ブログ紹介

フィリピン・バギオ市在住 ㈱TOYOTAのブログです。旅日記・書評・メモなどなんでも詰め込むnaotonoteの文字通りオンライン版。
現在は英語学校 PELTHで働いています。過去のフィリピン編の記事は、学校のブログに転載しています。

2011-06-19

国民の休日


今日、日本では父の日だそうで。距離が離れているので何もしてあげられないのですけれども「いつもお世話になってます」とこの場をかりて、うちのおとっつぁんにも、お礼を言いたいと思います。

で。

明日は月曜日。本来なら仕事が始まる日なのですが、つい先週、急に休日になることが決まりました。どうやら大統領権限によって、国民の休日になることが決まったようです。

理由は、フィリピンの国民的英雄、ホセ・リサールの誕生日だからです。彼は、1861年06月19日生まれ。今日、2011年06月19日はちょうど生誕150周年になります。明日はその振り替えで、休みになるというわけです。

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(▲街に飾られた、休日を知らせる旗)

リサールについては、以前の記事でさらっと触れただけですが、簡単にいうとスペインの植民地支配に抵抗した革命家で、「フィリピン独立の父」と呼ばれるフィリピンの英雄です。彼は軍人というよりかは思想家の側面が強いので、果たした役割を考えれば日本でいう吉田松陰に相当すると思いますが、人からの尊敬度を考えると、現地では坂本龍馬クラスの人気をほこっています。

そもそも、リサールを記念した休日は既に存在します。リサール・デイ(Rizal Day)といって、彼が処刑された12月30日が国民の休日となっているのですが、それに加えて、生誕150周年の休日をもうけている。これには、今スプラトリー諸島で中国ともめている問題との関連で、国民の一体感(ナショナリズム)を高揚しなければいけないフィリピン特有の事情もあるのでしょう。

それにしても、フィリピンの休日は、国の英雄を記念した日が多い。


アキノ・デイ(Ninoy Aquino Day 8月21日)
ベニグノ・アキノが暗殺された日

英雄記念日(National Heroes' Day 8月の最終月曜日)
カティプナンによる、反スペイン蜂起を記念

ボニファシオ・デイ(Bonifacio Day 11月30日)
アンドレ・ボニファシオの誕生日

リサール・デイ(Rizal Day 12月30日)
ホセ・リサールが処刑された日


ひるがえって日本では、こういった、国民の英雄を記念する日が少ないですね。特定の人に焦点をあてた休日というのは、天皇誕生日と、神武天皇が即位した建国記念日くらいしか思い浮かびません。

こういうことを考えていると、もっと、日本の英雄、あるいは歴史的な事件に焦点をあてた休日があってもいいんじゃないか、と思うのです。例えば、


明治の日(11月9日)
大政奉還が行われた日。ここから、日本の近代化が始まった

龍馬記念日(11月15日)
近江屋事件で龍馬が暗殺された日。彼の誕生日でもある

江戸の日(9月15日)
天下の分け目、関が原の戦いが起こった日

信長記念日(6月2日)
本能寺の変で信長が倒れた日

大化の日(6月12日)
乙巳の変(中大兄皇子が、蘇我氏を滅ぼした政変)の日。ここから大化の改新が始まる

どうでしょう? 歴史好きにはたまらないラインナップです(笑) おそらく、これらを記念したスペシャルドラマなんかも放送されることでしょう。これはたまらんぜぇ…。

…とまぁそれはさておき、少なくとも、人々が日本の歴史に興味をもつきっかけには、なると思います。

さて。

昨日、2011年06月18日は東日本大震災から数えて100日目でした。人々が死者の魂を弔う、大切な日です。

(→東日本大震災:癒えぬ悲しみ、復興への誓い…100日目(毎日新聞)

フィリピンでは、大統領のリーダーシップで急に新しい休日が制定されました。こういうトップダウンなら、日本にあってもいいんじゃないかと、僕は思うのです。

2011-06-18

フィリピンの戦後事情

【フィリピン歴史物語02】
承前:日本統治時代まで
お待たせしました。こんなの書いても誰も読まねぇだろ、と思いきや、こっちに留学中の学生仲間には意外と好評(?)をいただいている「フィリピン歴史物語シリーズ」第2回。授業中、先生に歴史・政治の話をされて「ぽかーん」ってなっている人の助けになれば幸いです(笑)。

■フィリピンの現代史を理解するにあたって

2回目の記事を書くまでにだいぶ時間がかかりました。遅延の原因は、フィリピンの「歴史」というより、政治風土を理解するまでに時間がかかってしまったからです。フィリピンには日本とは違う政治文化がいくつかあります。

