ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2008-03-16

『野蛮人のテーブルマナー』

地元の友人から借りた本。また佐藤優。




プロの元外交官が明かす、情報・人脈術のテクニック。これは…。読むな!みんな読むなー!役に立つテクニック満載の本ですが、できるならこの内容を外に広げずに、自分が一人で独占したいです。というわけで、今回は内容に関してはあまり触れないでおきます(笑)

強いてあげるなら、第10回「アダルト・ビデオ業界に学ぶ組織論」が異色編でしょうか。TSUTAYAの18禁コーナーのお世話になっている男性陣はもとより、「AV嬢って憧れる」なんて豪語する女の子は、一度読んでおいたほうが良いと思われます。
一人の子を永久に生き残らせようとすると、永久に活きる細胞っていったら癌しかないんですから(中略)
個々のAV嬢には終わりをつけること。これは永遠に続くっていう、余人をもって代えがたいって感じを持つと癌細胞が生まれる。官僚の場合はそれが顕著で…(P75-76)
AV業界から組織論につなげちゃうあたり、佐藤優の分析力には本当に参りますね。要は、きちんと内部分子を循環させることが、組織を生き残らせるコツだってことでしょうか。政党でも学生のサークルでも、大御所やOBの顔が大きすぎると、上手く回らない。本書では和田ア●子が槍玉に上がってますが、07年の大連立構想における、ナ●ツネさんを思い出しますね。

…あぁそうか、だからお笑い芸人はあんな短期的なスパンで使い捨てされるのか。これも「お笑い界」という組織の新鮮さを保つための、論理に適った方法なんですね。え?…でもそんなの関係ねぇ!

前半部は雑誌『KING』での連載を11回分まとめたもの。後半は、鈴木宗男/河合洋一郎とのそれぞれ対談になってます。ページの割合的には、むしろこっちがメインかな?河合洋一郎との、映画『グッド・シェパード』の解説対談(この映画、早くDVDにならないかなぁ…)、あとがきの「佐藤優ブーム論」もなかなか説得力があって面白かったです。若干の暴露(?)もあって佐藤優の特異体質についても触れられています。改めて驚き。

2008-03-03

エリートの思考文法

【欧州人物観察記 李眞熙 後編】
前編:邂逅
後編:旅の恥はかきすて

前編・後編では、眞熙自身よりもむしろ、眞熙との出会いで影響を受けた、自分の変化にウエイトを置いて書いたので、そろそろ本格的に眞熙の人間分析を始めたいと思う。

眞熙は、人間観察をする上で、他の人間とは明らかに一線を画す「属性」を持っている。それは「エリート」であるということ。まず彼の大学だが、韓国の首都・ソウルのハンニャン大学という。

眞熙や、後であった他の韓国人の話から判断すると、日本でいう一橋大学あたりに相当するのだと思う。要は、「ちょっとアタリが悪くて東大にいけなかった」レベル。 韓国には徴兵制があるけれど、彼の所属部隊が派遣された地域も、他の韓国人は「あ、それ、エリート部隊のいくトコだね」と言っていた。

父親はドイツで建築の仕事をし、母親は昔フランスに住んでいたお嬢様。父親は今でもドイツで仕事をしていて、親に会いに行くのも、眞熙の旅の目的の一つだった。彼自身も英語は難なく話し、簡単なドイツ語・フランス語も話せる。

ステータス的には、こんな感じ(はぁ、思い出しながら書いてて嫌になってきた) 。

表向きのステータスに加えて、先に触れたように、眞熙には余りある行動力が備わっている。つまり、エリート育ちではあるが、ペーパーテストしかできない書斎派ではない。

 「血統がよく、一流の環境と教育を受けてはいるが、地は粗野でアクティヴ」というのは、古今東西、他人を引き付ける人間の典型の一つだ。


  • ロマノフ家の王子に生まれながら、自分で船の設計までこなした大男 ピョートル大帝
  • 英雄アウンサン将軍の娘に生まれながら、地道な民主化活動を続ける スーチー女史
  • 財閥の御曹司ながら、べらんめぇ口調でサブカルにも理解を示す 麻生太郎

…と、ここまで書くと大げさかもしれないが、眞熙も程度の差はあれ、間違いなくこの系列に属する人間だった。金の使い方も割と豪華で(儒教社会・韓国人の慣習もあるはずだが)、眞熙には何度かおごってもらった(ごっつぁんです)。

友人にも一流人が多く、フランスの3つ星レストランで働いているソムリエ、プロのカメラマン、Googleだかどっかで働くプログラマー etc...。それらの友人から教わったワイン、パソコンの知識、写真術はどれも凄いものだった。特に目立つ特技のないT田といて、眞熙はさぞ退屈だっただろう(あぁ、もう書いてて落ち込んできたわ…)。

そんな彼の目標は、「United Nations of Department Economic」国連の経済部門で働きたいのだそうだ。国連というと、人道主義・理想主義者の集まりというイメージがあるが、眞熙が興味あるのはそんなものではない。眞熙は純粋に、世界経済戦争のいちプレーヤーとして、ゲームに参加したがっている。そのための所属団体として、国連に魅力を感じているらしい。

