おそらく日本の歴史に関わる以上は、永久的に逃れることはできないであろう問、「日本はなぜあの戦争に負けたのか」について、司馬遼太郎が真正面から取り組んだ本です。
この問に関しては、色々な方々がいたるところで発言されてます。「あの時代の日本はおかしかった」「一部の頭の悪い人たちが起こした戦争だ」などといった、多少「乱暴」な意見もある一方、最近は少し冷静に「そもそもなぜ負けるとわかっていた戦争に突入せざるを得なかったのか」「有能な人材がいたにもかかわらず、なぜ彼らに活躍の場が与えられなかったのか」といったことが論じられるようになり、時代とともに、「あの戦争」が「体験」としてでなく、「歴史」として、きちんと分析対象として冷静に語られるようになってきた印象があります。
そういう意味では、自身も従軍経験のある司馬遼太郎にとって、昭和時代は「冷静」に見ることのできる対象ではないのかもしれません。実際、司馬は本文中で
と、昭和時代への違和感を隠しません。ちなみに「こういうばかなこと」とは、ノモンハン事件を指しています。「日本は明治まではよかったが、昭和からまるで駄目になった」という、いわゆる司馬史観も批判されがちな昨今ですが、本書では司馬さんは司馬さんなりに、「では、昭和の日本が駄目になってしまったのはなぜか」について精一杯考察していまして、中には傾聴に値する意見もあります。僕が一つ興味深く感じたのは、「日本は近代化の過程で江戸時代を捨ててしまった」という指摘です。主に
ちょと極端な言い方をすると、司馬さんは「江戸時代は良い日本で、昭和時代は悪い日本」だと言いきっています。しかも、そういう言い方を「非常に正確だと思う」とまで。こういう、昭和時代を問答無用で切り捨てる司馬さんの態度は、最近よく批判されがちですね。ただ、江戸時代は技術と多様性に支えられた社会で、とそれはそれでひとつの完成した世界だった、というのは納得させられました。近代化の過程で、西洋文明を取り入れた日本は、江戸時代を完全に忘れてしまった。それは実はとても、もったいないことだったのではないか、と司馬さんは言っている様に思います。
敷衍すれば、取り入れた西洋文明と、昔ながらの江戸文明、この二つを有効にミックスした近代化こそが、日本がとるべき国家像だったのかもしれません。
ただ、明治政府が江戸時代の負の部分 = 硬直し、機能不全に陥った徳川政権を否定して成立した以上、江戸時代を忘れ、西洋の列強に対抗するために西洋文明を吸収せざるを得なかったのは、歴史の必然です。そのような流れの中で、「江戸時代を忘れない明治維新」「旧時代を捨てない新政権」というのは、あの時代にはたしてありえたのだろうか?という疑問が生じます。世の中に変化を起こすには、「過去の否定」が必要です。「変革」とは「過去を否定」することで、新しい価値観を根付かせる行為です。江戸時代を否定し、西洋からの技術を貪欲に取り入れたからこそ、明治維新は成功したのであって、過去(=江戸時代)を中途半端に引きずったままでの明治維新なんて、あり得るのだろうか。そんな「架空の明治時代」がありえたとして、その架空の明治では、江戸時代の文化が邪魔をして、あまり西洋の技術が根付かなかったのではないか? それで果たして、西洋列強と張り合うことができたのだろうか? と、どうしても考えてしまいます。
ただ、司馬さんが言うように「技術好き、職人好きの民族」であることが日本人の本来の姿である、というのには共感できます。日本人は今でも技術力で世界と戦っていますし、マクロな戦略よりもミクロの戦術に強いのが日本人です。ただ、このまま技術に強いだけではこの国際化の時代に日本はどんどんガラパゴス化していってしまう、というのは最近よく言われることでありまして、「技術」をひたすら追求するだけでなく、得意な「技術」をいかに国際スタンダードにするか、ということも、これからの日本人は考えていかなくてはなりません。
(参考→『武器なき“環境”戦争』)
さて、「日本はあの戦争になぜ負けたのか」という問に対する、司馬遼太郎のひとつの回答は「江戸時代を捨ててしまったからだ」でした。この問題に対する答えは、おそらく一つではないでしょう。というかそもそも、「正解」があるのかどうかも分かりません。ただ、この問題を考える上で、あるいは日本人とは何者か、という問いを考える上で、本書が一つのヒントを与えてくれることは間違いありません。興味のある方は、ぜひご一読ください。できれば、『「明治」という国家』も併せて。
この問に関しては、色々な方々がいたるところで発言されてます。「あの時代の日本はおかしかった」「一部の頭の悪い人たちが起こした戦争だ」などといった、多少「乱暴」な意見もある一方、最近は少し冷静に「そもそもなぜ負けるとわかっていた戦争に突入せざるを得なかったのか」「有能な人材がいたにもかかわらず、なぜ彼らに活躍の場が与えられなかったのか」といったことが論じられるようになり、時代とともに、「あの戦争」が「体験」としてでなく、「歴史」として、きちんと分析対象として冷静に語られるようになってきた印象があります。
