲れた体にビールはとても美味しくて大口で飲んだが、こんなすきっ腹で一気に飲んだら酔いが回ってしまうと思って、ゆっくり飲むことにした。


重いバックパックを下ろしてテーブルに座ると、入り口付近に体格の良い帽子をかぶった男と、背の高い細い男が二人、座っていた。こっちをもの珍しそうに見ている。それもそうだろう。見慣れぬ黄色人種が、こんな雪の夜に大きなバックを背負って一人でやってきたのだ。

目が合ったので、挨拶してみると、二人は自分のほうに擦り寄ってきた。既に酔っていたようで、高いテンションで話しかけられたが、チェコ語はわからない。英語はどうだろうと思って話しかけてみても、通じない。

自然と、会話はジェスチャー頼りになる。よって、以降の会話は、なんとなくこういっているんだろう、という自分の想像である。たぶん、正確ではない。

大きいほうの男が、「これでもどうだ」と小さなショットグラスを差し出してきた。

においからして、ウォッカだ。ジェスチャーからみて、これでも飲んで体を温めろということらしい。たぶん、コートに雪が張り付き凍っていたのをを見て、気を使ってくれたのだと思う。ショットグラスで出されたということは一気に飲み干すのが礼儀なのだろうか?たぶんここでイッキ飲みをしたら、相当酔いが回るだろうなとは思ったが、せっかくの気遣いなので、応じることにした。

「どうだ、体が暖かくなっただろう?」
「うん、こりゃきくね」
「お前、なかなか良い飲みっぷりだな。マスター、同じものをもう一杯頼む。あと、俺の分も」
マスターに同じものを注文するしぐさを見て、「いかん」と思ったが、言いたいことが上手く伝わらない。
「いいか、こうやるんだ」
大柄の男はショットグラスを持った手のひじを上げ、自分に真似をする様に促した。どうも、チェコ式の乾杯の様だ。2人で飲み干すと、その後で握手をし、抱き合って、お互いの耳元でキスを鳴らす。
小さなグラスだったが、2杯だけでだいぶ喉が熱くなった。後で何かで読んだのだが、チェコのウォッカは、ロシアのものよりも強いらしい。いつの間にか、というかあっという間に酔いが回ってきた。自分は基本的に笑い上戸なので、酔うとなんでも楽しくなってきてしまう。言葉もろくに通じなかったが、現地人との会話は楽しかった。

大柄の男は名をバレイチェクと言うらしい。年は50代くらいに見えた。たぶんこのプラッツの人間なら、ナポレオンの名前を出せば話のタネになると思って現地の発音風に「ナプーレァ、ナプーレァ」と連発してみると、どうも通じたみたいで、彼がなにやら語り出した。内容はわからないが。

酔って上機嫌になった彼は、どんどんウォッカを頼みだした。そしてまた例の乾杯をする。これの繰り返し。楽しかったが、すきっ腹にこのウォッカの畳み掛けはきつかった。テーブルに伝票が置いてあり、何かを注文するごとに、マスターがそこへチェックを入れるのだが、ウォッカを頼むごとにチェックされるのはバレイチェクの伝票だった。おごってもらっていることになるので、断るのも失礼だ。腹を満たすためにここへきたのに、腹は満ちずに、酔いだけ回っていく。

