ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-12-06

宗忠神社

すいません。ブログの更新をだいぶ怠っておりました。11月は紅葉シーズンでいろいろとめぐってたんですが、はやくブログが実際の旅においつくように頑張ります。さて、まる1ヵ月空いてしまいましたけど、前回、吉田山の続きから。吉田神社のすぐ近くにある、宗忠神社です。

なにげなく入った神社で、はじめはほぼ素通りだったんですが、掃除をしていた神主さんにいろいろと教えてもらえたので楽しめました。

■黒住教


宗忠神社は、神道の一派である黒住教の改組・黒住宗忠を祀る神社です。黒住教は幕末に起こった新宗教で、金光教・天理教とともに幕末三大新宗教のひとつに数えられます。

朝日を拝む「日拝」を重んじ、これは黒住宗忠が太陽神である天照大神と一体になる体験をしたことから始まっています。というわけで、この黒住教においては、天照大神と黒住宗忠は同格として扱われているらしく、それはこの宗忠神社の構造にも顕著にあらわれています。

写真下をみていただければわかるように、この神社には本殿が並立して二つあるのです。一方では天照大神、もう一方では黒住宗忠を祀っています。



天照大神との一体化を体験した後、布教を開始した宗忠に帰依する公家や皇室の関係者は多く、宗忠の死後、1862年にこの宗忠神社が創建されました。おとなりの吉田神社とのゆかりも深く、この神社は宗忠の門人が吉田神社から土地の一部を譲り受けてたてたもの。幕末の孝明天皇も宗忠に帰依し、孝明天皇の勅願所ともなりました。



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2011-11-06

吉田山 / 吉田神社

京都の東の小高い山・吉田山にのぼってきました。京都大学の裏手、豊かな自然が残っている地区です。一帯は吉田山公園として整備されていて、ピクニックスポットとしても楽しめます。
木組みの階段で頂上まで登れます。
頂上は約100メートル。けっこうしんどい…。
一服できる休憩所も。
この日は連休だったためか、かなりのお客さんが。
向かいの「大文字」が見える開けた場所も。
■吉田神社

吉田山のふもとにあるのが、吉田神社。15世紀に吉田兼倶が創始した吉田神道(卜部神道・唯一神道)の拠点として栄えました。吉田神道は、神道をベースに、密教・儒教・道教・陰陽道などのありとあらゆる思想がミックスされた教えです。


兼倶のたてた斎場所大元宮(さいじょうしょ だいげんぐう)には、全国の神々が祀られているため、ここを参拝すれば、全国の神社を参拝したのと同じ効果が得られるそうです。なんてハイブリットな神社なんだ…。

神社の神職は代々吉田家によって受け継がれ、明治時代まで全国の神職の任命権を握っていたため、大いに栄えました。

写真右は、幽斎桜と呼ばれる桜。細川幽斎にゆかりのある桜です。

戦国武将で、学者としても有名な細川藤孝(幽斎)はこの吉田家と血縁関係があり、丹後の城主となったあとも、この吉田山の桜を持ち帰って愛でたそうです。この桜は、その苗木を移植したもので、いわば吉田山に里帰りしてきたもの。

写真左上が本殿。これはあれですね。万城目学の『鴨川ホルモー』で「代がわりの儀」がおこなわれた場所ですね。

にぎやかな音がするなー、と思ったら、
この日はちょうどお祭り(神幸祭)だったみたいです。
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2011-11-04

『京都慕情』

はい、10月のMelody of the month です。京都に来たってことで、京都ゆかりの曲を聞いてみました。ベンチャーズ『京都慕情』

原題は”Reflections In A Palace Lake”  親日家としても知られるベンチャーズが京都滞在中に作曲した曲です。高校生のとき、友人に借りたベンチャーズのアルバムに収録されてたんですが、やっぱり京都にきてから聞くと、また違った印象で聞こえてきますね。



で、知らなかったんですけど、渚ゆう子が、この曲に歌詞をつけて歌っているみたいです。


個人的には歌謡曲っぽさが雰囲気を壊している気がして、原曲の方が好きですけど、「黄昏の河原町」とか「夕焼けの高瀬川」とか、こっちに来た今では情景が想像できて親しみもわきますね。

10月はこれをずっとヘビーローテーション。耳からも京都を堪能してます。


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2011-11-03

世界で使える言語まとめ

フィリピンで英語留学を経験し、10月末のTOEICをうけ、現在国内ワーホリ的な生活をしながら、同じ宿に住んでいる住人たちのおかげで英会話の練習環境には不自由せず。ってことで、英語の勉強は一つ山を超えた気がする(と勝手に納得した)ので、第2外国語の勉強をはじめようかと考えています。んでもって現在、何語を勉強しようかと、マジメに熟考中です。

