■苫小牧上陸
9月5日。船内で起床。立ち上がってうまく歩けないのは、寝ぼけているせいなのか、船のゆれのせいなのか。12時の苫小牧入港予定時刻まで、船内のロビーやデッキに出て時間をつぶします。
今日も快晴なので、遠くの海まで見渡せます。
▲遠くに見える本州。おそらく、下北半島あたり。
▲洋上の休日。
写真に収めるのは失敗しましたが、たまに、海上に水しぶきが見えます。船員さんに聞くと、おそらくイルカだとのこと。
そして徐々に近づいてくる苫小牧港。
13:30、ついに北海道に上陸。ここから、バスを乗り継いで小樽を目指します。中継地・札幌では、大都会ぶりに驚きましたが、素通り。札幌には後でまた訪れます。
■小樽夜景散策
夕方、小樽に到着。駅前の宿をとって一休みしてから、夕食です。小樽は寿司でも有名ですが、なにせ祖父・自分・弟は食の好みがまったくかみ合わないので、どこで何を食べるかを決めるのも一苦労。結局、中華料理屋で、自分と弟はラーメン、祖父は天津飯という、どこにも小樽らしさのない夕食メニューに。まぁ、旨い中華料理屋だったので、それはそれでよかったのですが。
本日はほぼ移動だけの一日でしたが、それも悔しいので夕食がてら、小樽の夜景を散歩します。夕食を食べたアーケード街では、何かと榎本武揚の姿を目にします。
榎本武揚といえば、幕府軍の海軍副総帥(事実上はトップ)で、北海道まで転戦しつつ新政府軍に最後まで対抗した幕臣。最後の激戦地・函館でならわかるのですが、なぜ小樽で榎本? と思って調べてみると、この良港・小樽に目をつけて開発を進めたのは榎本なのだそうです。まったく知らなかった情報ですが、こういう風に、地理から見えてくる歴史ってありますよね。これも旅の醍醐味のひとつです。
→榎本武揚の軌跡たどる ゆかりの地マップ完成 後で知りましたが、こんなマップがあるなら、もらっておくべきだった…。
祖父はすぐに宿に戻りましたが、兄弟二人で夜景散策続行。駅前から伸びる中央通を下りつつ、有名な小樽の運河沿いに夜の町を散歩。地元の方が、ボランティアで夜景をバックに写真を取ってくれるサービスをやっていたので、取ってもらったのが下の写真。
やっぱり、街の中に水路があると景色が映えますし、歴史を感じさせます。
このまま埠頭公園のあたりまで散歩して宿まで戻りましたが、帰る途中で妙なものに出くわしました。街の中に、一本の線路がさりげなく敷かれているのですが、踏み切りもなく、また電車が通っている気配もありません。
しばらく疑問に思いつつ、線路沿いを兄弟でスタンド・バイ・ミーが如く歩いていると観光案内版がありました。実はこれ、実際に使われていた路線の遺構なんだそうです。その名も手宮線。港町の貨物線で、石炭や海産物の積み出しや、札幌への物資輸送に使われました。なんと北海道で敷かれた最初の路線であり、開通は1880年(明治13年)。古っ! 日本最初の鉄道、新橋-横浜間の開業が1872年ですから、そのわずか8年後。2番目の鉄道、神戸-大阪間に次いで日本で3番目に開業した路線でもあるそうです。こうしてみると、小樽が意外と早いうちから拓けた港町なんだということがわかります。さらに上記の路線すべてに共通することですが、日本の鉄道の歴史は、都市と都市の間の路線よりも、まず大都市と港町をつなぐ路線から始まったのですね。
散歩を終え、宿に戻った後は弟と二人で飲みました。このせいで翌日は大変なことになるのですが…。
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