日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)は31日、報告書を発表した。焦点となった近現代史では「南京事件」(1937年)の犠牲者数を日本側が「20万人を上限」、中国側は「30万人余り」とするなど戦前を中心に歴史認識の隔たりは埋まらなかった。
1945年以降の現代史は中国側の要請で公表を見送った。委員会は今後、委員を入れ替えて第2期研究に着手する方針だが、作業は難航が予想される。
報告書は約550ページで、「総論」のほか、「古代・中近世史」と明治維新前後~45年までの「近現代史」を対象とした「各論」で構成。各論は双方の委員が個人の立場で執筆した論文を掲載し、両論併記の形を取った。
旧日本軍による中国国民政府の首都・南京攻略時に起きた南京事件について、日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と認定した。ただ、犠牲者数は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘。「副次的要因」として中国軍の民衆保護策の欠如なども挙げた。これに対し、中国側は「中国軍人が集団的に虐殺された」と強調。犠牲者数は中国の軍事裁判の認定を引用して「30万人余り」とした。
満州事変については中国側が「侵略」と断じた。日本側はきっかけとなった南満州鉄道(満鉄)爆破事件(31年)を関東軍の「謀略」と明記したが、当時の政府は追認せざるを得なかったとした。日中戦争では日本側が発端となった盧溝橋事件(37年)を「偶発的」としながらも、「原因の大半は日本側が作り出した」と認めた。中国側は「全面的な侵略戦争」とした。
一方、文化大革命(66~76年)や天安門事件(89年)などを含む45年以降については、中国の現政権批判に直結しかねないこともあり、中国側が公表見送りを強く求めた。委員会は2006年10月の日中首脳会談で設立に合意した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00678.htm?from=nwla
■そもそもの目的は?
日中の共同歴史研究が案の定、上手くいっていないというニュースです。自分は、地域・立場・時代が違えば歴史観が食い違うのは当然だと思っています。同じ日本の中でさえ、例えば山口県(旧長州藩)と福島県(旧会津藩)とでは明治維新に対する見方も変わるでしょう。ましてや、60年前に戦争をしていた国同士が歴史観を共有するなんて、そこにどれだけの困難が付きまとうことか。それでは、この「日中歴史共同研究委員会」なる組織は、なんのために共通の歴史観を構築しようとしているのか? 外務省の発表によれば、
とのこと。日中関係の回復に努めた安倍政権時代の合意の様なので、こういう方向になったみたいですが、上記の文章からは、「仲良くするために」とか「まぁ、お互いの理解を深めるためにとりあえずやっておこう」といったような弱い印象を受けてしまいます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_aso/apec_06/kaidan_jc_rekishi.html(外務省:日中共同歴史研究について)
- 双方は、日中共同声明等の3つの政治文書の原則、及び、歴史を直視し、未来に向かうとの精神に基づき、日中歴史共同研究を実施するとの認識で一致した。
- 双方は、日中歴史共同研究の目的は、両国の有識者が、日中二千年余りの交流に関する歴史、近代の不幸な歴史及び戦後60年の日中関係の発展に関する歴史についての共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることによって相互理解の増進を図ることにあるとの認識で一致した。
共通の歴史観を構築するには、何か高い目的のための手段として割り切らなければ、到底不可能な気がします。例えば、東アジア共同体設立のための下地になるように、とか・・・(もっとも、自分は東アジア共同体の設立には懐疑的な立場ですが)。現に、何百年間という長いスパンでドンパチやってきたドイツとフランスも、共通の歴史教科書を持つことで有名ですが、その動きが本格化したのは欧州共同体構築の動きが進むのと平行しています。そのような現実的な目標があるならともかく、「未来に向かうとの精神」とか「相互理解の増進」といった曖昧な目的のために共同研究を行っても、かえって両国間の認識のズレが際立ってしまうだけの様な気がします。
■共産党政府の歴史観
中国歴代の王朝は、以前の王朝の失政・暴政を強調することで自らの正当性を裏付ける歴史観をつくってきました。そう考ると、侵略者・日本帝国軍を追い払い、民衆の支持を得て成立したのが中国共産党政府なわけで、彼らにとっては、日本は絶対的な悪役でなくては困るのです。そんな彼らが、南京事件の被害者数や、日本の大陸進出の原因について妥協を許すはずがありません。
自分は、日本側の委員が発表した「日中戦争では日本側が発端となった盧溝橋事件(37年)を『偶発的』としながらも、『原因の大半は日本側が作り出した』」という認識は、極めて客観的で真実に近い気がするのですが、それでも中国側にとっては「全面的な侵略戦争」でなければ困るようです。
相手が共産党政府である限り、永久に相手に都合の良い歴史観しか認められないような気がします。
■日中+韓の共通歴史観
「日中共同歴史研究会」に比べて、日本側の参加者も左派色の濃い研究員が多いのか、中韓に対してだいぶ妥協したような記述が多い印象を受けました。そもそも、この「日中韓3国共通歴史教材委員会」は、新しい歴史教科書を作る会の動きに対抗する流れで生まれた団体だったと記憶しています。
まぁ、この共通教科書自体にはそれほどの面白さは感じなかったのですが、講演を聞いて面白かったのは、日中・日韓の間だけでなく、中国・韓国の間にも歴史認識の対立がある、という指摘でした。例えば、韓国側は「中国の五・四運動は、三・一独立運動の影響を受けた」、と主張して譲らないそうですが、中国側はそれを否定しているようです。さらに、旧中華冊封体制下における宗主国・属国との間の認識のズレも相当あるようです。
歴史問題に関しては、中国と韓国が共同で日本を敵にしている印象がありますが、実は中国・韓国の間にも不協和音は存在するのですね。そう考えると、東アジアの共通歴史観なんて、果たして本当にできるのか、そもそもそれを構築する必要なんてあるのか、ますます疑問が募っていきます…。
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