自分は、大学入学以降、斉藤さんの本は何冊も読んできましたし、梅田さんの『ウェブ時代をゆく』は、このブログをはじめようと思ったきっかけでもあります。そんな2人が対談本を出すことを梅田さんのブログで知った瞬間、心はもう書店に飛んでいました。
■ウェブ時代の「私塾」
さて、内容についてです。何かを学ぼうとする人にとっては、同じ分野への関心がある人や、その先駆となっている人と、熱く語り合ったり、教えをうけることは、とても強い願望としてあります。それが、インターネットの普及で場所・時間の制約が薄れつつある今、かなり容易になるのではないかというのが、この本のコンセプト。梅田さんのブログによれば、対談を終えた後に「私塾」というキーワードが浮かんだそうです。
師弟関係、塾生同士の関係を「私塾的関係性」と呼ぶとすると、この関係性は現代においては、もっと広がりをもって捉えることができる。少人数の、直接同じ空間を共有する関係だけでなく、インターネット空間でも「私塾的関係性」は成立しうる。(P11)実際に自分も、とある本の著者のホームページから、著者にコンタクトをとってみたところ、返信をいただいた経験があります。ホームページから著者に直接メールが送れ、著書についての質問などに答えてくれるというものでした。このときは著者-自分という縦の関係だけでしたが、自分以外の質問者との横の関係ができていたなら、それは塾生同士の関係、その空間はまさに私塾といえたかもしれません。
「私塾」という言葉からは、「お互いに顔の見える関係」が連想されます。もちろんウェブ上ではお互いの顔は見えませんが、やり取りを繰り返しているうちに、相手の考えなどはわかるようになってきます。自分は今大学生ですが、こういう「お互いの顔が見える」形式の授業は好きです。ゼミとか、「せっかく少人数だしたまに討論でもやろうか」的なことをする先生の授業とか、これらは情報の発信が双方向的で、能動的に参加できるから、面白いのです。逆に、大部屋での講義とか、一方的に話を聞くだけの受動的にならざるを得ない授業がダメです。実際によくサボります(おかげで単位がとれません)。
実は梅田さんも斉藤さんもそういうタイプであるらしいのですが(笑)、ネット上にこのような私塾的空間が増えるのであれば、大学の意味が相対的に低下してくる時代が来るかもしれませんね。場所や時間の制約を受けないネット空間で少人数ゼミのようなものができるなら、大学にいく必要は薄れていきます。
■斉藤-梅田の志向性の違い
今まで読んできた斉藤本・梅田本は、どれも読んでいて興奮を伴う、面白い本ばかりでした。この対談で気づいたのは、その両者の興奮の質の違いです。というのも、二人の嗜好性の違いが、はっきりと浮き彫りになったからです。
斉藤:梅田さんは、どんな子でも、どんな若者でも伸びると、前提として思っていらっしゃるのですか?
梅田:そうは思っていません。(中略)個人的には「上を伸ばす」ことに興味があります。やる気があって目を輝かせている人がどんどん伸びていくのを促したり、支援したり、手伝ったりということに、僕自身は強い関心があります。(P69)
斉藤:僕は結構、「無理やり」ということが好きなのです。やる気のない、ぐたっとした雰囲気の連中を変えていくというのが、むしろ快感だったりします。(P78)やる気のある人をさらに伸ばすことに興味がある梅田さんと、やる気のない者を底上げすることに興味がある斉藤さんの本は、読書感の違いに現れていることに気がつきました。梅田さんの本は「おまえら、やる気があるんだったら、今は勉強するのにこんなにいい時代なんだぞ」といわれている気がして、やる気が更なるやる気を引き起こす、そういう興奮を引き起こす本です。
それに対して斉藤さんの本は「こうやれば、誰にだってできるんだ。さあ、やってみよう」というスタンスのものが多くて、「今までこんなことしようなんて思わなかったけど、それならやってみようかな」的な気分になります。
どちらもやる気が出る本なので読んできて気持ちがいいのですが、このことがわかったこれからは、シチュエーションに応じて両者の本を読むことができそうです。ちょっと勢いづいているときに更にスピードをつけたい気分のときは梅田さんの本。走るのがおっくうな気分のときは、斉藤さんの本、という様に。
■好きなことを貫く
好きなことを貫く生き方がしやすくなった時代であるということは、梅田さんのこれまでの本から、伝わってきました。今回、それが更に突き詰められて、
梅田:僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、(中略)自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。(P146)とまで言われているのが印象的でした。自分が何に向いているのか、何になら没頭できるのかを考えないと生きていけない、そんな時代。この言葉には、自分のやりたいことをやっていいんだ、と励まされると同時に、自分の志向性をきちんと見極めるのも大切だなと感じました。こういう時代を吉ととらえるか凶ととららえるか、好きなことがはっきりしている人間にとっては、前者ですが、そうではない人はどうなのでしょう。
内容は全体的に、今までの2人の主張をお互いに確認しあっている感が強かったです。今までの両者の本を何冊か読んでいる読者にとっては、目新しいフレーズはあまり見受けられないかもしれませんが、二人とも、相手の考えを自分の言葉にして言い直すのが上手だなと感じました。
あと、あれだけ大量の本を出版しつづける齋藤さんが、なぜブログには手を手を出さないのか。実際に梅田さんも対談で「ブログを書いてみたらどうか」と勧めているのですが、それを断り続ける理由がわかって、ひとつ納得がいきました。