■妙満寺縁起
顕本法華宗とは、日蓮宗(法華宗)の一派で、日蓮の弟子・日什(にちじゅう)を派祖とする宗派。彼は比叡山で修行し、学頭も勤めた超エリート僧侶でしたが、60を過ぎて読んだ日蓮の書物に衝撃を受け、転向します。ちなみに今年は日什生誕700周年らしく、門で大きくアピールされてます(写真右上)。
創建した寺は応仁の乱(1467-)で荒れ、天文法華の乱(1536)では派祖・日什の古巣である延暦寺の僧兵らによって焼き討ちにあい、堺へと非難。その後すぐに京都にもどるも、豊臣秀吉の京都整備計画にしたがってまたも移転(1583)。最近、1968年にこの地に再度移転して今日にいたります。結構いそがしいお寺ですね。
本堂 |
高くそびえ立つ仏塔です。ブッダガヤの大塔を真似たものらしいのですが、 日本の寺で仏塔をみるのはけっこう珍しい気がします。 |
境内は石の模様で水の流れをあらわす枯山水で整備されている。 背景にはなにかと因縁のある延暦寺。 |
意外な名前を発見。トヨタ自動車の豊田家はこのお寺の檀家総代。 写真上の仏塔には、初代・豊田佐吉以来お骨も収められているとのこと。 |
残念ながらまだ雪景色シーズンではないのですが、しばらく縁側に座ってゆっくり庭を鑑賞。やっぱり和風庭園っておちつきますな。
■安珍・清姫伝説
さて、この妙満寺の名物である「安珍・清姫伝説の鐘」ですが、実はここに来てからはじめて知りました。後で調べてみると歌舞伎や能で有名、とのことですがまったく知らなんだ…。伝説をおおざっぱにまとめると、以下のようなもの。
熊野にイケメンの坊主・安珍が参拝しにきた。清姫は坊主に惚れて彼に迫るが、安珍は「参拝中の身なので困る。帰りに立ち寄るから」と適当にごまかして逃げてしまう。
だまされたことを知った清姫は彼を追うが、安珍は別人だと言い張ったり、熊野権現の助けをかりて彼女を金縛りにするなど、とにかく逃げることしか頭にない。頭に来た清姫は姿を大蛇にかえて彼を追いかける。追いつめられた安珍は鐘の中に身をかくすも、大蛇に化けた清姫のはく炎で焼き殺されてしまった。めでたし、めでたし…とは言えない、なんとも破滅的なラブストーリー(?)。この、安珍が身を隠した鐘が、この妙満寺の宝物館に収められた鐘なんだそうな(写真右上)。意外と小さく、人が隠れられる大きさには見えません。
この鐘が京都にあるのは、秀吉の紀州征伐(1585)の際、武将の仙石秀久が発見して戦のはじまりを告げる鐘として使い、京都まで持ちかえってきたからだといいます。おお、千石秀久といえば、漫画『センゴク』の主人公ですね。そのうちこのエピソードも描かれるのかな。
お寺の中は全体的に整備されていてとても綺麗です。京都の北外れに位置しているので、わざわざこの妙満寺だけ見に来る人はあまりいないかもしれませんが、近くを訪れた際にはおすすめです。
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