たとえば一例をあげるなら、People's Power。「民衆の力」とでも訳したらいいのでしょうか、人々が大規模なデモ・暴動を起こすことによって、大統領が交代してしまうことがあるのです。その最たる例は1986年のエドゥサ革命ですが、それについては後ほど詳しく書きます。デモで首相が交代する、というのは、今の日本では考えられないですね。まぁむしろ、日本でもデモを起こして、とっととポンコツ菅を辞めさせてほしいものですが。
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(▲2001年、エストラーダ大統領を退陣に追いやった第2次エドゥサ革命の写真。革命の聖地・エドゥサ聖堂を中心に何千もの人々が抗議のために集結した)

それはともかくとして、日本で首相を辞めさせようと思ったら、基本的には首相の自発的な辞任を待つか、内閣不信任案の提出を待つしか方法はありません。ですが、ここフィリピンでは、軍部のクーデターや民衆のデモによって、つまり「制度の外からの力」によって、制度内の政治に大きな影響がおよぼされることがあるのです。「制度の外からの力」というのは、要は「違法な手段で」ということです。これがフィリピンの政治の特徴で、政治の制度も把握した上で、制度外の力が現実の政治に大きな影響を与えることを知っておかないと、フィリピンの現代史は理解できません。

■フィリピンとアメリカ

さて、前回の記事では第2次大戦の終結と、第3共和国の成立(1946年)まで書きました。まずはざらっと、戦後のフィリピンの状況に触れてみます。

第3共和国初の大統領(第1共和国から数えると、第5代)になったのは、マニュエル・ロハス(Manel Roxas)です。彼が大統領として担った主な役割は、言うまでもなく、戦後フィリピンの復興でした。ただし、第2次大戦でめちゃくちゃに荒廃した国土を復興させるには、膨大な金額とマンパワーが必要です。そこでロハスが頼ったのが、アメリカでした。ロハスは戦前から活躍するベテランの政治家で、特に戦時中、アメリカ軍とフィリピン政府を結ぶ連絡係(liaison officer)としての役割を負ったことから、マッカーサーとのコネクションももつ、親米派です。彼はアメリカとのコネクションを生かし、フィリピンの戦後復興をすすめます。

ここに、戦後フィリピンの基本的な立ち位置が決まりました。経済・軍事上の支援をうける代わりに、アメリカの意向を無視できくなってしまった。率直に言えば、アメリカの属国になったということです。一応、第3共和国というのは成立と同時にフィリピンの独立をも意味するのですが、結局は日本にとられた植民地を、アメリカが取り返しただけのこと。これが現実です。

この時期、アメリカにとってもフィリピンは手放すことのできない土地でした。その理由は、世界地図を見れば一目瞭然です。南シナ海をはさんでフィリピンの対岸に位置するのは、ベトナムと中国。それぞれ1945年にホー・チ・ミンによってベトナム民主共和国が、1949年には毛沢東により中華人民共和国が建国されています。どちらも、名前からわかるとおり共産主義国家です。冷戦体制のもと、アメリカは資本主義陣営の代表として、アジアにおける共産主義の拡大を許すわけにはいきませんでした。アメリカの同盟国(ときにどこかの国のように、「属国」と同じ意味で使われることが多い)として、共産主義に対する防波堤として機能したのがフィリピンでした。
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(▲地図を見れば、アメリカにとって日本・韓国・台湾・フィリピンは、ソ連・中国など、ユーラシア大陸から太平洋を脅かす勢力をくい止めるための防波堤であることがわかる)
ちなみに、時代は変わってもアメリカとフィリピンの関係は変わりません。共産主義はソ連の崩壊(1991)とともに滅び去りましたが、今ソ連に代わってアメリカを脅かしているのが、中国です。太平洋への進出をもくろむ中国に対してフィリピンは相変わらず防波堤としての役割をアメリカから期待されています。いわゆるスプラトリー諸島(南沙諸島 Spratly Islands)の領有問題がそれですね。

さっきは「フィリピンと日本の政治文化は違う」と書きましたが、このあたりの事情は、むしろかなり似通ってますね。日本もフィリピンも、地政学的にはアメリカにとって欠かせない大切な同盟国であると同時に、都合の良い「子分」でもあります。
【マニュエル・ロハス】
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第5代大統領。在位1946 - 48。日本統治時代は親日政権に協力するも、アメリカとも裏でつながっていたといわれる。フィリピン・コモンウェルス最後の大統領にして、第3共和国初代の大統領に就任。基地協定やアメリカに有利な貿易ルールを定めるなど、アメリカの強い影響下にあった。1948年、心臓マヒにより急死。彼の後は、副大統領キリノが継ぐことになる。

