前回のマニラの旅で行けなかった、高級オフィス街マカティ地区が目的地です。前回の旅でマニラはケソン・オルティガス・パサイ・エルミタ…とぐるっと一周したのですが、後で地図を見返して「マカティだけいってねー!」と思い出し、次のチャンスを狙っていました。今回は友人がマカティに住んでいたので、彼と合流するのも目的のひとつ。
今回の地図 (クリックして拡大) Victory Liner Bus Terminal からEDSA沿いに歩いてマカティ地区へ → SM Mall of Asia → Ninoy Aquino International Airport Terminal 3(地図外)へ |
基本的には、マニラをぐるっとまわる大環状線・EDSA沿いにまっすぐ歩くだけ。以下は、途中で撮影したマニラの夜の光景です。
夜に路上で寝てる人がいるあたりがなんともフィリピンですが(笑)、なんといっても都市圏人口2100万をほこるメトロ・マニラ。バギオにはない「都市」の夜景がそこにはあります。
マカティが近づくにつれて、空も明るくなってきました。
友人と合流する予定なのはGreen Belt というショッピングモールですが、その前に是非見ておきたかったのが、フィリピンの英雄ベニグノ・アキノの銅像。歴史好きの自分としては、観光といえばその国の有名人の銅像や博物館めぐりが主な目的になってしまいます(笑)。
道中、思いがけない発見だったのがこちら。馬にまたがった女性の銅像。誰かと思って碑文を見てみると…
GABRIELA SILANG 反スペイン軍を率いて戦った最初のフィリピン女性。夫がスペイン人に殺された後、 屈辱をはらすために彼の兵隊を率いて反スペイン闘争に参加。 「女将軍」の異名をとるが、後に捕縛され、ビガンで公開処刑される(以上、碑文訳) |
んでもって、目的のベニグノ・アキノの銅像。
うーん。格好いい。大きな通りの合流点、かなり目立つ位置にたっています。さすが国民的英雄。ちょっと逆光で顔がわかりにくいので、下に別の写真をはり付けておきます。
ベニグノ・アキノは約20年におよぶマルコス独裁政権に反対した政治家で、83年、マルコス一派の手にかかり暗殺されます。死ぬ直前に彼の残した「フィリピン人のためなら死ぬ価値がある The Filipino is worth dying for」というセリフは、この国では非常に有名。
彼の暗殺に対する抗議行動が、後のエドゥサ革命(86年)へとつながり、マルコスは退陣。いわば、アキノの死によって現代フィリピンの歴史がはじまるわけで、自らの死によって高度に反独裁・民主主義のシンボルとなり、政治家というよりも思想家として高度に象徴化され、国民的英雄となった彼の生きかたは、もう一人のフィリピンの英雄ホセ・リサールにどこか通じるものがあります。
ちなみに、マルコス政権後に大統領の座についたのは、ベニグノの未亡人であるコラソン・コファンコ・アキノ(通称コリー)。現在の大統領はベニグノとコリーの息子であるニノイ・アキノ3世(通称ノイノイ)で、アキノ家は過去から現在にいたるまで、フィリピン政界における絶大な影響力を保持しています。
アキノファミリー。クリックして拡大。 |
…さて、今回は個人的な趣味を反映したかなりマニアックな記事になってしまいましたが(笑)、マニラの旅は続きます。次回は、マカティの高級ショピングモール街の様子をレポートします。
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