その日、やっとのことでウィーンの引力から逃れた。欧州について早々、ウィーンで荷物の70%をロストした自分は、それから数日間、同市のまわりをふらついたり、物価の安いチェコで物資の補充をしていた。
正直、死に体だった。気分は沈みまくって、旅どころではない。 「このままでは」と、とりあえずウィーン都市圏を脱出するために、電車に乗った。
行き先は決めていない。なにせ、ガイドブックすらもっていない。
鉄道は、オーストリアの雪原・山岳地帯を走った。綺麗な景色が、少し心を癒してくれる。車内の路線図を見て「この街へいこう」と決めた。リンツ Linz。電車を何度も乗り継いで、着くのにまる一日かかった。
ちょうど良かった。今日は何も考えずに、車窓を眺めていたい。オーストリア東部を大きく「コ」の字型に回ったので、着いたのは夜の19時。さっそく宿へ向かうと、部屋でまっさきに声をかけてきたのが、眞熙だった。
李眞熙。23歳。韓国人。
”Have you done your dinner? If not, How about with me?”
”Great. but I wanna take a shower at first. Let's have together after I finished it”
人と話すことに飢えていたので、とりあえずOKした。3日ぶりのシャワーで、洗濯物も溜まっていたので、シャワー室から出てくるのに1時間かかった。
"Sorry, you may have waited for me so long time"
"No problem. but I thought you were sleeping in the shower room. or dead"
眞熙は冗談が上手い。早速、近くのスーパーで夕食を買いこんで、宿のロビーでディナーをはじめた。夕食といっても、メインはスナックとビール。ビールはビン8本で3ユーロ (約500円)。安い。
口から、言葉が洪水の様にあふれ出た。自分でも、自分がこれだけ英語を話せることに驚く。沈んだ気分で、自分の心に満ちていたのは厭世観。その反面、次に人と会ったら、こんな話をしようと、頭の中で何度も英語のシュミレーションをしていたおかげだ。
眞熙とは、旅の話、国の話、異性の話、日韓関係の話などをしているうちに、かなり打ち解けあった。高校のときに、韓国の姉妹校と、短期交換ホームステイをしたことがあったので、相手が韓国人なら、いくらでも意思の疎通はできるんだ、という実体験も、大きな助けになった。
さらに、周りには背の高い白人ばかりのこの欧州で、お互いに東アジア人であることは、民族意識を超えて、少なからぬ親近感を生む。初めてあったにしては、かなり突っ込んだ話もした。
眞熙はよくしゃべる。英語を自分のものにした話し方なので、早口でも話せる。それでも、酔いの勢いで意味が理解できてしまうから不思議だ。…余談になるが、英会話に一番必要なのは勢いだと思う。そのためには、酔っ払ってしまうのが手っ取り早い。
沈んでいた自分は、どっかに消えうせた。まったく意味も無く、ただなんとなく来た街で、面白い奴と出会えた。欧州に来て、こんなに楽しく酔ったのは、初めてだった。
この出会いが無ければ、自分はもっと長い期間、荷物を失ったショックから立ち直れていなかっただろう。本当に、眞熙との出会いには感謝している。
その日が、自分の21歳の誕生日であることには、後から気づいた。この出会いは、最高の誕生日プレゼントだった。
中編:旅の恥はかき捨て
後編:エリートの思考文法
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