京都に滞在して、自分の日本史の知識不足を改めて実感してます。僕の日本史の知識は、せいぜいセンター試験レベルの通史と、基本は司馬遼太郎の小説です。司馬遼太郎のおかげで戦国・幕末あたりは人並みに知っているつもりですが、それよりももっと前の時代も読んでみたい、と思って手を出したのが、この『義経』です。
おそらく、司馬遼太郎唯一の鎌倉時代を描いた作品。時代的には、『空海の風景』に次いで2番目に古いんじゃないだろうか?
この源平合戦の時代小説を読むのは初めてなので、全てにおいて「なるほどー」って思いながら読みすすめられました。印象深かったのは、後白河法皇の存在です。司馬作品に皇族がこんなにも生き生きとかかれるのはかなり珍しいと思います。他にはいないんじゃないかな? 平家を追い落とすために源氏をたきつけ、頼朝の勢力が巨大化すると、それに対抗するべく義経を盛り立て、常に勢力の均衡をはかる陰謀家として描かれています。この小説における名脇役ですね。彼を通して、「常に強者と結びつく」朝廷の性格を描いているのも、この作品の特徴だと思います。
この作品において、義経は一貫して「軍事的才能には恵まれたが、あきれるほどに『政治』というものを理解できなかった」人間として描かれています。作品中には「痴呆」とか「馬鹿」とかいった単語が、義経の形容詞としてこれでもか、ってくらい出てきます。
読んでいて不思議に思ったのは、そもそもなぜ司馬遼太郎は義経を主人公にすえたのだろう? ということでした。司馬遼太郎には、現実的な思考をする人間を好み、理念に走りがちな人物を嫌う傾向があり、それは西郷隆盛よりも大久保利通を(『翔ぶが如く』)、近藤勇よりも土方歳三を(『燃えよ剣』)主人公にすえてきたあたりにも現れています。この時代にあてはめれば、義経よりも頼朝を好みそうな気もしますが。
若干の手がかりになりそうなのは、次の一文。
日本人はこれまでに人気者というものをもったことがなかった。義経においてはじめて持った。
これまでこの国で名を得た者は、朝官としてしかるべき官位、威権があらかじめあり、その地位によって功業をなし、名をあげた。(略)義経は無名のなかから出、一躍人気を得た。そういう人間は古今にあったためしがない…(pp371・372)
上記の反面、明るく英雄気質の人物も好む、司馬遼太郎。日本史上初の「英雄」である義経に惹かれたのは、このあたりかもしれない…。
作品の舞台としての京都にも多く触れられています。鞍馬寺・堀川館跡なども、これからの見学リストに追加ですね。
それにしても、頼朝との対立が決定的になり、都落ちしたあとの描写がなんともあっけなさ過ぎる…。主人公が黄金時代を過ぎるとあまり綿密に描かなくなる、このあたりもなんとも司馬作品っぽいです。