そういう意味では、自身も従軍経験のある司馬遼太郎にとって、昭和時代は「冷静」に見ることのできる対象ではないのかもしれません。実際、司馬は本文中で
いったい、こういうばかなことをやる国とは何なのだろうかということが、日本とは何か、日本人とは何か、ということの最初の疑問となりました。(p4)
と、昭和時代への違和感を隠しません。ちなみに「こういうばかなこと」とは、ノモンハン事件を指しています。「日本は明治まではよかったが、昭和からまるで駄目になった」という、いわゆる司馬史観も批判されがちな昨今ですが、本書では司馬さんは司馬さんなりに、「では、昭和の日本が駄目になってしまったのはなぜか」について精一杯考察していまして、中には傾聴に値する意見もあります。僕が一つ興味深く感じたのは、「日本は近代化の過程で江戸時代を捨ててしまった」という指摘です。主に
- 第9章 買い続けた西洋近代
- 第10章 青写真に落ちた影
- 第11章 江戸日本の多様さ
昭和元年から二十年の話をずっとしていますが、話していると、だんだん覇気がなくなってきますね。私もその時代の末端に属していながら、青春が末端に属していながらですね、そして同じ民族でありながら他民族の話をしているようです。そして、いまだに思うことはひとつです。
あれは日本だったのだろうか。
むしろ、本当の日本は江戸時代の文明、江戸文明にあったのではないか。江戸中期以後のリアリズムを中心とする、技術をものを見続けて思想を作り上げた代表者たちとわれわれは結びつく。先に話しましたように、職人が好きで、技術が好きな民族なんだと。(pp124・125)
とにかく明治政府というものは江戸期を否定し、そして明治以後の知識人は、軍人を含めて、江戸的な合理主義を持たなかった。それはやはり、何か昭和の大陥没とつながるのではないでしょうか。(中略)
われわれ技術好き、職人好きの民族は、昭和元年から二十年までの間、抑圧されていた。戦後にその留め金がとれ、江戸期に直結したのではないかと思うぐらいです。こういう言い方は非常に正確だと思うのです。(pp133・134)
ちょと極端な言い方をすると、司馬さんは「江戸時代は良い日本で、昭和時代は悪い日本」だと言いきっています。しかも、そういう言い方を「非常に正確だと思う」とまで。こういう、昭和時代を問答無用で切り捨てる司馬さんの態度は、最近よく批判されがちですね。ただ、江戸時代は技術と多様性に支えられた社会で、とそれはそれでひとつの完成した世界だった、というのは納得させられました。近代化の過程で、西洋文明を取り入れた日本は、江戸時代を完全に忘れてしまった。それは実はとても、もったいないことだったのではないか、と司馬さんは言っている様に思います。
敷衍すれば、取り入れた西洋文明と、昔ながらの江戸文明、この二つを有効にミックスした近代化こそが、日本がとるべき国家像だったのかもしれません。
ただ、明治政府が江戸時代の負の部分 = 硬直し、機能不全に陥った徳川政権を否定して成立した以上、江戸時代を忘れ、西洋の列強に対抗するために西洋文明を吸収せざるを得なかったのは、歴史の必然です。そのような流れの中で、「江戸時代を忘れない明治維新」「旧時代を捨てない新政権」というのは、あの時代にはたしてありえたのだろうか?という疑問が生じます。世の中に変化を起こすには、「過去の否定」が必要です。「変革」とは「過去を否定」することで、新しい価値観を根付かせる行為です。江戸時代を否定し、西洋からの技術を貪欲に取り入れたからこそ、明治維新は成功したのであって、過去(=江戸時代)を中途半端に引きずったままでの明治維新なんて、あり得るのだろうか。そんな「架空の明治時代」がありえたとして、その架空の明治では、江戸時代の文化が邪魔をして、あまり西洋の技術が根付かなかったのではないか? それで果たして、西洋列強と張り合うことができたのだろうか? と、どうしても考えてしまいます。
ただ、司馬さんが言うように「技術好き、職人好きの民族」であることが日本人の本来の姿である、というのには共感できます。日本人は今でも技術力で世界と戦っていますし、マクロな戦略よりもミクロの戦術に強いのが日本人です。ただ、このまま技術に強いだけではこの国際化の時代に日本はどんどんガラパゴス化していってしまう、というのは最近よく言われることでありまして、「技術」をひたすら追求するだけでなく、得意な「技術」をいかに国際スタンダードにするか、ということも、これからの日本人は考えていかなくてはなりません。
(参考→『武器なき“環境”戦争』)
さて、「日本はあの戦争になぜ負けたのか」という問に対する、司馬遼太郎のひとつの回答は「江戸時代を捨ててしまったからだ」でした。この問題に対する答えは、おそらく一つではないでしょう。というかそもそも、「正解」があるのかどうかも分かりません。ただ、この問題を考える上で、あるいは日本人とは何者か、という問いを考える上で、本書が一つのヒントを与えてくれることは間違いありません。興味のある方は、ぜひご一読ください。できれば、『「明治」という国家』も併せて。