国連を、世界最高の良心ととらえる人間も多いこの世の中、彼の国連観は、「世界に数多くある国際機関の一つに過ぎない」という認識だ。 一般人の思考文法とは、根本が違うのである。

歴史を勉強する上で、以前からエリート育ちの人間がどんなんだかには興味があった。まさか、ヨーロッパで韓国人のエリートと出会うとは思いもよらなかったけれど。 

さて、現在大学4年生で卒業も決定している彼は、08年の4月から、ドイツの銀行に勤務するらしい。

これからこの男が、世界でどんな活躍をするのか、今から楽しみだ。忙しくなるだろうけど、たまにはメール頂戴ね。




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2008-03-01

旅の恥はかき捨て

見慣れぬ食材でパスタソースを
つくる眞熙。お味の方は…
【欧州人物観察記 李眞熙 中編
承前 前編:邂逅

さて、その韓国人・李眞熙。

かなり打ち溶け合ってしまったので、翌日の道程もご一緒することになった。

初めは、次に行く町の方向が同じだったので、途中まで一緒の電車に乗るだけだったのだが、車内トークが盛り上がってしまったので、勢いで眞熙と同じ街に行くことにしてしまった(自分のよくあるパターン)。

眞熙とは2007年11月08日-13日まで一緒に行動し、リンツ、チェスキー・ボドヨビチェ、チェスキー・クルムノフを同行。いったん別れた後で17日にプラハでも再会したので、まる7日間、一週間ずっと一緒に過ごしたことになる。

7日間、大変だったのは、眞熙が無茶苦茶おしゃべり好きだったということ。とにかく、よくしゃべる。

「トヨタは静かな奴だな。もっと話してくれよ。退屈じゃないか」

いやいや、お前が喋りすぎなんだ。対象は自分だけではない。店の人、宿の係、駅員、相部屋になったバックパッカー etc...とにかく誰にでも話しかける。

正直、俺でもわかるくらい、文法が滅茶苦茶な英語を話すときもあるが、言葉数がそれをカバーするので、結局誰とでも意思の疎通をこなしてしまう。そして会話だけに限らず、何事にもアグレッシブだった。

「あの店に入ろう」 
「あの場所へいってみよう」
「じゃあ、あの人に聞いてみよう」

初めは、彼のペースに合わせるのがとてもしんどかった。

疲れる…。日本人はシャイな民族なんだ。高校の交換ホームステイのときも苦労したが、“アジアのイタリア人” コリアンとはメンタリティが違いすぎる…。

眞熙がみつけてきたプラハのジャズクラブ。正直、彼が
行こうって言わなかったら無縁な場所だった。
が。2、3日もしてくると、それが日常化してくるので、自分も眞熙をおちょくる意味でも、ジョークをいってみたり、積極的に街を歩くようになった。積極的に話しかけ、普段は入らないような店に入り、正しいのかも解らない英語を、とにかく口から出す。

それが、案外楽しいのである。思えば、一生に一度これるかこれないかの、遠い異国・チェコの街。どうせ思い出を作るなら、ブっ飛んだ体験をするに越したことは無い。眞熙と共に過ごせる時間も、無限ではない。

沢山話して、自分という人間を、相手に強く印象付けたい。そのうち、日本には「旅の恥はかき捨て」というなんとも便利なことわざがあったことを思い出した。

恥ずかしいのも、今だけ。どうせなら、何もしないで諦めるよりも、何かアクションをしてから落ち込もう。そう考えているうちに、いつの間にか自分の旅のスタイルができあがっていた。眞熙に作ってもらったとも、言えるかもしれない。

あの3ヶ月間、自分の血液型は完全にB型だった。本来の血液型(AB型)の半分であるB型が、もう一方のB型を完全に圧倒していた。

やると決めたら、恥をかいてもやる。
解らないことがあれば、とにかく言葉を連発して誰かに尋ねる。
行くと決めたら、何十キロ歩こうが、とにかく行く

そんなスタイル。

実際にやってみると、旅の面白さが倍増する。そして何より、勉強になる。ガイドブックにも載っていないことが、自分の旅日記に、どんどん増えてゆく。今となっては『地球の歩き方』に投稿してやりたいネタが盛りだくさんな今日この頃だ。

後で気付いたのだが、眞熙のおしゃべり好きは、彼の性格もさることながら、英会話の勉強だったのだ。英語を「話す」には、いくら難しい学術書が読めたって、「話す」訓練をしないと、上達しない。そういう意味で自分は、眞熙の練習台だった訳で、あまり話さない奴を「退屈」と思うのは当たり前の話でもあった。

ともあれ、自分の旅のスタイルに、眞熙が与えた影響はかなり大きい。

「旅の恥はかき捨て」

そんな言葉を思い出させてくれただけでも、眞熙には感謝だ。

後編:エリートの文法









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