■フックバラハップ

ただし、日本も同じ状況ですが、親アメリカも度が過ぎると、それに反発する勢力が現れます。その代表が、フックバラハップ(Hukbalahap)です。日本語の文献では「フク団」と略して記述されることが多いですね。彼らはもともと抗日ゲリラ軍でしたが、終戦後に内部で共産主義勢力が主導権を握ったことから、資本主義の排除を目指す思想を帯びるようになります。また、スペイン統治時代から存在する、スペイン・アメリカ・日本など、海外からの侵略に対して抵抗してきたゲリラの流れをくむ組織であるため、ナショナリスティックな性格が強いのも特徴です。

日本軍との闘争を終えた彼らにとって、新たなる打倒の対象は、主に以下のとおりです。

  1. 外からフィリピンをコントロールしようともくろむ、アメリカに代表される外国勢力
  2. 大地主に代表される、フィリピンの資本家、既得権益層
  3. それらを支持基盤、もしくは協力者とし、貧困に対して有効な政策をうたない政府
彼らはもともと神出鬼没のゲリラ戦法を得意とする武装集団で、都市部ではなく、農村に支持基盤をもっています。農村の人々は、腐敗した政府ではなく、身近にいるフックバラハップをかばうわけです。こういう相手ほど、正規軍にとっては相手しにくい。今、アフガニスタンで世界最強のアメリカ軍がイスラム原理主義テロリストに苦戦しているのと同じ状況です。まともに戦ったら、正規軍のほうが強いのですけれども、山奥やジャングルに逃げ込まれたら、現地の地理を熟知しているゲリラの方が強い。しかも、彼らは一般民衆と見分けがつかないので、正規軍にしてみればどこまでを打倒の対象とすればよいのかわからない。

事実、彼らの勢いはすさまじく、一時は首都マニラを占領する寸前のところまでいきました。首都マニラの陥落は、政府の崩壊を意味します。ときの大統領、エルピディオ・キリノ(Elpidio Quirino)は彼らとの和平交渉を試みますが、失敗。キリノ政権時代、フィリピンは順調な復興をとげますが、唯一の頭痛の種が、このフックバラハップでした。彼らは先ほど触れた「制度の外の力」の典型ですね。日本で反政府組織が現実の政治を脅かすことは、めったにありません。
【エルピディオ・キリノ】
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第6代大統領。在位:1948 - 53。ロハス政権で副大統領・外務大臣を兼務。ロハス大統領の死後、大統領に昇格。米比同盟にのっとり、朝鮮戦争(1950 - 53)に参戦したのも彼の在位中のことだった。彼の在位中、フィリピンは順調な経済成長をとげるが、反政府組織に対しては有効な政策をうてなかった。
彼らの反乱に対して有効な手をうてなかったキリノ政権の中で、ただひとり有効な手段をとることができたのが、ラモン・マグサイサイ国防大臣(Ramon Magsaysay)でした。彼がフックバラハップの討伐に成功したのには、理由があります。
…とここで、いいところなんですけれども、ここで一度話をとめます。マグサイサイについては書きたいことがたくさんあるので、このまま続けると、記事が長くなりすぎてしまいそうです。次回、マグサイサイのフックバラハップ討伐と、彼が大統領になってからの話をしたいと思います。
次回の記事に乞うご期待!

2011-06-15

『20歳のころに知っておきたかったこと』

旅にとって読書は欠かせない要素です。英語を勉強しにフィリピンに来ている僕が言うのもアレですが、海外にくると、なぜか無性に日本語の本が読みたくなってしまいます。今回は運良く、前から読みたいと思っていた本をルームメイトが持っていたので、借りて読んでみました。英語タイトルは、What I Wish I knew When I Was 20.関係代名詞と仮定法の良い勉強になる、絶好のタイトルです(笑)それにしても、実に半年ぶりの書評だ…。