言葉がお互いに通じないので、バレイチェクは歌を歌いだした。細い男とマスターも加わって、合唱が始まる。何度も何度も同じ歌を歌い、遂には自分も一緒に歌ったので、この歌は今でも歌える。自分も言葉に頼らない何らかの方法でコミュニケーションをとろうとして、自分の旅ノートをみせた。そこには、メモのほかに、自分の描いた絵があったからだ。絵なら、言葉がわからなくても解る。
バレイチェクは喜んでくれたが、一番面白がっていたのは自分で鏡を見ながら書いた自画像だった。
「お前、なかなか上手だな。お前の顔にそっくりだ。なぁ、俺の似顔絵も描いてくれよ」
妙な展開になってしまったが、酒をおごられた恩もあるので、バレイチェクの似顔絵を書いてあげることにした。西洋人の顔は書きなれていないのでなかなか苦労したが、出来上がったものをみせると彼はそれをいたく気に入ったらしく、マスターにその絵を壁に張るように言った。
というわけで、この居酒屋にはもしかしたら、今でも自分が書いたバレイチェクの似顔絵が飾ってあるかもしれない(笑) 確か、絵に日付とToyotaというサインを入れたので、プラッツの街に行く人がいたら(いるのか?)是非ご覧になっていただきたい。

何杯飲んだか正確に覚えてはいないが、相当きつかった。視界がおぼろげになって、完全に酔った。正直にいうと、トイレに行って何回か吐いている。自分は酒は好きだが、すきっ腹にウォッカのイッキ飲みを重ねて平然としていられるほど強くはない。たぶん、吐かなかったら完全に潰れていたと思う。大学のサークルのおかげで吐くのに慣れていたことに、心底感謝した。

欧州放浪の旅では何度も酒を飲んだが、吐くまで飲んだのは、唯一この日だけだ。アウステルリッツの大地を果てしなく歩いた後で、へとへとに疲れた体でこんなに泥酔するハメに陥るとは、考えてもいなかった。日本でも、ここまで酔いが回ったことはないかもしれない。もしかしたら、この日は人生で一番胃を痛めつけた日かもしれないのだ。

それにしても、最終電車はここから30分くらい歩いた駅から23時頃に出る。そろそろ店を出ないとまずいと思ったが、正直、この状態でまた雪の中を歩く自信はない。第一、バレイチェクのテンションが高く、容易に返してはくれそうにない。自分の悪いクセなのだが、酔うと楽しくなって、もうどうでも良くなってしまうというか、その場の勢いで物事を済ませてしまうところがある。帰る宿のことは考えずに、しばらく飲み続けた。・・・one shot と、vomit を繰り返しながら。

【続く】 アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-

2008-06-17

チェコ遭難

07年11月15日のこと。
チェコの、スラフコフ・ウ・ブルナ Slavkov u Brnaという町を歩いていた。ドイツ名、アウステルリッツ Austerlitz。「三帝会戦」の名で有名な、ナポレオン戦争の大一番。欧州大陸の覇権を巡る、ヨーロッパ版・関ヶ原の戦いの舞台である。
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(▲スラフコフ宮殿。現在は博物館。アウステルリッツ関連の展示も盛り沢山)

夕方まで博物館を見学した自分は、学芸員の人から「少し歩いたプラッツ Prace という町に、戦いの記念碑がある」と聞いて、それを目指して歩いていた。周囲の景色は、山と地平線が全て。バスは2時間に一本レベルの、田舎の町。かといって、タクシーを使うほどの贅沢はできない。旅費節約の為に、今日は宿提供の朝食しか食べていない。半分だけ食べて、残りは袋に入れて、明日の朝食にしようと思っていた。そんな貧乏旅行。

…歩けど歩けど、なかなか着かない。

2時間歩いて気付いた。旅行の定番・「すぐそこ現象」だ。地元人の「すぐそこ」と、strangerの「すぐそこ」は全然違う。チェコ・モラビア地方の田舎で暮らす人と、世界有数の東京都市圏に住む人間の「すぐそこ」も、全く違う。

着かない。


雪が降り出し、それはやがて吹雪へと姿を変える。街道沿いを歩いていたので、ヒッチハイクをしようと思ったが、車なんて1時間に1台通るかどうかが関の山。ようやくすれ違った車は、吹雪に隠れた自分の姿を見つけられずに、遠くへと去っていった。

歩くしかない。

が、約30キロあるバックパックを背負って、肩は限界。泥と雪の道を歩き続けて、足もふらついてきた。吹雪に吹き付けられて、体中がかじかむ。なによりも、空腹が耐え難い。