どっか特定の国に移住するわけではないので、前提として世界でバックパッキングするにあたって汎用性の高い言語が候補。というわけで、世界で広く使われている言語について調べてみました。

…ちなみに、学生時代にやってたフランス語ですが、完全にアウト・オブ・眼中。フランスにいたときも”Bonjour” と ”pardon” しか話しませんでしたし笑、いざとなったら”Je ne parle pas français”(フランス語は話せません)で逃げれば万事OKです。

■英語

その前に、日本人にとっての第1外国語・英語ですが、やっぱ汎用性は圧倒的No.1ですね。母語としての話者はイギリス・アメリカ・オーストラリア・カナダを中心に約5億人だそうですが、第2言語としての言語人口は20億人近いみたいです。世界人口60億の1/3。最近は第2言語として少し簡略化されたGlobishなる概念も浸透し、今後話者はもっと増えていくかと予想されます。



旅する上での言語としては、圧倒的に便利ですし、今や世界中の情報が英語のネット圏に集まるので、読めるだけでもかなり心強い。

■スペイン語
スペイン語を公用語とする国々(黄色)

バックパッカーで第2外国語といえば、まずはやっぱりスペイン語ですかね。南米を中心に話される地域は広く、英語よりスペイン語のほうが上手なバックパッカーにも何人か出会いました。母語としての話者人口は、4億2000万人

利点としては、英語と同じインド・ヨーロッパ系の言語なので、英語との共通点が比較的多いこと。読み書きに使われるのもアルファベットなので、文字を新しく覚える必要がないこともアドバンテージ。

格安で勉強できるフィリピン英語留学のスペイン語版・グアテマラ留学ってのもバッパーの間ではトレンドみたいですし、やっぱりスペイン語のできるバッパーはなんとなく古参な感じがしてかっこいい。

ただ、個人的にはあまり南米旅行のプライオリティが高いわけではなく、行きたい地域としては後述のユーラシア大陸がメインなのが、悩みどころ。まぁ、行ったら行ったでどうせ病みつきになっちゃうんでしょうけど、いまのところ優先度は高くありません。

■中国語
方言が多いのも中国語の特徴
(Wikipediaより)

母語としての話者人口圧倒的No.1、13億人を誇る中国語。その影響力の拡大とともに、今後日本および世界で急速に需要が高まっていく言語だと思われます。たぶん、旅よりもビジネスでの活用を前提に勉強する人のほうが多いでしょうね。この先日本で何があっても、英語と中国語ができれば間違いなく生きていけるだろう…。

また、日本語とは字体がすこし異なるとはいえ、使われているのは同じ漢字というのもメリットです。僕は中国語の勉強をしたことはないですが、知人いわく「中国語は日本人にとって、勉強時間に比例して順調に伸びる言語だと思う」とのこと。

ただ、話者はほとんどが中国本土で、他に公用語となっているのは台湾・シンガポールくらい。チャイナタウンは世界中にありますが、どの程度汎用性があるのかは未知数。

個人的には、近くに台湾人がけっこう住んでて、気軽にたずね、練習相手になってもらえる環境があるので、ちょっと中国語に傾きかけています。
アラビア語が唯一の公用語の国(緑)
アラビア語が公用語のうちの一つの国(青)
(Wikipediaより)

■アラビア語

おそらく、日本人にとってはいちばん馴染みのうすいであろう言語。文字も全く読めないし、右から左に書く繋がった字も、「どうやって書くの?」って印象。使う数字もアラビック数字ではないので、ぼったくられやすいバックパッカー泣かせの言語圏ではあります。

一方、母語としての話者人口は2億3000万人におよび、地域としては、中東から北アフリカ一体のかなり広大な地域に及びます。汎用性はそれなりに高そう。

ただ、あんまりアラビア語を勉強してる、って人の存在は聞きませんし、日本でも参考書はあんまり見かけないですね。個人的には、イランを中心とする西アジア世界に憧れがあり、イランから中東諸国にかけてを旅するのが夢なのですが、肝心のイランはアラビア語ではなくてペルシア語なんですね。これでイランがアラビア語だったら、飛びついているとは思うんですが…。

友人が一人勉強中なので、彼にいろいろ聴きながら様子を見ようかと思います。

■ロシア語

世界一面積の広い国・ロシアで話される言語です。ロシアの人口は1億4000万人ですが、その歴史的経緯からバルト3国や「~スタン」の国々が密集する中央アジアではだいぶ通じるみたいです。全部まとめると、話者は2億6000万人にのぼるとのこと。

