■舟岡山ヒストリー
まずは、ざっと舟岡山の歴史から。
舟岡山は、平安京の都市計画における北の基点になった山です。事実、この山の真南に朱雀大路が伸びていました。風水、そして陰陽五行思想に基づいて、「大地のエネルギーが湧き出る玄武の小山」とされていたそうです。
また、清少納言が『枕草子』で「丘は船岡」と言及しています。当時の平安貴族にとっては、「丘」といばここ舟岡山だったんですね。
応仁の乱の際には、西軍がここに陣地を構えました。この名残が、いまも「西陣」という地名に見受けられます。
戦国時代。本能寺の変で没した織田信長の魂を、豊臣秀吉がこの地に祭ったことから、以後は信長ゆかりの地として記憶されるようになります。明治時代、明治天皇によって正式に信長を祭る神社がつくられることになり、これが建勲神社の起源になっています。
■建勲神社
まずは、山の東側、建勲神社から。現地に来て、案内板を読んで初めて知ったのですが、「けんくん」神社ではなく、正式には「たけいさお」神社なんですね。想いっきり間違ってたわ…(通称として「けんくん」神社でもOKだそうです)。
信長着用のヨロイ、桶狭間の戦いで戦利品として持ち帰った刀、太田牛一の『信長公記』(信長研究の基本資料)自筆本など、重要文化財を多数所有。
ぱっと見、普通の神社でしたが、おもいっきり信長を感じさせたのが、この碑。 桶狭間の戦いの前に信長が舞った『敦盛』のフレーズ。 |
本殿 |
神社の真東には、信長によって滅ぼされた比叡山 延暦寺が。 見下ろされているのがなんともオツ。 |
さて、舟岡山公園。実際には建勲神社とつながっているようなものですが、山のすそに自転車を置きっぱなしで神社の本殿まで上ってしまったので、一度下山して、山の西から回り込んで公園へ。
頂上まで登ると、かなり眺めがいいです。Google Earth によれば、標高は約100m。京都盆地が見事に見渡せます。これは、応仁の乱で西軍が陣取ったのも納得。
公園内部 |
頂上から南側に臨む。北の大徳寺を上から見下ろせないかなーって期待してましたが、 残念ながら木が邪魔でビューポイントを見つけることはかなわず。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