のっけからかなり面白い、というか、モチベーションを奮いたたせてくれる本であることには気づきましたが、次の一文を見つけたときに、思わず身震いがしました。
そのうち、人間は二つのタイプに分かれることがわかってきました。自分のやりたいことを誰かに許可されるのを待っている人たちと、自分自身で許可する人たちです。自分自身の内面を見つめて、やりたいことを見つける人がいる一方で、外からの力で押されるのをじっと待っている人もいます。私の経験から言えば、誰かがチャンスをくれるのを待つのではなく、自分でつかみに行った方が良い面がたくさんあります。(p72)
僕は現在24歳。普通なら、入社2・3年目の働き盛りの会社員です。正直、世界放浪旅行に出発するにあたって、迷いが無かったわけではありません。日本に帰ったとき、無事社会に復帰できるだろうか。友達はまじめに働いている中で、自分だけこんな好き勝手をやっていていいのか。そもそも、この選択は果たして本当に正解なのだろうか。

…正直、いろんなことが、頭の中をよぎりました。

でも、「正解」なんてものはどこにも無いのです。自分に許可を与えるか、他人の許可を待つか、二つの選択肢があるだけです。自分は少なくとも、自分で自分に許可を与えて、いまここにいる。自分のやりたいことをやっている。それでいいじゃないか。それが正しい選択だったかどうかなんてのは、最後にふりかえれば、それで良い。

おそらく多くの人にとって、自分のやりたいことをする上で壁になるのが「他人の意見」でしょう。人は、特に日本人は、そう簡単に人の他人の意見を無視はできない。

有名な心理学者のB・F・スキナーは、かつてこう言いました。人間の行動はすべて、個人の欲求か、種の欲求か、社会全体のルールに適応したものになる、と。ただし、これらの3つのルールは、隅々に張りめぐらされています。ルールを決めるのは、政府や宗教団体、雇用主、学校、隣人、家族など。こうした社会組織がそれぞれはっきりしたルールを作るからこそ、個人の欲求を満たしたり、種の欲求に駆り立てられたりして、ルールを破りたくなることがあるのです。(p46)

著者のティナ・シーリグは、B・F・スキナーの言葉を借りて「他人の意見」のことを「社会全体のルール」と表現しています。この「社会全体のルール」は、特に日本社会においては、破るのはそう簡単ではありません。それを破った果てに待っているのは、いわゆる「村八分」だったり、「いじめ」だったりするわけです。そういうものが待ち構えているからこそ、他人の意見を無視して、自分が本当にやりたいことをやるには、それなりの精神力が必要とされる。でも、そんなタフな精神で「いいから早いとこ、自分に許可を与えてしまいなさい!」と、ティナ・シーリグは声を大にして叫んでいるわけです。
最後の「第10章 実験的な作品」では、彼女は出だしからこう言い切っています。

種明かしをすると、これまでの章のタイトルはすべて、「あなた自身に許可を与える」としてもよかったのです。わたしが伝えたかったのは、常識を疑う許可世の中を新鮮な目で見る許可実験する許可失敗する許可自分自身で進路を描く許可、そして、自分自身の限界を試す許可を、あなた自身に与えてください、ということなのですから。じつはこれこそ、わたしが20歳のとき、あるいは30、40のときに知っておきたかったことであり、50歳のいまも、たえず思い出さなくてはいけないことなのです。(p206)

20代のうちにこういう言葉に出会えてよかった。長い旅の出だしから、こういう言葉と出会えてよかった。本当に、そう思います。この学校には、昔の僕みたいに、自分のやりたいことや夢のために休学してこっちに来ている学生がたくさんいます。彼らは非常にモチベーションが高く、僕にとってもとても刺激になるのですが、もしまだこの本を読んだことがないのなら、是非とも早いうちに読んでおいた方が良い。きっと何か得られるものがあるはずです。読みたくなったら、Garden Villaの503にいつでもおいで。俺の本じゃないけど、たぶんArataは快く貸してくれるはず(笑)

こういうことを考えていると、どうしても思い出してしまうのが、アップルの創業者スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った、あの伝説のスピーチです。
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このスピーチに初めて出会ったのは、3年前のことでした。当時も、そして今もなおですが、僕はこの力強い言葉をきけばいつも、目頭が熱くなるのを抑えきれません。

自分の一番好きな部分を自分なりに訳して、今日の記事を締めくくりたいと思います。いわゆる「超訳」なので、かなり自分の都合のいいように解釈した上で訳しています。語順とか単語への忠実さとか、もうめちゃんこに無視してます。あまりにも有名なスピーチなので、探せばもっと良い訳はたくさんあるはずですから、英文法にそった正確な訳文がほしい方は、そちらをあたってみてください。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ― which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.