中央アジアもかなり旅したい地域ではあるので魅力的なんですが、この地域では英語もそれなりに通じると聞いたこともあり(不確定情報)、個人的には優先度はあまり高くありません。…というか、下手にロシア語なんか喋れたもんなら、ウォッカのシャワーを浴びそうで怖い。


というわけで、かなり迷ってるんですが、このままだと中国語に流れていきそうな気がする…。

調べてみて驚いたのは、日本語の話者1億2000万人ってのは、世界的にみるとかなり多いほうで、世界で9番目にランクしていたことです。主に日本でしか話されていないのはネックですが、日本文化の浸透とともに、「Cawaii」「Mottainai」など、世界で通じる日本語も増えていますし、今後もそれが増え続けてくれれば、日本人としては楽な限りです。



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2011-11-02

「池田屋」で飲んできた

昨日に続いて新撰組ゆかりの地になります。

治安警察である新撰組の名を一気にとどろかせたのが、1864年の池田屋事件です。討幕派の志士たちが密会していた京都の池田屋を、新撰組が襲撃。このとき闘死、もしくは逮捕された面々たるや錚々たるもので、これ以後、新撰組は討幕派の最大の敵として立ちふさがるのです。

で、その事件現場の池田屋なんですが、その後は廃業し、跡地は旅館になったりパチンコになったり、紆余曲折を経て、現在は居酒屋チェーン・華の舞の系列店として営業を開始。幕末のころの池田屋よろしく、飲食処となりました。オープンしたのは比較的最近の2009年。おもいっきり、昨今の歴史ブームにのっかってますね(笑)

前から気になってたんですが、フィリピン時代の友人と飲むことになりまして「あんなのあるよー」って言ってみたら「じゃあ」てことで、池田屋で飲むことに。


ドラマなんかの池田屋襲撃のシーンでは
必ずでてくる、例の大階段も完全再現
ゆかりの品もいろいろと展示されてます。
で、メニューのほうですが、一般的な居酒屋チェーンとあまり変わりありません。和民とか笑笑とか、そんな感じのラインナップです。

目を引くのは、新撰組隊士をそれぞれイメージしたカクテル。ノンアルコールのカクテルも充実してます(写真右、クリックで拡大)。このアニメ絵で美化されたイラストといい、たぶんいわゆる「歴女」をターゲットにしているんでしょうね。

左は、トイレに立てかけてあった「局中法度」。新撰組の軍法です。白木屋のトイレにはってある「親父の小言」みたいなノリでくっついてます。でも逆らったら切腹です。

歴史好きの間では、こういうの結構好き嫌い分かれるかもしれないですね。コアなファンは、こういうの逆に嫌がるかもしれませんけれども、僕は普通に面白かったです。一回、話のタネに言ってみる価値はあると思います。

店員さんが、新撰組のシンボル、あさぎ色の羽織を着ながら働いていまして、「ちょっと写真とらせてもらってもいいですか?」って聞いてみると「いえ、むしろお貸しするんでどうぞお客さんとってください」ということで、記念に一枚。

こういう、歴史的な場所で、それをそっくりそのまま生かしたアミューズメントにするって発想は面白いですね。江戸城跡で「大奥」って名前のキャバクラをやるとかね(皇居でんなもん無理に決まってます)。

詳しいメニュー・地図・クーポンなどはこちらからどうぞ
海鮮茶屋 池田屋 花の舞


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2011-11-01

金戒光明寺

黒谷の金戒光明寺にいってきました。

■金戒光明寺縁起

金戒光明寺は、浄土宗の開祖・法然によって建てられたお寺です。もともとは比叡山で修行していた法然が教えを広めるために下山したとき、この地で何かを感じとり、草庵を建てたのがはじまりで、浄土宗最初の寺院でもあります。

奥に見えるのが、本堂である御影堂

熊谷直実 鎧掛けの松。源平の争乱時代の武将・熊谷直実が
法然と対峙して出家を決意。脱いだ鎧を掛けたと伝わる松。
また、現在の大河ドラマの主人公・お江にゆかりあるお寺でもあります。写真下は、お江とその息子・3大将軍家光の教育方針をめぐって激しい「女の戦い」を演じた春日局がお江の死後に立てた供養塔。また、春日局自身の供養塔もすぐ近くにあります。


国の重要文化財にも指定の三重塔
もともとはお江の夫・2代将軍秀忠の供養塔。
■会津藩と新撰組、城郭としての寺

ここ金戒光明寺の名前は、幕末史においてよく見受けられます。というのも、全国から浪人が集まり治安の悪化しだした京都の平和を維持すべく、京都守護職に任命された会津藩主・松平容保が陣を構えたのがここだからです。以後、反幕府活動をとりしまる会津藩兵の拠点として機能し、会津配下の新撰組にもゆかりがあります。

