先日書いた「小さな政府・大きな社会」の話、そういえば以前に読んだ宮台真司の『日本の難点』にも書いてあったなー、と思ったら、いろいろと詳しく書いてありました。
こうした状況を最初に概念化したのは、新自由主義を標榜するサッチャー政権とメイジャー政権下で大臣を歴任した保守党政治家ダグラス・ハード男爵の「能動的市民社会性」という概念です。具体的には家族や地域や宗教的結社に見られる相互扶助(が支える社会的包摂)を指しています。アンソニー・ギデンズの唱えた「第3の道」は、ダグラス・ハードの唱えた「小さな政府・大きな社会」の枠組みを継承したもので、合ってたんですね。いやぁ、すっきりと謎が解けて良かった。
「能動的市民社会性」や「市民的相互扶助」の概念は、労働党系政治学者デビッド・グリーンから保守党系政治学者バーナード・クリックを経て労働党系社会学者アンソニー・ギデンズに継承されます。新自由主義はもともと“「小さな政府」で行くぶん「大きな社会で包摂せよ」”という枠組だったのです。
家族や地域や宗教的結社の相互扶助―あるいはそこに見られるビクトリア朝的伝統―をベースに、“「大きな社会」で包摂せよ”というメッセージですから、市場原理主義とは似ても似つかないものです。ネオリベとして揶揄される枠組は、「小さな政府」を市場原理主義として誤解したものに過ぎません。
その意味で、元々の新自由主義と、いわゆるネオリベとは区別しなければなりません。ネオリベ=市場原理主義は、「小さな政府」&「小さな社会」の枠組です。新自由主義の「小さな政府」&「大きな社会」の枠組とは全く違います。(中略)
むろん不人気さゆえにこの看板は用いませんが、その意味ではアンソニー・ギデンズも新自由主義者だといえます。(P133-135)