時間は限られている。だから、君は君の人生をこそ、きちんと歩むべきだ。ドグマにとらわれてはいけない。他人の意見に従って生きていても、そんなものに意味なんて無い。他のやつらに、君の内なる声をかき消されるな。一番大切なことは、心と本能に従う勇気を持つことだ。それらはどういうわけか、君が本当にしたいことを、とっくの昔からわかっているのだから。それ以外のことなんて、どうだっていいんだ。
スピーチの全文は、こちらからどうぞ → http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

2011-06-14

フィリピン タバコ事情

フィリピンのタバコ事情をレポートします。

■フィリピンのタバコ

まずは、気になるお値段ですけれども、かなり安いです。僕がこっちで吸っているマルメンライトは、35ペソ。だいたい¥70に相当しますから、日本での値段¥440に比べると、かなり安いですね。値段以外にも、いろいろと日本にはない特有の事情があります。


01.露店では、タバコのばら売りをしている
露店、というか、なんと表現して良いのかわかりませんけれども、道端でタバコやキャンディーなどをばら売りしている人がいます(▼写真参照)。そこでは、タバコを1本単位で買うことができます。店と銘柄にもよりますが、だいたい1本3ペソくらい。箱で買ったほうがオトクですが、普段は吸わない銘柄を試したいときなんかには便利です。
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02.一箱の値段が、ソフトかボックスかによって異なる
例えば、マルメンライトのソフトケースだと35ペソですが、ボックスだと45ペソです。たかが10ペソの違いですけれども、まぁ馬鹿になりません。日本だとボックスでもソフトでも値段が変わらないのでボックスを買っていますが、こっちに来てからはソフト派に鞍替えしました。


03.カートンで買うと安い
これに関しては、フィリピンがうらやましいですね。日本では一度に何箱買おうが、1箱あたりの値段が下がることはありませんが、こっちではカートン買いをすると値段が安くなります。


04.場所によっては、若干安く買えるところがある
カートン買いをしないでも、1箱単位でも安く買える店が、ごくまれにあります。ただし、あくまで「ごくまれ」です。一度33ペソでマルメンライトを売っている店を見つけましたが、安い店を探す手間を考えると、カートンまとめ買いをしちゃったほうが手っ取り早い気がします。


05.10本パック・5本パックがある
日本では、タバコは1箱20本と相場が決まっていますが、こっちには5本パック・10本パックが存在します。ただし20本パックに比べると割高です。僕にとっては何の存在意義があるのかよくわからない商品ですけれども、強いて言うなら、箱がコンパクトでポケットへの収まりがいいのが長所(?)。
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(▲左のハードボックスが10本、左のパックが5本入り)
要約すると、「一度にたくさんに買えば買うほど安くなる」というのがこの国のタバコ事情です。


■なぜタバコを吸うのか

さて、今日は非喫煙者にとっては何の役にも立たない記事を書いてしまったわけですけれども、なぜ僕がタバコを吸うのかについて、少し書いておきたいと思います。

ひとつには、単純にやめられないからです(笑)。いや、これが最大の理由か。

ともあれ。タバコが健康にとって良くはないことは十分承知していますし、ときに非喫煙者の皆様にご迷惑をおかけしていることも理解しているつもりです。ですが、あえてタバコのいいところを挙げさせてもらえば、タバコは一種のコミュニケーションツールになるのです。喫煙者なら同意してくださると思いますが、喫煙者は、喫煙者同士の独特なコミュニティを形成します。喫煙所でしかできない出会い、喫煙所にしか集まらない情報、というのは確かにあるのです。手元に本が無いので正確な引用ができないのですが、飯島勲(小泉純一郎の秘書官。敏腕で知られ、小泉総理が長期政権を築けたのはこのひとの支えあってこそと言われる)も、著書『人生「裏ワザ」手帖』で、「政治家の秘書はタバコを吸うことでしか得られない情報がある。この世界で働くなら吸ったほうがいい」みたいなことを言っていました。



とくに僕みたいなバックパッカーにとっては、喫煙所で得られる現地人との出会いというのは貴重です。そこで思いがけず会話が弾んでいい思い出になることもよくあります。なかには、それがきっかけで貞操の危機にさらされることもありますが、それも含めていい思い出です。


禁煙ファッショの嵐・・・もとい!禁煙の波が迫りくる日本では喫煙者は肩身の狭い思いを強いられていますけれども、海外を旅する人間にとって、タバコがひとつの武器になることは、自分の経験からも断言できます。
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(▲学校の喫煙スポットにて。憩いの場です)

2011-06-05

ミッキーマウンテン

【2011.05.28】
通っている英語学校のあるグリーンバレーからは、不思議な山が見えます。その名も、ミッキーマウンテン

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