半分残していた、食料の存在を思い出した。バックパックに手を伸ばす。

…ない。

たぶん、さっきバックパックに防水カバーをかけたときだ。吹雪で手元の視界すらかすんでいた。不幸中の幸い。かろうじて、1つのりんごが難を逃れ、バックに残っていた。芯までかぶりつくくらいに、残さず口に入れる。この際、腹を満たせるものなら何だってかまわない。

それでも、まだ目的地は見えない。休めば楽になれるのだろうが、生存本能がその判断に「NO」と
いう答えを突きつける。この疲労と寒さの中で休んだら、本当の意味で「楽」になりかねない。それくらい、強い吹雪に体は弱められていた。落とすくらいならきちんと朝食を摂っておくべきだったが、今更どうしようもない。歩くしかない。

思えば、200年前にこの地で戦った兵士達も、この様な感覚を味わったのだろう。パリを出発し、アルプスを迂回してイタリア・オーストリアでの連戦の果てに、この大地を同じように歩いた。車も鉄道も発明されてない時代、使える移動手段は、士官や騎兵でもない限り、唯一自分の足だけ。

背嚢(=バックパック) を背負い、空腹に耐えて歩く兵士達。自分の境遇と重なる。補給も送れ、以前の戦場で負傷した兵士も多かったことだろう。五体満足で歩いていられるだけ、自分は恵まれているといえる。これだけの思いをして、やっとたどり着いた決戦の場で、たった一発の銃弾と、たった一本のサーベルが、簡単すぎるくらいに、あっさりと人の命を奪ってゆく。これが戦争なのだ。前線から離れ、戦略地図とにらみ合うだけの高級参謀とは、違う世界。何億もの屍を土台として、歴史は積み重なってゆく。そんな当たり前の事実を、今になってやっと思い出した。
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そんなことを考えながらさらに1時間歩いて、心に希望がわいてきた。地平線の果てに、うっすらと光が見える。たぶんあれが、記念碑のある町・プラッツだろう。もう何も考える必要はない。機械の様に命令を実行する兵士の如く、ただ前に、足を動かせばいい。ただそれだけだ。そう考えると、少し気が楽になった。

さらに2時間と少し歩いて、やっと目的地についた。吹雪で記念碑の全体像は見えないが、ともかくもここが、アウステルリッツの戦いの主戦場・プラッツ(旧プラッツェン高地)だ。きっとこの下にも、数多くの死体が埋まっているのだろう。
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プラッツの高台からは、歩いてきた道が、雪にさえぎられながらも、うっすらと道路沿いの街頭で確認できた。これだけの距離を歩いたことに、自分で驚く。少なくとも、地平線よりも向こうから、自分は歩いてきた。人の生存本能は、なかなか侮れない。

ようやくたどり着いた目的地。眠くならないように注意しながら、頭の中で200年前の戦いを再現する。実際の戦いは、12月02日。今日は11月15日。近い。200年前の兵士達も味わったであろう、この吹雪を体験したことは、無駄ではなかったような、そんな気持ちになれた。

歴史は文章で勉強するものではない。体で学んでナンボだ。静かな興奮で忘れていた、空腹の限界に気付く。地図を確認すると、ここからなら、約2キロ歩けば駅がある。その前に、何か食べよう。もう限界だ。

そう思って、プラッツの町に向かうことにした。「町」という表現ですら大げさに感じられる、「集落」といった規模の場所だが、こんな所でも、食堂のひとつくらいはあるだろう。メニューには何があるだろう。まずはグラーシュスープで体を温めよう。

そんな想像をしながら、早足でプラッツの町へと向かう。…その判断は間違いだったことは、まだ知る由もなく。

【続く】
アウステルリッツ中編 -すきっ腹にウオトカを少々-
アウステルリッツ後編 -プラッツの恩人-