言われてみれば、「寺」には似つかわしくない立派な「城壁」が。
そもそもこの寺は、単純に「寺」というよりも「軍事拠点」としての機能が備わっています。土方歳三を主人公とした『燃えよ剣』に詳しい事情が書いてあるので、ちょっと引用してみます。
鉄鋲を打った城門のような門がそびえていた。会津本陣とはいえ、ありようは、浄土宗別格本山金戒光明寺である。が、寺院建築というよりも、丘陵を背負い城郭に似ている。似ているどころか、これにはわけがある。
江戸初期、徳川家は、万一京都に反乱のある場合を想定し、正式の城である二条城のほかに、二つの模擬城をつくった。それが、華頂山にある知恩院と、この黒谷の金戒光明寺である。当節、幕府にとって「万一のとき」がきている。そのため、会津松平藩を京に駐屯させた。本陣は模擬城である金戒光明寺である。徳川氏の先祖の知恵は、二百余年をへて、役立ったといえる。(『燃えよ剣』上巻、p200)


寺は一帯が小高い山に位置していて、頂上からは京都を一望できますし、上の写真のように「城壁」も備わっています。実際にいってみてわかりましたが、これは立派な砦ですね。また、祇園や東海道の終点・三条大橋も近く、立地にもおおきなアドバンテージがあったようです。

その縁から、幕末に殉職した会津藩士の墓もあります。お墓には、故郷・会津若松城(鶴ヶ城)の写真が添えられていました。

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2011-10-26

一乗寺下り松

近場を攻めようシリーズ、続きます。今回は「一乗寺の下り松


一見、ただの松の木なんですが、何で有名かといえば、剣豪・宮本武蔵と吉岡一門の決闘の舞台として知られています。漫画『バガボンド』でおなじみですね。吉岡の当主・清十郎、伝七郎兄弟をそれぞれ破った後、面子を潰された吉岡道場の一門が武蔵に決闘を挑んだというエピソード。

武蔵は吉岡一門70人を相手に生き残ったというすさまじい伝説で、どこまで信憑性があるかも定かではないみたいですが、一応、ここが舞台です。「宮本武蔵 開悟の地」という看板も。

また、この一乗寺は古くから比叡山より京都に降りるときに通る、交通の要衝です。もともとは松も、その目印として植えつがれているもので、現在4代目。南北朝の動乱の時代には、後醍醐天皇側の楠木正成がここに陣取ったということで、松の後ろにはその記念碑も立っています。
「大南公(※楠木正成のこと)戦陣蹟」
このときは正成が勝利しますが、対する足利尊氏は勢力を盛りかえし京都を奪回。正成は湊川の戦いで戦死し、後醍醐天皇は吉野へと逃れ、以後、南北朝の分裂が決定的となっていきます。

と、上記のように日本史上の有名な戦いの舞台となった一乗寺。現在「一乗寺」の近辺といえば、京都最大のラーメン激戦区として有名です。天下一品の本店もこの近くにあります。というわけで、激しい戦いは現在も続いているのでした…。

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2011-10-23

時代祭

京都3大祭りのひとつ、時代祭にいってきました。

本来、時代祭は桓武天皇が平安京に入った10月22日なんですが、昨日はあいにくの雨。延期されて今日23日に実施されました。葵祭・祇園祭とくらべるとその歴史は浅く、平安神宮が創建された1895年から続いています。

その様子は、各時代の有名な人物を模したパレードが、京都御所から平安神宮まで行進するというもの。さながら、大名行列です。僕らはスタート地点・京都御所の近く、烏丸通りで行列を見ました。

先陣をきる鼓笛隊は、山国隊。幕末に京都で結成された農民隊。初めて知りました。


以下、各時代の有名人・団体が並びます。






結構「誰だこれ?」ってのもいっぱいいた気がします。先日仲良くなったスウェーデン人たちと一緒に行ったのですが毎回誰が誰だか説明するのが、いい英語の勉強になりました。「明治維新」とか「織田信長」っていってもまだわからないので、いちから説明しなくてはいけない。いやー、直前にこれ読んでおいてほんとよかった(笑)



彼らに感想を聞いてみると、「メガネかけてる人が多いけど、あの時代、そんなものなかったはずだよね?」とのコメント。実にごもっともです(笑)

海外の人にとっては、日本のサムライコスプレが見れる面白いイベント。こういったお祭、ぜひ東京でもやってほしいですね。

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